山の頂にあるものは 作:息抜き用ID
カラオケボックスとは人の生み出したもっとも忌まわしい業の一つだ。
狭い空間に集団で入ることにより、互いのパーソナルスペースを殺す。来たからには何か歌わなきゃという集団心理がオンチにさえマイクを握らせ、微妙な空気を作り出す。まさに陰の者だけをピンポイントで狙い撃ちする非人道的兵器と言えよう。私の将来の夢はこの兵器を地球上から根絶する国際的組織を設立することかもしれないし、ないかもしんない。たぶんねーな。
「さ、次は山本さんだよ!」
「期待してる」
「山本さんって多芸だもんね!」
「あ、あはは……」
そんな、ぼっちだけを殺す箱であるカラオケボックスで、私はマイクを握っている。ニコニコ笑顔で見守ってくれてるのは、みおさん、かすみさん、ゆりさんの三人。あおいちゃんたちの姿はない。
すでに聞いたこともない曲の伴奏が流れ始めている。タブレット端末みたいな機械をいじってたら間違って曲を入れてしまったんだ。間違えました、やっぱ歌わないと言える空気じゃない。
今から私は、知らない仲ではないけどそこまで親しくない人たちにオンチを晒す。そうしてメンタルが破壊され死ぬのだろう。
嗚呼、死地に追い込まれるまでのいきさつが、走馬灯のように脳裏をよぎる――
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ことの起こりは昼休み、私が職員室に呼び出されたことだった。
「すみませんでした……この後すぐ返しにいくのでなにとぞ命だけは……」
「いやいや、そこまで謝らんでも。お昼を食べてからでいいからな」
「はい……」
一学期の初めに図書室で借りた本のことをすっかり忘れてて、早く返すように注意されたんだ。平身低頭謝りたおして担任の先生の苦笑に見送られ、職員室を出た。
教室に戻ってみると、あおいちゃんとひなたの姿はなかった。今日はかえでさんといっしょに四人で食べると言ってたのに、いない。
私忘れられたんだと絶望しかけたけど、よく考えればかえでさんは先輩だ。一年生の教室じゃなくて別の共用スペースで食べるはず。その場所のこと聞いてなかった、つまりぼっち飯確定。
ぼっち飯するくらいなら先に本返しに行く。道中でみんなに合流できるかもだし。そう考えて、かばんに入れっぱなしだった二冊の本、『剣岳点の記』と『サイレントブラッド』を取り出した。
前者は文章が難しくて途中で挫折、後者は読みやすかったけどひたすら怖かった。何が登山関連の本だよ、パニックホラーかミステリーじゃないか。もう図書委員さんの宣伝は聞かないもんね。
「あ、それ読んだことある」
「ホッ!?」
「ほ?」
表紙を眺めてたらいきなり声かけられて奇声が出た。こてん、と首をかしげるのはかすみさん。地味に中学で同じクラスだったこともあるメガネ美少女さんだ。
「面白いよね。中盤のどたばた感と終盤のしんみり感が好き。山本さんは?」
「わ、私は……クマさん、すごいと思いました」
「そっか。じゃ、今度『羆嵐』とかどう? クマさん、出てくるよ」
「ま、前向きに検討させていただきます」
「うん」
「……」
ぼーっと眠たげな瞳を向けてくるかすみさん。何この冬眠し損ねたクマさんみたいなプレッシャー。動けないんですけど。
しばしのにらみ合いの後、かすみさんがぽつりと言う。
「今日、一人?」
「えっ」
「お昼、一人?」
「はあ。そうなります」
「じゃ、いっしょに食べよ」
見た目によらずグイグイ来なさる。
かすみさんが指さした先には、席をくっつけてお弁当を食べながら、物珍しそうにこちらを見るみおさんとゆりさんの姿があった。私と目が合うと、にっこり笑って手招きしてくれる。
教室でのぼっち飯と、付き合いの浅い人たちとのお昼――以前の私なら迷うことなくぼっちロードを選んでいただろう。
でもそれじゃいつまで経っても変わらない。苦手なものに挑戦してこそ成長があるんだって、あおいちゃんが示してくれたじゃないか。
自分から声をかけるという一番高いハードルはすでにない。ここで挑戦しなければいつやるのか。
「かすみ、それから山本さんもおかえりー」
「何の呼び出しだったの?」
「か、借りた本早く返せと」
「ああー、あるある。いつでも返せるって思ったらつい先延ばしにしちゃうよね」
分かるー、と相槌を打つゆりさん。かすみさんがしずしずと座る隣に、さりげなく私も着席する。
お弁当箱を机の上に置くと、三人はわずかに目を見開いた。
「お弁当派になったの?」
「一学期は菓子パンばっかり食べてたよね」
「じ、自炊しろと脅されたので」
「脅された? ていうか自炊ってことは自分で作ってるの!?」
「は、はい一応」
「「すごーい!」」
「……すごい」
そうでしょうとも。かえでさんに弱みを握られて嫌々初めた自炊だけど、やってるうちに楽しくなって女子力がどんどんついた。お弁当の出来栄えにも自信がある。
というか、お昼が菓子パンだけだったのよく知ってるなあ。コミュ力のある人って観察力もすごいよね。
えっへん、と胸を張ってると、かすみさんが「あれ? でも」と何かを思い出したよう。
「中学のとき調理実習ですごいことになってなかった? たしか――」
「あーっ!? お口チャック! あのときの私はもう死んだ!」
なんたって高校生になってから何度も辞世の句を詠んでるからね。指を切るどころか野菜でいっぱいのボウルをひっくり返したり、肉じゃが作りで火災報知器を鳴らした私はもういない。生まれ変わったんだ。
というかなんで恥ずかしいところだけ覚えてるかな、このメガネさん。
慌ててかすみさんの口をふさぐと、みおさんとゆりさんは唖然とする。しばらく後、おかしそうに噴き出した。
「ふふっ。山本さんってやっぱり面白いとこあるわね」
「ほんと、ひなたちゃんが言ってた通り」
「あの脳内晴天ガールの戯れ言は聞き流してね」
あやつめ、何か入れ知恵しおったか。私の情報を売ってどうするつもりだ。
警戒心を強めていると、みおさんたちは顔を見合わせてまたクスクス笑い出す。バカにされてる感じはしないけど、どこか釈然としない。
そうしておしゃべりしていると、出し抜けにみおさんが言ったんだ。
『放課後遊びに行くんだけど、よかったら山本さんも行かない?』
このときは遊びの内容が邪悪なる死の合唱ボックスとは分からなくて。みおさんにリードされる形ではあってもそこそこ会話が成立した慢心もあって。行きますと即答しちゃった。
放課後にカラオケボックスと明かされたときには衝撃のあまり吐血。足つったフリと同等のよろけっぷりを披露しつつ、あおいちゃんとひなたに助けを求めた。どうかついてきてくださいと。
だがヤツらは無情だった。
『カラオケ? でもかえでさんとの約束が……何よひなた?』
『ちょっと耳貸して』
ひなたがごにょごにょと耳打ちしたかと思うと、あおいちゃんは「ごめーん、放課後かえでさんと山道具見に行くのー」と満面の笑み。なんなのさ。耳打ちを盗み聞きしても「オシテダメナラー」「一理あるわね」としか聞こえなかったし。ダメナラーてどこの偉人よ。
一度行くと言った以上行かないわけにはいかず。
私はメンタル拷問ボックスに連れられてゆくのだった――
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十。
それがモニターに表示された私の歌唱の点数だ。百点満点中の十点。回想しているうちに歌い終わっていたようだ。
みおさんとゆりさんは苦笑。かすみさんは無表情。空気は、死んでいた。そして私も今から死ぬ。
「ふっ……」
みんなが温めた空気を瞬時に死なせるこの陰パワー。これこそ私の必殺技だ。空気と私のメンタルの両方を必ず殺すの意である。
そんな必殺技いらなかったよ。クレバスがあったら入りたい。存在してごめんなさい。
「はい、最下位確定! 山本さんは罰ゲームね!」
「わー!」
「わー」
「わー、って。えっ?」
もう笑うしかねえと開き直って不敵に笑っていると、みおさんが変なことを言い出した。棒読みでノッてるかすみさんがシュール。罰ゲームとは?
「最下位の人は一位の人の言うこと、何でも聞いてもらいます!」
「初耳なんですけど!?」
「ぼーっとしてたから聞き逃したんじゃない?」
かすみさんの言う通り人生に絶望してぼーっとはしてたけど、ほんとに言ってた? 今テキトーに決めたんじゃ――と考えているうちに、みおさんが動いた。
一瞬の早業。
ボックス内に転がっていたネコミミカチューシャを私の頭につける。
ご丁寧に前髪をかきあげる形で。
「ぐああっ!?」
「そのネコミミ帰るまで外しちゃダメだよ!」
「鬼、悪魔、コミュ力オバケ!」
「おお、ほんとに雰囲気変わった」
「ひなたちゃんの言った通り」
またひなたの入れ知恵か! これほど陽キャ濃度の高い空間で前髪バリアを外せば再起不能になる恐れもあるというのに。ゴキのときといい、やはりひなたは我が敵なのか。
が、おかしい。
恥ずかしいことは恥ずかしいけど、ボックスを飛び出してお家でふて寝する気にはならない。それはみおさんたちが優しい笑顔で見てくれてるからか、私が自分を晒すのに慣れたからか。
分からない。
でも思ってたほど恥ずかしくはない。空気も生き返った。まだ誰も次の曲を入れてない。ならばやることは一つしかないだろう。
「山本マヤ、歌います。『翼をください』――」
歌で失った信頼は歌で取り戻す。それこそが私のロックンロールなのだ。曲名を聞いたみおさんが「歌うの!?」と慌てて曲を入れてくれた。恩に切るぜ相棒。
お礼に必殺のアルピニスト歌唱法を見せてくれよう。三千メートル級の霊峰で培った我が肺活量と声量に震えるがいい――!
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「採点は、所詮ポンコツ機械なり。我が声解す、はずもなきかな……」
「あっ、辞世の句」
「いじけると詠みだすってほんとだったんだ」
「……季語は?」
三十。計三度歌い直した私の最終スコアだ。
まあ採点が機械だから、山で鍛えられた私の歌唱センスを理解できなかったに違いない。だから別に悔しくないし。上を向いて歩くのは夕暮れ空がきれいだからってだけだし。目元からは何もこぼれない。
「でもすごいね、山本さん。最初の十点は声が小さかっただけとしても」
「あんなに大声で歌ってあの点数なんて」
「言わないでよ泣くよ!?」
「ねえ、季語は?」
「知らないよ、マイペースか!」
この子ら遠慮なしにいじってきやがる。やめてよ、マイクが音拾ってるのにあの点数なんてまるで私がオンチみたいじゃない。あとかすみさんはマイペース過ぎ。
その後も散々点数と、キャラの変わりようについていじられた。キャラ変わってるのは仕方ない。だってこの三人思った以上に性格が濃くて、前髪バリアが逆に相性悪いんだもの。素の状態で話す方が楽。
「だから私はオンチじゃない。悪いのは全部あの機械で――」
「分かった分かった。でも正直、少しほっとした。二人もそうじゃない?」
不名誉な誤解を解こうとしてると、みおさんが変なことを言い出した。ゆりさんとかすみさんもそれぞれうなずいてる。何の話だろう。
「山本さんって何でもできる子でしょ?」
「は?」
「勉強できて、体育も球技以外すごく得意で、先生にも気に入られてて。ひなたに聞くまでは、話しかけにくい完璧超人って感じだった」
「でも、ふふっ、さっきの歌みたいに、っふふ、できないこともある普通の子って、ふふふ」
「ゆりさんは笑うのやめて! いいかげん傷つく!」
ツボに入ってるな、ゆりさん。
さておき、高校の私ってそんな認識だったんだ。勉強も体育もできるというか、それ以外のステータスがなくてとりあえずキープしてただけなんだけどな。何でもできる孤高の完璧超人か。
最高じゃん。維持しよ。
「何でもできるよ。勉強も歌も楽勝だよ」
「もう手遅れだと思う」
ばっさり言い放つかすみさん。いやいや、諦めるのはまだ早い。幸いあおいちゃんとひなた、みおさんたち三人組以外にとって私はまだ孤高の完璧さんのはず。どうせならそのイメージを貫きたい――
「ひなたちゃんが色んな話バラまいてるから」
「あの女ァ!」
今度会ったらただじゃおかない。
あ、でもひなたがそうしてくれたから、今日みおさんたちと仲良くなれたのか。それならまあ、何が目的かは知らないけど勘弁してやるか。私は優しいんだ。
その後、オレンジに染まる飯能の町を四人で歩いた。
宝石箱みたいにきれいな、スカイデッキからの夜景。富士山で見た御来光。脳内会話通りには行かなかったけど、話そうと思ってたことをたくさん話せた。
あおいちゃんと登ったことを話せば、今度遊びに誘ってみようとみおさん。私よりも激しく焦るあおいちゃんが目に見える。ぜひお願いしたい。
そうして何か忘れてるような感覚を気にせず、帰宅したのだった。
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「山本ォ……」
「まことに申し訳ございませんっ!」
翌日の朝、担任の先生にすごまれた私は全力ダッシュで図書室に駆け込んだ。
本、忘れてた。