山の頂にあるものは   作:息抜き用ID

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最終話

 走って走って、気づけばたどり着いていたのは天覧山だった。時間も時間だからか、真っ暗な展望台には誰もいない。

 

 いるのは泥と擦り傷だらけになった汚い私だけだ。ハイキングコースとはいえ下界よりも悪い足場を、ヘッドライトもつけず走り抜ければ傷だらけになって当然。

 

「……このっ。嫌いだ、嫌いだ!」

 

 もういっそ、この傷が広がって死んじゃえばいいのに。

 

 コンクリートの手すりを力いっぱい殴りつける。鋭いのと鈍いのと、二種類の痛み。新しい擦り傷とアザでもできたのかな。

 

 その調子だ。最低で意気地なしの私でも、痛い思いをたくさんすれば、誰かが許してくれるから。生きてもいいと、言ってくれるかもだから。

 

 こぶしといっしょに額を地面に叩きつける。鈍痛が現実味を強めるものの、視界を塞ぐどろりとした赤でまたぼんやりに戻る。傍から見れば土下座してるみたいだろう。

 

 みじめだ。みじめな私が大嫌いだ。

 

 大嫌いなのに、まだ誰かに許してほしいと考える、未練タラタラなところも。現実から目をそらしてきたのは私なのに、いつまでも受け入れられない自業自得なところも。何もかもが大嫌いだ。

 

「マヤっ! 見つけた!」

「な、何してるの!? 血が――」

 

 のたうち回る私の体が、誰かに抱き寄せられる。

 

 ヘッドライトを装備した、ひなたとあおいちゃんだった。肩で激しく息をしながら、悲痛な表情をしてる。

 

 友だちにこんな顔をさせるところも大嫌いだ。

 

「と、とにかく血を止めなきゃ!」

 

 ザックから救急キットを取り出したあおいちゃんが、ガーゼと包帯で処置してくれた。勝手に動こうとする両のこぶしは、ひなたに強く抑えられてる。

 

 登山装備のままだから、二人とも駅から直接探しに来てくれたんだろう。疲れた体を引きずって。そんな迷惑をかけるところが――

 

「いい加減にして!」

 

 処置が終わったとたん、ひなたの怒声が響く。

 

 赤い靄の向こうに、まっすぐな瞳が見える。

 

「悩んでるなら相談してよ! 私がどうにかできるかは分からないけど――ううん、絶対、何が何でもどうにかしてみせるから!」

「……」

「マヤちゃん。これ、見たよ」

 

 あおいちゃんが取り出したのは私のスマホだ。放り出してきたみたい。

 

「お母さんが帰ってきたんでしょ? それでひどいこと言われたんじゃない?」

「そういうことか……なんでよ、勝手にマヤを置いてけぼりにして、帰ってきたら悪口言うの? そんな人お母さんなんかじゃない! 私がやっつけて――」

「違う」

 

 違うんだ。お母さんは悪くない。悪いのは全部私だったんだ。

 

「お母さんは、私を捨てたんじゃなかったの」

 

 

 

---

 

 

 

 お父さんとお母さんは、どっちもお金持ちな家の出身だった。

 

 どっちも許嫁を用意されてる身分だったけど、出会ってからすぐ両想いになって。大学時代に私をこさえたら、許嫁なんて放って二人で駆け落ちしたんだって。

 

 だから大好き同士で仲良しだった。私が生まれるまでは。

 

 体の弱いお母さんはお父さんの登山に付き合えなかったんだ。でも私はお父さんの登山にたくさんついてった。それに嫉妬するうちにお父さんとは気まずくなって、そんな時にお父さんが死んじゃった。

 

 元々病弱だったお母さんはショックで心も体もぼろぼろ。病院に通いながら女手一つで私を育てるのは無理だった。

 

 お母さんは、自分から縁を切った関西の方の実家に頭を下げた。容態が安定するまで、私の面倒を見てって。

 

 でも実家の人はお父さん似の私を嫌ってて、貸しのあった遠縁の親戚さんに私を預けた。偉い人からの頼みで仕方なく、って感じだったみたい。

 

 だから。

 

 だから――お母さんは私を捨てたんじゃなかったんだ。口座のお金をくすねたのだって、親戚さんの嫌がらせみたいな噓だった。その時小学生だった私に真偽を確認するすべなんてなかったもの。

 

 お母さんはやっぱり最高のお母さんで、自分の病気と戦って、帰ってきてくれた。

 

 お母さんは悪くない。

 

 

 

---

 

 

 

 自分がどんな風に話しているのか、どのくらい伝わったのか、何もかもが曖昧なままだった。

 

 あおいちゃんとひなたはぎゅっと口を真一文字にして、私から目をそらさない。その後ろには、いつの間にかかえでさんとここなちゃんまでやってきていた。この二人も登山装備のまま、探しにきてくれたのかな。

 

 やっぱり私は、人に迷惑をかけてばっかりだ。

 

「結局、全部私が悪いんだ」

 

 感覚のはっきりした夢のよう。口は勝手に動いていた。

 

「勝手に捨てられたと思い込んでた。でも実際はそうじゃなくて、お母さんはお母さんでたいへんだった。話せなくてごめん、って謝ってくれた。なのに――私はお母さんのこと恨んでる」

 

 泣きながら謝ってくれたし、帰ってきてから作ってくれるご飯はおいしいし、山行中にもメールと電話でたくさん心配してくれる。

 

 それでも私はお母さんにキツく当たっちゃう。

 

 ひとりぼっちだったお葬式とか、要らない子扱いの親族会議とか。高校に入るまでは当たり前だった親戚さんのパンチキックとか罵声とか。傍にいてほしいとき傍にいてくれなかったことを、根に持ってる。

 

「最低じゃん。お母さんもたいへんだったのに、私ばっかり辛かったみたいに思ってさ」

 

 どこまでも自分勝手で、しかもそんな自分に向き合うのが怖くてお母さんからも逃げている。お父さんのいない現実を受け入れて強くなったと思ったのに、今度はお母さんが受け入れられないんだ。

 

「大嫌いだよ。大嫌いだ……」

 

 私は要領が悪い。やることなすこと鈍くさくて、人に迷惑をかけてばかり。できるできる、私はすごいと思い込もうとしたって、いつも失敗する。誇れるものなんて何もない。

 

「そもそもお母さんが心壊したのだって私のせいだよ。仲の良い二人に割り込んで気まずくさせたんだ。仲直りできないままお父さんが死んじゃってさ」

 

 仲の良い二人にはいつまでも仲良くしていてほしかった。でも私がお父さんと話すたびにお母さんは機嫌を悪くしていった。娘に嫉妬するくらいお母さんがお父さんを好きだったなんて、考えもしなかった。

 

 子はかすがいってことわざは噓だ。

 

 私が生まれなければ二人は。

 

 迷惑と不幸をバラまいてばかりの私さえいなければ。

 

「私なんて生まれない方が――」

 

 パンっ、と乾いた音が響いた。

 

 

 

---

 

 

 

 ほっぺたにじんわり広がる熱。滲んでいた視界がクリアに。平手を振り抜いた姿勢のひなたが見えて、叩かれたと理解するのに数秒。

 

「ばかっ」

 

 理解できたころには、涙声のひなたに抱きつかれてた。

 

 呆然としてると、あおいちゃんとここなちゃん、あのかえでさんまで涙ぐんでるのが目に入る。

 

「なんで全部自分一人のせいにしてんのよ……何にも悪くないじゃんか……」

「……」

「マヤはがんばってるじゃない。一人でもめげずに笑って。みんなのために体張って」

「……違う」

 

 違わないよ、と答えたのはあおいちゃんだった。

 

「高尾山のときも富士山のときも。ううん、中学のころからずっとマヤちゃんはがんばってる。絶対お母さんにだって負けてない」

「そんなこと……」

 

 あるわよ、とかえでさん。

 

「何度道を間違えても、クマに会っても、予定が狂って空回りしても。マヤちゃんは絶対足を止めなかった。私がお母さんならみんなに自慢しちゃうわね。がんばり屋さんで根性のある、最高の娘ですって」

 

 だから、とここなちゃん。

 

「だから、だからマヤさん……生まれない方がなんて……大嫌いだなんて……そんな悲しいこと、言わないでください……」

 

 滝のような涙だった。

 

 ここなちゃんにはいつも笑っていてほしい。なのにこれほど涙を流させていることを思うと、また自分が嫌いになった。

 

 見れば、みんなの体も土や汗で汚れている。よっぽど慌てて探してくれたんだ。友だちに心配をかけてばかりの自分が、もっと嫌いになった。

 

 やっぱり大嫌いだ。

 

 仲の良い二人を引き裂いて。

 

 お母さんを逆恨みして。

 

 心配と迷惑ばかりかけて。

 

 そんな自分を強がりで飾って、現実から逃げ回る。そんな自分が憎くて疎ましくてしょうがない。

 

 どうすれば許してもらえる? 痛い思いをすれば生きててもいいのか? 要らない子でも生きてていいと認めてもらうには、どうすれば――

 

「マヤ」

 

 痛いくらい抱きしめていたひなたが体を離す。

 

 目と鼻の先にあるひなたの顔は、涙と鼻水で濡れていた。

 

 ぐしぐしと顔を拭うと、強い瞳があらわになる。

 

「あんたが、自分のこと大嫌いっていうなら――私はマヤのこと、それよりもずっと大好きだから」

 

 大好き、と紡ぐ唇の桃色が、やけに目を引いた。

 

「ひなただけじゃないよ。私もここなちゃんも、ほのかちゃんだって」

「私もよ。ま、若干ニュアンスが違う気もするけど」

 

 かえでさんは思わせぶりな視線を私たちに向ける。ひなたたちの顔がみるみる朱に染まっていった。

 

 意味は分からない。でも――

 

「私のこと、好き?」

「うん! 大好き!」

「大好きだよ!」

「大好きです!」

「……私は私のこと、大嫌いだよ」

 

 一度好きになったものを嫌いになることは難しい。それと同じで、元々大嫌いなものを好きになることもすごく難しい。だから私はやっぱり大嫌いだ。この山本マヤとかいうポンコツ女が。

 

 けれど大好きな友だちが、私を大好きと言ってくれるなら――

 

「生きても、いい?」

 

 当たり前でしょ! と答えてくれたから――

 

 もうちょい頑張ろう、頑張って生きてみようって、生んでくれてありがとうって、そう思えるんだ。

 

 

 

---

 

 

 

「きりーつ」

 

 放課後を知らせるチャイムとともに、クラスみんなで号令。

 

 今日も一日を乗り切った生徒たちが、家へ部活へと向かう。万年帰宅部の私は基本的に直帰コースだ。

 

「マヤちゃん、付き合ってほしいとこあるんだけど、今からいい?」

「無理でござる」

「ええー!?」

 

 我が同胞たるあおいちゃんに誘われても今日は直帰。

 

「お母さんと約束があるんだ」

「それなら仕方ないけどぉ……」

 

 くっ、もじもじしながら上目遣いしたって私の意志は変わらないぞ。

 

 変わらないぞと言いつつもあおいちゃんの眼光にたじたじなっていると、明るい声が割って入る。おなじみ仲良しトリオが筆頭、コミュ力オバケのみおだ。

 

「マヤー! この後どっか行かない?」

「ごめん、先約があるから。また今度誘ってよ」

「そう? 残念だなー久しぶりのマヤの美声聞きたかったのに」

「お、おだてても無駄なんだから」

 

 みおはニヤニヤ笑ってる。そうやって私の意志が揺らぐのを見て楽しんでるんだな。効果てきめんだよくそう!

 

 しばらくすると諦めたのか、三人そろって教室を出ていく。さり際に「もう漫画の影響でヘッドバット練習なんてしちゃダメだよー!」と言い残して。言われた私は恥ずかしくて、反射的に頭の包帯に手をやった。

 

 頭のケガは数針縫う羽目になり、あの日から一週間たった今も包帯を巻いてる。表向きにはみおが言ったようにヘッドバットの練習してたってことで通した。担任の先生も友だちもドン引きしながら「フィクションと現実は〜」って叱ってくれたよ。色んな意味で泣きそうだった。

 

 さて、今日はお母さんとの約束がある。会ってほしい人がいるとか。あおいちゃんとひなたには悪いけど、早く帰らなきゃ。

 

 あおいちゃんは悩ましげにひなたの方をチラチラ見てる。きっと今度のひなたの誕生日で何をプレゼントするか悩んでるんだろう。私はもう用意できてるから高みの見物だもんね。

 

 余裕のドヤ顔をしつつ、私は教室を出た。

 

 

 

---

 

 

 

「ほ、ほのか!?」

「……ごめんね、マヤ」

 

 お母さんと私の新居に帰ってすぐ、待ち構えていたのはほのかだった。居間でお母さんと話していたらしいほのかは私を見るなり抱きついてきた。

 

「私また、マヤが苦しいときに何もできなかった。悩んでるのに話も聞けなかった。辛かったよね、痛かったよね」

「いやいや正味、物理的な距離はどうにもならないというか……」

「私もマヤのこと大好きだよ」

 

 それだけのために。

 

 それを言うためだけに、平日のこの時間に学校を休んでまで、会いに来てくれたんだ。

 

 そう思うと――大嫌いな私でも、もっと生きたくなるじゃない。

 

 ほのかの背中をぽんぽんと叩く。本当に迷惑ばかりかけてるダメダメな私だけど――ん? なんか、体がぐいぐい引っ張られてく。寝室の方へ向かって。

 

 そうそう、六畳一間のアパートと違って今の暮らしはすごいんだ。なんとかでぃーけーとかいって、お風呂とトイレは別々だし寝室とベランダまでついてる。お母さんの実家が管理してるとこなんだって。

 

「あの、ほのかさん?」

 

 で、問題はほのかが私を寝室に連れ込もうとしてるってこと。何これ。

 

 ほのかは潤んだ目で私を見下ろしている。

 

「私が本当にマヤを大好きだって証明する。もう二度と自分を嫌いになれないくらい、私の大好きをたくさんあげる」

「えっ、ええっ!?」

「大丈夫……痛いことはしないから……」

 

 たいへんだ。ほのかが血迷った。仲間はずれにされた寂しさでおかしくなっちゃったみたい。

 

 ここは大人の力を借りないと。へるぷみーお母さん!

 

 ちょ、なんではらりと涙流してるの? いい人を見つけたのね、マヤ、って――

 

「ほのかは女の子だから!」

「大丈夫だよ、私とマヤならそのくらい」

「大丈夫ちゃうわ! あっ、やめっ、どこ触ってんの変態!」

 

 体格で劣る私がほのかに抵抗できるわけもなく。

 

 若いっていいわねとポンコツを発揮しているお母さんに見送られ。

 

 私にマウントを取ったほのかは暗くなるまで、大好きな気持ちをたくさん教えてくれたのだった。

 

 

 

---

 

 

 

 

 いつかひなたと話をしたとき、私はいかにも名言らしく「人生とは登山に似ている」と言った。でも間違いだ。人生は登山というより、縦走に近い。

 

 山あり谷あり、上ったり下ったり。いくつもの頂があって、それぞれに辛い核心部、拠点になるテン場が用意されている。

 

 私が高校生になってからは急登だった。急に友だちが増えて、お父さんの死を受け入れたと思ったらお母さんが帰ってきて。そして十月下旬の今、私は山の頂にいるのだろう。

 

 優しくて頑張り屋なお母さん。大好きと言ってくれる友だち。失ったものは戻らなくても、代わりにたくさんの思い出ができた。

 

 山頂でずっと止まっているわけには行かない。辛くてもいつかは次のピークに向かわなきゃいけない。でも今の頂から見えるものが次もあるなら、鎖場も岩場もきっと越えていけるだろう。そこにあるのは辛い現実なんかじゃないと、分かったんだから。

 

 さて、この山行から得られる教訓を一言でまとめると。

 

 

 

 山の頂にあるものは――

 

 

 

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