黒の手帳は何冊目?   作:久聖

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スウィーティー


気持ちを籠めて  ゲスト:佐藤心

 無機質なビル街に、淡い色をした花びらが舞いはじめた。第一期シンデレラプロジェクトから巣立った一四人の、もはや新人ではない若きアイドルたちが新天地に抱える不安を雪ぐように。

 

 その一四人の一人、神崎蘭子は、深紫色のバルーンスカートをしぼませて、プロダクションのリフレッシュルームでうなだれていた。ゆるやかに巻かれたツーサイドアップの濃い銀髪をばねのように縮めて、大判の本を読むでもなく広げたままにしている。

 

「おーっす蘭子ちゃん。顔上げろよー、天気いいぞっ」

 

 ひょうきんな声がその頭を打ち、フリル豊かな白のブラウスから、花吹雪の名残をひとひら取り上げた。

 

「秘匿されし四数!」

「しゅがーはぁとな」

「しゅ、シュガーハート……」

 

 見上げた赤い瞳に、カナリア色に丸まったツーサイドアップが映る。深緑の瞳がそれを見返して、きゅうっと弧を描いた。

 

「ひらがなで発音してね」

 

 自分で作った自分のニックネームにこだわりのある“しゅがーはぁと”こと佐藤心である。そのこだわりは荒い言葉とおちゃらけた口調で、人間も物事も詩的にいいかえたがる蘭子のそれを圧倒する。

 

「む、むう……。しゅがーはぁとよ、我にいかなる用か?」

「ヘコんでるぽいから、心配してんの。どした? お花見でヤなことあった?」

「我が時計は、儚き妖精の宴にこぼす砂粒を持たぬが……」

「行ってないってこと? まいっか。じゃどうして? お姉ちゃんにいってみ」

 

 蘭子は短い眉を寄せて、開かれた本に視線を這わせる。佐藤はそれを追い、ページを見ないふりをして、蘭子の答えを待った。

 

「禁断の果実……」

 

 先に遠目に見ていたおかげで、ハンバーグのことだと気がつけた佐藤である。

 

「自炊?」

「否、これは禍津神への供物。……なれど、我が手に届くは朽ちし土くれ……」

「だれかに食べさせたいけど上手くいかないっていってる?」

 

 赤い瞳を揺らし、蘭子は弱々しく頷いた。

 

「我らかつての灰かぶりを導きし黒の導師、甘美なる瞳の力に報いんと」

「え、なに? あ、シンデレラプロジェクトのこと? どうし……?」

「ふっふっふ、我がために荊棘の古城を漆黒の翼持つものよ」

「ヒント! ヒント!」

「……プロデューサー」

 

 片頬を丸く膨らす蘭子に佐藤はしきりに頷きながら、かろうじて愛想笑いを返した。

 

「つまり、お世話になったプロデューサーにハンバーグでお礼がしたい?」

「うむ。我が魔力を我らをつなぐ宇宙の卵となし、ウロボロスが我らの友誼を称える詩を紡ぐのだ」

 

 言葉の意味を確かめると、乙女心とその付属品を刺激されたか、佐藤は目を輝かせて少女の手をとった。

 

 なお、これ以降、佐藤による確認を省略する。

 

「スウィーティーな蘭子ちゃんにははぁとが手取り足取り、心のこめかたから手の抜きかたまでぜーんぶ伝授しちゃう! ……遠慮してもムダだぞ?」

 

 彼女が料理をはじめとした主婦スキルを高いレベルでまとめていることは、蘭子もよく知っていた。それを頼りにしなかったのは、自力で美味しく仕上げ、青年に自慢したい気持ちがあったためである。

 

 いまその気持ちが、苦い焦げ肉を量産した現実と戦い、二分ほどで屈した。

 

「いつから練習する?」

「砂粒はもう残っておらぬ」

「は?」

「煩わしき太陽が天を占めしとき、理の蛇が尾を噛むか否か、世界が別たれる」

「数字で喋ってみて?」

「……約束したのはきょうの一二時」

「マジで」

 

 さしもの佐藤心も真顔になり、腕時計とスマートフォン、そして置き時計を二度ずつ確認した。すでに一〇時を回っているのである。

 

 

 

 346プロダクションの巨大な持ちビルには、一般企業にはない設備が揃っている。ダンスレッスンに使う、壁一面が鏡の部屋。エアロバイクなどを備えたトレーニングルーム。温水プール。そうしたなかに、テーブル席と隣接した、それなりの規模の厨房がある。スーツ姿の大柄な青年は、その扉の脇で五分ばかり待機し、一二時ちょうどに三度ノックをした。

 

 扉の向こうに張りつめて震えた声を聞き、一拍おいてドアを開く。彼の逆三角形をした三白眼は、想定と異なる光景を映して円くなった。昼食の約束をした神崎蘭子の隣にもう一人、エプロン姿でにんまりとしている女性がいたからである。

 

「蘭子! はぁとの! 昼食ばんざい!」

 

 青年はノブを掴んだまま挨拶の言葉を出しかけて固まる。佐藤は両手を高く振り上げた。……蘭子さえも置き去りにして。

 

「きょうのメニューはハンバーグー! まずおいしそうなひき肉を用意します」

「すみません佐藤さん、なにをしようとしているんですか?」

「しゅがーはぁとって呼べよお」

「佐藤さん、なにをしようとしているんですか?」

「強情か」

「と、友よ、しゅがーはぁとは我に力を捧ぐ高位の術師。我らが無上の果実を摘み取り、汝に捧ごうぞ!」

 

 蘭子になだめられ、佐藤にすかされ、青年は少し離れた席について、二人の調理を見守ることにした。このようなことをしていると、目つきの悪さから、強いプレッシャーを与えているように見える、と彼に詳しくないものはいう。

 

 往々にして誤解である。だがいまにかぎり、誤解ではない。

 

「ステップ1! タマネギをみじん切りにする!」

「ふむ、悲嘆へいざなう白き琥珀の擬宝珠……」

「切った面を空気に晒さなきゃツーンとしないから安心して。半分に切ったらすぐ伏せんの。そんで縦横に刻むときもバラけないように抑える。これだけですごくちがうから」

 

 蘭子の小さい手ではアドバイスどおりにするのは難しかったが、それなりの効果をあげることができた。佐藤の技能に若干の疑いを残していた蘭子だが、尊敬を帯びた笑顔を向ける。

 

「では我が師よ、悲劇の白を獄炎にて喜劇の飴玉に」

「炒めるのはな~し。炒めて冷ましてってやってると時間かかっちゃうから、あいつ餓死するぞ。レンジに放りこめ~」

「そ、それはいけない……」

「てことでステップ2! ひき肉にタマネギ、パン粉、溶き卵に塩コショウを全部いれて一気に混ぜる!」

 

 ビニール袋を手袋がわりに、大きいボウルでハンバーグのタネを捏ね上げる。なかなかの重労働に息が上がりはじめた少女が、あせった声を短く発した。

 

「生命の雫がっ」

「ん? ああ、平気平気、黙っときゃバレない。隠し味隠し味」

「……」

「色々とよく馴染むまで捏ねたところで、ステップ3! タネをハンバーグの形にして焼く前のひと手間ー!」

 

 基本的には手のひらより少し大きい程度の小判型にするが、蘭子はなるべく丸い形にタネをとった。

 

「これを叩くなり両手でキャッチボールなりして空気を抜くのが大事ね」

 

 手首のスナップを効かせて快音をひびかせる佐藤に対し、蘭子は遠慮がちにゆっくりと肉を飛ばす。

 

「そんなんじゃダメー。もっと力こめて。この野郎! って感じで」

「ま、魔力の贄は慈母の掌に育まれるものでは……」

「あんね、やさしくペタペタしても空気は出てかないの。もっと力いっぱい。料理はパワーと手際だかんな」

 

 佐藤は、自分ではとてもかわいいと思う表情をして蘭子の不安げな顔をのぞきこんだ。

 

「で、では、そのう……あ、愛……情は……」

「まだこめる気かよ」

 

 蘭子は赤い瞳を疑問に揺らした。ニヤリとし、佐藤がわざと声を張り気味に答える。

 

「脂身の多いスーパーのひき肉はスルーして、わざわざ肉屋で挽いてもらった赤身じゃん? 料理の愛情ってそういうとこだぞ」

「……」

「タマネギの調理も被験……オホン、食べるひとを気にしてたし、タネを捏ねるのでも妥協せずやりきったかんね。ばっちりスウィーティー」

 

 だから空気抜きははげしく叩け、と深緑の瞳が不安げな顔へ見開かれた。

 

「こ、こうか」

「もっと勢いよく! 憎いあンちくしょうの顔を思い浮かべて!」

「おらぬが」

「作って!」

「むり!」

「もー、やさしいんだ蘭子ちゃんは。こういうとこでストレス吐き出せないと大人になってからツラいんだぞ。はぁとはちゃんとストレスを吐き出せないで潰れたやつを知ってるからいってるんだぞ。陰湿なオツボネサマの」

「あまり神崎さんに薄暗い話を教えるのはやめていただけませんか」

 

 背後の低い声に、佐藤は太い悲鳴を上げて飛び上がった。

 

「ビビったぁ~……。ひけ……お客さまはうしろの席で座ってゆっくりとお腹空かしながら待ってろよな!」

「くれぐれもお願いします」

「過保護か」

「神崎さんにはきれいな人生を歩んでいただきたいので」

「食い下がるな!?」

 

 青年が席にもどったのを見届け、佐藤は指導をつづける。両手の間を行き来していたハンバーグのタネは、しだいに平たく、面積を広げていった。厚みが均等になるように回転を加え、手におさまりきらないほどになれば手のひらではなく指先に乗せてさらに回転をつづける。

 

 頭上で回転させるようになったころには、小ぶりの傘ほどに広がっていた。

 

「ま……待て! 我が師よ、これはまことに禁断の果実の錬成か!?」

「くそっ、もう気がついたか……。ピザ窯に押しこむところまでやりたかったのに……!」

「佐藤さん、真面目にやっていただけませんか」

 

 青年はいつのまにか、パイプ椅子とともに厨房に席を構えていた。

 

「はぁとがマジに作ったメシが食べたいとかプロポーズかな?」

「誤解を招く発言をしてしまい申し訳ございません。神崎さんにきちんとしたハンバーグを作らせてあげてください」

「真面目か」

「あなたも大人ならいちど引き受けたことは完遂していただきたい」

「天丼にしてはクドいぞ」

「ハンバーグ丼でしたらやぶさかでもありません」

「さてはウッキウキだなオマエ」

 

 ステップ4。フライパンに油をひき、よく熱する。中火にしてハンバーグのタネを並べ、片面を焼く。このとき、中心を少しくぼませておくと火がとおりやすくなる。焼き色がついたら裏返し、蓋をして蒸し焼きにする。

 

 火を扱う段になり、佐藤の指導から遊びが消えた。青年の腹が鳴ったのは、おもにそのまともさへの安心からだったろう。

 

「焼いてる間にステップ5! つけあわせの野菜を焼くぞ! 食べるよな野菜」

 

 短い眉で富士の山容となした蘭子だが、親愛なる友の手前、情けない姿ではいられなかった。

 

「香気放つ燭台の穂先……」

「キャロットグラッセはめんど……時間かかるから、こんどにしよ?」

「なれば?」

「小芋とインゲンとニンジンのバターソテー」

 

 厚い輪切りのニンジンをレンジで温め、半分にした小芋とインゲンとともに小さいフライパンに溶かしたバターで焼く。ハンバーグの焼き加減と並行して見るのは、蘭子には忙しい調理であった。

 

「焼き上がったらお皿にのせて、仕上げのソースは?」

「赤き秘薬!」

「トドメに愛情たっぷりかけて完成! 基本……じゃなくてスウィーティーなハンバーグ!」

「親愛なる友よ、言祝ぎの宝珠にて魔力を満たすがいい」

 

 焦げ目のついた野菜を添えて、紅く片翼を描いたハンバーグが満面の笑みで差し出される。片面は野菜以上に焦げ、肉に灰色を呈していても、蘭子史上最高のできばえであった。

 

「蘭子ちゃん特製ランチプレート風ハンバーグセットだぞ」

 

 赤と緑の深い色の視線が見守るなか、青年はフォークで一片、ケチャップを少なめにハンバーグを口にする。二人が揃って“審判のとき”と小さく呟く。

 

「……しゅがーはぁとも<闇の言葉>を?」

「いやこれはフツーにいうっしょ」

 

 ケチャップを塗った二口目を飲みこんだ青年に、再び二対の視線が向かう。表情をゆるめて(なじみのうすい佐藤には判然としなかったが)味わっていた青年だが、黒いまっすぐな眉をやや下に反らし、大きい手を首許にあてる。

 

「……なんかいえよ?」

「伽藍の鐘は歌わず、か……」

「いえ、おいしいですよ。ただ……」

「ただ?」

「その一言で終わらせてしまうのはもったいなく思ったもので。……ですが」

「銀の弾丸は二つと要らぬ」

 

 蘭子は紅潮した頬を持ち上げて、熱い鼻息を吐き出した。

 

「今宵の爪痕、永劫の標とならん……!」

「お礼を申し上げるのは私です。これだけのものを作っていただけるなんて、私は幸せものです」

 

 険しくも見える目が閉じると、満足げな笑みが広がる。大粒の紅玉の瞳からぽろぽろと水晶の粒をこぼしながら、蘭子は小さい両手で、最愛の友の大きい手を握った。

 

「其方がために紡ぎし詩篇は言の葉を持たぬ。しかし鐘の如く地平線にひびき、其方に迫らんとする……。イーコールの拍動、次なる刻は神も知らぬ。が……。また、いつか、友のために吟じたい」

「いつでも、時間をお取りします。そんなに不安がらないでください」

 

 繋いでいなかった左の手がハンカチを取り、蘭子の涙を拭った。やわらかな感触と心落ち着くにおいに名残惜しそうな表情を一瞬、蘭子はにっこりとして、短い眉を力強く反らせた。

 

「来る終末こそは、果実の艶美なる輝きが世を包むであろう」

 

 青年はにこやかに頷き、ちらりと佐藤を睨んでから少女に囁いた。

 

「楽しみにしています。なにせ、あんな指導でこれだけのものを作れたあなたですから」

「メロメロじゃん。隠し味が効いちゃったかな?」

「隠し味?」

 

 疑問の色を帯びた視線に、蘭子は短い悲鳴を上げた。

 

「き、禁忌に触れるな!」

「触れてもバレなきゃ平気だぞ。はぁとの無添加ランチと食べ比べればわかる……かもよ?」

「いえ、神崎さんも当てられたくはないようですし、遠慮しておきます」

「そうかよ。んじゃ蘭子ちゃん、おランチにしよ? はぁとのハンバーグ風味プレート状ランチ食べよ?」

 

 佐藤は板切れを取り出した。おそるおそる嗅いでみた蘭子の鼻腔に、豊かなハンバーグの香りが満ちる。思わずあとずさって、身を乗り出した青年の腕に隠れる。

 

「なんですか、それは」

「作ってるのずっと見てたろ?」

「神崎さんのとまるで別物に見えるのですが」

「たしかにはぁとは蘭子ちゃんに指導しながら作ってたけど、いったとおりに作ってるなんてだれもいってないぞ。叙述トリック叙述トリック」

「謝ってください。世の叙述トリックの本に一冊一冊丁寧に謝ってください」

「ぶっちゃけタネを薄く伸ばしたとこで怪しまなかったのが悪いと思う」

「どうやればこうなるんですか……」

「やる気でやるとこうなるゾ」

「して、このモノリスはひとの子の手に負えるのか?」

「およそ人類に食べられるようには見えませんよ神崎さん」

 

 蘭子を腕にかばったまま、器用に佐藤との間に出てきた青年である。

 

「おいおい、はぁとの手料理が食えないっつったか? 失礼な地球人だな」

 

 パキンと軽快な音を立ててプレート状ランチを割り、そのソリッドな欠片を佐藤は青年の顔に向けてつきだした。攻撃ではなく食べろという意味であると三秒かけて気づいた青年は、未知の物体を震える手のひらに受け取った。

 

 恐怖を濃くした赤い視線に見守られながら、青年はそれをそっと口に運び、前歯を立てる。

 

「……食べられません。硬すぎます」

「十戒も刻めぬ金剛怪奇の摩訶石盤……」

「食べ物はムダにしちゃいけないんだぞ。おいしくぜんぶ召し・上が・る!」

 

 無言のまま蘭子の手を引いて逃げ出した青年であったが、おろし金で粉末になった佐藤のおろしハンバーグで視界を奪われて蘭子ごと取り押さえられた。彼女を人質にされては、かんなで削って冷奴に乗せた佐藤の豆腐ハンバーグを完食せざるをえず、体がなんの変調もきたしていないことを心配に思いながら、次なる蘭子との昼食会を待つのであった。

 

 

 

(了)

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