山の頂にあるものは   作:息抜き用ID

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第21話

 私には登山しかなかった。

 

 どこかの山頂に隠れているお父さんに会いに行くことだけが私の生きる理由だった。だから脳みそのほとんどが登山で埋まっちゃって、やることなすことそそっかしく、要領が悪くなってたんだと思う。

 

 実際、山に登る楽しさを思い出させてもらってからはできることが増えた。友だちとのおしゃべりとか、料理とか。本当の私はドジなポンコツじゃなくて、超有能な完璧ウーマンなんだ。

 

 つまり何が言いたいかというと、

 

「早く謝りなさいよひなた!」

「はあ!? 謝るのはあおいの方でしょ!」

「あわ、あわあわ」

 

 ものすごい剣幕でぶつかり合うあおいちゃんとひなたを仲裁することだって、できるはずってこと。完璧ウーマンだもん。

 

 谷川岳山頂で二人が約束を果たしてから数週間後。夏も終わりに近づいて今日は納涼祭だ。いつの間にかみんなと約束してたほのかが、また遊びに来ることになってる。

 

 そんな日に私は特段の用事もなくあおいちゃんの家に呼び出された。暇だからお祭りの時間まで遊ばない、みたいなノリで。

 

 昼過ぎにやってきて部屋に来たら、二人がケンカしてたというわけだ。

 

「あのあの、二人ともケンカは……」

「大体あおいは趣味が暗いのよ! そんなだからモテないの!」

「人の趣味なんだからほっといてよ! ていうかモテないのはひなたもでしょ、マヤちゃん全っ然気づいてないじゃん!」

「あいつが朴念仁なの! そっちだって付き合い長いくせに何にもないじゃない!」

「むきー! 言ってはならないことをー!」

 

 二人はつかみかかってキャットファイトを始めた。お互いのほっぺたがお餅みたいによく伸びてる。

 

 よーし落ち着け私。あおひなのケンカはよくあることだ。なんなら毎度の会話でケンカ一歩手前まで行ってるくらいはある。焦る必要はない。

 

 必要はないんだ。

 

 ないけど……仲の良い二人が声を荒げてるのを見ると、無性に辛い。ケンカするほど仲が良くても、ケンカしないで笑いあっててほしい。そう思うのは、人付き合いの浅い私の勝手で無茶な思いなんだろう。

 

 だけどたとえ勝手な思いでも、貫いてこそ完璧ウーマン。

 

 思い切り息を吸って、お腹から声を出す。

 

「二人ともっ!」

「「うるさい!」」

「申し訳ございません!」

 

 そしてノータイムで土下座。

 

「ちょうどよかった、マヤちゃんはどっちの味方!?」

「もちろん私のだよね! 悪いのはあおいだもんねっ!」

「ちょっと、マヤちゃんを脅さないでよ!」

「そっちだって脅してるようなもんじゃん! 大体あおいは――」

「お邪魔しましたー!」

 

 土下座からダッシュで部屋を飛び出し、あいさつしつつ外へ。

 

 逃げたんじゃなくて戦略的撤退だ。争いは時間が鎮めてくれることもある。私の完璧ウーマンな脳細胞がそう判断したんだ。けっして二人の剣幕が怖くて逃げ出したわけじゃないんだから。

 

 

 

---

 

 

 

「マヤさんは大きな声が苦手ですからね。よく頑張りました」

「うえぇん、ここなちゃん大好き」

「はい、私も好きですよ」

 

 そう、私の撤退にはもう一つ意味があったのだ。

 

 今日の夕方、みんな浴衣姿で集まって納涼祭に繰り出すことになってる。私はそんな高価な服持ってないから、ここなちゃんから借りる。そのために一度ここなちゃんの家に寄る必要があったんだ。

 

 寄ったついでに事情を話してここなちゃんが慰めてくれるのは、けっして狙ったわけじゃない。

 

 ああでも、ここなちゃんは優しいな。いきなりやってきた私を優しく抱いて、頭なでなでしてくれる。もうここなちゃんと結婚したい。

 

「心配しなくても、きっと明日には仲直りしてますよ」

「そうかなぁ。拗れて疎遠になったりしない?」

「ありません。ケンカがするほど仲が良いんです」

「でも私、ここなちゃんとケンカしたことないよ」

「……じゃあ、してみますか?」

「えっ」

 

 体が後ろに傾いたと思ったら。

 

 仰向けになった私の上に、ここなちゃんが馬乗りになってた。両手首は顔の横で抑えられ、抵抗できない。普段の私が取ろうとしているポジションの物理バージョン。冗談から始まったケンカは、ここなちゃんの不意打ちですぐに終わったようだ。

 

 ここなちゃんは暑苦しいのか頬をりんごみたいに赤く染め、天使のように笑っている。

 

「ふっ、やるじゃない。降参だよ」

「……」

「や、あの、降参。参りましたってば!」

 

 なんだか陶然とした目つきで顔を近づけてきた。ぱっちりした目、さくらんぼみたいな唇、健康的な柔肌とか、ここなちゃんの可愛らしい顔つきがよく分かる。

 

「マヤさん……お人形さんみたいです……」

「あばばば」

「そんな顔もするんですね。ほのかさんと会ってる時も、肩の小屋の時もそうでした。私の知らないマヤさんがたくさん……もっと、見せてください……」

 

 そういえば何かの授業で習ったけど、天使は神様の使いであって必ずしも人間の味方をするとは限らないんだって。人から見ると怖いことや悪いこともする。

 

 今のここなちゃんはたぶん悪い方の天使だ。谷川岳の山小屋で抱きまくらにされて以来、ちょくちょく悪くて怖いここなちゃんが出てくるようになった。

 

 そんなときは少し距離を置けば元に戻ってくれるんだ。今回も距離を――

 

「こ、ここなちゃん、タイム! タイムアウト!」

 

 とれない。身動きもとれない。うっとりしたここなちゃんが近づいてくるのを見るしかできない。一体どうしちゃったのさ、もう。

 

 これ以上近づかれると私とここなちゃんの大切な何かが散る。

 

 そう感じた私にできたのは、ぎゅっと目を閉じることだけだった。

 

「ただいまー、今日昼上がりだったわ。ここないる――!?」

 

 できることなら、しばらく目を閉じておきたかった。

 

 玄関の方からここなちゃんのお母さんっぽい人の声が聞こえて、その人が居間の私たちを見つけ絶句しているらしい現実なんて、目を閉じて見なかったことにしたい。

 

 うん、私は何も見ない、見えない。

 

 きっと変な夢だったのさ。

 

 

 

---

 

 

 

 土日に入れてるバイト先の社員さんに、青羽さんというおばさんがいる。おばさんといっても一見お姉さんで通じるような若作りさんで、私は仕事に慣れないころすごくお世話になった。毎日遅くまで残業して社会と家計に貢献してらっしゃる仕事熱心な人だ。将来はこんな人になりたい。

 

「あらー、ここなの言ってたマヤちゃんって山ちゃんのことだったのねー」

「そっちこそ、自慢の娘ってここなちゃんだったんですね。こんな子がいればそりゃあ自慢したくもなりますよ、あっはっは」

「でしょー、うふふ」

「ははは」

 

 沈黙。

 

 正座で向かい合う私と青羽さん。それから私の後ろに、耳まで赤くなってうつむいてるここなちゃん。分かるよ、ケンカごっことはいえ傍から見ればやらしい場面に見えなくもなかったからね。でも大丈夫、失敗と言い訳のプロであるこの私に任せてほしい。

 

 考えていると、青羽さんが「さてと」と言いつつ立ち上がった。

 

「ちょっとこの部屋暑いから、外で涼んでくるわ。お邪魔してごめんなさいね」

「待った!」

「いいのよ、火遊びは若いうちにしときなさい。山ちゃんになら任せていいわ」

「だから待ってえ! 話聞いてえ!」

「クリーニング屋さんで浴衣受け取ってくるわねー」

 

 そうして青羽さんが帰ってきてそうそう出ていき、部屋には私とここなちゃんの二人だけが残される。正確にはちょっと暴走気味のここなちゃんが、私の真後ろに陣取ってる。

 

 気まずくて振り返れない。そもそも私が変なこと言い出したのが悪いんだ。ここなちゃんは乗ってくれただけ。気まずくても、きちんと謝らなきゃ。

 

「ごめんなさい、マヤさん」

 

 でも先に謝ったのは、なぜかここなちゃんだった。

 

 振り返るとしょんぼりうつむく彼女がいる。

 

「急にあんなことして……気持ち悪かったですよね」

「いや別に。ここなちゃんならいいよ」

「そうですよね――えっ、いいんですか?」

 

 ぱあっ、と輝く笑顔が戻る。

 

「いいに決まってるじゃない。友だち同士じゃれ合うのは普通だよ。びっくりはしたけどね」

「そうですか……」

 

 しゅん、とまたうつむいた。何か言葉選びを間違えたっぽい。とにかく話を続けろ、そして笑顔を取り戻せ。

 

「それにしても意外だった。ここなちゃんでもあんな風に悪ふざけするんだ」

「……自分でも、意外です。でもきっと、マヤさんにしかしませんよ」

「じゃ、さっきのここなちゃんは私しか知らないここなちゃんか。なんか、得した気分」

「はい、マヤさんだけのここなです! だからマヤさんも――」

 

 ずい、とここなちゃんの顔が目と鼻の先に迫る。光のない目が私を覗き込んだ。

 

「私だけのもの、ですよ」

「はっ、はい」

 

 悪ノリだよね? さっきのマウントポジションから始まった悪ノリが続いてるだけだよね?

 

 そう確認したくてもここなちゃんの気迫はあまりに強烈で、私は赤べこみたいにコクコク頷くしかできなかった。逃げるように目線を逸らすと、先日渡したストラップがザックについているのが見える。よかった、気に入ってくれたんだ。

 

「ここなを見てください」

 

 両ほっぺに熱くてやわらかい感触。手で顔を固定され、じーっと見つめ合う形になる。

 

 これが数分間続いた後、またここなちゃんの顔が赤くなり始めたので、脳内アラートが鳴り響く。どうにか「喉がかわいた」と切り出して雰囲気をリセットすることに成功した。

 

 たしかにこれだけグイグイ来るここなちゃんは初めて見たし、私だけに見せてくれるのはうれしいんだけど。それ以上に本能的な身の危険を感じる。

 

 そんな新しい、ここなちゃんの一面を発見したお昼だった。

 

 

 

---

 

 

 

 帰ってきた青羽さんに浴衣の着付けをしてもらって、待ち合わせ場所に出発。

 

 いつになく甘えんぼなここなちゃんが、何とかつなぎとかいうやり方で手を握ってきて。合流したみんなが怖い顔になってた。ほのかは相変わらず薄い表情で「……油断した」とか訳分かんないこと言うし。あらあら、と唯一笑ってたかえでさんに救われる思いだった。

 

 だけど納涼祭の出店で金魚すくい、ヨーヨー、射的にわた飴りんご飴と、お祭りを楽しんでるうちにみんないつもの雰囲気に。

 

 あっという間に日が暮れて、飯能河原で花火を見る。右手にここなちゃん、左手にほのか。火花の音は幻聴か、そうでないなら花火の音だ。

 

 夜空に咲く大輪が私たちを明るく照らす。

 

 あおひなは仲直りした後、ケンカした理由すら覚えてなくて。ケンカが怖くて逃げ出した私の気苦労はなんだったのさと拗ねていたら、みんな笑って。

 

 つられて私も笑ったら、その場の全員笑顔だった。

 

 

 

 バイトして、登山とお出かけ繰り返し。

 私の夏は、ただ穏やかに――

 

 

 

「学校やだああぁぁ! 夏休み短すぎィー!」

 

 穏やかに過ぎ去んないでよ、学校やだよ。ってか遊びすぎたせいで登山貯金も食費もほぼゼロなんですけど!

 

 自分の家で一人になって楽しい夢の夏から覚めた私は、頭を抱えてごろごろ転げ回る。

 

 壁にぶつかったら隣の人から壁ドンされ、反射的に土下座。

 

 そんな夏休み最終日だった。

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