「ねえ、有原さん。貴女はいつまで”野球ごっこ”を続けているの?」
新メンバーも加入し、賑やかになっていたひまわり畑のグラウンドは一人の少女の襲来により不穏な空気に包まれていた。腰まで伸びている長い黒髪を風に靡かせた襲来者は翼と監督である彼に対して敵意の籠った視線を送った。
「そして、貴方も。いつまで、素人のお遊びに付き合っているのかしら?」
「えっと、君は……」
突然、知らない女の子に喧嘩をふっかけられた彼は当然戸惑う。そして、彼女は自分の名前が彼に知られていなかったことに更に目つきを悪くしたようだったが、ふっと自虐気味に鼻で笑った。
「あの子は1年5組の
新メンバーである自称新聞部兼野球部員の
「あと、彼女の兄弟は野球一家で長男と次男はプロで活躍中。三男も大学でドラフト候補に名前が挙がっているみたいにゃ。そして、彼女もまた三塁手としてリトルシニアで活躍。全国大会準決勝までいっている実績があるにゃ~」
なるほどと彼は思う。彼女自身が真剣にやっているからこそ、素人と混じって野球をしている翼と自分に対して怒りの感情を抱いているのかと。
「まあ、貴方に関してはいいわ。誰もが喉から手が出るほどほしい絶大な才能を無駄に散らしてしまったのだから。本当に才能の無駄遣いだったわね。無理をすべき場所でないところで将来を捨てるなんて、もったいない。正直、貴方には心底がっかりしたわ」
「な、なんでそんなひどいことを言うんですか!」
「い、言っていいことと、悪いことがあるよ!」
温厚な夕姫がまず口火を切り、啖呵を普段は絶対に切らない茜も続く。和香もツリ目がちな目を更に吊り上げる。
ここまで言われたら普段は仏のように怒らない彼も少しムッとしたものの……横にいる翼の顔を見て、息を飲み込んだ。
「……そういうこというんだ」
すぐ横にいた自分にしか聞こえない音量で呟いた翼はなぜかニコニコと龍に対して笑っていた。
それはもう満面の笑みで。人一人を殺しかねない殺意に満ちた漆黒の笑みだった。
様子がおかしい翼を知ってか知らずか龍は挑発を止めない。場がどんどん煮詰まっていくのを感じる。
「才能をドブに捨てた貴方はこのまま素人と楽しいだけの野球を教えていればいい。だから、せめて有原さんだけでも開放してしてくれないかしら。こんなお遊びじゃなく、ちゃんとした野球が出来る場所に。彼女の才能が枯れる前にね……」
これ以上はヤバいと助けを求めて智恵の方を見るも、彼女はもう遅いよと口パクをした後に静かに首を振った。
「悔しいけれど、有原さんの才能は私も認めているわ。有原さんなら今からでもプロを目指せる。今度、私の所属するクラブチームにも推薦……」
「ねえ、東雲さん」
途中で龍の話をカットした翼は笑みを保ったまま龍に近づいて行った。妙に落ち着いた様子の翼はひたすら不気味だった。
「……何かしら」
「私と彼の野球をお遊びって言ったよね」
「ええ、言ったわね」
「チームのために自分の野球人生全てを懸けて戦った彼のことを……才能の無駄遣いっていったよね」
「ええ、それが何か?」
笑みとは裏腹に地中奥深くまで届くかと思わせる低い声で淡々と詰問した翼はおもむろに目の前に落ちていたボールを拾い上げた。
「そこまで言うならさ、白黒はっきりつけようよ。東雲さんの野球と私と彼の”お遊び”の野球のどっちが正しいのか」
「いいわ。で、その内容は?」
「1打席勝負。東雲さんのポジションはサードだっけ?」
「ええ」
「じゃあ、私が投手側でいいよ。ヒット性の打球が打てたら東雲さんの勝ち。東雲さんが勝ったら私はクラブチームにトライアウトを受けに行くし、野球部をやめてもいい」
「随分と舐められたものね。ショートが本職である貴女に抑えられるとでも?」
「抑えられるよ。だって抑えられなくちゃおかしいもん。それで、私が勝ったら東雲さんにはクラブチームをやめて野球部に入ってもらおうかなー。私たちの夢の為に今は少しでも戦力が欲しいもんね。それとさぁ……」
そこで一拍置いた翼は笑みを引っ込めて、腹の底に抑えていた呪詛を一斉に開放した。例え人が息絶えていたとしても追い打ちをかけるような残虐な殺意をあらわにして光をともさない真っ黒な目で龍の瞳を覗き込んだ。
「彼に謝ってよ。ねえ、謝ってよ。いいからさ、謝って。謝れ、謝れ。絶対に許さないッ! あやまれあやまれあやまれ! ねえ、東雲さんッ! あやまれあやまれあやまれあやまれ!」
許さない、謝れと怨念じみた発言をひたすら繰り返す。表情は怒りと笑顔と無表情を行き来して安定していない。が、龍を見る目元だけは強烈な負の意思に渦巻いていた。
智恵以外の全員が狂った翼を見て、固まる。人はここまで憎悪や敵意や憤怒といった感情を明確に表に出せるものなのか。
しばらくすると翼は脈絡なくうわ言をやめ、龍に対して不自然に微笑んだ。
「調整も必要だし、対戦日は3日後でいいよね」
「い、いいわよ……」
「楽しみにしているよ」
勝負の約束を取り付けた瞬間、逃げるようにその場を去った龍。いくら強気そうな龍でもアレに対しては耐性はないはずだ。
「はあ……」
彼女が去ったことにより空気が緩み、翼以外の全員が大きく息を吸い込んだ。そして一息ついた彼はとんでもない約束をした翼に恐る恐る声をかけた。
「翼、あんな約束をして大丈夫なのか? 彼女の言う通り、ピッチャーは本職じゃないはずだ」
「うん。でも、私はずっと見ていたし大丈夫。私たちが負けるわけがない」
翼は感情が抜け落ちた顔でそう言った。言葉が抽象的すぎて、彼は翼が何を根拠に大丈夫だと言っているのかわからなかった。
ポーカーフェイスを保てず、先の見えない勝負や何をしでかすかわからない翼に対しての不安を表情に出してしまった彼。
「えいっ!」
そんな彼に対して翼は無表情をやめ、龍に向けていたのとは真逆の慈愛の微笑みを出して彼にぎゅっと抱き着いた。胸元から下にかけて翼の膨らんだ胸部が当たり、彼はドキドキしてしまう。練習中なら覚悟を決めて練習以外のことは思わないように努めているが、不意打ち気味で来られると思春期真っ盛りな男子高校生としては少々辛いものがある。
「大丈夫だよ。私たちは負けないもん。それに3日間は集中的に指導してくれるよね?」
「うん、そのつもりだけど……」
「なら、もっと大丈夫……大丈夫だよ」
自身の胸元に髪と頬をすりつけて離れない翼をそろそろ振り払おうとするも、影のフィクサーからのストップがかかったため、そのままにしておく。
それに伴い、我に返った周りの女子部員からの冷たい視線に晒された彼は大きな体を縮こまらせるのだった。