山の頂にあるものは 作:息抜き用ID
かすみさんとは中学で三年通して同じクラスだった。
ふわふわしたくせっ毛、眠たげな目つきとメガネ、おっとりした雰囲気からして最初は同胞かと思ったものの、その実クラスの誰とでもいつの間にか仲良くなれるコミュ猛者だ。
そんな彼女に本をおすすめされたら、気になるのが人情。もしかすると読書歴からコミュ力の秘密を探れるかもしれないし、話の種になるかもしれない。だからこの前本を返しに行ったついでにかすみさんおすすめの本を借りて、読んだ。
後悔した。
「かすみさんコラぁ!」
「おはよう」
「あ、はいおはようございます。じゃない!」
登校して朝イチでかすみさんの座席に直行すると冷静にあいさつされる。いっしょにいたみおさんとゆりさんにもあいさつ。
それから徹夜で読了した貸本をかすみさんに突きつけた。
「これ読んだ! 怖かった!」
「そうなんだ。でも面白かったでしょ?」
「夜通し読んじゃうくらいには!」
気に入ってもらえてよかった、と微笑むかすみさん。くっ、そんな顔されてもすごく怖い思いしたことは変わらないんだから。どこが登山関連の本だよ、山を舞台にしたモンスターパニックものじゃんか。しかもノンフィクション。先が気になってつい読んじゃったけども。
「なになに、何の話?」
「二人ともいつの間にか仲良しだねー」
勢いのままかすみさんと感想を語り合って。話が気になったみおさんとかすみさんが入ってきて。四人でワイワイやってるとチャイムが鳴り、ホームルームが始まった。
ちなみにお話している間、あおいちゃんとひなたの方から「何が押してダメならよ! めちゃくちゃ仲良くなってるじゃない!」「マヤがあそこまでチョロいなんて知らなかったんだよ!」と言い争う声が聞こえた。途切れ途切れだったけど一つ文句を言わせてもらうと、私はチョロい女ではないのだ。少し優しくされただけで心を開くようなことはない。その点、ひなたは勘違いしないでほしいのだ。
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市街地に隣接する天覧山、その先の多峯主山は飯能ではおなじみのハイキングコースだ。さらに北西方面へ足を伸ばすと、飯能アルプスと呼ばれる連峰を楽しむことができる。
今日はその連峰の一角である天覚山と大高山に登る。いつものメンバーは都合がつかなかったので、私とあおいちゃんの二人だけだ。
今は飯能駅から東吾野駅に移動、天覚山への道中を歩いている。
「何か視線を感じるような……」
「こそこそっ」
あおいちゃんが振り返る。私はこそこそという言霊でカモフラ率を高めた。すぐに「気のせいかな」と再びあおいちゃんが歩き出し、ストーキングを再開する。
あおいちゃんと二人きりといっても同行はしておらず、尾行中。バイト先の先輩に貸してもらった迷彩服と帽子を装備しているので、緑豊かな道中のみならず山中でも風景に溶け込める。距離を維持していればバレることはないだろう。
なぜこんな忍びのマネごとをしているかというと、あおいちゃんの慢心が原因だ。
『登山靴も買ったし、どんどん登るわよ! エベレスト! K2! 北岳剣岳ジャンダルム!』
『待った! 登山は自分の技術と体力をきちんと考えた上で――』
『へーきへーき、私は日本一の女なのよ!』
富士山だけでなく約束の谷川岳まで制したことで、あおいちゃんは悪い方向に自信をつけてしまったみたい。グレーディング表の技術的難易度DからEの山ばっかり目指すようになっちゃった。
このまま調子に乗って冬になれば一人で雪山登山までしちゃうかも。その前に一度痛い目見てもらって、初心を思い出してもらおう。
ということでオススメしたのが飯能アルプスだった。
天覚山と大高山は低山の割に、景色の変わらない道中、分かりにくい登山道などのしんどい要素が詰まってる。今のあおいちゃんならたぶん、天覚山の山頂でリタイアするくらいの難易度だと思う。
後ろからコソコソついていくと、あおいちゃんは弾むような足取りで登山口に入っていく。
「ゆっくり歩いたり、速く歩いたり、全部自分の思い通り。この山全部、私のもの!」
はしゃいでるなあ。独り言がすごい。いい感じの枝を拾って、どうするの? あ、ぶんぶん振り回しながら、大きな声で歌い出した。セミのいなくなった静かな秋口の山中に、あおいちゃんのキレイな歌声が響く。
するとコースの分岐にさしかかる。
「沢筋コースと尾根コース。尾根は谷川岳で歩いたし、沢筋コースにしよっかな」
幸い、難易度の低い沢筋を選択。
しかしはしゃぎすぎたのか、少しずつ歌声から力が抜けていき――
「疲れた……楽しくない……」
天覚山山頂のベンチでぐったり横になっていた。
もう帰ろうかな、とぼやくあおいちゃんは山頂からの景色を眺める余裕もないようだ。さすがにこれだけ疲れたなら、登山のしんどさも思い出したはず。
そう思って木陰から出ていこうとした私だったけど、
「わっ!」
「!?!?」
突如耳元で響いた美声に腰が抜けた。
声にならない悲鳴をあげて振り返る。
そこに居たのはここなちゃんだった。悪い天使のようにクスクス笑いながら手を差し伸べてくれる。
「驚きました?」
「ぜ、全然。それより奇遇だね」
しかし手はとらない。腰抜けて立てないのバレたら年上の威厳が死ぬ。
話を変えると、「カモシカさんに会いにきたんです」とのこと。相変わらず動物好きだな。
「マヤさんは何してるんですか? 隠れてるみたいですけど」
「ん、あそこ見てみ」
「あっ、あおいさん!?」
かくかくしかじか。
「そうですか、あおいさんが自信をつけすぎちゃったんですね。だからって隠れることはないんじゃ?」
「いっしょに登ったらペース作っちゃうと思ってさ」
「ああ、富士山のときみたいに――」
「えっ」
「い、いえ何でもないです! えっと、心配だから私が声かけてきますね!」
まるで富士山でペースを作るための演技をしたことがバレてるような発言だったけど、聞き間違いだったみたい。ここなちゃんは木陰から出て、あおいちゃんに声をかけに行った。
二人は二三言葉を交わすと、大高山まで登ることに。ここなちゃんは一度私の方にいたずらっぽい笑みを向け、あおいちゃんと共に山道へ姿を消した。
「ちょっ、動けないんですけど!」
そして後に残ったのは、まだ腰が抜けて動けない私だけ。
動けるようになったころにはもう二人とは大分引き離されてて、すごすご下山して帰った。最近いいことが多かったから、その揺り返しが来てるのかな。
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揺り返しというより、登山にたとえた方が分かりやすいかもしれない。登山道はふとしたとき険しくなったり、緩やかになったり、下り坂になったりする。でも山頂を目指すなら、下りの後にまた登らなきゃいけない。長い休憩をとったなら、その分急ぐ必要がある。
きっと高校に入ってからの生活は、下りでも平坦な道でもない、休憩ポイントだったんだろう。
飯能に帰り着いたとき、傾いた日が空をオレンジに染めていた。
遠回りして飯能河原の赤とんぼを見ていく。うだるような夏の暑さはとうに過ぎ去り、涼しい秋の風が心地よかった。
でもアパートに着いたとたん、嫌な汗が出る。
私の部屋の前に、二人の男女が立っていた。
一人は白髪を短く刈り込んだおじいさん。
もう一人は身なりのいい女の人。私に似て身長は低く、胸も薄い。たぶん私がやせてる原因は食生活じゃなくて遺伝なんだろうな。
「――お母さん」
お墓の手入れしてくれる人は、お母さん以外いないと思った。
私を捨ててもお父さんのことは大切にしてくれてると思った。
私のことが嫌いでもいつか会いに来てくれるかもと、思った。
だけど早すぎるよ。心の準備ができてない。どんな顔して会えばいいのか、分からない。
頭が真っ白になってる間に、お母さんが振り返る。
目が合った瞬間、私の人生登山における最大の難所が始まった気がした。