ハチナイアニメ終わってしもうた……
清城高校。かつては野球の名門校であったが身内による不祥事があり、廃部寸前になっていた。新入生であった
小也香は名門を復活させるという重圧に耐えながら、キャプテンとして入部希望者である部員たちを引っ張っていった。
練習を積み重ね、可もなく不可もなくといったラインにようやく部員たちを持って来た。小也香の次の予定としてはそろそろ練習試合を組みたいと思っていた。理由は実践経験が乏しい部員たちに経験を積ませたかったからだ。
――この話は渡りに船ですね。
そんな中、いい実験台となる対戦相手が見つかった。相手は野球部が作られて間もない里ヶ浜高校だ。
ただの素人相手だったら練習にすらならないので断るところだったが、里ヶ浜の女子野球部員にはリトルシニア全国優勝、準決勝経験者がいたのだ。
小也香としても屈指の強打者である彼女らとは対戦してみたかったが、それだけでは試合を受ける条件を満たしていなかった。他の選手は野球を覚えたての素人なのだから。
しかし、相手側から野球部の監督の名前を聞き入れた瞬間、小也香は手のひらを返してすぐに練習試合を受諾した。
――まさか彼が野球部すらなかった高校にいたとは、驚きました。
何しろ、里ヶ浜高校の監督は彼だったのだ。真剣に野球をしている者であれば、間違いなく一度は聞いたことがある小也香と同い年の大投手である。
彼は、強かった。直球、変化球、制球力――どれを取っても完全無欠だった。バッティングでも彼に肩を並べられる者は全国を探しても、殆どいなかった。
多くの野球人が彼に憧れ――自分では絶対に届かない逸脱された才能を嫉妬し、恐れた。
小也香はどちらかというと憧れの感情の方が強かった。何しろ彼のピッチングに憧れて、自らの決め球であるスライダーを磨いたのだ。
同時にリトルシニア決勝で再起不能になったことでも非常に有名である彼だ。そんな彼が野球部すらなかった高校に入学して、監督を行っている。奇妙なこともあったものだ。
「はあ……」
現在、小也香は近所の寺の敷地の一角を借り、制球力を磨くために壁当て練習を行っていた。しかし、練習成果は決して芳しいものではなかった。
「……ダメですね。このままでは」
変化球どころかストレートも思ったところにボールがいかない小也香は一度練習を打ち切り、自身の投球フォームを見直すことにした。梅雨が近づき、ジメジメした気候も祟ったのかいまいち今日の練習は乗り切れない。
――蒸し暑いから調子が悪いなんて、みっともない。
自分の不調を気候のせいにしようとするふがいなさに頭を抱えたくなりそうになる。
小也香は折りたたみ式の撮影器具に固定されているタブレットから自身が映し出された動画の確認を行い、フォームの修正や問題点を洗い出す。これも一人での作業だ。タブレットに映し出された自分の表情は疲れ切った表情をしていた。
今のところ小也香が部員たちの練習メニューから監督業までまとめて指揮をしている。そのせいだと言い訳にしたくないのだが、自分自身の練習を疎かにしている傾向にあった。当然、遅れた分を取り返すべく部活後には定期的に寺で自主練習をしているのだが、明確な指導者がいないために上手くなった実感が湧かない。
「無名校に行くのであれば、私たちの高校に来ても良かったと思うのですが……」
思わず願望を口に出してしまった小也香であったが、すぐにないものねだりをしても仕方がないと気分を入れ替えた。
何はともあれ、楽しみだ。試合を受ける条件として、今週の日曜日に清城の練習を一度彼に見てもらうことになっていたからだ。彼も彼で偵察も含めて、練習を見に来るのであろう。
「私が見落としている点も修正して下さるかもしれませんし、部員の成長にも繋がります。それに、私自身にもきっと……」
だが、ここ数十年で最高の逸材と評価されていた彼に練習を見てもらうことは清城の情報を差し出す以上のメリットはあると小也香は考えている。ワクワクする感覚を久方ぶりに思い出せた小也香は小休憩を終えた後に気分よく練習に戻っていった。
※ ※
「ね、ねえ小也香。本当に今日、彼が来るんだよね」
「はい。何度も伝えたかと思うのですが」
「そうだよね、そうなんだよね! うわあ、緊張するよお……」
日曜日。カラっと晴れた湿度も少ない快晴の中、小也香の女房役である
彼が来る。そう聞いた清城高校のメンバーは浮足立っていた。野球経験者がそこそこいた清城は彼のことを知っている者が多かった。彼のことを知らなかった者も打者や投手ねじ伏せる圧巻のプレイを視聴したら、タブレットの画面から一瞬たりとも目を離せなくなってしまったほどだ。
そして予定時間より早めに顔を出したジャージ姿の彼は歓喜の悲鳴と歓声によって彼女らに迎えられた。
実物の彼は人当たりが良く、動画越しでも感じられた圧を全く感じさせない男子であった。
彼は挨拶を終えると早速練習を見せてほしいと言ってきた。清城の部員は普段よりも数倍以上の熱量で練習を取り組み始めた。
彼は部員たちが行う練習に対して、小也香とは別の視点から適度で的確なアドバイスを施していく。
「足腰に力が伝わりきっていませんよ。こうやってですね――もっと体全体の回転を意識してください」
「は、はひっ!」
指導で腰や肩を触られた花は素っ頓狂な声を出してしまっている。初対面の女子生徒に対して、教えるためとはいえ堂々と体を触れてくるとは相当肝が据わっている。
女子は男子が思っている以上に視線や仕草に敏感だ。特に初対面の男相手には必然的に警戒心は高くなる。それは小也香もそうであるし、花や他の部員も共通の認識だろう。
「……あっ! 前より打ちやすいかも!」
「バッチリです。後はその感覚を忘れないようにしっかりと体に染み込ませましょう」
「あ、ありがとうございます!」
だが、彼は野球に対してどこまでも真っ直ぐだった。元から無いとは思っていたが下心ありきなら問答無用で学校から追い出しているところだ。
けれども、彼は敵になる自分たちに対しても一生懸命に指導をしていた。
そして指導通りに結果を残すと自分のことのように喜ぶ。的確な指導と野球に携わることが心から嬉しそうな無邪気な彼に対する評価は短時間で急激に上昇していった。
一通り練習を見終えた彼に感想を伺おうと小也香は彼の隣に行った。キャプテンたるもの部員たちには隠してはいるが、小也香とて彼と話すのは緊張する。何せ、憧れの人物が目の前に立っているのだから。ふうと深呼吸して、鼓動の音を落ち着かせた小也香は彼に話しかける。
「どうです? 我が校の部員は」
「ウチと比べると基礎がしっかりと固まっています。守備や走塁もこのまま練習を続けていけば、たぶん大丈夫かと。ただし、打撃に関してはもう少し詰められる部分はあります」
「やはり、そうですか……」
彼に自分たちの評価を求めると、返答は予想されたものだった。
いかんせん清城の指導者兼キャプテンである小也香が打撃は不得手である。必死に理論を勉強したが、体を使って実践するとなると勝手が違う。ここでしっかりと彼から技術を学び、活かしていかなければ。
彼からバッティングのノウハウを聞き出し、事前に用意してあったボイスレコーダーで録音する。彼は小也香の用意周到さぶりに中野さんみたいだなと呟き、引きつった表情を浮かべていたが、親切丁寧に疑問点や課題点に対して答えていった。
やがて話は小也香の投球へと移っていく。マウンド上から投球するように言われた小也香は花に座ってもらい、10球ほどボールを投げた。すると、小也香の背後で観察していた彼がすぐに問題点を指摘してきた。
「足の踏み込む位置が僅かに浅いです。それと肘の出し方が……」
彼は幾ばくかの時間ですぐに問題点、そして解決策を提案してくれた。天才型は説明が下手だ評されることも多いが、彼の説明は簡潔でとても分かりやすかった。彼の言われた通りに修正を重ねていくと、長い間うまくいっていなかった制球が段々と安定し始めてくる。
「ありがとうございます。短期間でここまで修正できるとは思いませんでした」
「癖になる前に治せて良かったです。自分だけだと気づかないこともありますからね」
「ええ……本当に助かりました。それと私に対して敬語で話す必要はありませんよ。私とあなたは同い年ですから」
「そうだったんだ。神宮寺さんはてっきり年上だと思っていたよ」
「……私が老けて見えるってことですか?」
「い、いや違うって! 神宮寺さんは里ヶ浜の部員たちと比べても、落ち着いていて大人っぽいからさ! その……気を悪くさせたのならゴメン」
「ふふ、気にしていないですよ」
指導中やマウンド上に立っていた冷静な立ち振る舞いと違い、彼は思った以上に普通であった。この会話をきっかけに緊張はほぐれ、彼と打ち解けるようになった。
この後も練習を続け、小也香は久々に野球の練習が楽しく感じられるように手助けしてくれた彼に感謝し、ここ最近の停滞を取り戻すべく練習に集中することにしたのだった。
※ ※
「改めて今日はありがとうございました」
「いえいえ。しっかりと敵情視察もできたし、こちらこそありがとう」
「……そうだろうとは思っていましたが、強かですね」
「土産話もなしに帰るのもおかしな話だからね」
朝よりも気温が上昇し、日の光が燦々と照らすお昼過ぎ。彼は自分が持ってきた荷物を整理整頓していた。
彼が清城にいるのは午前中のみ。午後からは母校に戻って里ヶ浜の部員をみっちりと指導する予定のようだ。
牽制球を投げ合いつつ、小也香は母校に帰る準備をしている彼と談笑する。
いよいよ帰る支度を整えた彼は小也香の目を見て、穏やかな表情をやめて野球に取り組むとき以上の真剣な眼差しをした。
「最後にこれだけは言っておきたかった。神宮寺さんは無理をせず適度に体を休めた方がいいよ」
「休んでいる暇はありません。私にはやるべきことが多すぎます。清城を前と同じような名門にするには全然足りないぐらいです」
「……だよな。俺もそうだった」
小也香の意気込みに儚げな目をした彼は荷物を肩に担ぎつつ苦笑した。
「俺も勝つために練習をひたすら続けていた。チームメイトも監督も一心に俺に期待を寄せて……俺もその期待に応えるようとした。だから、俺は肩が壊れかかっていても誰にも相談できなかった」
「どうして、ですか」
「皆の期待を裏切りたくなかった。あいつらと一緒に全国優勝をしたかった。皆の喜ぶ顔が見たかった。だから、無理を押し通し続けた」
周りからの期待と重圧と責任。今の小也香にのしかかっているものと同じ……いや彼の場合はそれ以上の計り知れないプレッシャーだったのだろう。
「……っていうのは、全て建前だったんだ」
「建前?」
「ああ。本当は監督もチームメイトも誰一人として信頼していなかった。俺が抑えて打てばどうにでもなる。俺がチームを優勝させる。俺が俺が俺がって……全てが独りよがりだった」
――私もそうです。私がチームを引っ張らなければ、私が清城を復活させるのだと。
「肩を壊した時、俺の幼馴染にどうして頼ってくれなかったのって泣きながら抱きしめられた瞬間、野球は一人でやる競技じゃないってようやく思い出せたんだ。だから、神宮寺さんには限界になる前に仲間を頼ってほしい」
確かにチームメイトのことを信頼したことは一度もなかった。他人に頼るなんてことは考えたこともなかった。全ては自分で道を切り開くものだと思い込んでいたから。
「こんな話、部員たちにも話してなかったんだけどなあ……何でだろう、俺と同じような立場の神宮寺さんには俺みたくなって欲しくないかもしれないな」
彼は使い物にならなくなった錆び付いた右肩を抑えて、今日初めての陰のある表情をした。どこか哀愁が漂う姿は過去を吹っ切れていない証なのだろう。こんな弱り切った姿を監督として里ヶ浜の部員たちには見せられないに違いない。小也香以外誰も見ていない素の彼がそこにはあった。
――ゾクリ。彼の悲痛な姿を見て、体を微かに震わす。
彼は誰よりも強くて、誰よりも優しくて……孤独だったのだ。強すぎるが故に悩みを打ち明けられず、優しすぎるが故に誰にも理解されなかった。
そして、選手たちを導く監督になった今でも彼の理解者はいない。彼は孤独のままだ。彼は自分を解ってくれる理解者が欲しいのだ。だから、同じ立場の小也香にだけ隠していた心情を微かに出してしまったのだろう。
――私なら彼の理解者になれる。彼なら私を孤独から救ってくれる。
ここで小也香はまだ出会ったことすらない里ヶ浜の部員たちに確かな優越感を抱いた。たった数時間で彼女たちよりも憧れの彼の本質を理解することが出来たのかもしれないと心が湧きたつ。
「……わかりました。あなたからの金言は忘れずに心に留めておきます」
「金言なんて大げさすぎるよ。でも、そうして貰えると嬉しいな」
「それでは私からも。あなたも一人で無理をしすぎないで下さい。同じ指導者同士、助け合いも出来るでしょうから。悩みや苦しみは共有し合って、負担を少なくしましょう。そのために……」
ここは攻めの一手だ。小也香はすかさず自らのスマホを取り出す。
「連絡先を交換しましょう」
「わかったよ。ライバル校だからこそ話せる内容もあるだろうし」
小也香の連絡先に彼の名前が登録される。あの、憧れ続けていた彼の連絡先だ。
思わずにやけてしまったので、彼や部員たちに見えないように顔を俯かせる。コミュニケーション能力が高いとは言えない小也香とて自分のキャラクター性ぐらい把握している。なので、オーバーなリアクションは取れない分、空いた拳はしっかりとグーのポーズを取って喜びを噛み締めた。
「じゃあ、今度会うのは来週だね。楽しみにしているよ」
「ええ、こちらこそ。少しは楽しませてくれると助かります」
「余裕ぶって足元掬われないように気を付けなよ。それじゃ、またね」
「ええ、また」
軽口を叩きあったのち、彼は清城を後にした。この後、彼は清城の部員たち以上に懇切丁寧に野球を教えるのだろう。小也香は彼の指導を常に受けられる里ヶ浜の部員にほの暗い嫉妬心を抱いた。
「……負けたくありません。負けられません」
負けたくない。彼の指導を毎日受けられる恵まれた環境を当たり前のように受け続けている彼女らに。
負けられない。何ひとつ解ろうともせず、彼を孤独にする元凶たちに。
アニメ版の最後の方に出てきた八重歯が特徴的な美少女。
「あはっ」
この一言で伝わってくる狂気が半端ないすわ。