空気が薄氷のような冬の日、宵の口である。都心を外れた公園の広場に、天体望遠鏡を囲む三人の少女と一人の青年がいた。神崎蘭子が濃い銀髪を揺らし、亜麻色の髪の新田美波にファインダーをゆずる。白銀色のアナスタシアは素手の凍えも気にせず二人に貼りついて、自らセットした宇宙の小窓の景色を解説している。
一歩引いたところで、大柄な青年は三人の少女ばかりでなく、木々や水面へ注意を向けていた。睨め回すような視線は、見るものが見れば三白眼の鋭さが少女たちとそのほかで、まるでことなることに気づけるだろう。彼は三人の、アイドル活動を見守るプロデューサーなのである。
「神代の獅子狩人がかような宝珠を持っていたとは」
いま見たばかりのオリオン大星雲の放つ光の広さをまぶたに甦らせ、蘭子は淡い薔薇の唇を嘆息の靄に包んだ。まさに鑑賞している美波も、暗黒の宇宙にたゆたうコスモスのかがやきに喉の奥で感嘆し、チャコールの細い手袋で白い望遠筒を撫でた。
「我が友よ、天に咲く永遠の花、其方にも!」
「プロデューサーさんも見たほうがいいですよ。光がふわーっと広がっていて」
「レコメンデュエミィ、探しやすくてきれい、冬空のおすすめです」
興奮する蘭子にコートを引かれ、青年も一三〇〇光年の彼方に広がった若い星雲をレンズにのぞいた。低い嘆息と見開く鋭い目に、三人は満足げな笑顔を見交わす。
「揺り籠より目醒め、凍れる空に羽撃く星の煌めき……。フッフフフ、其方の瞳をいかに染める?」
「少し、薄く赤く光って見えますね」
「おお、友の瞳にも天なる薔薇は栄光に殉教の影を添えたか!」
オリオン大星雲は、天文台にあるような大型の天体望遠鏡でのぞくと赤みを帯びて見えることがある。天体写真でも赤いものが多い。だが、個人レベルの望遠鏡では白くしか見えず、蘭子の話した額面どおり、見るものの目しだい、あるいは知識のフィルタしだいだ。
はじめて垣間見た遥遠の光に興奮冷めやらぬ蘭子との会話を、青年は大柄な身を起こすことで中断した。一瞬きょとんと、言葉を切った赤い瞳に、手袋をしていない大きい手が望遠鏡のファインダーを示した。
星の世界に夢中になる少女の横顔から青年が視線を上げた。それに気づいたアナスタシアが、水筒のあたたかいお茶を傾けるチャコールの手袋を止めず、青い瞳で微笑む。
その姿に、違和感を覚えた青年である。
「アナスタシアさん、手袋は……?」
新田美波の手袋をアナスタシアが着けているのだ。ただそれは、彼女の手を心配して美波が着けさせたのだろうと、いいながら青年は思った。それにより注目が小さい手を離れると、新たな、そして露骨な違和感にぶつかるのである。
白銀の少女は、コートの背中を大きく膨れさせている。
「……二人羽織りですか」
「ダー、二人だとあったかいです」
美波の両手はアナスタシアのそれとして、言葉と表情に沿った動きをする。顔をあげた蘭子が、美波の姿のないことにしばし混乱したほどである。二対の脚で望遠鏡へよどみなく近づく姿には、青年も目をしばたたかせた。
「こんどはバリシャヤ・メドヴェディーツァ……ホクトシチセイを見ましょう」
「それは……ど、どちらの託宣か?」
「ミナミの希望です」
そう答えると、こともなげに望遠鏡を北に向け、ピントを調節した。異様といってもいい息のあいかたに、戸惑いを隠せない蘭子と青年である。
「むう……テレパシー……」
「さすがに服の下でなにかやりとりをしているのだと思いますが……」
「斯様なからくりならば、我らも阿吽の妙技、見せつけん!」
蘭子の瞳が紅玉に、どの星よりも光った。
「プロデューサーさん、コートの前を開けてあげてくださいね」
二人ともきちんと見ていなかったが、美波の言葉に合わせてアナスタシアは口を動かしてみせた。
いわれるがままにもう一つの二人羽織りができあがる。蘭子と青年では丈があまりにちがうため、青年のコートのボタンのあいだから、蘭子が顔を出しているだけであるが……。ひとまずは満足そうなことが小刻みに揺れる体の熱に察されて、青年は黙ることにした。
先に望遠鏡をのぞくよう促された蘭子の移動は、両腋で持ち上げられての移送であった。
「端から二番目の星、二つあるのが見えますか? ランコ」
明暗二つの星を片目にとらえて蘭子が頷くと、アナスタシアの声のトーンがわずか上がった。
「暗いほうは、名前をアルコルといいます」
「悪魔の蜜にも似たひびき……」
「おまけの星、輔星とか、死兆星なんて呼ばれる星ですね」
「見えると死期が近いって伝説があるのよ」
「なにを!?」
怯える蘭子だが、隠れる先はない。ゆったりしたコートの下で暴れるのを、青年は頭を撫でるほかなかった。
「ええと、神崎さん、アルコルが見えると死ぬというのは漫画の話でして……。実際には目のいい若いひとは隣の明るいミザールと見分けられますが、老眼が進むと……いいかたは悪いですが寿命が近いご老人は見えない、と」
「……まことか?」
「エト・ポゾール、プロデューサー、ばらすの早いです」
「双生の妖姫よ、我をたばかろうなど!」
蘭子が頬を膨らすと、ごまかすように二つの声が笑った。
「まあ、アルコルは名前のとおりプリローゼニエ、おまけです。明るいほう、ミザールをよく見てみてください。さらに二つにわかれて見えるはずです」
「むう……たしかに」
明るいミザールは、アナスタシアのいうとおり、二つの光点を持つ。これは世界ではじめて望遠鏡での観測で発見された連星である。発見者はガリレオの弟子であり……。熱を帯びはじめるアナスタシアの話を蘭子は遮った。
「レンセイ……? この光の双児も巨人の光雲のごとく、揺籠たる力を秘めているのか?」
「連なった星って書くのよ蘭子ちゃん」
「ダー、二つの星が引っ張りあってぐるぐる回ってます。こうですね」
いうが早いか美波とアナスタシアは分離して、両手を取り合って回りだす。
「実際にはサロンヌィ・ターニツ、えー、社交ダンスみたいです。近づいたり離れたり、ですね」
連星はたがいに焦点を共有した楕円軌道を回る。イメージとしては、二つの楕円がわずかに重なり合って、雪だるまのようなシルエットを作るのである。
「振り回されてますね、新田さん」
「楽しいですよ。プロデューサーさんだってそうなんじゃないですか?」
回りながら、美波の垂れ目の視線は青年の顔よりも、胸許でぬくまる蘭子に向いているようだった。
「ニェート、ミナミのほうが重いですから、ラブライカ連星は振り回されるの、アーニャのほうです」
公称体重は実際に、新田美波のほうが二キログラムだけ多くなっている。
「アーニャちゃん」
声を低くするや、美波はコートごとアナスタシアにおおいかぶさった。脚がもつれあいながら倒れない、不思議な暴れかたをする二枚のコートにあっけにとられる青年の体を、とつぜん夜風が冷やした。
「我が友よ、我らも見えざる連理の枝なす星とならん!」
コートから飛び出した蘭子が、紅潮した頬で黒いファーの手袋を突きつける。下から支えるように青年がその手を取ると、蘭子はいきおいよく回りだした。しかし、体重の差に青年の生来のにぶさもあって、
「プラネタ、太陽と惑星ですねランコ」
と、アナスタシアにおかしげに評されてしまった。
連星が共有する焦点の位置、つまり雪だるまのめりこみ具合は質量で決まる。あまりに差があれば重いほうの星の中心近くに焦点が定まり、軽いほうだけが動くことになる。それが恒星と惑星の関係だ。
「むう、我がかがやきが足りぬと申すのか」
「体重よ蘭子ちゃん。倍くらいちがうんじゃない?」
「さすがに倍は……」
蘭子の公称値を思い出し、言葉を濁す青年である。
「ランコはヴェネーラ……金星ですしね」
「放つ光明に対星を惑わさねば堕天使の長の名が泣くわ!」
足を止めて膨れる蘭子へ、美波と肩を寄せてアナスタシアは教えた。
「星と星なら、離れていたほうが相手を動かしやすくなります、が……」
太陽から遠く重い木星だけは、焦点が太陽の外にある。つまり木星と太陽は互いに相手を振り回しあっているといえる。かといってあまりに離れると互いに重力の手を結ぶには至らない。そんな、蘭子は知らない話を前提にしてアナスタシアが笑う。
「人間の場合は近ければ近いほど、相手を動かしやすくなりますね」
なるほど、と一言発して蘭子は青年に飛びついた。飛びついて、ぶら下がるようにしがみつくと横へとにじり動く。彼女なりに力をこめているのである。
「ええと、神崎さん……」
青年は声を苦らせた。近づきすぎた蘭子の足を踏んでしまいそうで、さらに動きづらくなっていたのである。しかし、見上げてくる尖った唇に、ふたたび離れるようにいうのは気が引けた。
「失礼します」
肚を決め、青年は腕を動かした。にじり動いて、まさに腕を乗り越えようとしていた蘭子の体を、背に腕を回して抱き上げる。横から二つの驚きが同時に、おなじ大きさの吐息の雲を作った。
足のつかないほど抱え上げられて丸くなる紅玉の瞳は、ふだんよりもぐっと近くに青年の顔を見ていた。
「こうでよろしいでしょうか」
遠慮がちに青年がその場で回りはじめると、蘭子は驚いて肩へしがみついた。表情で安心させようとした青年の計が上手く行ったかはさだかでないが、二周三周とするにつれ、幼い顔の緊張は解けていった。
夜風を切る感覚を楽しむように爪先を動かし、ときに笑い声を上げる蘭子を眺めて、新田美波は苦笑いをした。
「アーニャちゃん、あれはちがわない?」
「チェルナヤ・ディラですかね。ランコ、無事に帰ってこれるでしょうか」
いっぽうのアナスタシアは、いたずらっぽく笑うのだった。
(了)