ドロドロのシンデレラナイン   作:カチュー

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#4 鈴木和香の理想の関係

 鈴木和香(すずきわか)には自慢のお兄ちゃんがいる。かっこよくて優しくて頼りがいがあるだけではなく、大学野球ではプロのスカウトに大注目を浴びるほどの攻守揃った二塁手である。

 和香はずっとお兄ちゃんを見続けてきたし、お兄ちゃんのことを一番理解していると思っていた。

 かっこいいお兄ちゃんを支えるために寝る間も惜しんで野球理論やトレーニングメニューに体作りに良い食事を考える。それをお兄ちゃんが実践し、成果を出してくれる。それが嬉しくてたまらなかった。

 これが和香が理想とする相互扶助の関係である。

 これからもずっとお兄ちゃんを陰から支え、お兄ちゃんもまた自分のことを守ってくれると信じていた。和香にとって、この関係が常識であった。

 しかし、お兄ちゃんはもう自分の手助けを必要とせず、何より素敵な彼女を作ったことで自分が理想としていた前提条件を崩された。それはもう、枕を涙で何度も濡らしたほど悲しかった。一生、この悲しみを忘れることは無いだろう。

 

 

 それはそうと、もう一つ和香の常識を粉々に砕いた人物がいた。何を隠そう女子野球部の監督である彼である。

 そう、あれはお兄ちゃんとリトルシニア全国大会3回戦を見に行った時のことだ。

 愛しのお兄ちゃんは常人のはるか上を行く身体能力を保有しているだけではなく、野球のセンスが抜群に良い。身体能力が高いだけでは将来を期待されるプレイヤーには成れない。センスは後天的に身につけることも出来なくはないが、先天的な素質と比べると大きく見劣りする。

 大好きなお兄ちゃんという色眼鏡抜きにしても、間違いなく断言できる。お兄ちゃんはプロ入り出来る先天的な野球センスを持って生まれた天才だ。

 

――だが、マウンドに仁王立ちするアレ(・・)はなんだ。

 

 マウンド上には中学生の大会にいてはいけない怪物が対戦相手を蹂躙していた。ふと横を見るとお兄ちゃんすら言葉を失っている様子であった。

相手打者は打たせて取るチェンジアップ以外はバットに当てることすら出来ていない。四隅にバッチリと決まる伸びのある剛速球に遠目でもバッターの直前で急激に変化するカミソリの切れ味を持ったスライダー。対戦相手チームは前回全国大会覇者のチームであるのに、まるで弱い者いじめを受けているようであった。

「なあ、和香……」

「……どうしたの?」

「俺は一度も勝負をしていない投手のことを怖いなんて思ったことは一度もなかった。それはプロの投球を見ても、同じだったんだが」

 ここで言葉を止めたお兄ちゃんはお兄ちゃんらしからぬ弱気の発言をした。

「彼と勝負してみたいと思う気持ち以上に勝負するのが怖い」

 お兄ちゃんは暑さから出た訳ではない汗をかきつつ、驚きすぎて逆に平坦になった口調になっていた。野球でお兄ちゃんから消極的を言葉を発したことなんて、殆どなかったのに。

 彼のショータイムはまだ終わらない。

 打ってはバットを高く掲げた神主打法から繰り出される豪快なフルスイングで二打席連続ホームラン。その内の一本は球場最上段までボールを届かせるほどであった。二度目の特大ホームランを打たれたピッチャーはマウンド上で膝から崩れ落ちて、魂を抜かれたような足取りでベンチに引き下がっていった。

 

――彼には天才という言葉すら生温い。暴力的ともいえる彼の実力は多くの選手に憧れを抱かせると共に絶望を振りまいていた。

 

 だが、野球に携わる誰もが羨む才能の持ち主は全国大会決勝戦で再起不能の怪我をして、表舞台から姿を消した。野球をそれなりに齧っている人間なら知らない方がモグリなぐらい有名な話だ。

 だから、彼が同じ高校にいることを知ったときは驚愕のあまり叫びかけた。どうして、この高校に。

 しかも、彼が正式に認められていない女子野球部の監督になっているのだから、更に驚きは加速していく。もう何がなんだかさっぱりわからない。

 そして、野球部の発端者である有原翼と中学からの同級生である野崎夕姫に女子野球部に誘われて入部した今。和香は彼と部室で練習メニューや今後の方針に関してのミーティングを行っていた。

「個人的には基礎トレーニングの時間を少し削って、投げ込みやバッティングの練習時間を増やしたほうがいいと思うのだけれど、どうかしら?」

「いや、翼以外の皆の体が出来ていないから基礎トレーニングの時間は削れないよ。削るとしたら……」

「でも、そうしたらこの練習量が足りなくなるわ」

 自分が研究したトレーニングメニューや野球理論を二人で討論し、より完成に近いものに仕上げていく。野球に関しては普段の気を遣う性格は鳴りを潜め、真っ向から自分の意見をぶつけてくる。

 和香はこの時間が最近のお気に入りである。自分の研究成果を議論できるのが楽しいからだ。

「鈴木さんがいなかったら、一人で全部考えなくちゃいけなかったと思うとゾっとするな……」

「ふふ、そうでしょ?」

「本当に助かるよ! ありがとう、鈴木さん!」

「……ッ!? え、ええ」

 彼はニカっと屈託のない笑顔を和香にぶつけてきた。その表情がお兄ちゃんとそっくりで和香は軽く赤面してしまった。

(いきなり反則よ! お兄ちゃんと同じ顔をするのは!)

 そんな和香を暖かい瞳で見つめていた彼はしばらくすると野球に携わっているときに見せる真剣な表情に変えた。

「それでさ、実はひとつお願いがあるんだ。鈴木さんにしか頼めないことなんだ」

「いきなり改まって、どうしたの?」

「……俺の練習メニューも鈴木さんに考えてほしい」

「え? どういうこと?」

「俺は野球に関わることを諦めていた。もう前みたいに投げられないし、打てない俺なんか何の価値もない。今更関わったところで空しくなるだけだと思っていたから」

 少し目じりを下げ、悲しそうに顔を俯かせた彼。そんなことないわと咄嗟にフォローしようとしたが、彼が顔を上げた時に見えた現役時代を彷彿させるふてぶてしく口角を上げる姿を見て、発言を控えた。

「だけど、翼や皆が楽しそうに野球しているのを見ていて……やっぱり俺は野球が好きなんだって再確認できた。昔みたいになんて贅沢はいわない。ただ、もう一度グラウンドに立って、ここにいる皆と野球をしたいんだ」

 そういって椅子から立ち上がった彼は部室の隅に置かれていたボールを手に取った。そして、彼は和香に立ち上がるように言ってから――左手でボールを投げた。

 山なりの力の抜けたボールは和香の手元に寸分の狂いもなくぴたりと収まった。

(その顔も反則よ! そんな顔されたら、断れる訳ないじゃない……)

 自分もしていたであろう野球を初めて体験した時のワクワクや期待感が全面に出た顔をしている彼を目の前にしたら、野球好きの人間は断りたくても断れないだろう。

(彼はお兄ちゃんとは違うけれど、彼のことを応援してあげたい)

「わかったわ。なるべく早くあなた個人の練習メニューも考えておくわね」

 彼の人柄の良さも普段の部活動や日常で十二分に分かっていたのもあり、二つ返事で頷いた和香は家に帰ってから、早速彼に適した練習メニューを夜通し考えた。

 お兄ちゃんのために二人三脚でやってきた同じ生活リズムに戻った和香は生き甲斐を取り戻していた。サポートする相手はお兄ちゃんではないものの、お兄ちゃん以上に才能があった選手。普通に暮らしていたら関われない才能を持った人が自分のことを頼ってくれ、もう一度再生する手助けをするのだ。ここでやる気を出さないで、いつ出すのだ。

 気合が入った和香は部活後もSNSで情報共有をしつつ、彼に最適なプログラムを構築していく。

 そうした生活を続けていったある日。彼は翼にすら見せたことがない特訓の成果を見せてくれた。

「いくよ、鈴木さん」

「ええ」

 二人きりで集まった早朝のグラウンドで和香をホームベースより後ろ……キャッチャーの捕球位置に座らせ、彼はマウンドに立つ。

 大きく振りかぶった彼は左腕を全力で振り下ろす。彼が投じたのは右腕で投げていた球と比べるのもおこがましい速度も重さもない棒球。

 だが、和香にとってその球は何よりも価値のある一球であった。利き腕でないのに、しっかりとコントロールされたボールはストライクゾーンド真ん中に構えた和香のキャッチャーミットにぽすんと気が抜けた音で収まった。

「や、やった! 届いた! 届いたよ、鈴木さん!」

「ええ、ええ! やったわね!」

「よっしゃあッ!」

 嬉しさを爆発した彼は天に両腕を上げる。そうして喜びのあまり、和香の方にダッシュで駆け寄ってくるとグラブを女房役のキャッチャーにやっていたときのように和香の頭にポンポンと乗せてきた。

「本当にありがとう! 鈴木さんのおかげだよ!」

「ええ、良かったわね」

(ふふ、よくお兄ちゃんも私を褒めるときにこうしてくれたっけ)

 お兄ちゃんはもう私を必要としてくれないけれど、彼はこうして私を必要としてくれる。私もまた彼の指導のおかげで日々上達しているし、彼がいないと野球部は成り立たない。いいわ、こういった関係ってすごくいい。

 和香が理想とする相互扶助の関係。彼との関係性はピタリとその条件に当てはまっていた。

――もっと助け合いたい。もっと喜びを分かち合いたい。もっと私を必要としてほしい。もっと私を褒めてほしい。この関係性は自分だけの特権だ。誰にも譲りたくない。

 

 心の奥底で待ち望んでいたお兄ちゃんに代わる存在をようやく和香は手に入れたのであった。

 

 

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