山の頂にあるものは   作:息抜き用ID

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第18話

「はっぴばーすでー、とぅーみー……」

 

 自室アパートの薄い壁に、私の声が空しく吸い込まれていった。食パンもやしケーキに刺したロウソクの火を、ふっと吹き消す。

 

 毎年恒例、一人だけのバースデーだ。

 

 いつものことなので、寂しくなんかない。あおいちゃんやひなたが窓から入ってきておめでとー! とサプライズしてくれるとも思ってない。だって誕生日伝えてないし。

 

 いっそのこと誕生日忘れたい。履歴書に生年月日の欄がなかったら忘れられるのに。

 

 いいもんね。祝われない分、誰かを祝うのに本気出すし。今度のここなちゃんの誕生日にうってつけのプレゼントを、バイト先のツテで手に入れたんだ。ここなちゃんの喜ぶ顔が私へのプレゼント――

 

 不意に、着信。

 

「はいもしもし!」

『マヤちゃん、今時間いい?』

「……よろしくてよ」

『お呼びじゃないって感じねー』

 

 かえでさんだった。私の誕生日知らない人。

 

 どうせ知ってる人なんていないし、知らせるつもりないけど。私は構ってちゃんじゃないのだ。

 

 かえでさんの言葉に淡々と返して、通話を切った。

 

 

 

---

 

 

 

 私の人生のほとんどは敗北で成り立っている。

 

 学校では陰キャの代表格として敬遠され、たまに体力テストやマラソン大会で目立っても「ああ、あの冴えない子か」と冷めた目で見られ。高校生になってからはみんな精神的に大きくなったのか、そこまで露骨な陰陽差別はなくなったけど、今度は先生が地味なのをいじってくる。そのたびに集まる生暖かい視線に縮こまる私の姿は、まさに敗北ウーマンだ。

 

 登山でもそう。一週間かけて考えた念入りな山行計画が、突然の悪天候で台無しなったことは数しれない。悪天候を押して強行したらケガと体調不良のダブルパンチで敗走なんてザラだった。

 

 プライベートでは敗北どころか昇天しかけたことさえある。ぽんぽこマウンテン滑落事故であおいちゃんとひなたに潰され、辞世の句を詠んだのは記憶に新しい。テンパった二人が「AED! いやさ人工呼吸!」って騒ぎ出したから慌てて飛び起きた。

 

 そんな風に、敗けてばかりの私だけど――

 

「えっへん」

「ぐぬぬ……マヤちゃんがこんな……!」

 

 今回ばかりは私の勝ちだ。

 

 かえでさんちのリビング。ダイニングテーブルの上には私が作ったお昼ご飯のオムライスがあって、対面にかえでさんが座っている。ぐぬぬと悔しげにしているのはかえでさんで、偉そうにしているのが私だ。

 

「どーですか。我が女子力の味は」

「悔しいけど美味しいわ。あーあ、見栄張ってると思ったのになー」

「そんなにバレバレの噓つきませんよ」

「つくわよ。だってマヤちゃんよ?」

「私をなんだと思ってんですか!」

 

 かえでさんが新たな一口を頬張ったので、答えは聞けなかった。

 

 暇だったら遊びに来ない、と誘われたのが昨晩。かえでさんのお母さんが所用で不在だから、お昼ご飯作ってくれない、と意地悪な笑顔で言われたのが二十分前のこと。

 

 どうやら私が料理できるようになったのが信じられなかったみたいで、見栄を張ってるなら暴いてやろうと考えたらしい。その思惑が私の世界一女子力のあるオムライスで打ち砕かれ、今に至る。

 

 かえでさんには登山でお世話になりっぱなし、一生勝てない人だと思ってた。そんな人にようやく勝てたんだ。

 

「おいしいですか? ねえそれ、おいしいですか?」

「うん、すっごくおいしいわよ。よくできたわね」

「うぇへへ、そうでしょう」

 

 嬉しすぎる。椅子の上でふんぞり返っていると、やりすぎて後ろにひっくり返りそうになった。

 手をばたつかせてどうにか態勢を立て直す。満面の笑みだったかえでさんの表情は、呆れた苦笑いになっていた。

 

 かえでさん、あなたは何も見なかった。という意図をこめて咳払いを一つ。

 

「ま、まあ師匠たちの教えが分かりやすかったんで」

「うちのお母さんとひなたちゃんのお父さんよね。何か話してたのは知ってたけど――はあ、女子力ゼロ同盟はどうしちゃったのよ」

「何その嫌な同盟」

 

 三十路寸前の未婚OLさんが集まる女子会みたいな悲しさを感じる。バイトの先輩たちがよく参加者募ってるのを見たことあるけど、あの物悲しさは一種のホラーだと思う。いつか私やかえでさんもあんな風になるのかなあ。

 

「同盟は破棄です。かえでさんも料理、しましょう?」

「ええー、私が?」

「あれできますよ、まあこのお弁当美味しそう誰が作ったの、私やでドヤぁ……って流れ」

「そうねえ、気が向いたらね」

 

 ニカっと笑うかえでさん。私知ってる、かえでさんがこの笑顔するときは適当に聞き流してるときだ。たぶん一生気が向かない。

 

 昔から山でお世話になってるかえでさんにお返ししたかったけど、本人が気乗りしないならもういいや。料理は楽しくてもやっぱり面倒だからね。

 

 話してばかりで私の分のオムライスは手つかずだ。冷めないうちに一口。我ながらおいしい。この前の自然公園以来のまともなご飯が食費ゼロで食べられるので、その意味でもおいしい。

 

 思わず夢中でがっついていると、かえでさんが眉をひそめる。

 

「ねえマヤちゃん。変なこと聞くけど」

「もぐもぐ?」

「今朝は何食べた?」

 

 私の優れた頭脳がかえでさんの意図を読み取る。

 

 これは脳年齢テストだ。脳年齢が高いと直前の食事メニューを思い出せないとかなんとか。私がみんなからほんのちょっとポンコツという評価を得ているから、テストしたくなったんだろう。

 

 でも私にそのテストは効かない。

 

「もやしと水です! そのくらい覚えてますよ」

「……昨日の晩は?」

「同じくもやしと水です! ていうか夏休み入ってからずっとメニュー同じなんで、いくらテストしても効きません!」

「……」

 

 なんなら数ヶ月前の献立まで答えられる。もやし、水、値引きパンの三パターン。つまり私の脳年齢はとても若く、優秀ってことだ。

 

 ドヤ顔していると、かえでさんのメガネが不意にギラリと光る。

 

「あのね……どこにドヤ顔できるところがあるの!?」

「ひえっ!?」

「不摂生してると大きくなれないし、体壊すわよ! 料理できるんだから自炊しなさい!」

「ね、燃費の良さは私の取り柄! 知ってるでしょ!」

「限度があります!」

 

 かえでさんはお説教モードになっていた。見るのは初めて会ったとき以来だ。

 

「自炊ってめんどくさいんですよ! 誰かに作るならともかく、自分だけなら節制します。で、浮いた分で山に行くのです! これぞ私の登山ライフ!」

「そんな不健康な登山ライフはダメ!」

「いいんです! 私の登山でしょ!」

「ダメったらダメ! これからはきちんと毎日食べなさい。さもないと――あのこと、バラすわよ?」

「なっ!?」

 

 かえでさんと登山に行った回数は多い。当然、私の失敗談や恥ずかしい経験を一番知っているのはかえでさんになる。かえでさんの知ってそうなあのこと、すなわち私の恥ずかしいこととは――ありすぎて特定できない。

 

 岩場で浮石を踏んだときの「ひょえっ」という奇声を、すれ違った登山者さんに笑われたこと? 

 

 登山道の中腹になぜか立ってる「頂上」の標識を鵜呑みにして、そこが山頂だと思い込んだこと?

 

 それとも――

 

「や、やめてください! クマさんと遭遇したとき実はちょっぴりお漏らししたことだけは――!」

「えっ、そんなことあったの?」

「はあ!?」

「ああ、そういえば合流したとき、なぜか腰が抜けて立てないことがあったわね。ふうーん、そういうことだったんだ」

 

 かえでさんはニヤァ、と笑った。

 

 さーっと血の気が引くのを感じた。

 

 しーあいえーも真っ青な誘導尋問だった。この恥を晒されては、私の社会的イメージが死ぬ。ほんの少しでも残っているはずの経験豊富なお姉さん像が死んでしまう。それだけは避けなければ。

 

「きちんと三食、食べますか?」

「御意!」

 

 かえで様の言う通り、もやしと水だけなんて不健康だよ。育ち盛りなんだからちゃんとしたものを毎日食べなきゃね。たとえ食費が増えたとしても、そのせいで登山貯金が減ったとしても。私の体面――じゃなくて、健康を守るために。

 

 私は「ははー」と平伏し、かえで様の教えを享受するのだった。

 

 

 

---

 

 

 

 勝利の女神とはかくも気まぐれなものか。

 

「うーん、私一年のときこんなの習ったかしら」

「へ?」

 

 かえでさんの部屋にて。

 

 夏休みの宿題の分からないところを習うため、あおいちゃんがやってきた。あおいちゃんはかえでさんに宿題を見せているが、かえでさんは分からないらしい。

 

 ちらっと覗いてみれば、私には余裕で分かるとこだった。つまり、女子力に続いて学力でマウントを取りにいくチャンス。

 

「おかしいわねーこれも分かんない。教える範囲が変わったのかしらねー」

「かえでさん、つかぬことをお聞きしますが。ご自身の宿題は終わっているのでありましょうか?」

「うふふっ」

 

 あおいちゃんの質問に、笑顔で「全然終わってないんだー」と答えるかえでさん。

 

 そういえばかえでさんっていつも赤点ギリギリだったっけ。メガネかけてるからすっかり忘れてた。

 

 あおいちゃんもかえでさんのメガネに騙されたみたいで、目を丸くして冷や汗を流している。別に宿題くらいでそこまで焦らなくても。

 

「あおいちゃん、まだ八月の頭じゃない。少しずつやってけば余裕で終わるよ」

「そうだけど、谷川岳までに全部終わらせるってお母さんに言っちゃったの!」

「なんで!?」

「口が滑ったのよ!」

 

 谷川岳までってことは来週までか。受験生よろしく気合を入れればできるだろうけど、少しずつやった方が内容が身に着くと思うな。

 

 といっても女に二言はない。あおいちゃんが来週までに宿題を終えられるよう、お手伝いしよう。

 

「ついに、我が学力が火を吹く時がきた」

「マヤちゃん、頭でも打った?」

「違わい!」

「あはは……マヤちゃん、実は勉強できるんですよ。期末テストだと学年一位でした」

「うそぉー!?」

 

 驚きすぎだろかえでさん。

 そしてあおいちゃんは水臭いぜ。最初から私を頼ってくれればよかったのに。

 

「いやー、知ってはいたけどマヤちゃんが勉強できるイメージなくて。論外だったのよ」

「ろ、論外!?」

 

 ばんっ、とテーブルに手をつきかえでさんが吠える。

 

「そうよ! 勉強ができるマヤちゃんなんておかしいわ! 毎回赤点とって泣きながら補習受けるマヤちゃんはどこにいったの!?」

「人の過去捏造すんのやめて!」

 

 くっ、二人とも勝手なイメージふくらませちゃって。これは学力全開で目にもの見せてやらねば。

 

 さっきあおいちゃんが見せていた数学のドリルを開き、問題を解いていく。因数分解、図形問題、証明問題? 全部教科書で見たから楽勝です。ふふん、これは複数の解法を組み合わせて解けるひっかけなので、こうしてこう。間違えさせようって意志が透けて見える。

 

 ……こんな風に、中学の頃は必死で問題相手にマウント取ってたなあ。勉強以外、陽キャに対抗できるものがなかったんだ。

 

 でも今は違う。ドヤ顔を見せて、マウントを取れる友だちがいる。

 

 とりあえず見開きのニページ分終わらせると、あおいちゃんが巻末解答を見て答え合わせしてくれた。全部合ってた。

 

「すごーい!」

「私は夢を見てるんだわ」

 

 かえでさんは遠い目をしていた。

 

 あおいちゃんは興奮した様子で私の隣に座る。なんかすごく近い。

 

「じゃあ早速、ここが分からないから教えてほしいな」

「因数分解はねー、まずXYZがあるでしょ? これをこうして、こうして、こうしたら答えになるの」

「……もっかい言って?」

「だからこうして、こうして、こうするの。ね、簡単でしょ?」

 

 あおいちゃんは笑顔のまま固まった。

 

「じゃ、じゃあこっちの図形は?」

「教科書にのってた公式でこうして、こうやったら答えになる」

「こっちの証明は……」

「教科書のテンプレ暗記して適当に改変しようね」

「……まじめにやってくれる?」

「ふぇっ!?」

 

 あおいちゃんは真顔になってた。怖い。

 

 それから科目を変えて同じようなやりとりが繰り返された結果、私に教える才能はないことが分かった。だってどの問題も教科書を覚えて実践しろとしか言えないんだもの。問題を見て、答えを見て、解き方を読み解いて暗記するだけ。これぞ私の脳死丸暗記法。

 

 でもあおいちゃんとかえでさんには不評みたいで、肩をぽんとされた後、「ありがとう、お昼寝してていいよ」と言われた。

 

「ぐすん……」

「それでふてくされてるのね……」

「違います。ほんとに眠たくなったのです」

 

 かえでさんのベッドでごろごろする私の頭を撫でてくれたのは、新しく呼ばれてやってきたゆうかさんだ。このままでは宿題が一ページも進まないというわけで、かえでさんが呼んだ。

 

 ゆうかさんは優しい。部屋に来てから真っ先に私の愚痴を聞いてくれて、慰めてくれた。

 

「かえで! マヤちゃんに宿題丸投げして何を笑ってるの!」

「いやー、勉強も出来て教えるのも上手だと、私も先輩としての立場がね? 正直ほっとしてるというか……」

「あのねぇ……」

 

 ゆうかさんは大きくため息をつく。

 

「前から気になってたけど、かえでってさ」

「何?」

「マヤちゃんのことポンコツ、天然とか言う割に、あなただって山登る以外はポンコツじゃない」

「……!?」

 

 空気が凍った。かえでさんが手にしたシャーペンを取り落とし、乾いた音が鳴る。

 

「大体、わからない人に教えるのって大変なのよ? マヤちゃんには出来なかったけど、きちんと頑張った。えらいわ」

「うぇへへ」

 

 ああ、頭をぽんぽんしてくれるのがとても気持ちいい。そうだ、私はえらいのだ。私がポンコツならかえでさんだってポンコツなのだ。もっと言ってやってほしいのだ。

 

 私の思いが通じたのか、ゆうかさんはこんこんとお説教(あおいちゃんにも飛び火してた)を続け、終わる頃にはかえでさんは机に突っ伏し瀕死の状態になっていた。

 

 ゆうかさんは一度言葉を切り、締めにかかる。

 

「何が言いたいかというと、勉強はマヤちゃんでもできることなの。つまりあなたたちはマヤちゃんよりポンコツってこと。少しは危機感が湧いたかしら?」

「さりげなく私のことディスってませんか!?」

「すっごく湧いた!」

「湧きました!」

「そっちはそっちでやる気出すなや!」

 

 かえでさんとあおいちゃんはくわっと目を見開き、教科書を取り出してきて必死に問題集と向き合い始めた。鬼気迫る勢いの二人を、ゆうかさんが華麗な指導で導いていく。

 

 この日を境にゆうかさん主導の勉強会が毎日開かれるようになり、私の名前を出すと、特にかえでさんが途轍もないやる気を発揮するようになったとか。

 

 かえでさんのためになったならいいけど……これ、学力でマウントを取ったと言えるのかな?

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