山の頂にあるものは 作:息抜き用ID
三つ峠登山の終わった次の週、私は帰り道の公園でクレープを買い食いしていた。背後には謎の象さんオブジェ、左隣にはひなた、あおいちゃん、ここなちゃんが並んで座っている。
「それでね、行きは怖かったんだけど帰りは全然怖くなくて。ああいうことってよくあることなのかな?」
「あ、あるある。一回乗り越えて自信がつくんだと思う」
「そうなんだ」
話題はもちろん昨日の三つ峠登山。あおいちゃんは結局道中でサプライズに気づいたものの、なんだかんだ楽しく登山できたらしい。行きは怖かった危険箇所が帰りだと怖くなかったとか、下山後にみんなで入った温泉が最高だったとか――ん?
「どうかした?」
「何でもない」
あおいちゃんも変わったなぁ。
たしかあおいちゃんは誰かとお風呂に入るのが苦手だった。中学時代の修学旅行では就寝時間が過ぎた後にこっそりお風呂にやってきて、同じくこっそり一人でお風呂に入ってた私と遭遇。びっくりしてお互い腰が抜けかけたことがあった。
そんなあおいちゃんがみんなでお風呂とは――登山パワーってすごい。
同胞の変化に一人でしみじみしていると、ここなちゃんが口を開いた。
「マヤさんはバイトどうでした?」
「私、将来はニートになるんだ……」
「うわっ、一気に目が死んだわね。大丈夫?」
「聞かないほうがいいみたいだねー」
怒鳴る先輩、かける迷惑、学習できない私と終わらないラスト一時間――嫌なことを思い出しちゃった。登山でもして山キメたいけど、考えなしに登山してるとすぐにバイト代が吹っ飛ぶ。登山は計画的に。
ちなみにクレープの買い食いには何の計画も考えもないけど、このくらいいいでしょ。金はあるんや。
「ひなた、ほっぺたにクリームついてるよ」
「ホント? ……とれた?」
「とれてない」
ふと横を見ると、ひなたのほっぺたにクリームがついていた。あおいちゃんの指摘を受けるも微妙に狙いを外している。ぷにっとした白い頬の上についたクリームは、なんだかクリーム大福みたいでおいしそう。
「んー? マヤ、とって」
「よしきた」
舌でぺろっとなめとりたいのをこらえて普通に指でとって口に運ぶ。うまい。
「ありがと」
「こちらこそごちそうさま」
「まあ、お二人とも仲がいいんですね」
「……仲いいっていうか、近くない?」
不意にあおいちゃんの目線が痛くなる。じとっとした目つきからは懐かしい陰の者のオーラ。あれ、何か間違えたかな。
「マヤちゃん、私にはちゃんづけなのにひなたは呼び捨てだし……ひなたもマヤちゃんをマヤって呼ぶし」
「そういえばそうだね。いつからだっけ、マヤ?」
「さあ……」
明確にいつからかは覚えてないけど、ひなたはちゃんを付けるほど可愛らしい生物じゃない。なんたって学校で私の恥部たる前髪に手を出す輩だ。その点、あおいちゃんは安心してちゃん付けできる。
だから決してやましい意図はないのだけれど――視線ビームが痛い。
(ちょっとひなた、誤解はちゃんと解いたんだよね?)
(解いたよ! あの後私一人で説明するの大変だったんだから!)
アイコンタクトでひなたと交信していると視線が更に強くなる。ひなたはどこ吹く風で首をかしげているけど、同胞からの攻撃で私のメンタルに穴が空きそうだ。
しかしここで救いの女神降臨。
「ま、まあまあ、あおいさん。あっ、ところでアレは完成しましたか?」
「あれ?」
「必殺技?」
女神とはもちろんここなちゃんだ。あおいちゃんは「ああ、アレ?」とここなちゃんに向き直る。
アレというと、必殺技でも練習しているのかな。
「あとちょっとで完成だよ。手伝ってくれてありがとね、ここなちゃん」
「それは良かったです! 喜んでもらえるといいですね!」
「ねえ何の話?」
「必殺技練習してるの?」
「二人には関係ないでしょ。マヤちゃんはもう意味分かんないし」
中学以来の同胞に意味分かんないって言われた……それはさておきクレープがおいしい。
結局「アレ」についてはその後も分からなかったけれど、ここなちゃんの機転のおかげでそれ以上睨まれることはなく、いつもの解散場所である分岐路までやってきた。
いつものように、ここなちゃんと私、あおいちゃんとひなたの二組に分かれてまた明日――
「うわっ!?」
「ひなたさん!?」
とはならなかった。
なにかにつまずいたひなたが、あおいちゃんのスカートに手をかける。そのままずり下ろしてあおいちゃんパンツ丸出し、通りがかりの園児からは「水玉だねー」とシンプルな評が炸裂した。
「ひーなーたー!」
「ご、ごめーん……まあいいじゃん、減るもんじゃないし」
「そういう問題じゃない! もう!」
「あ、あおい! しょうがないなー……ちょっと謝ってくるよ」
怒り心頭で行ってしまうあおいちゃんだけど、ひなたは普通に落ち着いた様子で追いかけていった。図太い。
「悪びれないなアイツ……」
「二人は仲良しさんですからね。お互い慣れてるんじゃないですか?」
「そ、そうかな? ……そうかも」
そういえばひなたは昔から何かをやらかしてあおいちゃんを巻き込んでいたらしい。溝に落ちる、あおいちゃんのスカートをずり下ろす、好きな人をみんなの前で暴露する――いややらかしすぎでしょ。
とはいえ、それだけやらかして今みたいに仲良しなら、今回の件もこじれたりしないはず。大丈夫、大丈夫。
「行こ、ここなちゃん」
「はい。マヤさんは北岳は登ったことありますか? そこに雷鳥さんがいるらしいんですけど――」
ああ、学校で友達とおしゃべりして、帰り道は買い食いしつつ楽しいおしゃべり――学校ってこんなに楽しい場所だったんだ。軽く不登校してた去年の自分に教えてやりたい気分だ。
学校生活、最高。
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学校生活、最悪。
「ねえあおいってばー!」
「ふん。行こ、マヤちゃん」
「あ、あおいちゃん……アワ、アワワ」
スカートずり下ろし事件の翌日の昼休み、私はむすっとしたあおいちゃんに手をひかれ、教室を出る。後ろからはひなたが呼びかけるけど、あおいちゃんは無視している。
しばらく追いかけっこしていると、ひなたは拗ねたように手を頭の後ろで組んで踵を返した。あおいちゃんは階段をあがって、閉鎖された屋上前の踊り場でようやく足を止める。
帰りたい。
仲良くしている二人を見るのに比べ、仲違いしている二人を見るのがこんなにキツイなんて。しかもその原因がパンツ丸出しなんだから笑えばいいのか泣けばいいのか。
「あ、あおいちゃん」
「何」
「水玉パンツは、人に恥じるようなものじゃなくて、むしろ胸を張るべき柄だと思う……」
「……! バカ! 違うわよ!」
原因はパンツ丸出しじゃなかった。
丸出し事件の後、ひなたがあおいちゃんの家まで謝りに行く。二人は仲直りして家で遊ぶことになったけど、あおいちゃんが少し目を離したすきに、ひなたが作りかけの手芸ニットを壊した。そのことを怒っているらしい。
うーん、何かがおかしい。
「……? あの」
「何!?」
「な、なんでもないですごめんなさい!」
怒ったあおいちゃんの迫力はすさまじかった。とても違和感について聞ける雰囲気じゃない。
教室に戻ってひなたと顔を合わせるのも気まずいので、そのままここでお弁当を食べることになった。
教室よりもほこりっぽくて、あまりおいしくなかった。
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放課後になってもあおいちゃんの機嫌が良くなることはなく、むしろ悪化していた。
ホームルームが終わった直後、のっしのっしと私の席まで歩いてきて、「帰ろ」と一言。
「ねーあおいってば、いいかげん許してよ」
「……」
そこへひなたがやってきて私は仲違い中の二人に挟まれる精神的拷問にさらされる。いっそ殺して。
いやいや死にたがってる場合じゃない。能天気なひなたが比較的申し訳なさそうな態度をとってる好機を少しでも活かさないと。
「そ、そうだよあおいちゃん。怒るのはもっともだけど、まず話し合ってみて――」
「マヤちゃんはどっちの味方なの」
「え、えっと……」
「ふんだ。もういいもん」
そう言って一人、教室を出ていくあおいちゃん。
あんなに冷たい目で見られたのは初めてだ。ガレ場で浮石を踏んだような絶望感。クラスメイトたちの「ケンカかな?」「珍しいねー」という囁きがやけに大きく聞こえる。
「あおいのやつ、あんなに怒らなくていいのに。ね、マヤ」
「ひなた……どんだけ図太いの」
「そんなこと言っても、いつもはこんな感じで謝って許してくれるんだよ?」
「うーん、いろいろ言いたいことはあるけどそこ。そこが気になる」
「どこ?」
「あおいちゃんが怒りすぎなところ」
あおいちゃんはひなたのやらかしに慣れている。じゃないとパンツ丸出し事件を一時間程度で許すなんてできない。私なら切腹を考えるレベルの屈辱だもの。
そんなあおいちゃんが作りかけの手芸を壊されたことに怒りこそすれ、あれほど根に持つのは不自然だと思う。
「そうだけど……あおいがあの調子じゃ何も分かんないじゃん」
「う……」
「はーあ。もういいや。謝っても許してくれないんじゃ何もできないよ。許してくれるまで待とう。マヤも気を遣わせてごめんね。私のことはいいからさ、あおいについててあげてよ」
「は? ちょ、待って――」
「じゃ、またね」
ひなたまでそそくさと行っちゃった。去り際の表情は明らかに寂しげで、今にも泣き出しそうに見えた。
私だって泣きたい気分だ。どうしてあおいちゃんとひなたみたいな仲良し二人組がしっくりこない事情で仲違いしなきゃいけないんだ。正面からぶつかるのはいい。でもこんな冷戦状態は絶対ダメだ。
といっても不機嫌状態のあおいちゃんにしつこく聞くのは怖いし、ひなたは柄にもなくしょげ返ってて何もできそうにないし――
「あれ? 山本さん?」
「急に寝ちゃったね。どうしたんだろう」
「二人とケンカになって落ち込んでるんでしょ。そっとしといてあげよう」
思考停止。
熱暴走を起こした私は、机に突っ伏した。中学時代、あおいちゃんと話せないときはいつもこうして寝たふりしていたものだ。陰の者にのみ許された伝統のポーズ。
一回休憩して落ち着こう。
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落ち着いて考えた結果、私の考えはまとまった。
知ーらない。
だって私が何かやらかしたわけじゃないし、悪くないし。そもそも私みたいなヘタレ陰キャが下手に動いたって余計こじれるだけ。じゃあ何もせず時間が解決してくれるのを待てばいい。
「ひなた……」
ほら、言ってるそばからあおいちゃんがひなたに声をかけ――ようとしたとたん、ひなたが駆け足で教室を出ていった。一人で帰るらしい。
あおいちゃんはちら、と私の方を見ると寂しげに唇をかんでとぼとぼと教室を出ていった。
これが一日目の放課後の様子。
二日目、休み時間のたびにあおいちゃんがひなたの方を見るけど、ひなたは机に突っ伏して寝ていて声がかけづらい。それは陰キャだけができる伝統の、というわけじゃなく、体が呼吸で動くのを見る限り本当に寝ているようだった。昼休みはそれぞれ一人で食べていた。進展なし。
三日目、上に同じ。
四日目、同じ。
五日目――私、キレる。
「あの子誰? 転入生?」
「でも当たり前のように席に座ってるし……あの席って誰がいたっけ」
「ほらあの地味な子。山なんとかさん」
「ああ、あの。もしかして山本さんが前髪あげてるんじゃない?」
「ええー? 絶対違うよー」
朝、教室で席につく私の耳にクラスメイトの声が届く。前髪をあげた登山スタイルの私の話題で盛り上がっているのが聞こえる。
シラフの私なら学校で本当の自分を晒していることに耐えられないだろう。でも今の私は違う。なんたって山をキメてるんだ。
ここを学校ではなく山小屋だと思いこむことによって、登山スタイルで気が強い状態の私を召喚する禁断の秘術。これぞ山本流秘伝、山降ろし。
発動にはとてつもない代償が必要だけれど、今回ばかりは仕方ない。
「おはよう、あおいちゃん!」
「ふぇ!? お、おはよう……」
教室に入ってきたあおいちゃんに詰めより、腕をつかむ。
「早速だけど話がしたいの! 場所変えよっか!」
「ちょ」
待ってと言わせるスキは与えない。
強引に校舎裏まで連れていって有無を言わさず壁ドン。
「あおいちゃんがそこまで怒るのはなんで!?」
「そ、それは……」
「ニット帽がすごく大事な物だったから!?」
「……っ」
あ、図星だ。仲直りの鍵はきっとここだ。
「うん……三つ峠のサプライズ登山のお礼に、ひなたに作ってた……」
「なーる。よし分かった、じゃあ、えっと、その……」
詰んだ。
やばいやばい、怒ってるあおいちゃんが怖いから山をキメてゴリ押ししたけど、どうすればいいの。あおいちゃんが「こういう訳で怒ってた」ってひなたに伝えてもいいのかな。
事情さえ分かれば勢いでどうにかなると思ってたのに、人間関係が難しすぎる。どうすればいい感じに二人がよりを戻す? どうすれば仲のいい二人がまた見られる? どうすれば――
「ありがとう」
「えっ」
頭にふわっとした感触。あおいちゃんが私の頭に手を伸ばしている。
くすりと笑みをこぼすあおいちゃんの表情は、とても穏やかだ。
「私たちのために頑張ってくれたんだね。嫌な思いさせてごめんね」
「う、ううん、そんなこと……」
「そんなことあるんだよ」
あるんだろうか。
一度は心に決めたことを覆して、勢いだけでどうにかしようと突っ走っただけなのに、頑張ったなんて言えるんだろうか。もし言えるならうれしいけれど。
「私ももう怒ってなんかないんだ。だけどひなたがあんな調子で声がかけづらかったの」
ふわりと微笑むあおいちゃん。
「でも勇気が出たよ。今日ひなたと話をしてみるね」
思ったとおりにはいかなったけれど、何もしないよりはいい結果になったかもしれない。
微笑むあおいちゃんの顔つきは、難所に挑む登山家たちのそれとどこか似ていた。
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かえでさんやほのかたち登山仲間によく言われることの一つに、私の運が悪いということがある。たとえば降水確率二〇パーセントで雨に降られて山行中止になったり、緊急時のビバークが多かったり、クマさんとの遭遇率がやや高かったりなど。どんなイベントがあっても悪いのは私の運じゃなくて山のご機嫌だと思いこんできた。
だけど今回ばかりはもうダメだ。認めるしかない。
「あおい、これ……」
「な、何それ? 編み物?」
放課後の教室で、あおいちゃんが席を立つ間もなく近づいてきたのはひなただった。
あおいちゃんに差し出しているのはなにかの編み物。
「ここなちゃんに聞いたんだ。あのニット帽のこと」
「……!」
「悪いことしちゃったと思ってさ。お詫びの印、っていうのもなんだけど、これ。帽子は無理だけど、コースターにはなるかなって」
「……なんか、途中からすごい雑なんですけど」
「ここなちゃんが手伝ってくれたんだ。きれいな部分がここなちゃん」
「ぷっ、ほとんどここなちゃんが作ってるじゃない!」
ほんとにひなたは不器用なんだからー、ほんとにごめんねーと笑い合う二人。それを自分の席から眺めるおバカ一人。
私だ。
「そういえば今朝のあの子誰だったんだろうねー」
「別のクラスの子が間違えて入ってきたんじゃない?」
「雪村さんが知ってるかな。あ、でも今声かけちゃ悪いか」
まずい、山本流山なんとかの代償が今になって始まった。耳が熱い。顔も熱い。ものすごく恥ずかしい。学校で前髪をあげるのは人前でパンツを見せつけるくらい恥ずかしいんだ。
後一日がまんすればこの恥ずかしさを味わうこともなかったと思うと――運が悪いというか、タイミングが悪いというか。一人で勝手に騒いだだけじゃない。
……おっけー、いったん落ち着こう。
落ち着いてタイムマシンがどこに落ちてるか考えるんだ。
「マヤちゃん!?」
「マヤ!?」
少なくとも教室にはないよね。
じゃあ全力ダッシュで教室を飛び出すのも自然なことだよね。ああ、あおいちゃんとひなたは末永く幸せに暮らしてください。
さようなら。