黒の手帳は何冊目?   作:久聖

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ホラー風味です。


すくいの人形  ゲスト:今西部長

 そう広くない倉庫の天井近くまで、ぬいぐるみと人形の数々が積まれている。それらを種々の段ボールに仕分ける三人の人影。

 

 影の一つ、初老の男が、腰をさすりながら小柄な背筋を伸ばした。

 

「骨が折れるねえ」

「夢灰色の導師よ、魔女の木槌に打たれぬよう」

 

 三角巾に銀の髪をまとめた少女が芝居がかった口調で諭すのに、ワイシャツの袖をまくり上げた大男が言葉を継いだ。

 

「すみません、今西部長。神崎さんも。私一人でやるつもりだったのですが」

「そりゃ思い上がりってもんだ、きみ一人じゃ終わらんよ」

「我らが力、いまさら拝辞はすまいな」

 

 今西と呼ばれたロマンスグレーの男に同調して、神崎という少女は笑った。ここにしまいこまれたどの人形よりも華麗な黒いベルベットのドレスが、フリルをゆたかに揺らす。

 

 この倉庫はドラマや映画の小道具として作られ、その務めを終えたものたちが眠る場所である。

 

 かつて青年はその何体かに、新たな仕事を与えるつもりだった。黒いドレスをまとった新人アイドル・神崎蘭子の君臨するゴシックホラー世界“ローゼンブルクエクリプス”の住人として。

 

 そのために彼らが供養に出される日を先延ばしにしてもらっていたのだが、はたして、その魔女王となるべき少女が望んだのは、光と闇との狭間に咲きほこる薔薇、ゴシックロマンの世界“ローゼンブルクエンゲル”であった。

 

 かくして人形たちはただ朽ちて供養を待つのみの身となった。状態の良好なものは残し、ほかを寺へ送るために箱詰めする作業は、彼らを預かった青年の負担である。

 

 そして、きょうがその作業日だ。

 

「これは……まだ残しておけそうですね」

 

 青年が拾い上げたビスクドールを見て、銀灰色の髪を戴く二人は小さく跳び上がった。

 

「い、いまこっちを見なかったか」

「ぱっ、パンタソスの悪戯よ!」

「人形は動きませんよ、部長。神崎さんのいうとおりです」

「いうとおりときたか……」

 

 少女の言葉は詩性に富み、その真意は捉えがたい。壮年の男も聞き慣れてはきたが固有名詞に弱く、“幻覚だ”と逃避がちに断じたと気づいたのは、部下のフォローあってのことだった。

 

 蜘蛛の巣を払ってみれば、見たところ保存状態は悪くない。ナポレオン時代の歩兵の出で立ちをした少年の人形は、青い目を力なく床に投げかけている。

 

「まあよかろ、たしかに状態は悪くはなさそうだね」

「はい、大きいですし、次の機会でよいかと」

 

 九〇センチほどもある大きい体は、球体関節で繋がっていた。

 

 なにげなく細い肘を深く曲げるとなにか強い抵抗を感じ、彼はそれ以上いじらないように、そっと幼い勇士をぬいぐるみたちの間に座らせた。

 

「う、うむ、疾く残る魂の選別を果たさん! 疾くな!」

「おや、神崎くんはもう怖くなったかね。ついこの前は、ここで眠りこけとったのに」

「あれは……。あれは異郷の地で乾いた魂を癒す闇に、夢魔どもが紛れ……」

「おかげで私の心臓は止まらずにすみました」

「代わりに、神崎くんの嗜好を誤解してしまったと」

「ひとのせいにはしたくありませんが、そうです」

 

 神崎蘭子は今西部長によって見出だされた。担当、すなわちこの青年に引き合わせるにあたり、一計が案じられた。この人形の倉庫で蘭子がビスクドールのふりをして待ち構え、青年が近づいたところで動き出して驚かす。機械仕掛けのようだった当時の彼を、ショック療法的に少しは人間寄りに引きもどそうとしたのである。

 

 もちろん今西としては、偶然つかまえた未来のアイドルの容貌を、効果的に自慢したい意図が多分にあったのだが。

 

 後半の目論見は大成功であった。妖気を放つ人形とぬいぐるみに埋もれ眠るゴシックロリータの美少女は、彼の記憶に強く残った。異様で妖しい雰囲気を過度に強めた形で。

 

「さて、こんなところかね」

 

 ほどなく選別を終え、三人は体を伸ばした。破損や汚損のあるものたちが整然と並んだ大ぶりの段ボールは三つ。

 

 はなむけの言葉を述べつつ封を施し、まだ倉庫に残るものたちにも別れを告げる。

 

「闇に飲まれ……よ!?」

「どうしました、神崎さん」

 

 青年が少女の引きつった顔を覗きこむと、真紅の瞳が怯えて見返した。

 

「いっ、いま、ナポリの獅子の兵隊が我をみっみっ見たっ……!」

「すっかり参ってしまっとるな。どうだね、三人でカフェで甘いものでも」

 

 老眼鏡の奥でむりに明るく笑い、今西は倉庫に鍵をする。

 

「そうですね。ぬいぐるみとはいえこれだけ運べばお疲れでしょう」

 

 青年の言葉は、視線を落とした拍子に途切れた。倉庫脇に並べた段ボール、その手前の一つに、一八世紀フランスの軍服を着た少年人形が手足を投げ出して座っていた。

 

 青年の様子におなじ方を見やった小柄な二人もともに絶句し、そして、三人まちまちに悲鳴を上げた。

 

 少年の首が、彼らに向いたのである。

 

 膝から崩れる少女を青年が支え、巨躯を翻して人形の青い視線からかばう。大人二人、腰だめに構えて人形の動向をうかがっていたが、それはただ力なくうつむくのみである。

 

「と、ともかく倉庫にもどしましょう」

 

 蘭子を壁に預け、青年はあらためて人形を手に取る。陶磁器でできたビスクドール。服もひじょうに細い繊維で織られている。ずしりと重たく、人間の子供らしくも感じるそれを、ふたたびぬいぐるみのなかにもどした。

 

 今西もふたたび、扉を閉め、鍵をかける。

 

「神崎さん、歩けそうですか」

「これしきのまやかしに、我が影を縫い止めることなどできはしないわ……」

「頼もしい限りだが、素直に大人を頼りたまえよ……」

 

 しわがれ始めた声が、冗談めきつつも震えた。その様子に振り向いた青年は目を見張り、喉を一度大きく動かした。

 

「か、神崎さん」

「なにか、我が友よ」

 

 両の肩をしっかとつかむ大きい手に、少女も異様さを感じる。

 

「いまは、私だけを見ていてください」

「なに!?」

「けっして、余所見をなさらずに……」

 

 言葉どおり、彼女の視界をふさぐように立ち、青年は小柄な体を抱えあげた。

 

 そして、不自然な向きでその場を離れた。怖がりな少女の赤い瞳に、上司が抑える扉からはみ出しもがく、軍服の腕を映さないように。

 

 人形のような美少女といっても、やはり人間は人間である。中空の磁器ではない。胸に抱いた肌は、あたたかくやわらかで香りたつようだ。混乱の渦中にある彼を、このぬくもりがうつつの岸辺に繋いでいてくれる。

 

 もっとも、蘭子自身は、別の混乱にとらわれているのだが……。

 

 それでいいと青年は思った。

 

 わけのわからぬまま階下のカフェに運んで、パフェなりクレープなりを食べさせてやればいいと。

 

 部長は心配でも、目下はこのか弱い少女を守らねばならないのである。

 

 青年が走ろうと脚に力をこめたのは、彼の上司が人形との力競べに敗けたのと同時であった。壮年の男の呻きに、青年はうつむきを深くした。その逞しい肩越しに、蘭子は見た。人形の突撃に壁へ叩きつけられる、かつて己を見出してくれた男の姿を。

 

「今西さん!」

 

 悲痛な叫びに、人形はぐるりと首を巡らせた。恐怖が身を縮ませ、蘭子はふたたび青年の胸におさまる。空虚な音が激しさを増して迫った。

 

 青年は太い両脚に絡みつくためらいを払い、ふたたびタイル張りの床を蹴る。わずかの内にあと数歩の距離までせまっていた人形を引き離す。

 

 次の刹那、どこにそれほどのバネを持つのか、彼を上回る勢いで飛び出した人形は軍刀を抜き放ちざま、緊張した足首を斬りつけた。青年と少女はもつれるように、つきあたりの扉のなかへ転げいる。

 

 人形は獲物を追い詰めたことを確信したのだろう。その歩みゆるやかに部屋へはいり、丁寧にも扉を閉めたの

だった。

 

 

 

 神崎蘭子とそのプロデューサーは、転げこんだ小部屋でたがいの無事を確かめた。大柄な彼の懐中で丸まっていたおかげで、少女に怪我はない。

 

「まあ、人形のサーベルが、本当に切れるはずもありませんね」

 

 かぎ裂きもないスラックスの裾を示し、男は自嘲した。あの瞬間、脚を切り裂かれたとばかり思っていたのだ。とはいえ。

 

「だ、だが、呪痕はありありと……」

 

 鉄扉と、小柄とはいえ大人の男を押し返す膂力でもって、硬い磁器の棒を叩きこまれたのである。その足首には、青痣が一文字に残っていた。

 

 気遣う少女に、青年は少しだけ強がった。もう一度抱き上げようとしたとき、硬質な音が楽しげに、暗い部屋へはいってきた。

 

 扉を閉める知性に、青年の口には苦いものがこみ上げた。片膝を立てて座ったまま、すがる少女を背に隠す。

 

 組み付いてくれば、倍を超す体格がある自分が有利だ。切れない軍刀なんか怖くないぞ。そう自分にいい聞かせながら。

 

 身構える二人に反して、人形は泰然と扉を塞いだままだった。逃げ道を喪った獲物をあざ笑うには、長いように二人には思えた。

 

「夜目は利かないようですね」

 

 小声を発した途端、人形はまっすぐに彼の喉元へ飛び込んだ。間一髪で身をかわし、二人はカーペットの上を転がる。勢い余った人形は壁で止まり、取り逃がした事実に呆然とうつむいた。

 

 一瞬の出来事に愕としたのは二人もおなじであった。だが、蘭子は赤い瞳の光を気力に増させて、震える足で立ち上がった。驚く庇護者をその目で制して、か細い手はブラインドを勢い良く巻き上げさせる。

 

 暮色を帯び始めた曇り空の薄明かりを見るより早く、青年は少女を引き寄せ、かばった。飛びかかる呪い

人形から守るために。

 

 しかし、青年の予想に反して、そして少女の睨んだとおりに、人形が跳びかかった先は窓であった。それが強化ガラスでなければ、猛然たる突撃によって破られ、怪物は地上に落ちて砕けていただろう。

 

 ふたたびカーペットに放り出された人形が黙念と立ち尽くすのを見届け、蘭子はスマートフォンに指を滑ら

せた。

 

『唐津悪魔は木霊の悪戯に踊る』

 

 状況によっては黒幕からの謎かけだなと青年は苦笑した。おなじように光る画面を操り、会話をつづける。

 

『あの人形は、音に反応して襲ってくるということですか?』

 

 蘭子は自信に満ちて頷いた。

 

『我が術法によりすべての音をかき消さん! この窮地を脱するのだ!』

 

 短時間のうちによく入力できるなと男が感心し、なにをする気か問おうとしたとき、蘭子の手元から暴力的な音楽が狭い部屋に反響した。

 

 地響き然としたチューバとティンパニ、鋭く速いトランペットとピッコロ。一七世紀の作曲家バルフィナンがギリシャの神々と巨人族との戦争を題材に書き上げた組曲“ギガントマキア”から“アテナの戦い”だ。

 

 戦女神アテナが巨人族最強の戦士と戦い、シチリア島によって圧殺するくだりを表現した楽章で、スケールの大きさと敵・エンケラドスの名が示す“大音声を鳴らす者”の号に恥じぬ……というよりは、もっと慎みがあっていいのではないかと思うばかりの凄まじい演奏である。

 

 ブラインドをわななかせ窓を震わす音響は、磁器の身体も痺れさせて出処をつかませなかった。痙攣したように向きを、体勢を変える異形は、巻き上げられたもう一枚のブラインドにも反応を示さない。

 

『お見事な機転です』

 

 声で会話しても安全なのだが、そうしなかったのは、二人もまた自分の声さえはっきりとわからないからである。

 

 蘭子はベルベットに包まれた胸を得意気に反らし、光る画面を掲げて出口へ歩を進める。彼にとっては意外なことだった。洞察がではなく、その勇気がだ。

 

 ホラーの苦手な怖がりの少女で、動く人形を見てしまってからは恐怖にとらわれているばかりだと思っていた。

 

 我が身と引き換えにしてでも守らなければとかたく心を決めていたものであるから、反対に蘭子に救われることになるとは、考えもしなかったのである。

 

 かつて上司のたくらみにのせられたとき、青年が出会った美しい人形は両目を閉ざしていた。

 

 彼はその双眸に、炎の色を期待した。かつて己が力不足から、アイドルになるという少女の夢を絶った罪。それを抱えたまま、また新人アイドルを育てる不安と怖れ。すべて見透かして灼き尽くしてくれる苛烈な聖火を、冷たい罰という救いを彼はそこに求めた。

 

 いま幼い背を守る青年は、恐怖を押し殺して毅然と前を向く少女の横顔に、生けるパラディオンの姿を見た。その紅い両目に、希望の灯を見た。そして決意を新たにする。この小さい戦女神を守らねばと。

 

 扉が開き、閉ざされた音響空間が綻ぶと、人形は痙攣をやめた。青年はそれに気づき、わずかな隙間から少女を外へと逃がす。跳ねようとした人形の足はもつれる。彼は押し出しざま、アテナの讃歌を響かせる光の盾を受け取っていたのだ。

 

 立てかけられていた鉤棒は、本来スクリーンを引き下ろすためのものだっただろう。だがいまこのひとときは、悪夢を打ち砕くつるぎとなった。

 

 音の奔流に感覚を閉ざされた人形は、ついにその頭を砕かれて、永遠に活動をやめた。

 

 

 

 扉から漏れる音がなくなり、蘭子と、意識を取りもどして駆けつけた今西はそっとノブを押した。不安げな二人に、青年は無事な姿で、おだやかな表情を返す。

 

 人形のいた場所を見て、蘭子は何度目かの青い顔を見せた。砕けた頭から、黄色くどろりとしたものと、黒く曲がった太い針が覗いていたのだ。

 

「こりゃあ、く、蜘蛛か……?」

 

 今西が老眼鏡をかけ直して息を呑む。

 

「はい。どうやら、大蜘蛛が人形の頭に巣食っていて、……荒唐無稽な推察ではありますが、糸を使って手足を操っていたようです」

 

 あの勇ましさはどこへか、頼りなく青ざめる少女に、青年は眉尻を下げた。

 

「きょうはあなたのおかげで助かりました。いずれ、お礼を」

「礼には及ばぬ。其方がいなければ我は人形の手にかかっていたのだから」

 

 スマートフォンを返す青年の腕に、しかし蘭子はすがった。たがいの震えをおぼえて、二人は視線を交わす。

 

「邪智の妖虫が火種を残すとも限らぬ。火神の威厳にて浄化せねば」

「ええ、残した人形たちもすべてお焚き上げしてもらい、倉庫は業者に清掃してもらいましょう」

「この部屋の惨状も、なんとかいいわけを考えんとなあ」

 

 三人の苦い笑顔に、金色の陽が差し始めていた。

 

 

 

 

(了)




※蘭子スカウトの設定は勝手に追加したものです。

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