「椎名さん。やっぱりまだ気持ちは変わらないかな?」
「あはっ、ごめんね。サッカー同好会の活動もあるし、まだ野球をやるって気分じゃないからさー」
「そっかあ。わかった! 気持ちが変わったらいつでもきてね!」
どたばたと廊下を走り去っていく”大嫌い”な女の子の姿が消えると同時にゆかりは人当たりのいい笑みを保ったまま、八重歯を隠した。
「……あはっ、翼といいあの人といい、何でまだ野球を続けてるんだろうなあー」
ほんと、嫌になる。サッカー同好会の活動などあってないようなもの。断る理由になんかならないのに。
かつて野球をやっていた少女――椎名ゆかりは未だに野球から逃げ続けていた。
「翼ってばあたしのこと、名前ぐらいしか覚えてなかったし。才能のない人間は覚える価値ないってかあ」
ゆかりは自虐的な空笑いをした。
才能って言葉は嫌いだ。才能を持っている人間は大嫌いだ。才能は全てを肯定し、全てを否定する。
ゆかりは幾度も優秀な姉の才能を肯定され、自身の才能を否定された。それでも足掻いて足掻き続けて、最後には自身にも周囲にも裏切られた。
――ほんと、嫌になる。
「……さてさて、シュシュっと帰ってチュリオーズの応援をしないと! ここで勝てば最下位脱出! 5連勝したら3位が見えてくるんだし!」
いつまでも付きまとう過去から目を逸らし、ゆかりは誰から見ても元気そうな顔つきで下校の準備を進めるのであった。
※ ※ ※
未だに一週間に2度ほど来る勧誘の魔の手をうまく躱していたゆかりは授業中にふと窓の外を眺めた。ちょうど他クラスが体育の授業をしており、男子はサッカー、女子は陸上と分かれていた。
――うわ、はやっ。
そこでは、しつこい勧誘魔である有原翼が100m走でフィジカルエリートぶりを発揮していた。さすが、陸上の推薦を山ほど貰っていただけはある。
――まあ、野球の推薦は貰えなかったみたいだけどね。あはっ。
翼ほどの常人のはるか上を行く才能があったとしても、女子というだけでハンデは非常に大きいのだ。能天気な翼だって抗いようのない現実を突き付けられたはずなのに、何も感じさせないような快活な笑顔とやる気が漲っている。
――どうしたら、翼もあたしのようになってくれるんだろ。
と、ネガティブな思考に囚われかけたゆかりはかぶりを振って、輝かしい翼を視界に入れないようにした。
そして、授業に集中しようと正面を向くと前の席に座っている女の子も同じように窓の外を眺めていた。 何故だが、頬を赤く染めながら。
気になったので、視線の先を辿ってみる。すると、見覚えしかない高身長の男の子がちょうどボールを相手チームから奪い取ったところだった。
エリア中央で一気に駆け上がる男の子。それに合わせて四方で囲んで止めようとした相手チームのディフェンスを体をくるりと回転させ、華麗に躱していく。
――ま、マルセイユルーレットじゃん! 今の! あたし、生でバッシリと決めたとこ見るのはじめてかも!
フランスの名選手が得意とした超絶技巧を何でもないように披露し、このままゴールに迫る男の子。またしても相手ディフェンダーが男の子をマークしたが――今度は抜こうとはせず、トップスピードから急停止した彼はつま先を使い、ノールックでボールを浮かせた。
急な変化に体が追い付かないディフェンダーは目だけでボールを追うしか出来ず、チームメイトの一人が浮いたボールを絶好の位置で受け取るとボレーシュートを放つ。もちろん素人キーパーは反応できるはずもなく、ゴールネットに突き刺さった。
華麗な一幕を目撃した前の席の女の子は口を押え、歓喜の悲鳴を両手で必死に抑えていた。
ゆかりはゆかりで今のプレイを見て、乾ききった失笑を隠すために口元を右手の甲で隠した。
――自分で決めにいけたのにあえてトドメを譲るとかめっちゃかっこいいね! ……あはっ、いろんな意味で人間出来すぎていてドン引きだよ。
もはや、呆れるしかなかった。手柄を渡したチームメイトと拳を突き合わせて笑い合っている彼を見た感想がそれだった。
運動神経は抜群に良く、高身長で足も長い。顔だって悪くないし、性格も誰にでも優しいと評判だ。
――ほんと、嫌になる。あんなことがあったのに、どうして、そんな顔で笑えるのかな。
どこまでも恵まれていた彼は決して手の届かないゆかりにとって一番”嫌い”な人であった。
そして、彼は奈落の底にいると思っていたゆかりの更に奥深くまで転がり落ちていった一番”好き”になった人でもあった。だからこそ、彼の現状に不満を覚える。
「なんで、まだ折れてないんだろうなあ……早く折れてこっち側に来た方が楽なのに」