山の頂にあるものは   作:息抜き用ID

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第13話

 辛いことや嫌なこと、目を背けたくなる事実から、いつだって目をそらしてきた。

 

 でも現実は変わらない。ちゃんと前見て歩き出さなきゃいつか遭難しちゃうのに、私は足踏みしかできない。

 

 その事実さえ辛いから、また目をそらした。

 

 

 

---

 

 

 

「これでよし、と」

 

 富士山から帰ってきた数日後、私は部屋の整理に一段落がついた。

 

 玄関の前には可燃ごみの袋にまとめられた山道具の山。お父さんのおさがりのレインウェアやストック、登山靴、お気に入りの山雑誌なんかも全部まとめた。

 

 そう、私は富士山登頂を機に登山からすっぱり足を洗うんだ。

 

 やっぱり登山はお金がかかる。一度山に登るだけでフルタイムのバイト一日分の給料がまるっと飛んでいく。

 

 もともと辞めようとは思ってたけど、意志が弱くてつい近場の山に登ったりして、辞め時を見失ってた。日本一の山を制した今こそやめるときだ。意志薄弱な私でも、山道具を全部捨てて物理的に登れなくなったらさすがに登らないでしょ。

 

「はあ……」

 

 すっきりした部屋の中央で布団に寝っ転がると、しぜんにため息が出た。

 

 この布団、富士山から帰ってきた日からずっとしきっぱなし。残り少ない一学期もなんとなく出る気になれなくて、終業式の今日までごろごろしてた。

 

 山を辞めようとは決めた。でも小学生のころから頭の九割は登山のために使ってきた。いざ辞めるとなると、心にぽっかり穴が空いたみたいで、動く気が失せる。学校に行くのもめんどくさい。もちろん、心配をかけないように「風邪です」と連絡したから大丈夫。

 

「すこー」

 

 口笛を練習しつつ、スマホをいじる。

 

 みんなで共有してる富士登山の写真を、何度も繰り返し見る。剣ヶ峰で外国人さんといっしょにバンザイするあおいちゃん、ひなた。それを優しく見守るかえでさん。五合目の馬と目を合わせて対話してるっぽいここなちゃん。帰りのバスで疲れて寝ちゃったあおいちゃん、ひなた。

 

 自分から発案した登山計画をやりきったあおいちゃんは誰よりも嬉しそうだった。ひなたもその次くらいに喜んでて、ここなちゃんも笑ってた。ただ、かえでさんは少し物足りなかったみたいで、帰りのバスで次の山行に私を誘ってくれた。返答は、保留してる。

 

 ごろごろと布団の上を転がりながらスマホをいじっていると、あっという間に日が暮れる。動くのがめんどくさい。三度の飯よりぐうたらしてたい。

 

 気づけば、スマホの時計が午後一時を示してた。

 

「あー、やっちゃった」

 

 可燃ごみの収集日、今日だったのに。次の日まで狭い玄関が埋まったままになっちゃう。いいか、どうでも。どうせ一人分しかスペース使わないんだし、多少せまくなったって変わらないや。

 

 どっこいしょ、と重い体を起こす。

 

 一日中蒸し風呂みたいな部屋で過ごしていたせいか、汗だくで喉もカラカラだ。シャワー、シャワーっと。

 

 ぬるい水で汗を流し、ついでに水分も補給していると、少しは頭が働くようになってきた。頭を働かせたって何も変わらないことに気づいちゃうだけだった。

 

 登山なんてやめてやる。疲れて、しんどくて、お金がかかるだけだもん。絶対にやめてやるんだから――

 

 ぱたん、と音が聞こえる。窓が開く音だった。

 

「えっ」

 

 次いで、二人分の足音がたたみに降りた音。えっ、ちょっと、ええ?

 

 女の子の一人暮らしなんて危ないです、とここなちゃんに言われたことを思いだす。大げさだよ、と笑い飛ばしてすみませんでしたここな様。言葉の意味を今実感してます。

 

 泥棒ならおっけー、盗むものなんて何もないから好きなだけ物色してって。でも強盗さんはまずい。携帯は外だから通報できないし、お風呂場には逃げ出せる窓もないし。うーん……。

 

 もういいや。

 

 どうせ登山のない人生なんてつまらない。じゃあ一発特攻をかけてヒーロー、もといヒロインになれるかどうか賭けてみよう。成功しても失敗しても新聞の社会面の隅っこには載れるんじゃないかな。どうでもいいけど。

 

 私はシャワーを止め、お風呂場の入り口で大きく深呼吸。覚悟はできた。

 

「曲者ぉ! ここを女子高生の花園と知っての狼藉かぁ!?」

「……マヤちゃん?」

「マヤ……」

「ぎゃー!? あおひな!?」

「「略すな!」」

 

 私の部屋に立っていたのは凶器を携えた強盗さんではなく、制服姿でかばんを持ったあおひな、もといあおいちゃんとひなただった。

 

 強盗ではないけど、開いた窓を見るに二人が不法侵入したことは間違いない。二対一の不利をくつがえすにはまずハッタリだ。ファイティングポーズをとってキレのある(たぶん)シャドーを見せつける。

 

「しゅっ、しゅっ、ここに忍びこんだのが運の尽きだったな。私は護身術としてボクシングを習おうと思ったことがあるんだ」

「実際習ってないんかい!」

「ていうかマヤちゃん、服! 服着て!」

「へ? あっ」

 

 全裸の自分を思い出すとともに、顔に血が集まるのが分かる。今の私はきっと真っ赤だ。お風呂場に慌てて逃げ込むけど、普通に見られちゃった。

 

 ふっ、戦わずしてメンタル攻撃なんてやるじゃない、あおいちゃん。

 

 恥ずかしすぎて私はもう燃え尽きたよ……。

 

 

 

---

 

 

 

「ごめんなさい……」

「分かればよろしい」

「マヤちゃんは登山以外あっぱらぱーなんだから、もっと自分を大事にしなよ?」

 

 私のヒロインチャレンジのことを話したら、ものすごく怒られた。正座でたっぷり一時間は説教された気がする。怒ってくれるのはありがたいけどあおいちゃん、死体蹴りはひどいよ。誰があっぱらぱーだ、誰が。

 

「ま、私たちも窓から入ったことは謝るよ。ごめんね」

 

 珍しくひなたが神妙な顔してる。

 

「ほら、マヤってば富士登山終わってからずっと休んでるじゃない。電話もメールも出ないし」

「風邪っていっても一人暮らしだとたいへんかな、って。そしたら人の気配はするのに誰も出てこないから」

 

 心配になって窓から入ってきた、と。

 

 ひなたはともかく、常識人のあおいちゃんまで侵入してきたってことは、それだけ心配をかけたってこと。こんな要らない子のためにそこまで気をもませたなんて、こっちのほうが謝りたい。謝罪合戦になるからやらないけども。

 

 ――あれ? そう言えばなんで私が一人暮らしだって知ってたんだろう。二人にはお父さんとお母さんのこと言ってないのに。

 

 そのことを聞こうとしたとき、ひなたの目がすっと据わる。

 

 普段、明るく笑ってばかりのひなたがこんな顔をすると、怖い。

 

「それでマヤ。休んだこととかはともかく、アレ。アレはどういうこと?」

 

 アレ、と指さしたのは玄関先の粗大ゴミだった。

 

 どういうことも何も、私が登山をやめるだけの話。いらない山道具をまとめたってだけさ。

 

 あおいちゃんが息を呑み、目を見開く。

 

 ひなたは、

 

「嘘だよね?」

 

 断定するように、そう言った。

 

「嘘なわけないじゃん。もともと辞めようとは思ってたんだ。だって疲れるし、お金かかるし、しんどいし――」

「マヤ……今、自分がどんな顔してるのか分かってる?」

 

 どんな顔かなんて鏡がないと分からない。まさかひなたとあおいちゃんみたいに、悲しそうな顔はしてないでしょ。

 

「マヤがほんとに辞めたいなら何も言わないよ。でも、自分に嘘ついてまで無理に辞めようとしてるなら、止める」

「だ、だから嘘なんて――」

「マヤちゃん」

 

 あおいちゃん、割って入ってくる。

 

「富士山登ってるとき、本当に楽しそうにしてたよね。私のためにペースを落としてくれたのは嬉しかったよ。ありがとう。でも――」

 

 もう、二人して何なのさ。

 

「山頂に着いたときと、御来光を眺めてるとき。すっごく悲しそうな顔してた。寂しそうだった。ねえ、あの時山頂で何があったの? それが原因で辞めたくなったんでしょ?」

「ねえ、マヤってば――」

「何があったって、何もなかったんだよ」

 

 二人して人が忘れようとしてることに踏み込んできてさ。

 

 忘れたいのに、話したくないのに。

 

 二人の必死な声と表情が、勝手に私の口を動かしていく。

 

 

 

---

 

 

 

 私はいつだって嫌なことから目をそらしてきた。登山を始めたのも、ぼっちをこじらせてた自分を見ないふりするためだった。山っていう異世界が、現実を忘れさせてくれるんだ。お母さんに捨てられたとき、親戚に要らない子扱いされたときも、現実逃避でその場をしのいだ。

 

 お父さんが死んだときは少しちがった。山好きだけど滑落事故とかじゃなくて、普通に交通事故で死んじゃってさ。お葬式で骨を拾っても、全然実感がわかなかったんだ。現実逃避の必要がなかった。

 

 あんまりにも実感がわかなくて、いつの間にかこう考えてた。本当は死んでなくて、どこかに隠れて私を待ってるんじゃないか。それこそ、約束の山――剣岳の山頂とかで。

 

 だっていっしょに登ろうって言ったもん。今は無理だけど大きくなったら必ずって。

 

 だから私、いろんな山に登って体を鍛えた。知識もつけた。私はひとりぼっちなんかじゃない、山頂でお父さんに会えばきっと元通りになるって信じてた。

 

 でもお父さんはいなかった。どこの山の頂にも、劔岳にも。

 

 お父さんだけじゃない。もしいないにしたって、山頂にはきれいな景色と、登りきった達成感があるはずなのに。自分の足でここまで来た快感があるはずなのに。何もなかったんだ。

 

 山の頂にあるものは――一人ぼっちの現実だった。

 

 ずっとずっと見ないようにしてきたものだけ。

 

 だから私は登山をやめようって思ったんだ。お金がかかるなんて嘘だよ。バイト代でも食費でもなんでも使って登りたいよ。登り続けたいよ。

 

 でも、もう無理。

 

 富士山を登るのは楽しかったし、道中の苦労も吹っ飛ぶくらい、景色がきれいだった。

 

 だけどそこにお父さんはいない。お母さんもいない。一人ぼっちの私だけ――見たくもない現実があるだけなんだ。そのことを思い出しちゃった。

 

 こんなにも悲しくて寂しい思いをするくらいなら、登山なんて辞めてやる。

 

 もう二度と山になんて登るもんか。お父さんが登りそうもないマイナー低山巡りで誤魔化すのもきっぱり辞める。一人ぼっちの現実は知らんぷり。

 

 だから――登山なんてろくなもんじゃないんだ。

 

 

 

---

 

 

 

「そっか。じゃあ今から天覧山に登ろう!」

「話聞いてたぁ!?」

 

 ひなたのやつ、シリアスの余韻に浸る間すらなく即答しやがった。話聞いてないな? 居眠りしてたな? さすがにこのレベルの話を居眠りされたら泣くよ?

 

 半泣きでにらみつけるけどひなたはどこ吹く風で私の手をとって、ぐいぐい外へ向かう。ストッパー役のあおいちゃんまで私の背中を押している。鬼か、あおひな。

 

 ぶっちゃけこの話をすれば二人とも重い空気に耐えきれず逃げ出すんじゃないかと思ったのに、まったく効果がないのは予想外だった。

 

 二人の意図が分からず目を白黒させているうちに天覧山の登山口にたどり着く。登山がしたいけど怖い気持ちを誤魔化すために、何度も登ったことのある見慣れた山だ。

 

 前をひなた、後ろをあおいちゃんに固められ、登山道を進んでいく。

 

「富士山に比べると楽勝だねー」

「当たり前でしょ。向こうは日本一の山なんだから。ね、マヤちゃん?」

「へーへー」

 

 無理やり山に連れてこられたのはちょっとシャクだ。返事も適当になるというもの。

 

 ふてくされているうちにもう山頂の展望台が見えてくる。

 

 何の苦労もなく登りきったところで、ふとあおいちゃんの呼吸に気がついた。息が一切乱れてない。前にここで会ったときは息切れしてしんどそうだったのに、成長したんだ。前に進んだんだ。足踏みしてばかりの私と違って。

 

「ねえ、ここで会ったときのこと覚えてる?」

 

 ネガティブな気持ちを切り払うように、ふとした調子で切り出すひなた。覚えてないわけがない。

 

「覚えてる。あおいちゃんに気づかれなかったのはショックだったなぁ……」

「そ、それは忘れてよ」

 

 あんな訳の分からない二重生活の始まりを忘れろなんて無理な話。一生根に持つもんね。

 

「あおいは薄情だねー」

「ほんとほんと、ねー」

「もう何よ二人して!」

 

 きーっと怒り出したあおいちゃんから逃げるように、私とひなたは多峯主山の方へ駆けていく。三人とも余力があったので、流れるように追加登山が始まった。

 

 多峯主山は天覧山と比べて傾斜がきつく、鎖場まである。普段着で登るのは少し勇気がいる山だけれど、成長したあおいちゃんとひなた、慣れてる私の三人は特に問題なく上へ、上へと進んでいく。

 

 途中見返り坂と呼ばれる坂道でひなたが言い出した。

 

「ここ、見返り坂っていうんだよ。昔、どっかの偉い人がここで何回も振り返ったんだって」

「さっぱり説明になってない!」

「ふふん、説明しよう」

 

 先輩アピールのチャンス、逃すわけにはいかない。

 

「偉い人は源の義経のお母さん! 景色がきれいで見返りしたんだって。ほら、振り返ればとってもきれいな景色が、けしき……」

 

 あれ、そんなにきれいでもないな。杉木立のしげる普通の坂道って感じ。いや、でもよく見ればきれいかも? うん、きれいだ。だから首をかしげないでひなた。

 

「そんなにきれいかなぁ?」

「みっ、見る人の心がきれいだときれいに見えます」

「へー、じゃあ私の心が汚いってこと?」

「……先を急ごう!」

「こら待て!」

 

 なんだかんだ知識をひけらかせて私は満足。歩調を早めて先を急ぐ。

 

 残念ながらアピールポイントはこれ以降なかったけど、友だちといっしょにおしゃべりしながら登る山道は、慣れているはずなのにとても新鮮で、楽しかった。

 

 無事に登頂した私たちは、展望台の木の椅子に腰掛けゆっくり休憩する。

 

 少し視線を動かすと飯能のきれいな町並みが見渡せた。きれいな空気と青い空のおかげで開放感がたまらない。これがあるから登山はやめられな――はっ!?

 

「謀ったなキサマ!?」

「ああ、バレた?」

「というか、いまさら?」

 

 ひなた、あおいちゃんがこともなげに言う。

 

 辞めるって決意したのにまた登山したい気にさせられてる。途中からは普通に楽しんでた。こ、この策士ども……!

 

「マヤはさ、間違ってるよ」

「な、何が?」

「山にお父さんがいなくて、一人ぼっちの現実があるだけってこと」

 

 不意に、手が温かいぬくもりに包まれる。隣に座ったひなたが、私と手を重ねていた。

 

「一人じゃないよ。私がいる」

「私もね」

 

 後ろから、あおいちゃんに肩に手を置かれた。

 

「さっき私たちと登るの、楽しんでたでしょ? 今はどう?」

「……楽しい」

「そうでしょ。山に登りたいけど怖いときは、私たちに言ってよ。また今日みたいに付き合うからさ」

「みんなで登れば大丈夫。マヤちゃんは一人じゃないんだよ」

 

 だからまた、登ろう。

 

 二人はそう言った。

 

 私は何も言えなかった。

 

 ただ――夏場で暑苦しいはずなのに。

 

 寄り添ってくれる二人の温かみが、とっても心地よかった。


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