あいえす城御前試合 作:徳川さんちの忠長くん
この作品世界に、小説『インフィニット・ストラトス』、『駿河城御前試合』は存在しません。
他はあるものとないものがあります。
織斑千冬を見て、女は思った。
──『さあ、撃たせろ。やれよ、楽しませてくれ』、と。
「──あんたなんて、産まなきゃよかったッ!」
少女の記憶に残る、最古の言葉は、恐らくそれだ。
カナダのトロントで生まれたアシュレーは、母親と、その時々の「父親」との三人で暮らすことが、比較的多かった。
アシュレーの母親は昔から大層色狂いで、若い頃から夜毎に男を
そんな放蕩な暮らしぶりが祟ってか、母親にとっては不運な事に、
女に残された最後の母性なのか、娘は無事この世に足をつけることとなったのだが、この母親、すぐに娘のことを忌々しい、と感じるようになった。
女は食虫植物のように美しい容姿をしていたために、失点付きでも男の
実の母からは、自身の
義理の「父」にとっては、邪魔な「付属品」でしかなく。まともな奴は殆どいない。「父」の中には、酒に酔って少女に手をあげるような者もいた。それを見ていた母親が表面上はどうあれ、内心では少女がいたぶられる事に仄暗い愉悦を感じていたことが、拍車をかけただろう。
少女のことを邪険にしながら情事にふける「両親」。彼らを見ながら、少女の歪な人格は創られた。
「両親」は信頼できない。
そんな環境において、少女が自らの依存先を外に求めるのは、なかば必然だ。
生き延びたアシュレーは学校に通う年齢になる。
母親の面影のあるアシュレーは、良くも悪くも御近所では既に有名だった。その為彼女は、大人の社会からやんわりと排斥される。
が、それは子供の世界では関係ない。
「アシュレー! 遊びに行こうぜ!」
「……うん!」
幼い頃、人間は無垢だ。風聞に染まらぬ彼らは、売女の娘でも仲間に迎えた。
家以外の新しい関係を得る。他人との繋がりを築く。
少女のひび割れた心は、確かにそこにある信頼、絆でゆっくりと埋められていった。
「私たち、友達だよね……?」
「いきなりどうしたの? アシュレー。当たり前じゃん」
「……そっか!」
一年が過ぎ、二年が過ぎ。
成長を重ねて思春期に入り、かねてより付き合いのあった一人の少年の事を、アシュレーは気にかけていた。その少年、カーストの上層に位置する男にも関わらず、昔から欠陥付きの少女に良くしてくれて、少女は彼に対し、「友愛とも恋愛とも取れぬ」感情を微かに抱いた。
スクールライフ。薔薇色の青春を送ろうとした最中、事件は起こる。
「なぁ、アシュレー。放課後少しいいか?」
「ん? いいけど?」
きっかけは、件の少年から、呼び出しを受けたことだった。
その日は周りの友人達も、アシュレーの方をニヤニヤと眺めていることが度々あり、そのことを彼女は不思議に思っていた。
繰り返すが、彼女は「恋慕の情」というものを理解していない。
せめて、精神の成熟する二年先、あるいは友愛というものを知らぬ二年前なら結末は違ったのかもしれない。
割鏡不照。覆水は決して盆には返らないが。
「……あのさ、オレと付き合────」
少年の恐らく生涯初であろう告白。
顔にはドギマギとした表情が浮かび、緊張で血管が浮き出るほど強く握られた拳には、冷や汗がやんわりと伝う。
少年の、これまでを賭けた一世一代のオール・イン。
それを受けた彼女が────
「──────嫌ッ!」
────幼い頃から見続けた、「両親」の獣欲と感じてしまったのは、単なる悲劇だ。
無論、少年にそんな邪な感情はない。この少年は、まごう事なき好青年である。
年頃につき、小さじ一欠片分はあるかもしれないが、少年の心は、愛や絆のような、綺麗な言葉で語れるだろう。
ただ、少女はその特殊な生涯において、そんな概念を知り得なかった。
少女の中には、
フラッシュバック。
……アシュレーの濁った目には、少年の姿に、彼女の「父親」たちの姿が重なって見えた。
反射的に、少女は片腕を前に突き出す。
「っ、いてっ」
環境のせいで肉づきの悪い腕から繰り出されたのは、テレフォンパンチにも劣る何か。
しかし、その
「──ごめん、待ってくれ!」
痛みと失意にたたらを踏む少年をよそに、アシュレーは行方をくらませた。
走る。走る。走る。
トロントの街を、行先も決めずにがむしゃらに走るアシュレー。
付近の人々が怪訝そうな目で見つめるのも気がつかない。
──裏切られた。信じてたのに、信じてたのにッ!
そう誤認する少女のガラス玉からは、大粒の涙が零れ落ちる。
アシュレーには、情愛を求める少年が「父親」のように見えていた。
アシュレーには、自身を嗤う友人達が「母親」のように見えていた。
アシュレーにとって、彼らはもう信頼できないものになっていた。
彼女の心を保護していた、少年達との友情、絆はバラバラに崩れ落ちて、むき出しの虚無だけが残る。
木の根に躓いて転んで、擦り傷を作る。
土に足を取られ転んで、片っぽの靴を落とす。
泣きっ面に
「────?」
気がつくと。
本能が雨を避けたのか、少女がたどり着いたのは、町外れにある廃ビルだった。
アーネンエルベと言う名の廃ビル。文字通り誰かの遺産なのか、景観を阻害するのにもかかわらず中々取り壊されない。
割れ窓よろしく、近くの悪ガキかホームレスが暮らしているのか、そこには嫌に生活感があった。粗大ゴミのデスクやベッドは勿論、発電機まであるのか冷蔵庫まで設置されている。雑誌や灰皿の置かれたそこは、ワンルームのアパートと言われても信じてしまうかもしれない。
心身ともにボロ雑巾になり、半ば自動操縦状態のアシュレーは、そんな部屋を一つずつ見ては離れ、見ては離れ、
「────ッ!」
とある部屋の壁に貼られた、アニメキャラがセクシャルなポーズを取っているポスターを見て狂乱した。
彼女の「母親」の立ち振る舞いと、そっくりだった。思わず駆け寄って、その女の顔から股までを引き裂く。
見渡せば、どんな変人が暮らしていたのか、そこは誰かのサブカル部屋。
「母親」と同じ
狂気のままに、少女は性的な枕を投げつけ、精巧な人形を踏みつけ、本棚から書物を叩き落とす。
目的もなく、怪獣のごとく暴れまわること数分。
床に落ちた本は埃にまみれ、置かれていたオーディオは雑音を奏でる。枕からは
部屋の一部と引き換えに、精根尽き果てた少女は、ベッドに力なく倒れ臥す。
ベッドすらも、アシュレーにとってはトラウマの一つだ。
彼女は現実からは逃れられない。
天を仰いだ彼女は、苦悩の独り言を漏らす。
「もう嫌だ。生きていたくないよ……」
「両親」との間には元から何もない。
友人達との友情は、既に失われて。
彼女の絆は砕け散った。最早彼女を支えるものは、一つもない。
「『いつか気がつく。君の人生は、目が覚めているだけで楽しいのだ』」
──調子外れの音響機器から、幻の応えが流れた。
「……え?」
思わず上体を起こし、きょろきょろと首を振る少女。
──やはり気のせいか。自分に声をかける人なんて、誰もいない。
未だ、絶望を盲信するアシュレー。
幻想を探す彼女が辺りを見渡していると、部屋の片隅、魔の手の及んでいない一角。
そこにはまだ無事な、漫画や雑誌、文学、DVDやゲームが残されていた。
歩み寄る少女、焚書しようと皇帝の如く検閲をする。
……が、それらの群体は、思ったよりも
むしろそれらは、彼女に残った心の破片に火を灯し、赤々と燃やし始めた。
アシュレーは何かを求めてページを捲る。
『立って歩け。前へ進め。あんたには立派な足がついてるじゃないか』
『
──私も歩いていけるのかな……。
アシュレーは何かを求めてページを捲る。
『なんとかなるよ、絶対大丈夫だよ!』
『カード蒐集の魔法少女』が、少女を激励する。
──なんとかなれば、大丈夫ならいいな。
アシュレーは何かを求めてページを捲る。
『この世界はあなたの知らない面白い事で、満ち満ちているわよ。楽しみなさい』
『新世紀の軍人参謀』が、少女を誘う。
──私はまだ何も知らない。何も楽しんでない。
アシュレーは何かを求めてページを捲る。
『僕は諦めたりしない、飽きたりしない、捨てたりしない、絶望なんかしない!』
『超高校級の希望』が、少女に啖呵を切る。
──私も
アシュレーは何かを求めてページを捲る。
アシュレーは何かを求めてページを捲る。
アシュレーは何かを求めてページを捲る。
捲る。捲る。捲る。捲る。
ただひたすらにページを捲る。
──そこには夢があった。希望があった。
友情が、努力が、勝利があった。
彼女の知らない物語があった。
彼女の知らない
『物事に良いも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる』
アシュレーの心を空想の殻が覆っていく。
彼女にとっては、最早現実なぞ信頼の置けるものではない。
だが、それがなんだ。それは悪いことなのか?
これは逃避ではなく転進である。
『いのち短し、恋せよ乙女。いざ手をとりて──』
『君恋ふる 涙しなくは 唐衣。胸のあたりは 色もえなまし』
『月が綺麗ですね──』
死んでもいい、彼女は先ほどまでそう思っていた。
その言葉に新たな意味が添えられる。
アシュレーは今、まさにこの瞬間、その感情を理解した。
少女は彼らに、世界に恋をしたのだ。
『人は生まれたときから偉大なのではない、成長しながら偉大になるのだ』
幻想との絆を少女は紡ぐ。
彼女の始まりは屑だ。塵芥だ。
しかし、彼女の終わりまでそうとも限らない。
『海賊王』、『火影』、『やさしい王様』、『ポケモンマスター』!
スタートは落ちこぼれでも、彼らは輝かしい未来へと歩んでいる。ならば、少女にだって出来ぬはずはない!
捲った
彼女の先達たる、『未来の海賊王』が叫ぶ。
『「行きたい」と言えェ!!!!』
彼女は
彼女自身の人生からは、返す言葉が何もない。
「……………………『生ぎたいっ!!!』」
──だから、少女は他人の
古代ローマの楽劇において、演者が他者へ化ける為に用いたとされる物。
とある心理学者によって、それが今では心を覆う鎧として定義づけられた。
それは他者との関係によって付け替える役割。
それは自身を護る空想の仮面──
全書を閉じて、アシュレーは廃墟から外へと踏み出す。
雨はいつの間にか、上がっていた。
からりとした青空だった。
数年後、バンクーバーの闘技場にて。
一人の少女がISを纏っていた。
ISの機種はラファール・リヴァイブ。
出荷時は空白だが、多種多様な武装を付け替えて、操縦者独自の色彩を出す専用機。
空っぽの少女。空っぽのIS。
何者でもない彼女らは、仮面次第で何者にでもなれる。
「『────
少女が呟くと、その両手に『白黒の陰陽剣』が現れる。
無論、少女にも武器にも特別な力は何もない。
投げつけた中華剣は、引き合うことなく真っ直ぐと飛ぶ。
贋作にも劣る猿真似、ただの仮面だ。
しかし、コミックの物真似だと嗤い、自分の方が上等だと嘯く相手がいたならば、少女はきっとこう言うだろう。
「──『おまえもしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?』」
少女の中で、幻想は現実に優る。
幻想に救われ、憧れた少女にとっては、二つの価値は反転する。
彼女は、空想の仮面を被った『
武術の基本は師の模倣だ。
『重い亀道着』をその身に纏って、『感謝の正拳突き』を物真似る。
『召喚技』を再現しようと、『
たかが猿真似。されど猿真似。
さすれば、模倣を続ける少女のそれは、最早一種の武術体系に他ならない。
『山吹色の突撃槍』をその手に具現化させた少女は、高らかに謳い上げる。
少女の仮面なら、きっとそれを目指すはずだから。
「『何を隠そう、
「『“
彼女は空っぽの
彼女はあの日以降、
彼女は今も、ひたすらに模倣を積み上げている。
彼女は継ぎ接ぎの仮面を着けた、能動的多重人格者だ。
カナダ代表、『ものまね士』。
『
※能力クロスではありません。ただの真似っこです。
※特殊空間・廃ビルは作劇上の都合による摩訶不思議領域です。
※歌謡曲『ゴンドラの唄』は既に著作権が切れており、パブリックドメインです。
※『書溜め、キレた!!』