黒の手帳は何冊目?   作:久聖

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プレーンあじ


スイセンの残り香  ゲスト:和久井留美

「ふっふっふっ、小さき幸福の化身……!」

「神崎さん、直接触るのは危険ですから、ひとまずこちらを」

 

 タオルを差し出してくるプロデューサーは腰が引けていた。わたしの代わりに持ってる日傘をぐっと前に出して、その手首と片手でタオルを広げて、姿勢を低くして……。わたしの倍くらい大きくて、鋭い目がかっこよくて、頼もしいひと。なのに、たまにすごくおどおどするときがある。わたしの扱いかたとか、いまみたいに、子猫に触るときとか。

 

「にー」

 

 わたしの胸で子猫が鳴く。日傘の陰でレモン型になった目で、じっと見上げてくる。大きさは両手にちょっと余るくらい。真っ黒の毛並みはボサボサ。“漆黒”はツヤツヤの黒のことだからこの子には使えない……シャンプーしてキレイになったら使えるかな?

 

 ドラマの収録の帰り、金色に光って見えるくらいスイセンが集まっている河川敷に寄り道をしたら、この不安そうな声が聞こえた。プロデューサーと一緒に探して、植込の陰で震えてるのを見つけた。近くにぼろぼろの、ねずみ色に汚れたタオルが落ちてて、すぐに捨て猫だってわかった。

 

「安寧の雲にその身を休めるがいいぞ」

 

 真新しいタオルに子猫を乗せると、プロデューサーの顔はもっと不安そうになった。片手でしか支えてないから危ないのはわたしにもわかってる。……だから、さっとくるんで、また胸に抱きなおした。プロデューサーはすごくほっとした顔をしてる。

 

「あら……蘭子ちゃんが見つけてくれたの」

 

 スイセンの甘い匂いのなかに、オレンジとかジャスミンのサッパリした香り。プロデューサーのうしろにいつの間にか、背の高い女のひとが立っていた。和久井留美さん。さっきまで撮ってたドラマで、主人公の女刑事を演ってるひとだ。ドラマのメインテーマの、ジャジーなサックスが耳によみがえった。

 

「和久井さんの猫ですか?」

「まさか。こっちに子猫がいるみたいだから、探しに来たのよ」

「さ……さすが魔女王、このささやきを捉えるとは」

 

 留美さんは切れ長の目を細くして微笑んだ。それから、せっかく保護してくれたから、なんていって、プロデューサーと黒猫と、三()の写真を撮ってくれた。

 

「魔女王にもこの幸運の化身の影を」

「私は写真だけで遠慮しておくわ、ちゃんと抱いててね」

「ああ……たしか猫アレルギーをお持ちでしたか」

「そう、だからこの距離が限界なの」

 

 子猫がちょっとむずかって、わたしは取り落しそうになる。プロデューサーがすばやくフォローしてくれて無事に済んだけど……。

 

「私が持ちましょうか」

 

 触るだけでもおっかなびっくりのプロデューサーに預けるのは、プロデューサーも子猫も両方心配。でもちょっと子猫を抱いてるプロデューサーも見てみたい。わたしが返事を困ってるのを、顔に出すより前に留美さんがだめだといいきった。

 

「きみは手が大きいから猫ちゃんが隠れちゃうでしょ。蘭子ちゃん、胸に乗せるようにして、下から支えてあげて」

 

 こんどは留美さんは自分のスマートフォンで、子猫のアップを何枚も撮った。……スリーショットのときより明らかに熱心で、プロデューサーとわたしは顔を見合わせて笑っちゃった。声には出さずに。

 

「ところで、和久井さん、この子猫はどうしたらいいのでしょうか」

 

 満足げな留美さんに、プロデューサーが訊ねる。堂々としてるのを、なんだか久しぶりに見たように思えて、わたしはまた笑った。こんどはちょっと声にも出して。

 

「だれかが飼うのがいちばんだけど」

「わ、我が城に!」

「寮でですか? 難しいと思いますが……」

 

 雪美ちゃんは黒猫のペロちゃんと一緒に寮にいる。でもそれは、雪美ちゃんのお家の事情と、ペロがトレードマークの一つになってることでどうにか赦された特例らしかった。わたしだってサインに黒猫いるんだけど。

 

 小春ちゃんのヒョウくんは、って訊いたら“イグアナは犬や猫とちがって静かだし、家を汚すイメージが薄いから”。凛ちゃんのハナコちゃんとか、アッキーやわんこ……そもそも寮暮らしじゃなかった……。

 

「はっ、聖夜の使者!!」

「そういえば……。サンタクロースさんのブリッツェンは寮で暮らしていますね」

「ブリッツェンは参考にならないわよ。宙に浮いてるから床を傷つけたり汚したりしない、グルメだから建材や家具を食べない。ふつうの生き物じゃないものね」

 

 一瞬見えた気がした希望は幻だった。ううん、たしかにありはしたけど、迷宮の、高すぎる天井に空いた穴みたいなものだった。わたしの腕のなかで力いっぱい、それでもすごく弱々しく、生きてることを叫ぶこの子を、わたしは守ってあげられない……。

 

「な、ならば我が友!」

「私の家はいけません」

「んなっ」

 

 こんなときに! ひょっとして、動物がニガテ? じつは犬派? 困っていたら、留美さんが溜息まじりに説明してくれた。

 

「一人暮らしの仕事人間にはペットを飼う資格がないのよ。平日の夜しか、へたしたら休日だって家にいないんだから」

「そういうことです。子供となればなおさら、私では務まりません」

「むう……。ならば、そうだ、我らが宮なら!」

「会社で……そうか、向井さんもそうしていたはずですね」

 

 わたしは頷きすぎて、髪の毛で自分の顔をひっぱたいた。

 

「個人的には歓迎だけど、よしたほうが無難でしょうね」

「えっ」

 

 留美さんにつられてプロデューサーが難しい顔をする。二人の顔をなんども見ていると、プロデューサーは顎から手を離してちょっと姿勢を低くした。

 

「私たちはいま、会社の方針に反したまま、存続のお目こぼしをいただいてる状態です」

「むう……」

 

 シンデレラプロジェクトは公式には解体されてるし、物置を片づけて使ってる部屋に、“会社のための仕事をしてないひとたち”が集まってるだけ……っていうことになるらしい。

 

「そこで動物を飼う、となると、追い出す口実にされかねない……。そういうことですね」

「そうね。下手したら仏恥ちゃんまで危ないわ」

 

 留美さんはわたしたちより、あのちょっと怖いお姉さんの茶トラ猫のほうが大事みたいだった。まあ、この子との扱いの差も感じてたけど。

 

「ならば……」

 

 次の方法をなにか考えないと。でも、いい考えは浮かんでこない。実家ぐらしのメンバーに頼むのは、なんだか気が引けるし……。

 

 丸くくるんだ子猫をのぞきこむ。甲高い鼻声で、ピンク色のちっちゃい手を伸ばしてくる。桜色の肉球と、まつげみたいな爪を思いっきり開いて。

 

「あとは飼えるかたを募ってお譲りする……これでも見つかるまでどうするかが問題になりますね」

 

 プロデューサーがわたしの表情をうかがいながら、そういった。わたしたちにはこの子は飼えない。わかっているけど、子猫を抱く腕に力がはいる。不思議がるような鳴き声が、胸許から聞こえた。

 

「手放せるなら、保護猫施設ね。近くて評判のいいところだとこことか」

 

 留美さんはさっとスマートフォンで、二ヶ所教えてくれた。なんでそんなに把握できてるんだろう……。

 

「はくちゅん!」

「にっ!」

 

 くしゃみに驚いた子猫を留美さんはなだめて、“限界が来たみたい”って足早に去っていった。保護猫施設への寄付金を二万円もプロデューサーにおしつけて。そんなに好きなのに近づけないなんて、アレルギーって大変なんだ。なんども腕と背中を丸めるうしろ姿を見て、そんなことを思った。

 

「われわれも参りましょう」

 

 プロデューサーのおだやかな声。いやだといいたいけど、すごく断りづらくさせてくる。

 

「ひとまず施設に預かっていただいて……」

「……」

「春になったら迎えに行きましょう」

 

 わたしは飛び跳ねそうになった。子猫が驚いた声を出したから、ほんとに跳ねたかもしれない。

 

「成果さえ出せば、私たちの立場は認められます。そうすれば社内で猫を飼うことも、きっと赦してもらえますよ」

 

 わたしはなんども頷いた。子猫が落っこちそうになって、プロデューサーがまたおっかなびっくり包みなおす。預かってもらう施設は、ちょっと遠いほうを選んだ。三()で歩く道は、きっと長いほうがいい。

 

 

 

(了)

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