黒の手帳は何冊目?   作:久聖

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見えないところで  ゲストなし

 白い壁紙と黒檀のパネルがコントラストをあざやかにする会議スペースに、神崎蘭子とその担当プロデューサーの姿があった。一週間前は机に向かい合い、新人アイドル蘭子のプロデュース方針について話していた二人だが、きょうはソファに並んで数枚のイラストを見較べている。

 

 革張りのやわらかさが大柄な青年の体重で沈みこみ、小柄な蘭子はかしいでその肩に寄りかかる。やわらかく巻かれた髪の一房に頬をくすぐられ、青年は鋭い三白眼を細めた。

 

「光と闇の狭間に揺れる薔薇は獄牢の束縛を花器と為さん」

 

 フリルの満艦飾でその身をいろどる蘭子の言葉は、彼女と向き合いはじめたばかりの青年には耳慣れきらぬところがある。

 

「ええと……体にフィットしたものがいい、と?」

 

 そのために言葉の意味を訊き返せば、そのたび蘭子はオウヨウに、あるいは満足げに頷く。青年はすぐ律儀にメモを取るので気づいていないが、白い頬に薄紅を散らして、少女はその姿を見守るのである。

 

「となると素材は伸縮性のあるものになりますね。神崎さんがふだんお召しの綿や絹ではなく、レザーだとか……」

「そ、そうなのか? 反逆者の鎧は金字塔の主がごとくしてあったが」

 

 短い眉を寄せる蘭子の言葉を青年が確かめようとした矢先、低くうなる声が二人の間を走った。ソファのやわらかさに飛び退きそこねてバランスを失った蘭子の、伸ばした細い腕を大きい手が掴み、胸許へ引き寄せる。

 

「だ、大丈夫です。ご心配なく」

 

 その身をあずけることになった、肩よりもあたたかいところに、うなり声の正体を蘭子は見た。

 

「隔り世の喚び声か……」

 

 頷き、懐のスマートフォンのコールに応える青年を、蘭子は見上げていた。短い会話でも大まじめにしていた彼は、臆病を恥じらう様子や胸板に居心地を見出す姿を、まったく見ていなかった。

 

「ちょうど、衣裳室が空いたそうです。生地から選ばれるのであれば、既製のものを参考にしてみませんか」

「へっ、あっ、ああ、うむ!」

 

 くつろいでいたのをごまかすような返事を受けて、蘭子を抱え上げるように床に立たせ、青年は大きい手で扉のほうを示した。

 

 服屋以上の密度で並ぶ衣裳の海で、銀糸の髪と赤いリボンを右に左に傾がせながら、蘭子は気にいったデザイン、手触りのものをつまみあげる。三着ずつ両手に持ってもどってきたのを、ねぎらい五着を受け取って、青年はわずかに首をひねった。

 

「どれも綿やポリエステルのようですが……」

「フッ、案ずるな我が友よ。時の反逆者はかつて主なきいかなる鎧をも随意のものと成したという。紡がれしものであっても我が曲線を顕すに不足はないわ」

「時の……川島さんですか? どんな服でも体の線を出して着こなしていた?」

 

 服に合わせて自在に肥ったり痩せたりしていたのでは……。たわけた考えが青年の脳裏をよぎった。そしてそれに引きずられて、口に出せるものが一つ、浮かび上がってきたのだった。

 

「あれのことでしょうか」

「あれとは?」

「神崎さんには真似のできない技ですね。正確にいえば、可能ではありますが

私がさせません」

「なにゆえ!?」

 

 蘭子の思わず取り落とした衣裳は裾で床を撫でると、青年の手を経てもとの小さい手に帰ってきた。なだらかな山を眉に描かせ、赤い瞳が青年を見上げる。彼は手にした衣裳をハンガーラックに預けると、ジャケットのボタンを外し、両肩で脱いだ。

 

「われわれ男はスーツのときによくやっているのですが」

「う、うん?」

 

 白いワイシャツにうっすら浮かび上がる、さっき束の間揺られていた胸板に、赤い瞳が見開かれた。その色がこぼれたか、頬がほのかに染まるのを、やはり青年は見逃していた。蘭子に背中を見せたためである。

 

「シャツの余りを背中に寄せて、スラックスとベルトで抑えて留めるんです」

 

 大きい目がまたたいた。青年のワイシャツは、言葉のとおり、鋭い三角形の折り目をベルトの下から肩のラインまで伸ばしている。

 

「女子アナのなかにはこれとおなじことをクリップでするかたがいまして……。おそらくかつての川島さんはそのタイプだったのでしょう」

「なんと……」

「三六〇度どこからも見られることを意識しなければならないステージ衣裳とちがって、写るのが正面だけなのでこういうことができるのです」

 

 蘭子が片頬を膨らせ、桜色の唇を尖らせたのは、淡いあこがれの砕けたためばかりだっただろうか。青年は振り向きしな、ジャケットを羽織ってしまった。

 

「神崎さんはとくに、背中側のデザインに注力されると思いますし」

「それは……無論のことだが。一対の光と闇背負いし孤高の薔薇を顕現せんと幾度の召喚を試したか……」

「きちんと採寸をすれば、神崎さんのご希望のラインで仕上がってきますよ。ですから、背中にこうした小細工をするのはよしましょう」

 

 一際やさしい声で諭されては断るすべもなく、蘭子は髪の房を小さく揺らす。

 

「では、我が鎧に相応しきトワゾン・ドールを求め旅立たん!」

「はい、オトモいたします」

 

 ……蘭子の衣装に適した生地素材を探すための時間は、三〇分を待たずしてファッションショーへと趣向を変えていき、やがて衣裳室の主に睨まれながら退散していく苦笑いの二人であった。

 

 

 

(了)

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