黒の手帳は何冊目?   作:久聖

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時は待たない(中編)  ゲストなし

 教会を出てからの道を、蘭子は青年の差しかける日傘の下を歩く。何度もちらちらと彼を気にしながら。

 

 その足どりはどこか重たげに見えた。明るくしてはいたが、待ちすぎて疲れてしまっていたのでは……と黒い眉根が寄る。赤信号。気づかう言葉をかけようと身をかがめたとき、信号が青に変わり、蘭子はぱっと全身で振り向くや、大きい手から日傘をひったくり、横断歩道を駆けて行ってしまった。

 

「……お嬢さま!お待ちください!」

 

 彼女なりに目立たないような恰好をし、ひとの前では<闇の言葉>も封印して(事実上、しゃべらないということだが)、どうにか神崎蘭子だと知られないようにしている。ゆえに、彼は名前を叫ぶわけにはいかなかった。大男が大声を出して走っていれば、どのみち注目を集めてはしまうが……。

 

 行き交うひとびとの合間を縫って、ときおり振り返る黒い日傘を追いかける。ここへ来ての意趣返しではない。遊んでいるのだ。青年にはわかった。元気がないように見えたのは、このための演技だったのだ。

 

 裏通りでようやく追いついた青年だが、蘭子は日傘を離そうとしない。

 

「あの、かん……いえ、お嬢さま。私に、なにか、至らない点がありましたでしょうか……」

「煩わしい太陽はもはや力を失い、我が身を夜闇にて護るこうもりもその翼をたたみ眠るとき! 我が執事よ、風を読み羅盤を回し、我が歩む宵闇に星明かりをともすのだ!」

「……まだ、周りにはひとがいるんですが」

 

 小声の心配をよそに、蘭子が<闇の言葉>を話しても人々は特に騒ぐこともなく、二人を一瞥してとおりすぎていく。

 

「あーいうの、マジにいンのな」

「いーな、執事ってアコガレ~」

 

 などと、まったく正体には気づいていないようすだった。どこか釈然としないものを感じつつ、いまは厚い胸を撫で下ろす。

 

 ともあれ、青年は右手を貸した。教会でのようなエスコートが望みだと受け取ったのである。しかし傘を畳んでは、蘭子の顔を隠せるものがない。交通機関での移動もあるため、手近な店で帽子を買った。目深にかぶれるハンチング帽もあったが、蘭子の好みに合わせ、つばが広く作られたシルクハットだ。クラウンは低く、ラピスラズリのようにきらめく青いリボンが巻いてある。

 

 蘭子はそれを右目が影になる角度で斜めにかぶった。

 

「そうやって隠すものなのですね」

「むふふ、これもまた真理」

 

 ……ハイソなふるまいで周りの目にさらされ、アイドルとして騒がれぬことを悔しく思いながら、二人は高輪のレストラン“セージェム”に到着した。ほぼ時間どおりだ。

 

 リーズナブルで気負わず楽しめるフレンチフルコースの店、と訊ねて、千川ちひろに勧められた店である。そこで彼らは、ちひろからも、電話口のスタッフからも、聞かされていなかったことを知る。

 

「説明がいたらずまことに申し訳ございません。当店はドレスコードを設けさせていただいております」

 

 二人は揃って目を丸くした。蘭子などは自分の服の前身頃を引っぱって、“しまった”という顔をしている。

 

「お嬢さまは問題ございませんが、旦那さまが少々ふつうすぎますかと……。提携している貸衣裳店がすぐそばにございますので、そちらをお尋ねいただけますと幸いでございます」

 

 リアクションを入れ替えて、ふたたび驚く。ボーイは丁寧な口調で、予約時間であるが着替えを待つ余裕のあることと貸衣裳店の場所を告げる。二人の足は、こんどはそこへ向く。

 

 五分と歩かず、その店は見つかった。高輪の街並みから浮いたショッキングピンクの外壁に鮮烈なパープルの看板を高く掲げ、ショーウィンドウとともに、ぎらぎら輝く電飾で強烈な自己主張をしている。

 

 私は女子中学生を連れてこんな店にはいるのか。

 

 青年はつい、周りに人の目を気にした。二人のほかにだれもいはしない。意を決してドアを引き、蘭子を通した。うしろにひとがいないことをあらためて確認して、店内へ滑りこむ。

 

 と、店員の出迎えるより早く蘭子が口を開いた。

 

「さあ、欲望のままに求めよ!」

 

 強烈なフレーズにあわてて口をふさごうとしたものの間に合わず、青年は小声でたしなめた。

 

「お嬢さま、そのフレーズはちょっと人聞きが悪いので……」

「なにゆえ……」

 

 見えないところで変な男がいいように解釈するかもしれない。無難な表現ではあいまいにすぎ、どう説明したものかと三白眼が蘭子から逸れる。その先にちょうど、連絡を受けていたらしい店員が、明るい声とともにカタログを二冊持って現れた。

 

 かっちりした細身のレディスフォーマルに身を包み、黒々とした髪をベリーショートにした女性である。くっきり引いた黒紫のアイラインがシャープで、黒ヒョウを思わせる。

 

 彼女はてきぱきとレンタルシステムの説明をし、カタログを広げた。

 

「イブニングはこちらからこちらのページにございます」

「こんなに種類があるのですか」

「はい。メンズ、レディスとも、多数ご用意しております。お悩みでしたら、お好みの色ですとかデザインのイメージなどおっしゃっていただければご案内いたします」

「ならば……闇の住人たる我にふさわしい、黒き羽で織られた衣を求めん」

 

 面と向かって<闇の言葉>でしゃべれば蘭子だとばれる。ばれなくとも、相手は困惑する。穏当に済ませたいとの思いが彼にはあったが、さらに試着に調髪が控え、しゃべらずに過ごせる時間はない。どだい無理な希望であった。

 

「く、黒い……? ええと」

 

 いま彼に可能なことは、困惑する店員に可能なかぎり通訳することだ。

 

「フリルがついたもので、なるべく黒のワントーンのものを」

「テレビで拝見したことありますけど、難解ですね……。字幕スーパーでわかった気になってただけですかね。プロデューサーさんでしたか? さすがです」

 

 デビューしたての“ローゼンブルクエンゲル”が出演した番組はまだ少ない。それを目にして、かつ覚えていてくれたことに、かたやいたみいって、かたやはにかんで頭を下げた。

 

 蘭子はイブニングドレスを三着に絞りこむと、試着室へ行った。……ボーイの説明なら蘭子の着替えは不要だが、そこは気分である。黒ヒョウは指を鳴らして代わりの案内係を呼び、蘭子についていく。新たに現れたのはレースで飾ったエプロンドレス姿の店員だった。

 

「さ、ドレスのお嬢さまをエスコートするのにふさわしいお洋服を見つけましょう」

 

 彼は燕尾服を借りることにした。細かいデザインはあまりよくわからない。それは彼が服飾に疎いというのではなく、そのおしとやかな店員の喉にある、彼とおなじ固い出っぱりが気になってしまったためである。

 

 声もなんだか低かったが、あれくらいの女性もいはするものだ。かんちがいだろう。……そう思いつつも、どうも気になってしまう青年だった。しだいに、あの

黒ヒョウのようなひともじつは……? とあらぬ疑いにとらわれだす。

 

 蘭子のお召し替えはまだ時間がかかるようだ。三分あれば整う男の短髪と一緒にしてはいけない。それまでのあいだ、不気味な想像から逃れるべく、彼は姿見で自分の服装を再確認した。

 

 白いウイングカラーのシャツに、同じく白の蝶ネクタイ。燕尾服はほとんど黒のような紺の生地で、金のブラスボタンが光る。前のボタンはかけていない。彼には落ち着かないようだが、かけないのが正式な着こなしである。

 

 ブラスボタンは本来、王侯に仕える従者が着るものにだけ使われる。したがって、ふつうであればプラスチック製のものを選ぶところだが、

 

「茨が鎖した古城に住むお姫さまの従者ですもの、ぜーんぜん問題ありませんでしょ?」

 

 おしとやかな店員がそういって勧めたのだ。そのときばかりは彼も喉仏から意識を解放されて、訂正をできた。

 

「お姫さまではなく、堕天使ですよ。それだと茨姫じゃありませんか。一四歳の少女のプロデュース方針にしては、ちょっと不吉すぎるでしょう」

 

 はじめの一言以外は、さすがに口には出さなかったが。

 

 ……茨姫は魔女の呪いのために、一五歳の誕生日から百年の眠りに落ちてしまう。一四歳でデビューした蘭子が茨姫では、一年しかもたない。褒めたつもりなのはわかっていても、彼には不吉が勝った。

 

 いまそれを思い出すと、反省の念も湧いてくる。店員にではなく、蘭子に対しての。

 

 ローゼンブルク“エンゲル”といっているのにああまちがえられるのは、まだ宣伝が弱いせいだろうか。ドイツ語ではなじみが薄いことも一因とは思うが、下手にカナ表記をあわせても意味が伝わらなければしかたない。ピンナップやグラビアでに天使や堕天使のイメージを強調したらいいだろうか……。

 

 職業病である。かっちりと整えた頭のなかは、蘭子のプロデュース方針の強化で占められた。

 

 高貴な身分に扮するドラマの仕事も来てはいたが、看板どおりのイメージが定着するまでは避けるべきだろうか。しかしきょう、お嬢さまとして扱われて喜んでいた。本人が希望するなら禁止はしがたい。いや、だが、薔薇と姫のわかりやすい印象が先行して、彼女のように茨姫と誤解するひとが増えても……。

 

 おしとやかな店員の顔を思い出すと、うっすらとヒゲがあったような気がしてきて、青年はかぶりを振った。もっとべつな、関係のないことを考えよう。

 

 神崎さんはまだドレスが決まらないのだろうか。もう髪型を選んでいるだろうか。しなやかな猛獣に似たあのひとは、美形なだけで女性だとは思うが……。うつむいたまま首を左右へやると、せっかく整えてもらった髪がまた跳ねる。

 

 これがあの子を泣かせた罰だとしたら、神さまは思いのほか趣味が悪い。神崎さんの希望が堕天使ではなく、呪いを受けたお姫さまだったならば、神さまがこんなふうにあの子を庇護することもなかっただろうか。

 

 仕事でも女装でもない方向へ、ようやく青年の“暇つぶし”は向かいはじめた。

 

 神崎さんが茨の古城のお姫さまだったら、どんなプロモーションになっていたか。

 

 一五歳の、いや一四歳のお姫さまは魔女の呪いによって百年の眠りに落ちる。彼女の両親と善良な魔法使いは、お姫さまを守るために多数の従者をおなじく眠らせ、城を深い茨の森で鎖して去ってしまう。百年の歳月を超えて、童話であればここで勇敢な王子が姫のもとに現れるのだが、蘭子姫はアイドルなので、かわいそうだが登場はもっと先の未来になる。

 

 目覚めたお姫さまと従者たちは、城を鎖す茨が姫を目覚めさせるべき王子の到来でしか消えぬことを知る。待てど暮らせど王子は来ないので、お姫さまは白亜のお城でいちばん高い三六メートルの塔の上から、王子に目覚めを伝えるために歌を歌うのだった。

 

 うつくしい歌声に誘われて王子のみならず多くのひとびとが森を訪れるが、生い茂る茨は侵入を赦さない。門扉は従者の一人である大男が見張っている。大切なお姫さまを軟弱な男に渡すわけにはいかないからだ。そのためにだれもかれも逃げ帰ってしまうものだから、お姫さまはまだ来ぬ待ちびとのために、ずっと歌いつづけなければならない……。

 

 と、オチまで考えたところで、スタンドミラーに映る己の姿に目が止まった。私がそいつか、と苦笑いを頬まで上らせる。そこまでひどい男にはなりたくないと思い直して、彼はこのお姫さまの話を忘れることにした。

 

「お客さま、お待たせいたしました」

 

 不意に声をかけられて、青年は頭を釣られたように伸び上がった。振り返ると、さっきの黒ヒョウの女性店員に連れられて、正装の蘭子が立っていた。

 

 注文どおりの、闇に溶けるような黒いマットなドレス。イブニングとしては控えめな露出。足許も黒いパンプスに履き替えて、上腕までをレースのアームドレスで覆っている。化粧を整え直したことも、彼には見て取れた。

 

 落ち着いた表情をして、一人前のレディのようだ。…というのは眉から下だけを見たときの話である。さきほどのシルクハットを、よほど気にいったのかまだ斜めにかぶっていて、ちぐはぐな印象を与える。

 

 フォーマルに身を包む青年へ得意げに笑んで見せるのが、むしろまだ子供だなと彼を安心させた。

 

「愛らしいお召し物もよくお似合いです、お嬢さま」

「フッフッフ、我が下僕もその身に闇の魔力が満ち満ちているのを感じるぞ。さあ、今宵我らの黒き翼であの月さえも覆い尽くそうぞ!」

「御髪はおとなびたまとめかたをされましたね」

「あまりいじらずに、おとなっぽくとのご注文でして。うまくいきましたね」

 

 前髪はふだんのままだが、うしろ髪はしばって左肩にかけている。そのスタイルに彼は見覚えがあった。

 

「うむ、我らが先駆者たる時の反逆者(アンチエイジング)の霊験にあやかった」

「……あの、その呼びかたを川島さんの前でしていませんよね」

「えっ」

 

 やったな。青年の表情が渋くなったのは弾指のあいだだったので、蘭子の丸くなった目に止まることはなかった。

 

 川島瑞樹には後日そろって謝ることを、ひとまず心に刻む青年であった。

 

「あはは、あ、失礼しました。瑞樹ちゃんふうの髪型、セットさせていただいて光栄でした。お二人そうしておいでだとほんとうに主従ですね。お若い執事どの、羨ましいです」

 

 店員がからからと笑いながらレジにはいった。彼女はライブにも握手会にも欠かさず出向くほどの、川島瑞樹の大ファンだという。

 

 代金の支払いの折、青年は一つ頼みごとをした。さほど深刻ではないが、つい声のボリュームを小さくする。

 

「きょう、神崎がこちらに立ち寄ったことはご内密にお願いします」

「構いませんよ、いきさつがいきさつですし、行くお店がお店ですものね」

 

 こちらはサービスです、と店員は二枚の仮面を差し出した。ひとつは黒色のアイマスクで、左の目元に赤いバラの刺繍がしてある。もうひとつは顔全体をおおう白い陶器のような仮面で、額から右頬にかけて蝶が何匹も舞う蒔絵が描かれており、立体感のある白い唇には金のバラを咥えている。

 

「行くお店がお店だとは……?」

 

 不穏なひびきを質すと、黒ヒョウは明るい調子のままからりと答える。

 

「あちら……セージェムさんはコスプレグランドメゾンです。頭文字をとって、(セー)(ジェー)(エム)、と。正装でもはいれますけど、コスプレ感があるほうが溶けこめますのでね」

 

 蘭子の正体を隠すことが目的に変わりはなくとも、そのさらなる理由には大きい隔たりがあったのだった。

 

 青年は引っかかるものを残して、蘭子は嬉しそうに、礼をいって貸衣裳店をあとにした。もう太陽は沈んだとはいえ、まだ表ではアスファルトから蒸し暑い空気が立ち上っている。めかしこんだ二人は汗の流れ出さないうちに、グランドメゾン……高級料理店でありながらコスプレをコードとする物好きなレストランへ急いだ。

 

 

(続)

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