黒の手帳は何冊目?   作:久聖

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怪談です。


かがみむし(前編)  ゲスト:KBYD

 耀く黒の棟々と色濃い緑に、天から目に痛いほどの純白の熱が吹きつける。うだるような暑さの元兇たる蒼天の一つ星を、鳶が威嚇して飛び廻っていた。

 

 京都は九条にいまなお残る平安京、東寺。境内のがらくた市は、平時を上回る盛況である。華やかに装った四人の少女を取り巻き、巨大なカメラや太陽に劣らぬ光球、集音マイクが白黒の森をなしている。Tシャツとハーフパンツのラフな恰好のものもいれば、ワイシャツにネクタイを締めスラックスを穿いた男もいる。そうした多彩な姿の生け垣の外は、バラエティ番組収録の見物者のひといきれで満ちていた。

 

「熟成されし魔力のかぐわしさよ……。フフフ、胸が踊るわ」

 

 寺のどの棟より黒いベルベットの日傘を差して、神崎蘭子は出店のワゴンに整列した和の雑貨をのぞきこんだ。銀絹の髪が汗を吸って重く揺れる。

 

 パステルブルーのリボンをアクセントにしたフリルブラウスはレフ板以上に白く、胸の豊かなシルエットを影のなかにくっきりと描き出す。細い腰にぴったり合わせて絞られたスカートは日傘同様に黒く光を呑みこみ、そこから伸びる細い脚は白タイツに黒のエナメルの靴、そして熱をまといつけていた。

 

 細い顎からワゴンに滴りそうになる生命の雫を、織りも細やかなハンカチで拭う蘭子である。

 

「ふふーん、お姉さん、カワイイボクにピッタリのをひとつ頼みましたよ!」

 

 その隣、真夏の太陽の下、光球と化した純白の日傘を掲げるのは輿水幸子。淡い藤色の短い髪は、はねた毛先に水滴をのせていた。身にまとう服は蘭子のものと似ているが、襟をかっちりと閉じた蘭子とはことなり、胸許をスクエアカットで大きくひらき、スカートは装飾のない濃紫であった。

 

「こんなんどうかねえ。二人お揃いがええやろ?」

 

 “お姉さん”という単語から想像される年齢を三倍ほどしたご婦人は、鳥の描かれたアクリルのかんざしを差し出す。受け取る二人の目に、陳列の隙間に落ちている黒いものが映った。

 

「貪食の使い魔!」

「はい? あっ、ハエ……ハエですね!?」

 

 蘭子の言葉は過度に装飾されているが、その内容は至ってふつうのものだ。いまも、ただハエの死骸に驚いただけのものである。

 

 だが、その指すものがふつうでなかった。

 

「……ですよね?」

 

 幸子がしつこく確認するのも、蘭子の真意にではなく、小指の爪ほどもない黒い塊が、本当にハエなのかわからなかったためだ。その頭を失っていたからである。

 

 出店のご婦人も、顔を近づけて確かめる。

 

「ハエやね」

「だ、断頭台にかかるとは……」

 

 ご婦人は年の功か、蘭子の言葉によどみなく答えた。

 

「“かがみむし”にやられたんかもわからんな」

 

 “かがみむし”というのは空想上の虫だ。姿はハエや、セミや、蝶である。ただしその首から上は光るように白く、よく見ると周りのものが映っている。これと顔がぶつかった虫は、首から上をそっくり奪われて死んでしまうのだ。そうして顔を手にいれたかがみむしは、ちぐはぐな姿の虫として生きていくという。

 

 もし、首のない虫の死骸を見つけたら、それはかがみむしにやられたのである。もし、トンボ頭の蝶だとか、カマキリ頭の蜂だとか、そんなものを見かけたら、それはかつてかがみむしだったものである。

 

 情感をこめた説明に、蘭子と幸子は暑さも忘れ、日傘をぶつけておたがいにしがみつき合った。

 

 ちょうどそのときに、その横で、やにわに騒ぐものがある。

 

「ちょっとおじさん! このねこっぴーなんでトラ縞なの!?」

 

 雑然とした構えの店先で、茶色の長髪を乱麻にし、童顔の女が店主に食ってかかっていた。

 

 空色のポロシャツに白いホットパンツ、贔屓のプロ野球チーム“キャッツ”のロゴをワンポイントにした野球帽と白いソックスという出で立ちは幼い印象を与えるが、彼女、姫川友紀は二〇歳である。愛すべきマスコットがライバルチームの色に染まっているのを、雑多な小物の山にめざとく見つけたのだ。

 

「ワルい化け猫も心入れ換えたっちゅうやっちゃ。ヨソにはまずあらへんで」

「それセーフなやつなの?」

「ウチのオリジナルでな、“とらっぴー”ちゅうねん」

「セーフなやつかって訊いてるの!」

「よしなはいな友紀はん、ここに味方はいてませんさかい」

 

 横から長い黒髪の、こちらはほんとうに少女、小早川紗枝が、少し意地悪く友紀を諫めた。夏雲色の薄物に染めつけられた赤い金魚が、ひらり炎天に踊る。

 

「そんどぎつい帽子もやめてこっちしたらええ。いまなら発心割り引き、一〇〇円安したんでー?」

「やだよ!!」

 

 TとHを合わせたロゴの帽子を両手と両手で押し合う二人を指して、ラフな恰好の番組ディレクターと、ネクタイを締めた男が小声で話す。

 

「あれ、流してセーフなやつかな」

「アウトかと……思いますが」

 

 アイドルチーム“KBYD”の三人、姫川友紀、小早川紗枝、輿水幸子と、新人アイドル“ローゼンブルクエンゲル”神崎蘭子の四名の、夏休み旅行企画である。このがらくた市に加え、秋ごろ一般公開される東寺の文化財を伝える第一日目。二日目以降も洛中の各所を紹介する。という体で、ほぼ、はしゃぎまわる少女たちの映像を延々と流す番組だ。

 

 編集の手間さえあまりかけたくない制作現場の雰囲気が、場面単位での可否判定をさせているのだった。

 

 汗だくの買い物行脚が騒々しく終わると、ネクタイの青年は少女たちによく冷えたタオルを差し出した。めいめいが戦利品を彼に示す。

 

「見よ我が友、翡翠鳥の霊水晶よ!」

「ボクのツバメのとお揃いですよ!」

「お二人とも、よくお似合いです」

 

 アクリルのかんざしで飾って得意気な蘭子と幸子に、深い海色のネクタイがおだやかに答える。その脇腹を、紗枝がそっとつついた。

 

「幸子はんには“カワイイ”ゆうたりませんと」

 

 ひそんだ柳眉に、フリルをたたえた二人の一四歳のうち彩度の高い方を見ると、その言葉を待つように控えめな胸が反りかえっていた。

 

「たいへん、カワイイと……思います」

「ふふーん! 蘭子ちゃんにはワルいですけど、シンデレラのプロデューサーさんもやっぱりボクがいちばんカワイイってわかるんですね!」

「ふっ、我が本懐は闇のなかにこそあるわ」

 

 青年は、神崎さんもお綺麗です、といおうとしたが、しかし、それはわざとらしく、幸子への褒め言葉にも付け足し臭さが際立ってしまうと悟り、沈黙を貫いた。

 

「ちぇー、二人はいいよね、ちゃんとしたの買えてさ。あたしなんてパチモノばっかり掴まされたんだよ!」

 

 姫川友紀は小麦色に焼けた肉感的な脚を広げ、野球グッズを両手に掲げる。

 

「そやけど、友紀はん、自分で買うたんやないの。“とらっぴー”のぐっず」

「虎の模様になってもねこっぴーはねこっぴーだもん……」

 

 友紀は手のひら大のマスコット人形を、せまいポケットにねじこんだ。

 

「てかそれはいーの! 問題はこのキャップとユニ! キャッツだと思ったらオレンジにしただけの赤い球団のやつだし! ユニの背中の柄、ねこっぴーと魚が混ざってワケわかんないし! そもそもあそこのマスコット魚じゃないよどっから来たのこれ!?」

 

 魚顔のしもぶくれた猫という奇怪な顔が描かれたTシャツは、四人に当惑の表情を与えた。渋茶を口いっぱい含んだような顔で、紗枝が視線を逸らした。

 

「これ、視聴者プレゼントとかになんない?」

「権利的によろしくありませんので……」

「着たらええやないの」

「やーだー! こんなのやだあー!」

「だ、だが己が手の選び取った……」

「だまされたんだってば!」

「友紀さんはお子さまですねえ。そんなにいやならボクがカワイく着こなしてあげてもいいですよ!」

「よしなよ、こんな妖怪T着たらツキが落ちるよ」

「すいませーん、そろそろ次の撮影始まりますんでー」

 

 騒ぐ友紀をなだめ、一同は番組の撮影をつづけた。

 

 

 

 上空を旋回する鳶はいつの間にか鴨川の向こうへと去ったが、太陽は熱線を涸らし、桂川のはるか遠くの空を、余熱で赤く灼いてなお猛っていた。

 

 鋭く刺してくる赤光を二つの日傘と巨体の青年で遮って、四人のアイドルは宿への道をたどる。

 

「そうだ、ボクたちのプロデューサーさんはいつ合流するんですか?」

 

 白い日傘の下で、輿水幸子がどこか心細げに振り向いた。

 

「すみません、お三方の担当者は、秋ごろの企画の調整があるとかで……」

 

 夕陽を遮る青年が申し訳なげに答える。こういうとき、首筋をかばうような所作をするのが、彼の癖だった。日本人としては深い顔の彫りが、深い夕陽のために黒々となって、逆三角の三白眼だけが浮かんで見えた。

 

「いや、プロデューサー、そんなこといってたよね? あたし聞いたよ?」

「引率のセンセは一人おったら足りるやろーってゆうたはりましたなー。しんでれらのセンセも東京で十何人仕切らはるより楽ができまっしゃろーて」

 

 彼女らの担当者は共通語を話すので、これは紗枝の喉をとおしたものだが、引率の先生という表現と内容に偽りはない。幸子が聞かされていなかっただけなのだ。

 

「ゆえに、この出征、其方らも我が友たる黒き翼の庇護に与るがよい」

 

 四人でただひとり、この青年の本来の預かりで“シンデレラ”の一人である蘭子が、彼の友というよりは主人を気取って黒い日傘を高くした。

 

「はい、はい、よろしゅうお頼もうします」

 

 白い袖口を三角に口許を隠して紗枝が笑うと、KBYDの残る二人もそれにつづいた。

 

 

 

 わずかに真円を欠いた月が夜風にひかれて昇りだしたころ、“シンデレラのセンセ”である青年は充てられた部屋に寛いでいた。その扉を、言葉足らずにノックするものがある。

 

「コーチー、コーチー、お風呂ー」

「なにごとですか、姫川さん」

 

 応対した彼の前には、四人のアイドルが大きい巾着を手に手に立っていた。姫川友紀が彼をコーチと呼ばわるのは、彼女の担当者や紗枝の表現を受けてのものだろう。

 

「銭湯行きたい」

「銭湯ですか……」

 

 青年は難色を示した。アイドルである彼女らを銭湯、公共で裸になる場へと送り出していいものか。

 

「癒しの泉は砕け、遺されし聖杯に我らの身は過ぎる」

 

 大浴場が使えない、とは彼も聞いていた。

 

「内湯はおいやですか……」

「いいじゃんいいじゃんおっきいお風呂はいりたい脚伸ばしてはいりたい浮いたり泳いだりしないからいいでしょ連れてってよお願いお願いおねが~い!」

「小早川さんに連れて行っていただけばいいでしょう」

 

 友紀と紗枝の二人であれば、おそらく、彼は心のなかの言葉をはっきり口にしただろう。だが蘭子と幸子の二人もいては、紗枝の監督能力を超えている。

 

 諒解の言葉をみじかく、やや苦みばしって告げた青年が支度を済ませて再びドアを開くまでに、三分と経っていなかった。

 

 風のない夜だった。辻ばかりが明るく、長く伸びる道はその大部分を暗闇に浸している。分厚いガラス越しに見るような、輪郭のどこか蕩けた月の光は、わだかまる闇を散らせずに湿気の一部になっていた。

 

 スマートフォンの地図を見ながら歩く姫川友紀に、小早川紗枝がぽっくりを鳴らしてついていき、そのうしろには神崎蘭子と輿水幸子をしがみつかせた、ワイシャツにスラックスの青年がつづく。ネクタイはしていないのが、昼との唯一のちがいである。

 

「紗枝ちゃん家に泊まれたらこんなことならなかったのになあ」

「うちとこなあ。うちら四人だけちゅうわけにいかしまへんやろ?」

 

 脚を伸ばせる大風呂があることは否定せず、紗枝は青年の存在を悩ましげにする。夜闇への怯えを押し隠しながら、蘭子が声を張って返した。

 

「うむ、三千世界に我らを断つ刃なし!」

「前にうちらのプロデューサーはんがうちとこ挨拶に来やはったとき、女衒が来よったーゆうて、逆さ箒のお出迎え、座布団ペラペラ毛羽立って、冷やこいお(ぶぶ)にふかした羊羹のおもてなしや。しんでれらのセンセやしあんときよりは上等どっしゃろけども、なあ……」

「そんな仕打ちが……」

 

 この一度きりならば青年は耐える自信があった。だがそれを蘭子に見せては無用に気を揉ませてしまうなと思うと、局の用意した、大浴場の壊れた安宿で正解だったと感じるのだった。

 

「最近よーやっと打ち解けはったようやけど、今回来やはらへんかったんは、さすがにしんどく思わはったんかもわからしまへんな」

「プロデューサーさんが新幹線に乗るときビクってなるの、そのせいなんですかね……」

 

 同僚への京都土産はあまり京都らしくないものにしてやろうと、青年は心に決めた。そのシャツが引っ張られて、裾がスラックスから飛び出す。蘭子が、飛んできた虫に怯えて、シャツの脇腹を掴んだまま跳び上がったのだ。

 

 混乱は幸子も巻き込んで、友紀と紗枝が小首をかしげるなか、青年の大きい手が元兇たるヤブ蚊を握りつぶすまでつづいた。

 

「疑心、暗鬼を生ずとはいいますが、神崎さん、あなたにしても妙な怯えようでした。なにかあったのですか?」

 

 ポケットティッシュで手の死骸と血を拭いながら、青年は右うしろで縮こまる少女に訊ねた。

 

「か、かがみむしかと思ったのだ……」

 

 蘭子はいぶかる三人に、幸子と二人で、蘭子はかがみむしの話を聞かせた。その反応ははなはだ冷たいものであった。

 

「はぁ、そら怖おしたなー」

「信じてませんね!? 蘭子さんやカワイイボクがこんなに怯えているのに!」

「だってそんなのいたら人間にぶつかって人面虫ができるじゃん」

「なんでこんなときばっかり地に足のついたこと考えるんですか!?」

「せやかて、うちも京都人(みやこびと)のはしくれどすけど、そないな虫、聞いたこともあらしまへん。そんおばあはんのつくり話とちがいます?」

「我が友よ! 其方は我らが魂の純潔を信じるか!?」

「私としても、にわかには信じがたい話ですが……。まあ、ご安心ください。いまのようにして退治してみせますから」

 

 はじめの一文は口のなかでだけ呟いて、青年は二人を励ました。やや納得のいかない面持ちで少女の顔が前を向くと、着物の少女がすぅーと薄笑いを浮かべて立ちふさがった。

 

「きょう、大宮下って九条をずっと東にいってお宿まで来ましたけど、大事なこといい忘れてましたわ」

 

 九条大宮、東寺の南東の角のあたりには、かつて虎の姿を刻んだ瓦があった。虎とはいうが猫に見えるということで、その角は“猫の曲がり”と呼ばれる。この猫の曲がり、通ると不吉なことが起こるといわれており、現代においても慶事の際には、ここを通らないように気をつけている……。

 

 という話を紗枝が押し殺した声で語ると、いよいよ二人は泣きそうになってしまった。

 

「じんくすどすえ、じんくす。うちかて皆はんと一緒に猫の曲がり、曲がって来ましたさかい、なんやおしましても一蓮托生。あの蚊みたく、しんでれらのセンセにぷちっと潰してもらいまひょ」

「……努力します」

「頼もしいねー、蘭子ちゃん、幸子ちゃん。じゃ安心して、しまっていこーっ」

 

 

 

 すっかり脚の鈍った二人を押して訪れた銭湯はひっそりとしていて、彼らの前には数人の客があったのみだった。それも体を洗っているうちに湯を上がり、男湯も女湯も貸切状態になった。

 

「やぁー、あたしたちもあっちこっち行ったけど、京都来たのは初めてだね~」

 

 浮かないという約束をさっそく破り、顔に反して豊かな胸を水面に漂わせて姫川友紀が歌った。

 

「蘭子ちゃんは地方ロケでどこ行った?」

「我はまだ、飛翔を赦されぬ身なれば……。だが、在りし日には火の山、天孫降り立てる地に足跡を残した」

 

 どこ? といいたそうな友紀に、幸子がそっと伝えた。

 

「阿蘇山と、高千穂じゃありませんか」

 

 我が意を得たりと蘭子が鷹揚に頷く。こちらも歳に対して大きい胸が、湯のなかで揺れた。

 

「高千穂って宮崎だよね! あたしも遠足で行ったことあるよー。むずかしい話聞かされて、眠かった思い出ばっかりだけど……」

「友紀さん、このまえ富士山で縁起のお話を聞いてたときも堂々と寝てましたよね……。カワイイボクを見習って、ちゃんとお勉強しないとダメですよ!」

「霊峰を巻く魔の森の演目か。たしか、可憐の神髄もケットシーの使徒も共に夢の彼岸に遊んでおったように見えたが……」

 

 富士の山開きに先駆けた特集番組である。山梨出身の幸子に合わせたのではないが、山梨側をメインにしたものであった。

 

「そっ、そんなことありませんよ! ねえ紗枝さん、ボク起きてましたよね!」

「はい、はい、かいらしおすえー。幸子はんはかいらしおすえー」

 

 持ちこんだシャンプーで、長く艶めく黒髪を丁寧に洗いながら、紗枝は目も向けずに答えた。その返事に幸子が不満を抱くのは、噛み合わなさにではない。

 

「もっと心をこめていってください!」

「はぁー、どえらい、どえらい」

「相撲甚句じゃないんですよ!」

 

 騒ぐ二人の頭越しに、友紀と蘭子は脱線した話を修復していた。浴槽の縁を枕にして、友紀がその引き締まった脚を開くと、蘭子は目を逸らす。

 

「シンデレラプロジェクトは地方のお仕事ないんだね。旅行楽しいし、里帰りできたりするのにな」

「我らは未だ暖炉の横に重き枷を負いし灰かぶりであるが故に……」

 

 日焼けの脚が水面を離れた。湯は肌に弾かれながら重力に引かれ、ふたたび脚が浴槽に浸るより先にもと来た場所へと帰っていく。

 

「うちらが気軽にほうぼう行かれますのは、友紀はんがいちおう大人やしどす」

 

 髪の手いれを終えた紗枝が、二人の間の湯に足を浸した。

 

「蘭子はんが行こうとしたら、引率のセンセと二人旅どっしゃろ。そんなん、お赦しが下りんのとちがいますかしら」

 

 なあ、と小首をかしげてみせると、蘭子の顔がやにわに赤くなった。紗枝はタオルで口許を隠し、浴槽の縁と平行に腰を下ろす。腹の上に少女の全体重を乗せられた友紀は悲鳴をあげて沈んだ。

 

「浮かへん泳がへんちゅう約束どしたえ?」

「沈めることないじゃん!」

「紗枝さん、蘭子ちゃんまで沈んじゃってますけど、なにしたんですか……?」

 

 湯あたりにも似た顔色の蘭子は鼻先まで湯に浸り、あぶくを立てていた。

 

「ユメノヒガンに旅立っちゃったかなー?」

「一人で行ったあきまへんえ蘭子はん。二人旅てゆってんかぁ」

 

 二人の言葉を頭上に乗せられて、蘭子はさらに湯の海深くに沈むのだった。

 

 

 

 青年は女湯の喧騒を湯けむりの遠くに聞きながら、湯船に体を緩めていた。思えば、姫川友紀ではないが、手足を伸ばしてはいる風呂は久方ぶりである。出張はビジネスホテルばかりだったからな……とタオルで目許をあたためて、親爺くさいことをしている自分に気づき、苦笑するのだった。

 

 ふと、女湯が静かになった。そろそろ彼女らは風呂を出るのだろう。青年も、弛緩した筋肉を締めなおして湯船を上がる。アイドルたちを、湯上がりのまま待たせるわけにはいかないと。

 

 彼に急ぐ気持ちがなければ、壮大な富士の背景画の前で朧に佇む男の存在を、いぶかることもあっただろう。少女たちもまた、旅行話に妄想と現実を行き来していなければ、洗い場にただ茫と座る女に気がついたかもしれない。

 

 そして、どちらも、戸を開けることなくそこにいたことにも。

 

 

(続)

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