山の頂にあるものは 作:息抜き用ID
九月はもっとも残酷な月である。
学校に行かなくていい、クラスに馴染めない苦痛を味わわなくていい。夢のような一か月を過ごした生徒たちをいっぺんに現実のどん底へ突き落とす。
そんな生徒たちの一人である私の視界は、黒く陰っていた。心のバリアたる前髪だ。一月も登山スタイルで過ごしていたから邪魔に感じるけど、すぐに慣れる。というか慣れないと学校に通えない。
「はあ……」
「二人とも暗すぎ!」
校門をくぐって教室に向かう道中、あおいちゃんとため息がかぶった。ひなたは呆れたように笑ってる。ええ、学校が楽しくてクラスにも馴染んでるひなた様には分からんでしょう。陰の者の苦しみは。
「おっはよー!」
「おはよー」
元気なあいさつと共に教室へ入っていくひなた。その後ろから私とあおいちゃんが続き、ごにょごにょとあいさつ未満独り言以上の呪文を唱えた。
ひなたはなんでこう元気なんだろう。もしあいさつが無視されたらとか、声が裏返って注目されたらとか、考えないのかしら。考えないんだろうな、ひなただから。
あおいちゃんの陰に忍びつつ、とぼとぼと席に向かい、着席。ひときわ大きなため息とともに、二学期が始まった。
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第一種警戒態勢、デフコンレベルを最大値に設定。机に突っ伏す陰の者特有のステルスモードで休み時間を過ごす。あおいちゃんは無言で編み物してて、ひなたはクラスの陽キャグループとお話してる。
「夏休みの思い出にって、三人でサンシャインのスカイデッキに行ったの」
「夜景すっごくきれいだった。宝石箱みたいだったよ」
「風強かったー」
「いいなー。夜景がやけーにきれいだね。なんつって」
くっ、ひなたにしてはいいギャグを詠むじゃないか。私に流れる関西人の血が騒ぐ。
サンシャインというと、池袋かな。こっそり前髪の隙間から、話すひなたを覗き見る。
話し相手は三人で、ポニテの子がみおさん、眠たげな目つきのメガネっ子がかすみさん、小柄なボブカットの子がゆりさん。クラス内でもおなじみの仲良し女子グループだ。よく会話を盗み聞きしてるから、名前は覚えてる。
宝石箱みたいな夜景か、きれいだろうな。でも私たちだって負けてないぞ。富士山の御来光はきれいだったし、手をつなぐあおひなと谷川岳の朝日は絵画じみた美しさだった。充実度じゃ負けてないもんね。
そうなんだ、山本さんは登山が好きなんだよね。他にどんな山登ったの?
えっとねー――
「マヤちゃん、聞いてってば」
「わ、私は脳内会話で友だち作るのに忙しいから……」
「聞いてるほうが悲しくなることしないでよ……」
陰の者にのみ伝わる由緒正しき技、悲しみイマジネーション。たぬき寝入り中に聞こえてきた会話に脳内で参加する離れ業だ。シミュレーション効果によりコミュ力が上がると言われている。
欠点は夢中になりやすいこと。あおいちゃんに話しかけられたけど気づかなかったみたい。
私が顔を上げると、ドン引きしてるあおいちゃんが気を取り直した。ひなたの方をうかがいながら、声を潜めて言う。
「夜景と登山を組み合わせることってできないかな?」
「ナイトハイクってこと? いいじゃん、やろう」
「俳句の話はしてないよ!」
「私だってしてないよ!」
水を得た魚。登山の話題で一気に目が覚めた。
態度からして、ひなたには知られたくないんだろう。ひなたはみおさんたちとの話に熱中してる。聞かれる心配はない。
「ナイトハイクは夜に登山すること。夜景見たくなったの?」
「あ、俳句ってハイクか。うん、ひなたに富士山のお土産もらったから、そのお返しにサプライズしたいなって」
ほとんど忘れてたけど、言われてみればあおいちゃんは富士山のぬいぐるみ受け取ってた。下山のとき子鹿みたいに膝震わせてたあおいちゃんに、ひなたが「よく頑張ったね!」って五合目で買ってあげたんだ。そのお返しにナイトハイクと。
いわく、何の変哲もない山を登ると見せかけて、山頂でどどーんと夜景を――ん? どっかで聞いたことあるな。
「どこかいい山ないかな?」
「筑波山とかいろんな意味で二人にお似合いだけど……無難に天覧山とか高雄山は?」
「それじゃ夜景があるってバレるじゃない!」
「えー、でもナイトハイクって暗いんだよ。道が見えにくくて迷いやすいし、行ったことある山の方がいいって」
「マヤちゃん、ガイドお願い」
「絶対ヤダ」
「なんでよ!?」
ナイトハイクなんて二度と行かない。特にこの季節には。だって山には特攻野郎があふれてるからね。
一度経験のためにナイトハイクに行ったら、ヘッドライトの光に寄ってくる羽虫が顔面に何度も特攻してきてすっごく不快だった。視界の隅に映った黒い岩陰をクマと見間違えて絶叫するし、案の定道に迷うし。
「嫌なものは嫌なんですぅー!」
「もう、何よ。いいもん、マヤちゃんいなくてもナイトハイクくらいできるわ」
「ってことは天覧山?」
「筑波山!」
えっ。
「私は日本一を制した山ガールなのよ。初めての山もきっと大丈夫!」
「は、はあ」
あおいちゃんは自信満々だ。胸の前で拳を握ってふんす、と気合を入れてる。
初めての山が不安でガタガタ震えてるよりかはいいメンタルだと思うけど、見てると私の方が不安になってきた。慣れたときが一番危ないって言うもの。
いや、筑波山なら大丈夫かな。たしか登山道がきれいに整備されてたし、岩場はあったけど観光名所じみた巨岩、奇岩が多かった。それに下山コースには登山の装備もそろえてないリア充どもだって――そうだ、これだけは念押ししとこう。
「あおいちゃん、筑波山は山頂もいいけど、もう一ついいスポットがあるんだよ」
「いいスポット?」
「そうそう。御幸ヶ原広場ってとこ。下りるときに二人で寄ってくといいよ。二人きりで、ね」
「そりゃ、ひなたと二人になるだろうけど。そこに何が――」
「二人とも、何話してるの?」
「ひえっ」
ポニテのみおさんが話しかけてきた! 声が裏返って視界が回る。あおいちゃんも「うえぇ!?」とテンパってて頼りにはできない。
「ど、同胞の約定を確かめておりました」
「同胞? 仲間ってこと? 何の?」
「忍びでござる」
「忍び、忍者かー。なに、二人とも忍者好きなの?」
「違うから! もう、マヤちゃんは何言い出すのよ!?」
陰の会話術なのだ。意味不明なことを言って無理やり会話を切ることができる。しかし類稀なるコミュ力オバケには普通に話題として利用される恐れがある。今のように。
「あばばば」
「壊れた!? しっかりして!」
「あはは、二人って面白いのね! あ、チャイム。また後でね」
チャイムと共にホームルームが始まり、コミュニケーションという名の果たし合いが終わる。
陽のエネルギーに焼かれた私が復活したのは、出欠確認で三回も呼ばれた後になるのだった。
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後日、私はスキップでもしそうなウキウキ気分で登校した。今日はあおいちゃんとひなたに褒められることが確定してるんだ。そう考えると足取りも軽くなるというもの。
理由は筑波山。二人は無事筑波山の女体山山頂に登り、ナイトハイクを成し遂げたらしい。昨日夜景の写真が送られてきた。インドア派のあおいちゃんも計画から実行まで一人で登山できるようになったのはすごいと思う。私の素晴らしい誘導により、御幸ヶ原広場でひなたとの仲も深まっただろう。
そう、御幸ヶ原広場はカップルの巣窟なんだ。一人で行くとすごく寂しいけど、あおいちゃんとひなたみたいなお似合いの二人が行けば、最高のデートスポットになったはず。二人の仲を進展させたキューピッドとして今日は褒められること間違いなしだ。
「おはよー」
「お、おはよう……」
「あれ、今日はちょっと声が大きいね。何かいいことあった?」
早朝の教室で机にひじ突きながらワクワクしてると、みおさんが入ってきた。続いてかすみさん、ゆりさんも。朝からハードな言葉のキャッチボールの予感。
あの日以来、みおさんは私とあおいちゃんによく声をかけてくるようになった。仲良しで席も近いかすみさんとゆりさんもいっしょに。話してるうちに三人で盛り上がり出して、私たち二人がフェードアウトするパターンが多い。
今はあおいちゃんがいないから三対一。難しくてもやるしかない。
「い、良いことをした。徳、積んだ」
「どういうこと?」
「あおひなは、いと尊し……世のため、人のため、あおひなを尊ぶべし……」
「ああ、あの二人仲良いよね。尊いっていうのは分かるな」
分かっちゃったよこの子。要領を得ない大暴投を難なくキャッチされた。みおさんが強すぎる。
「でも山本さんだって――」
「マヤぁ!」
「マヤちゃん!」
みおさんの言葉を遮るように、話題の二人が現れた。あおいちゃんとひなたが足並み揃えてズカズカと近づいてくる。えっ、なんか怒ってるんだけど。
「お、おはよう。御幸ヶ原で何かあった?」
「何もないよ! 言っとくけど、私とあおいはそういう関係じゃないから!」
「あくまでも幼馴染の親友でしかないんだからね! 勘違いしたらダメよ!」
あおいちゃん、本人の前で親友って言い切るんだ。ひなたもそれを聞いて特に恥ずかしがることはない。足並みが揃ってて息も合ってて、本音で言い合える二人の関係は、やはり尊い。筑波山は不発に終わったみたいだけど、これからもキューピッドさせてもらおう。
「うんうん、分かってるよ」
絶対分かってないでしょ、と口を揃えるあおひな。分かってるよ、二人の気持ちも、二人の仲に入り込む余地がないことも。だけど割り込むのが無理だとしても、外から応援して関わっていく分にはいいじゃない。私も二人のことは好きだから、いっしょにいたいんだ。
愛の名探偵こと私は分かってる分かってると繰り返しながら、あおひなの言葉を受け止める。しかしみおさんたちが「二人も苦労するわね」と言いながら私たちに呆れた視線を向けていた理由は、私の優れた頭脳でも分からないまま。
でも一つ分かったのは、あおいちゃんとひなたがいれば学校もあんまり苦じゃないってことだった。