あいえす城御前試合   作:徳川さんちの忠長くん

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本話にはグロテスク、猟奇的、とりわけ人倫に背く描写が含まれます。ご注意下さい。


殺人サラブレッド

 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──おいしそうね、と。

 

 

 

 陰謀論。

 世界で○○なことが起こったのは、××のせいである。そんな与太話をまとめ上げた、大衆娯楽のジャンルの一つである。

 例えばユダヤ人、例えばフリーメイソン、例えば亡国機業、例えば三百人委員会。

 この世はいろんな影の集団に支配されている……らしい。彼らは世界の裏側で、様々な計画に暗躍している。

 例えば世界のネットワークを傍聴する装置開発、例えば国家元首暗殺、例えば人工地震の発生。

 どれも実現可能かどうかなんて、わからない。

 ただ「人間の想像することは、人間が必ず実現できる」なんて言葉もある。

 宇宙人との接触、天候の操作、遺伝子組換えの私物化。

 

 ……あるいは究極の人類の創造計画、なんてのもあるかもしれない。

 

 至高の計画の残滓。零落したもの。

 今回のお話は、そんな感じ。

 

 

 

 ドイツ、某所、某研究所。

 病的なまでに磨き上げられたコンクリートの廊下を、白衣の男女が歩いていた。

 

「──本当に例の怪物を使うんですか?」

 

 髪を刈り上げた男が、自らの怯えを口にした。瞳孔が開かれた目はきょろきょろと辺りを見渡し、唇はやや青白く染まっている。

 未だ人体を切り刻んだことは片手ほどしかない、呆れるほど人倫に則った、真面目でウブな男だった。

 男の問いに、女はいささかの呆れを交えて答える。

 

「勿論よ。やや不安定だけれど、あれ程の完成度の検体は他には無いわ。……首輪も付けてあるのに、何が不安なの?」

 

 不思議そうに小首を傾げる女。

 彼女の白衣には、落としきれない赤い染みがついており、腰ポケットからは銀光するメスが顔を覗かせていた。研究所に長らく勤めている女は、最早ここ以外の生活が考えられないくらいに、立派なマッド・サイエンティストである。

 男女は、明るく照らされた施設稼動部から、薄暗い区画へと渡った。

 男が何気なしに手を壁に這わせながら歩くと、指先には少しの埃が覆いかぶさった。

 

「うぇぇ。こっちの方、誰も掃除してないんですか?」

「さぁね。わざわざこっちまで来てそんなことする変人なんているの? 精々餌やりくらいが関の山でしょ。昨日ボーナスが支給されたそうよ」

 

 私も給料上がらないかしらねー? などと嘯く女に、男は心底同意した。

 心労を患うほど激務の割に手当てが少ない。そんな辞められない職場だった。

 一瞬、ボーナスとはなんぞや? という疑念が、男の脳裏を掠めた。

 

 男達は閉鎖区画の深奥へと進む。

 ツンと鼻をつくホルマリン臭が薄れ、代わりに鉄錆染みた赤黒い匂いが鼻腔を刺激する。

 思わず荷物からマスクを取り出して顔に付けた男に対し、「早く慣れなさいよ」と女は冗談交じりに軽く指導する。

 男が生来培ってきた善性・倫理は、女に対し、幾分かの誤ちを指摘した。一方で、男が身につけた狂気は、女の金言を歓迎した。

 

 陽の当たらない施設を歩いて少し。

 やがて、研究者達は伏魔殿の最深部へとたどり着く。

 そこにあったのは、なんの変哲も無い一つの扉だけだった。

 扉には鉄窓も鉄格子もなく。何処かの会社の会議室の扉と言われても不思議では無い。

 ただ、その薄壁の向こう側から、むせ返るような死臭が漂ってくるのが、一種のアンバランスさを醸し出していた。

 扉に触れるのを男が躊躇するのを尻目に、女は右手の甲で二回コツコツと扉を叩いた。

 

「リザー? 入ってもいいかしら?」

「んー? 今食事中だけど大丈夫ー?」

「ええ、勿論。それじゃあ失礼」

 

 ガチャリ。

 鍵が開かれ、ドアノブが回され、正気の扉が開け放たれる。

 内外の気圧差に押されて、赤々とした空気が外界に解き放たれる。

 男は──たとえマスク越しであったとしても!──体感したことのない様な恐ろしい濃度の血臭を受けて、卒倒しそうになった。

 ──この奥は危険だ。危険だ。今すぐに帰るべきだ。さぁ、早く! 速く! 疾く!

 男の脳が、心臓が、脊椎が、動脈が、警鐘をけたたましく鳴らす。

 だが、そんな本能とは裏腹に、蝋で塗り固められたかの様に男の脚はピクリとも動かない。それどころか、その右腕は、男の意に反して、女の背へと伸びる。

 白衣の端をちょんと摘んだ男に対し、女は振り返って面倒くさそうな顔をした。女の目は、賢人が凡俗を見るような憐れみを帯びていた。その凍えた眼差しに、男の反骨心は燃え上がる。

 男は意思を振り絞って、女の白衣の背皺から指を離した。

 女の後に続くように、男は正常の門を潜って────

 

「────ッ! ……うげぇ、げぼっ、ゴホッ」

 

 ────その蛮勇に酷く後悔した。

 男の口からは、彼が朝食に食べた牛肉やら豚肉やらをぐちゃぐちゃにミキサーにかけて、胃酸とブレンドしたものが吐き出される。胃液によって半ば溶かされたそれは、たまらぬ刺激臭を発しており、空気中の血液と混ざり合うことで、なんとも言えぬ腐臭を放っていた。

 男が命を吐き戻すのを見て、白衣の女と部屋の中に居た一人の女は、不快そうに距離をとる。室内の女は「汚いなぁ」と愚痴った。

 ……だが、もしこの場に善良な一般市民を連れてきたならば、そいつは間違いなく男ではなく、室内の女から逃げ出すだろう。

 女は食事中だと言っていた。

 だから手にはナイフとフォークが握られている。それはいい。

 男の醜態に動揺したのか、食材をひっくり返してしまっている。それも構わない。

 だが、その食材が問題だった。

 男はその食材についてよく知っていた。

 男はその食材の生前の姿についても、少しばかりの想像がついた。

 男はその食材を一昨日も昨晩も今朝も目にしている。

 男が右腕に力を込めると、その食材の同類がピクリと動いた。

 

 ──それは人間の腕だった。

 

 

 

 

 エリザベートと言う名の女は、真っ当な生まれではない。

 彼女に父親はいない。強いて言えば、精子バンクの貯蔵庫だ。

 彼女に母親はいない。強いて言えば、研究室の試験管だ。

 彼女はドイツ軍が創り上げた、最強の兵士、その残骸、成れの果てである。

 

 遡ること十数年。

 とある機業がもたらした神域の設計図は、世界中の科学者たちを狂気へと駆り立てた。

 ××計画。

 世界の裏側の人々が組み上げた、まさしく神をも恐れぬ所業。人間としての究極、ハイエンドを創り上げんとしたプロジェクトである。

 紆余曲折あって、プロジェクトは少しの成功とともに頓挫することになったのだが、その計画の一部分が、世俗へと払い下げられることとなる。

 これには世界中の多くの政府、軍、研究所が飛びついた。倫理の二歩先三歩先を行く計画に、人倫に縛られた研究者達は抗いがたい魅力を感じたのだ。ドイツ軍は、そんな蝿達の一匹である。

 

 研究に取り掛かるにあたって、ドイツの研究者達はいくつかのチームに分けられた。これは、最強の兵士へと至るアプローチを複数に分けることで、成功の可能性を上げるための方策である。

 そんなわけで、そのうちの一つのチームは、研究者達の中でも一等狂った──頭のネジを総取り替えしたような──奴らばかりが集められた掃き溜めとなった。

 彼らが膝突き合わせて最初に行ったのは、定義の擦り合わせ──即ち最強の兵士とはなんぞや? という統一見解の構築だった。

 

「スーパーマンのようなタフガイ」

「違うな。装備でいくらでも補強できる」

「コンピューター紛いの卓越した頭脳」

「ノーだ。それは前線の兵士には必要ない」

「あらゆる兵器を十全に使いこなせる才能」

「却下。スキルは後天的に習得できる」

 

 紛糾する議論。

 最強、という言葉は、あまりにもファジーすぎた。何をもってして最強なのか、明確な水準はどこにもなかった。

 ああでもない。こうでもない。

 あらかた意見が出尽くして、少しの沈黙が支配する議場。すくりと手を挙げたのは、一人の年若い──比較的まともな──研究者だった。

 狂人達の眼球が研究者を貫く。

 

「あのー。兵士の資質ということで、一つ思いついたんですけど……」

「なんだね。早く言いたまえ」

 

 ごくり。議席の上座に座る男から急かされて、研究者は思わず唾を飲む。

 そして、おずおずと己が意見を述べた。

 

「……最強の兵士って、つまりは人を問題なく殺せる(・・・・・・・・・)兵士のことだと考えたですが、どうでしょう?」

 

 ──それが、悪魔の引き金だった。

 

 

 

 殺人。人が人を殺すこと。

 創作物において、ファストフードのように消費される行為だが、現実においてはそのハードルは極めて高い。遺伝子に刻まれたミームなのか、人は殺人という禁忌を犯す事に、本能的な忌避感を覚える。

 とある書物によれば、銃を持った兵士のうち、躊躇いなく敵を射殺できるものは、全体の僅かニパーセント程しかいないそうだ。

 多くの人々は──例え敵を目の前にしても──人を殺す事に抵抗を覚える。その抵抗感を削るために、兵士たちは何千、何万と人型の的への単純な「的当て」を反復訓練で行う。そして、上官からの命令によって、半ば機械的に職務を遂行する。あるいは、人間の基準に棚を作り、隣の仲間こそが人間であり、敵は悪魔か畜生であると暗示をかける事で、忌避感を軽減する。

 ……そうして作り上げられた兵士であっても、殺人による精神的ストレス及び精神疾患は避けられない。これは、ベトナム戦争における帰還兵のPTSD発症率や、薬物・アルコール依存症患者の割合からも明らかだろう。

 神は同族殺しを御許しになってはいないのだ。

 ただ、最強の兵士ともなると、そういうわけにはいかない。

 『魔剣』が敵手を斬り殺すことを至上命題とするように、最強の兵士には敵兵を問題なく殺害してもらわねば困るのだ。

 その目的を達成する為に創り上げられたのが、エリザベートという女だ。

 

 

 優秀な陶工が、土から拘って焼き物を創るように、女の素体も、その遺伝情報から選別されて作られた。

 人を躊躇なく殺せる人であれ!

 腐敗した祈りの元に集められたのは、人類史に残るシリアルキラーの種子。

 遺伝上の父親は、遠く米国にて、「満月夜の食屍鬼」と呼ばれた魚の男。

 遺伝上の母親は、自国ドイツの産み出した、歴史の汚点たる「収容所の魔女」。

 何処かの機業の手によって保存されていた彼らの遺伝情報は、問題なく狂科学者達の手へと渡った。

 悪魔合体、狂気配合。優生学的観点で掛け合わされる殺人鬼の資質。

 試験管の中で産み出されたのは、人喰い鬼と拷問魔女の合いの子だった。

 

 朱に交われば赤くなる。優秀な個体であっても、凡俗に周りを囲まれていれば、瞬く間に暗愚へと堕ちてしまう。教育とはかくも偉大なるかな。

 殺人鬼の雛は優秀な兵士(・・)と成るべく、物心ついた時から熱心な指導を受けていた。

 幼子が知育番組を観るように、少女が魅せられたのは裏社会に蔓延る猟奇的なスナップフィルム。普通人がスポーツ等で体の動かし方を学ぶ年頃に、彼女は肉の解体法を叩き込まれ。習うより慣れろと言わんばかりに、リザの前にずらりと並べられたのは、ひと、ヒト、人!

 口を塞がれ物言えぬ肌色の肉塊達。彼らの来歴は、誰とも知れぬ浮浪者や、制度上処理(・・)できない犯罪者。人権を剥奪された彼らは、軍によって掬い取られ、こうして少女の食卓に並べられた。

 集団的ヒステリー、狂気の感染。研究者達は、究極の兵士と言う名の悪魔の製造を最早辞められなかった。それは後ろ暗い研究に、頭のてっぺんまでどっぷりと浸かっていたというのも理由の一つだが、倫理の先にある達成感と神をも恐れぬ背徳感に酔っていたのもまた事実だ。

 天性の資質かはたまた調練の成果か。

 研究者の庇護の下で、エリザベートはすくすくと悪辣に育つ。気がつけば少女は、神のそれではなく、人間の肉と血を欲する存在になっていた。

 初めは銃、続いてナイフ、最後には素手で。命じられるがままに少女は人間を解体した。嬉々と嗤いながら、獲物の血肉を文字通り啜る少女の貌には、躊躇いや嫌悪などはどこにもない。スポーツ科学を元にした軍隊的な肉体改造を行い、様々な武器にも熟達し、兵士としての適性を磨いていくリザ。

 その行く末、極め付けは、ISの起動にも十全に成功したことだだだ。

 研究員達は、「やった!」と全員が肩を叩き合い、喜びを露わにした。彼らは、その猟奇的な製造手法から、他の班の連中から鼻つまみ者にされてきた。そんな周りの連中の検体「ラウラ」でさえ、ISには適合せず、手術も失敗に終わったことを知っている。

 ナノマシンを体内に埋め込む? ハッ! 所詮機械混じり、人間を極めることを辞めた愚物ども。その程度の中途半端では、人間のハイエンドには至れんよ!

 そう言って、嫌われ者達はゲラゲラと嘲いあった。喜びの一部分は、自分たちが手塩にかけて育てた一人娘が、エリート達の子供を上回ったことが原因かもしれない。親心などと言う殊勝なものは持ち合わせていなかったが、研究結果を誇る気持ちと年単位で赤子から見続けてきた歪な愛情が、笑い声にブレンドされていた。

 エリザベートも、一緒になって微笑っていた。

 

 少女の倫理観を、異形のものとして成形し終えたある日のこと。

 研究者が戯れに、リザに友達役の少女を提供した時に事件は起こった。それは単なる遊びではあったが、少女に外付けの倫理観を身につけさせる第一歩でもあった。

 意外かも知れないが、リザはこれまでに研究者達の命令に背いたことは一度もない。刺せと命じられれば刺す。撃てと命じられれば撃つ。

 少女が生来持ち得た動物的本能からか、教育の一環で行われた刷り込みによるものか。由来は不明だが、少女は研究者達の命には粛々と従う。そこに異論は一切挟まれない。

 殺せと言われて殺せる人間。彼らの目指した究極の兵士、その先駆けとエリザベートは成り果てた。それ故に、少女と一緒に遊べというリザにとっては不可解な命令にも、疑念の余地なく従う。

 

 リザの部屋に連れてこられたのは、ぐったりと眠った一人の少女。研究者に抱き渡されたリザは、自分のベッドに彼女を横たえる。

 一時間待ち、二時間待ち。研究者がゴソゴソと何かしらを持ってくる間、リザは少女の寝顔をにこにこと眺めていた。彼女からしてみれば、同年代の生きた人間(・・・・・)を見たのは初めてだ。好奇心がひどくそそられる。

 数刻が経って、漸く少女が目覚めた時、リザは思わず彼女に抱きついた。

 

「────おはようっ!」

 

 目を白黒とさせる少女。彼女の視点から見てみれば、街を歩いていたら、いつのまにか意識が遠くなり、目覚めるや否や見知らぬ少女に抱きつかれる。率直に言って、意味不明だった。狂乱してもおかしくはない。ただ、目の前に自分と同じ年頃の子供がいたと言うのは、少女の不安を幾分か和らげた。

 リザをやんわりと引き剝がしながら、少女は問いかける。

 

「……ごめん離れて。ここはどこなの? って言うかあなたは誰?」

「私? 私はエリザベート、リザって呼んで? それで、ここは私の部屋だよ?」

 

 要領を得ない回答。

 だが、天真爛漫なその様子を見て、少女の警戒は少しずつ解きほぐれる。元より悪意に晒されることなど短い人生で殆ど無かった子供である。少女は身の危険をすっかりと忘れて、自分のことを話し始める。リザは研究所の外のことを知識でしか知らなかったので、彼女の話にたいそう食いついた。

 みるみるうちに仲良くなった二人。少女が辺りを見渡せば、そこにはぽつねんと置かれたおもちゃ箱。研究者が先程持ってきたものだった。

 家の事情で、リザは銃や刃物は知っていたが、子供用玩具なんて知らない。これなんだろう? と不思議そうにカードを取り上げるリザ。そのあどけない、間抜けな面構えを見た少女はクスリと笑った。

 トランプをしたり、ボードゲームをしたり。

 少女は所々リザに教えながら、室内で遊び始める。初めての体験だったが、そこは頭の出来は人造のリザ、最初はコテンパンに負け越したものの、時間が経てばルールも攻略法も理解した。

 なんで急に強くなったのー! とむくれる少女に、リザはからりと笑って「私頭いいから」と返す。あっけらかんとしたその返答に、思わず少女は笑い返した。

 子供達は、そうしてあっという間に仲良くなっていった。リザは少女に初めての感情を抱いていた。少女が同様に感じたそれは、友情という言葉で表された。

 彼女達が仲良くなることは、奇しくも研究者の思惑とも見事に噛み合っていた。友情などという世迷い言を今はもう狂科学者達は信じてはいないが、人間を縛る鎖になることは理解していた。彼らにも、人倫に関する知識は一通りあったのだ。ただそれを科学の発展の為と、土足で蹴飛ばしただけで。

 少女達の戯れを見ていると、かつて捨て去ったはずのそれらを思い出したような気がした。

 

「──次は何するー?」

 

 楽しい時間は過ぎて。一通り遊びを終えて、リザは少女に問いかける。少女はリザにすっかり心を許していたが、流石にその問いにはお茶を濁した。

 

「……ごめんね! もう帰らなくちゃ!」

 

 部屋の壁に架けられた時計は五時を示している。少女も、そろそろ帰らなければまずい時間だ。とは言え、帰れるかも判然としない。少女が家に帰れるかどうかは、目の前の女の胸先三寸だった。

 少しの沈黙が続いて、ベッドの上に腰掛けていたリザは答えを返す。

 

「──んー! そっか!」

 

 鷹揚と認めるリザ。

 その判断は、研究者達とも一致していた。少女の身元はしっかりとしている。方々と口裏は合わせてあるものの、浪費するわけにもいかない。丁重にお帰りいただく予定だった。それに、我が子同然の娘が無垢な少女を殺すところは、あまり(・・・)見たくない。

 研究者の安心をよそに、少女はリザに礼を言う。

 

「ありがとう! また遊ぼうね!」

 

 喜色満面の少女に、腰の後ろに手を回したリザは微笑み返した。

 少女はリザに背を向けて、部屋のドアへと歩いて向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──リザはその無防備な背中を、ベッド端から取り出して、後ろ手に握った肉切り包丁で薄く薙いだ。

 

「──────!?!?!?」

 

 痛みでアドレナリンが過剰分泌され、脳汁が駆け巡る少女。そんな少女を押し倒し、続けざまにリザは膝裏の腱を斬りつける。

 絶叫。

 心臓の鼓動に合わせて、血流が体外へと押し出される。包丁の切っ先には赤白い肉片がこびり付いていて、ポタポタと床に染みを作っていた。凶行に及んだ女は少女の踝に蹲り、ふくらはぎを舌で舐める。出血で赤く塗られた頰は、醜く妖艶に歪んでいた。

 

「──痛い痛いッ!!!」

「少し大人しくして」

 

 ジタバタと身体をくねらせて暴れる少女。脚が不自由なそれは、蟲のように手を振り回している。

 リザは唇を少女のふくらはぎから離して、肉切り包丁を平に構えた。

 ゴッ、ガッ、ごつり。

 右の二の腕、脇腹、太もも。少女の肉体にリザは鉄板を叩きつけた。丹念に丹念に。丹念に丹念に。

 力強く叩きつけられたそれらの部位は、薄く引き延ばされ、無残な有様となっている。右腕は無理に力をかけたのか、骨が折れ曲がり、肉と皮を突き破って白く露出していた。太ももを叩くたびに、先に斬られたアキレス腱からは、ぴゅぅぴゅぅと肉混ざりの噴水が跳ね上がる。

 その滑稽さに、リザは「アハハ」と少女らしく笑った。

 絶え間なく続く蛮行。あまりの激痛に、少女の脳が防衛機能を働かせたのも無理はない。ブレーカーを落としたように少女の意識はすとんと落ちた。眼球はあらぬ方向を向き、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。

 

「──もう()っちゃったの?」

 

 そう言って、リザは少女の涙を舌先でちろちろと丹念に舐めとる。既に血を啜っていた為に、その行為は少女の顔に死化粧を施した。

 一通り味わって満足したのち、リザは少女の体に覆いかぶさるようにのしかかった。全身を擦りあわせ、擦り付けたリザは、少女の両頰に手を当てて見つめ合う。

 

「──ちゃん。また遊ぼうね」

 

 約束を紡いだリザは、自身の顔を少女の顔に近づける。鼻先と鼻先が触れ合うのをよそに、リザの唇が少女の唇を軽く啄んで────

 

 

 ────薄桃色のそれを食いちぎった。

 

 がりっ、むしゃむしゃ、ごくん。

 ああ、おいしいわ。さすが私のおともだち。

 

 

 

 研究者達が現場に駆けつけた時には、既に少女の身体の三割ほどはなく、丁寧に切り取られて何処かに消えていた。少女を抱きしめていたリザの口元は、ひたすらに赤い口べにが塗られていて、晴れやかな笑みを浮かべていた。

 リザにとって、少女は初めての友達だった。

 リザにとって、彼女は既に特別な存在だった。

 リザにとって、それは誰にも命じられることのなかった行為、いわば彼女のはじめて(・・・・)だった。

 少女の中では、友愛と愛情と殺害と捕食は、シームレスに繋がっていた。

 

 ──それを見て、研究者達の酔い(・・)は一瞬で冷めた。

 

 これは兵士ではない、これは娘ではない、これは人間ではない!

 ここまで来てやっと、漸く、研究者達は過ちに気がついた。

 絶句する男達をよそに、リザは少女を啄ばみ続ける。笑い続ける。啄ばみ、笑う。喰らい、嗤う。

 ガリ、ガリ、グシャリ。

 アッハッハッハッハッ────!

 

 

 

 それ以降、エリザベートは触れ得ざるものとなった。

 少女の首には、爆弾の詰められたチョーカーが巻かれ、今も研究所の最奥でにこにことただ笑っている。処分することも検討されたが、命令には従うこと、何より莫大なサンクコストが惜しまれたことから、ドイツ軍人の軍籍が与えられ、とり置かれることとなった。

 

 彼女が解き放たれる契機となったのは、ドイツ軍に異邦人が立ち入ったことだ。織斑千冬と言う名のエイリアンは、軍のあらゆるものをひっくり返した。

 繰り広げられる蛮行。席を追われかねない嵐に苛立った汚職高官は、ある時声を荒げた。

 

「死ねッ! 織斑ッ! 誰でもいいから殺してくれッ!」

 

 言葉にしたとはいえ、本当に殺意を抱いていたかは定かではない。単なる感情の発露だったかもしれない。

 だが、それを聞きとがめた狂人の生き残りがいた。

 

「リザ。織斑千冬を事故に見せかけて殺してちょうだい」

「ああ、なんて綺麗なひと。──ちゃん程じゃないけど、おいしそうね」

 

 

 

 彼女は産まれながらの殺人鬼だ。

 彼女は愛も、友情も知っている。

 彼女は同じくらい殺し方も、食べ方も知っている。

 彼女は織斑千冬のことが好き(・・)になってしまった、可愛らしい(おぞましい)少女だ。

 

 ドイツ代表、シリアルキラー。

 血濡れのエリザベート。

 

 

 




本小説に実在の団体を誹謗中傷する意図はございません。ご容赦願います。

ガールズラブタグっていらない……よね?

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