山の頂にあるものは   作:息抜き用ID

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第25話

 唇に柔らかく、温かい感触。もちっとしたお饅頭みたいに、甘い味がした。

 

 お菓子を食べる夢でも見てたのかな。そう思い、寝ぼけ眼を開いてみると、

 

「おはよー、ひなた」

「……お、おはよう」

 

 ほっぺを赤く染めたひながいた。あくびでもしたのか、潤んだ目元が色っぽい。私の顔の横に両腕をついていて、覆いかぶさるようにしていたのが分かった。こいつ、人の寝顔まじまじと見てたんか。

 

 慌てて起き上がるとひなたはさっとどいた。目覚し時計は午前五時前を指しており、五時のアラームより早く起きたようだ。私より先に起きていたひなたは、いつから起きてたんだろ。

 

「ちゃんと寝た?」

「……なんでそんなこと聞くの?」

「寝不足は登山の敵だから」

 

 そう、今日はいつものメンバーで登山に行く。それも縦走だ。

 

 季節は秋、十月半ば。前回あおいちゃんの天覚山についていってから色々なことがあったけど、靄がかかったように曖昧だ。夢を見ている間のような不鮮明で不自由な感覚が、起きているときもずっと続いていた。

 

 みおさんたちとまたカラオケに行った。今度はあおいちゃんとひなたもいっしょだったけど、「オンチ過ぎ!」と口を揃えて爆笑された。やかましいわ。

 

 ほのかの案内で、群馬の観光スポットに遊びに行った。伊香保温泉は気持ちよかった。でもほのかが無言かつ頻繁に裸のスキンシップとろうとしてくるのは身の危険を感じた。

 

 そしてまたみおさんたちと、今度はあおいちゃんを連れて池袋まで遊びに行って――そしたらひなたが拗ねた。

 

 伊香保温泉と池袋はひなたの都合がつかなかったのだけど、あおいちゃんに対してどこかそっけない態度をとるようになった。

 

『池袋、どうだった?』

『楽しかったよー。プラネタリウムがすごくキレイだった。クレープもおいしかったな。三十分も並んだんだよ!』

『ふーん』

『……ひなたは映画、楽しかった?』

『うん。お母さんも喜んでた』

『そっか……』

 

 私はというと、妙にぎくしゃくした二人の間で彫像のごとく固まってた。二人が気まずくなると元々仲良しな分すごくきつい。

 

 生活が激変して現実味を失ってた私に仲裁とか橋渡しをやる元気はなく、気まずい二人はずっと続いてる。

 

 今回の縦走はその気まずさを打開してくれそうだ。

 

 瑞牆山と金峰山の縦走。どちらも標高、累積標高ともに高く、道中の難易度もそこそこ。険しい道のりをともに乗り越えればきっと元の二人に戻るはず。

 

 とりあえず起きて出発の準備をしよう。

 

「ごめんね。無理言っちゃって」

「はい?」

 

 そうして立ち上がろうとすると、ひなたが急に謝りだす。

 

「知ってるよ。あおいとここなちゃんにも誘われてたんでしょ。あおいの家に泊まるって」

「ん、まあね。でも先に誘ってくれたのはひなただし」

「……無理、させちゃったよね。私といるより二人といた方が――」

「ネガティブスパイラルっ!」

「ふぇ?」

 

 ひなたはあおいちゃん欠乏症で後ろ向きになってるらしい。一喝してやった。

 

「あおいちゃんが構ってくれないからっていじけすぎ! 本妻はもっとどっしり構えてなよ!」

「べ、別にそういう訳じゃないよ!」

「いいや、そういう訳だ。だって私だってそうだもん!」

「え?」

「友だちが他の子と仲良くしてたら寂しいよ。でもひなたはあおいちゃんの特別じゃんか。他の誰よりも思い合ってる特別同士。いじけてもいじけなくてもそれは変わらないでしょ」

 

 だから拗ねる必要なんてないんだ、と締めくくると。

 

 ひなたはしばらくぽかんと呆けてから、わたわたと慌てだした。

 

「た、たしかにあおいは大切だけど、大親友だけど! 特別っていうのは違うよ! 私にとっての特別は――」

 

 何かを言いかけたその瞬間。

 

 カチリと何かが噛み合う音とともに、大音量のアラームが鳴り響く。

 

「うるさっ!?」

 

 目覚し時計をひなたがタップするとともに、今度こそ私は起き上がる。いつまでもベッドの上でおしゃべりしてたら二度寝しそうだからね。

 

 顔洗ってご飯食べて、その他色々準備して。

 

 瑞牆山と金峰山目指し、いざ出発。

 

 

 

---

 

 

 

 今回の山行は山に着く前から難所が用意されていた。

 

 東飯能駅に六時集合だったのだけど、あおいちゃんとここなちゃんが遅刻したんだ。電車には間に合ったものの、張り切っていたひなたは水が差された気になったのかご機嫌ななめ。電車内での空気は最悪になっちゃった。

 

「なんで時間ギリギリなのよ。電車に間に合わなかったらどうするつもりだったの?」

「「ごめんなさい……」」

「ここなちゃんまでどうしたの?」

 

 しょぼくれる二人にかえでさんが聞いた。たしかに基本何でもできるしっかり者のここなちゃんまで寝坊するのは解せない。

 

「山で食べるご飯を準備してたら遅くなってしまって……」

「かえでさんには計画立ててもらって、ひなたにはテント準備してもらったから、何かしなきゃって二人で……」

 

 ひなたの雰囲気が剣呑になった。ムカムカしたオーラがにじみ出てるみたい。ニブい私だけどひなたが反応したワードが「二人で」ってことは分かった。ひなたは心根の部分が私の同胞だから、割と気持ちは分かりやすい。

 

 分かったからには止めさせてもらう。

 

「だからって――」

「ははーん、遅刻するくらいこだわった山ごはんか」

 

 だからって遅れてもいい理由にはならないよ、って言うつもりだったんだろうな。いいやひなた、おいしいご飯は十分遅れてもいい理由になると思う。

 

「あおいちゃんはともかくここなちゃんまで寝坊するレベルにこだわったってことは、相当豪華なごはんってことだよね?」

「ちょ、私はともかくってどういうこと!?」

「はい! きっとみなさん気に入ると思います!」

「それは楽しみね! ね、ひなたちゃん!」

「えっ、あ、はい……んもう、これでおいしくなかったら承知しないんだからね!」

 

 私の上げたハードルは、ここなちゃんがあっさり飛び越えていった。

 

 ひなたもそこまで良いご飯を食べられるなら、と矛を収めたようだ。むっつり口を尖らせてるけどムカムカオーラはなくなった。

 

 って、なぜそこで私を見るんだかえでさん?

 

「ねえ、今気づいたんだけど。マヤちゃんって今回何もしてなくない?」

「あっ……」

 

 空気が凍る。

 

 言っちゃった、みたいな目でみんなが私に注目。計画を立てたかえでさん、ごはんを用意したあおいちゃんとここなちゃん、テントを用意したひなたの視線が痛いぜ。

 

 その通り私は何も貢献していない。

 

 考えないようにしてきた現実を突きつけられた私の体は、勝手に動いていた。座席から立ち上がって隣の車両へ。

 

「帰ります……」

「わーっ! 冗談、冗談だから!」

「マヤさんはいるだけで楽しい人ですから! 大丈夫ですから!」

 

 ほんと? 私なんてホントはいないほうがいいんじゃないの? みんなも陰では要らない子とか言ってるんじゃないの?

 

 ……ダメだ、ネガティブになってる。かえでさんの膝の上で宥められてるうちに正気が戻ってきた。最近色々ありすぎて冗談が分からなくなってるんだな。ひなたのこと笑えないや。

 

 ちょっとぎこちない空気にはなったけど、それ以降大きなトラブルはなく。乗り換え一回を経て、目的の駅に着いた。

 

 

 

---

 

 

 

 韮崎駅から片道のバスに乗り、瑞牆山の登山口へ移動。瑞牆山荘前から徒歩で五十分かけ富士見平小屋へ向かう。道中は紅葉の赤と落ち葉の褐色で染められていて、深まる秋の色彩がたくさん楽しめた。

 

 富士見平小屋では富士山ビュースポットなる看板があり、そこからは名前の通り富士山が望めた。あおいちゃんは「あそこに登ってきたんだ」と感慨深そう。

 

 小屋のポストに登山届を提出し、テン場にテントをたてる。この頃にはひなたもすっかり調子を取り戻していた。

 

「テントたてるの久しぶりだねー。あおい、たて方覚えてる?」

「覚えてるわよ。ええとまずはこれとこれを下に敷いて、風向きを気にしながら――」

「あおいさんすごいですー」

 

 設営を手伝いながら、私は胸をなでおろす。もし何かの間違いでギスギスした空気になってたら私のメンタルが死ぬところだった。

 

 ただ、私以外の四人が時折何かを思い出したかのように、四人集まってひそひそ話してるのは気になった。しかもチラチラ私の方を見てくる。分かってるよ、つまりこれは――

 

「陰口叩かれたので帰ります……」

「わーっ! だから違うってば!」

 

 くっ、ナデナデしたりハグしたりで私がごまかされると思うなよ。十七歳の女子高生がその程度でなびくわけ……いやいや、四人で話したいときだってあるさ。それにみんなに限って私の悪口は言わないはず。気にせずいこう。別になびいたわけじゃないけど。

 

 テント設営が終わり次第、瑞牆山に出発。道中は見晴らしが良く、富士山のみならず明日登る金峰山、その他奥秩父の山々が見渡せた。

 

 一つ目のスポット、桃太郎岩にたどり着く。家一軒分はありそうな大岩が二つに割れたものだ。

 

「桃太郎岩?」

「たしかに桃に見えますー」

「これは本当の桃だよ。太古の巨大桃が化石化してこうなったんだ。中から巨人桃太郎が生まれた痕跡も発見されてる」

「そうなんですか!?」

「マヤちゃん、なんでそんな噓つくの?」

 

 かえでさんのジト目が痛い。「噓なの!?」「噓なんですか!?」とあおひな、ここなちゃんが驚いてる。

 

 私思ったんだ、中途半端な知識でツッコまれるくらいなら最初から噓でいいやって。

 

 開き直ったらみんな呆れ顔で、かえでさんはジト目のまま「嘘つき」と言って私のほっぺを引っ張った。少し痛い。

 

 道が少しずつ険しくなってきた。

 

 岩場もあって難易度はちょうどいい。ただし岩場のアップダウンと下りが多い山道が連続するので、油断するとヒザを痛めそうだ。先頭を行くかえでさんのルート選択が重要になるだろう。

 

 任せましたぜ、かえでさん――

 

「今からあおいちゃんが先頭歩こっか」

「え?」

「えーっ!?」

 

 言ったそば、いやさ思ったそばから!? みんなのペースを作って、どのコースが歩きやすいか考えながら歩いてね、って。

 

「責任重大だね。あおいにはまだ早いんじゃない?」

「む、そんなことないわよ。見てなさい」

 

 あおいちゃんは登山を初めてまだ半年しか経ってない。どう考えても無茶ぶりだ――と思ったけど、ひなたの激励がきいたのかな。

 

 岩場は近道じゃなく遠回りでも登りやすいコースを。足元の不安定な沢筋ではきちんと事前の声かけを。模範的なペースメーカーの姿がそこにあった。

 

 適時休憩を挟みつつ、何事もなく山頂に到着。

 

 切り立った岩の上に立つと心地よい風が吹き抜けていく。三六〇度に広がる絶景。携帯コンロで沸かしたお湯で、ティータイムを楽しむ。

 

「山頂で飲むお茶は格別ねー」

「はい、疲れた体にしみます!」

「あおいやるじゃん! すっごく歩きやすかったよ!」

「そ、そうかな? えへへ……」

 

 みんなも楽しそう。

 

 かえでさんにとっては受験勉強の合間の息抜き登山。私の名前を出して発破をかけるゆうかさんの指導により、志望大学の模試判定は軒並みAだったらしいけど、気を抜かないためこの登山を機にしばらく山から離れるそうだ。お茶の味は格別だろう。ここなちゃんは、まあいつもどおり良い笑顔だ。

 

 あおいちゃんとひなたも笑顔。ひなたはあおいちゃんの成長が少し寂しいみたいだけど、そこは慣れるしかない。誰だって成長するんだから。

 

 誰だって。

 

 ざり、と隣から音。見上げると、かえでさんだった。

 

 ヒザを抱える私の隣に、座る。

 

「どう? 元気出た?」

「私はいつでも元気いっぱいですとも」

「茶化さない。ずっとふさぎ込んでるの、知ってるんだから」

 

 いつもにこやかで余裕のあるかえでさんの声が、一段低くなる。

 

 寂しそうな瞳がメガネの奥から覗いていた。背後からは視線と聞き耳を感じる。

 

「言ってどうにかなることじゃなくても、言葉にすれば楽になるかもしれないわよ?」

「言葉にできません。何に悩んでるのか、苦しいのか。自分でも分かんないんです。だから……すみません」

「謝るところじゃないでしょ、もう」

 

 結局、みんなにはバレバレだったわけだ。最近生きることに現実味がないこと、フワフワしてること。まったく、ゴキブリ騒ぎのときといい食生活の件といい、心配かけてばっかりじゃないか。こんなだから私はダメなんだよ。

 

 ってまたネガティブになってるし!

 

「さ、そろそろ下りましょう! 秋の日はだるま落とし!」

「……釣瓶落としね」

「そうとも言う! ほらみんなもなに辛気臭い顔してんの!」

 

 ほらほら、とみんなを急かす。かえでさんは「待って待って、マヤちゃん先頭だと悲惨なことになるから」だって。失敬な。私は初見の道に弱いだけで、さっき通ってきた道くらいはさすがに覚えて……あれ?

 

「そっちは道じゃなーい!」

「一本道をなんで間違えんの!?」

「さすがマヤちゃん、やるわね」

「マヤさんらしいですー!」

 

 らしいと言われても全然うれしくないわ!

 

 

 

---

 

 

 

 下山後のテン場で出されたのはあおいちゃんとここなちゃんの自信作、トマトクリーム鍋。さっぱりしたトマトの酸味とクリームのまろやかさが絶妙な味を出してた。具材がなくなってからはごはんを入れてトマトソースのリゾットに。量も味も文句なしだ。

 

 夜はみんなで星見て、明日に備えて早く寝て。朝の目覚ましはかえでさんの裏拳。寝相悪いんだよねこの人。

 

 金峰山もサクサク登った。途中、ひなたがヒザを気にするような素振りを見せてたけど、ストレッチと適宜休憩で乗り切り、登頂下山を果たす。

 

 楽しかったけれど、その間も現実感がない。まるでドラマの回想シーンみたいに白く霞みがかってて、他人事みたいだった。

 

 たとえ他人事でも楽しいみんなが見られたならいい。

 

 そう開き直ったのが悪かったのかもしれない。

 

 帰りの電車の車中。東飯能駅まであと一駅のときだった。

 

 ほのかに山行中の写真でも送りつけてやろうとスマホを取り出したんだ。山中はどうせ電波がないからと触りもしなかった。

 

 電源を入れてホーム画面へ。

 

「マヤ?」

 

 ひなたの声が遠くで聞こえた。

 

 スマホってよく出来てる。電話やメールがあれば分かりやすいアイコンですぐに分かるようにできてるんだ。ご丁寧に誰から何件あったのかまで。

 

『着信2:お母さん』

『メール1:お母さん』

 

 現実感が戻ってきた。

 

 訳の分からない現実が。帰ってきたお母さんといっしょに暮らすことになったっていう現実と、そのことをなぜか受け入れられない私っていう現実が、戻ってきたんだ。

 

「マヤ――!?」

 

 そうと分かった瞬間に、私は走り出していた。電車を飛び出し駅を出て、迫る現実から逃げ出して。

 

 ただがむしゃらに、駆け回る。

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