あいえす城御前試合   作:徳川さんちの忠長くん

19 / 20
セルフオマージュ。
虎よ! 虎よ!


齢五百万の若虎

 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──あいつ、怖い! だから(・・・)喰いたい! と。

 

 

 

 パキスタンの国家代表候補生は、その日、未知の状況に直面していた。

 彼女のIS稼働時間は、ゆうに数千時間にも及ぶ。業界の中でもまずまずと言っていい経験だった。

 この練習時間は、世の一流スポーツ選手から見てみれば、噴飯ものだろう。とあるアメリカのジャーナリストは、「一流の人間として成功するには、実に一万時間の積み重ねが必要だ」と、俗に「一万時間の法則」と呼ばれる法則を提唱した。それに従えば、彼女を含めたIS乗りの多くは、未だ道半ばにさえ至っていない。

 しかし、それは致し方のないことだ。練習時間の少ない理由は、偏にISコアの尋常ならざる希少性に起因する。

 ISコアの総数は、世界に僅かに五百に満たない数しか存在しない。単純に国の数で割ったとしても、一つの国に二つか三つが関の山だ。そこからさらに、IS学園といったIS委員会保有のものや、企業所有の研究道具、表舞台の闇から闇に消えた代物を母数からさっ引くと、実際の流通数はさらに少ないだろう。

 国家間のパワーバランスもあいまってか、日本やアメリカのようなIS先進国を除いて、ISコアを複数個保有している国はほとんどない。事実、パキスタンのような途上国の多くが、国会としてISコアを僅かに一つしか持たない。

 環境的特異点たるIS学園への入学を、国外のVIP達が望むのも宜なるかな。ISを動かし得るチケットは、新年をウィーンフィルの管弦演奏を聴く権利と比べてもなお、勝るとも劣らない価値を持っている。

 パキスタンの選手は、正選手と後輩の三人で一つのISを使い倒していた。日常の中にISの練習を織り込むのではなく、ISの稼働スケジュールに合わせて、日常の段取りを組む。ISを動かす八時間がベストコンディションとなるように、明朝だろうが深夜だろうが、生活のリズムをそっくりそのままずらして暮らす。

 そういった涙ぐましい努力を積み重ねてIS軌道に習熟し、海外の経験者達からIS戦闘のイロハを学び、彼女はひとかどのISライダーになったのだ。

 そうして臨んだのが、さる第二回モンド・グロッソの拡張大会予選。南アジア代表というただ一枠を求めて、近隣諸国が文字通り潰し合う。

 モンド・グロッソに匹敵する大会。これは多くのIS途上国にとって、大きなチャンスだ。今の世の中は蛮族の時代、英雄の時代。IS戦闘で強い国、ひいては無双の選手というのは、それだけで強力な外交カードとなりうる。大会でいい成績を残しさえすれば、発言権が大きく増して、ISコアを引っ張ってくることができる。IS環境が向上さえすれば、ますます強くなることができる。富国強兵のインフレーションが巻き起こるのだ。

 近接武器に絞った大会ルールは、イギリスのような遠距離兵装主体の国家を締め出し、飛行禁止というレギュレーションはすべてのIS乗りに平等に枷をはめる。レーザー銃や空間停止兵器のような、トンデモ装備は使うことができない以上、比べるのは科学技術力ではなく生身の人間の技量。この大会を置いて、途上国がのし上がる可能性は残されていなかった。

 この日のために、国家プロジェクトとして、彼女達はありとあらゆる対策を重ねてきた。

 対戦相手のデータ収集はもちろん、モンド・グロッソ等の過去のIS戦闘を分析し、間合い毎に適した戦術補正をISコアの補正コンピュータに叩き込む。生身でも近接武器と戦えるように、国の中から有数の使い手を探し出して、鍛錬を施させる。

 副選手だった彼女がこの日参戦するのは、予選大会までの完成度が、早熟な彼女の方が高かったという主な理由のほかにも、正選手のデータを秘匿するという隠れた策略のせいでもあった。

 対戦相手国であるインドの情報も仕入れてある。人数こそ多いものの、パッとした選手は一人もおらず、流動的に多くのぽっと出が戦っている。その様子では、基礎的な習熟度は比べるまでもない。事前予想では、格下とされる国だった。

 人事を尽くし、天運もいい……はず。まさしく万全。

 でも、だからこそ────目の前の対戦相手は、ありとあらゆる定跡からしてみれば、まさしく埒外のものだった。

 

「Grrrr──────」

 

 彼女の目の前の敵は、四つ脚で地面を捉え、唸り声をあげていて。

 それはまさに獣のようだった。

 

 

 

 IS元年。白騎士事件が世界を揺らす中で、一つのニュースがお茶の間を賑わせた。

 舞台はインド。マナス国立公園の密林の奥深く。

 発見されたのは、当時十歳程度の少女。しかしてただの迷子と思うなかれ。

 ──その少女、虎に育てられ、生きてきたという。

 

 これは、その少女とやがて「家族」になる夫婦のお話。

 1930年代の初め、インドがまだ英国の一領土だった頃のこと。

 二人のイギリス人男女が、インドの地で産まれた。大戦直後の激動の時代において、彼らは帝国(インド)で出会い、共和国(インド)で結婚し、王国(イギリス)で生活を営む、と三つの体制を駆け抜けた、実に奇妙な生涯を送ってきた。子供も既に皆自分たちの家から巣立った後で、楽しみといえば、孫達を可愛がることくらい。老境に差し掛かった彼らは、ブリテン島にて和やかな余生を送っていたが、ひとつだけ思い悩むことがあった。

 それは、自分たちのもう一つの故郷である、インドの地でもう一度だけ暮らしてみたい、という思いである。彼らのアイデンティティはユニオンジャックの下にあったが、まぶたの裏の原風景は、英国から遥か遠く、アッサムを貫くブラムプトラ河の流れに揺蕩っていたのだった。

 ラジオを聴きながら、過去のアルバムを眺めて過ごす。孫達に教えてもらったパソコンを弄っては、インドの風景をデスクトップに掲げる。誰が見ても、未練が丸わかりだった。

 

 変わらぬ暮らしを続けながらも、どこか心ここに在らず、そんな鬱屈した日々を過ごしていたある日。

 息子の一人が、話があると言って自宅を訪れたのを、夫婦は揃って歓迎した時のことだった。

 久しぶりの滞在に気を良くした老婆は、腕を振るって様々な郷土料理を作る。

 老爺と息子は、酒を酌み交わし、料理を摘み、近況を語り合った。

 孫娘の事、老夫婦の生活のこと、最近の世相のこと。

 そんなおり、話は息子の仕事のことへと移った。息子は貿易系の仕事に携わっていて、だからこそ、彼は両親に対して切り出した。

 

「なぁ、親父。お袋。……インド、行かないか?」

「────」

「実は俺、長期の出張が決まってさ、あっちの方に滞在しなきゃならないんだよね。子供達は置いて行くにしても、一人だと色々心配だってウチのカミさんが言うんだよ。一体全体、何がそんなに心配なんだか」

「──お前、私たちのために……?」

「違うさ。栄転だよ、栄転。海外支社でキャリア積まないと、うちは出世できない構造なの。

 ──二人がよければ一緒に連れて行くけれど、どうする?」

 

 数日後、老夫婦は航空機のチケットを予約した。

 

 実に五十年ぶりに訪れたインドの地は、都市部こそかつてとは様変わりしてきたものの、辺境に移るにつれて、時間が止まったような風景を見せつけてくれた。

 息子の案内に従って、大きな不動産屋の門を叩いた老夫婦。

 どこか不安になって、「ちゃんと話を通してあるのか? 空いている家はあるのか?」と問えば、「なぁに、すでに渡りをつけてあるさ」と息子が返す。

 その事はズバリ真実で、彼ら三人は不動産屋のスタッフから歓待を受ける。聞けば、息子が勤める会社の子会社に近い存在で、社員として優遇してくれるとのこと。

 話もそこそこに、条件を詰めた彼らは車に揺られて郊外へと赴く。

 しばらくしてたどり着いたのは、近隣の街から離れて車で十数分後のこと。アッサムの草原の中に、ポツンと佇む一軒のこじんまりとした煉瓦造りの家。マナス国立公園にほど近いそこは、自然に溢れていて、老夫婦のオーダーに即したものだった。

 家の中には家財道具の一式も揃っており、今日からでも住むことが可能とのこと。

 

「どう? この家? 俺は仕事場に泊り込むことも多くなるだろうから、二人で自由に使っていいよ」

 

 車で立ち去る息子の後ろ姿を見て、老爺は「……馬鹿め」と呟いた。

 

 それから数ヶ月が過ぎ。彼らはすっかりかつての自分達を取り戻していた。ロンドンと比べて肉体を動かす機会も格段に多く、錆び付いた体はみるみる健康になっていく。

 そんないつかのこと。丸い月が浮かんだ夜の日。

 ベッドの上で寝ていた老婆は、家のどこかでガタガタと物音がするのを耳にした。

 断続的に続く物音。すわ強盗かと不安になった老婆は、隣で寝ていた夫をゆり起こす。

 

「……あなた、あなた」

「………………んんぅ。どうしたんだ、一体?」

「何か変な音がするんだけど、見てきてくれない?」

 

 そうして彼らが目撃したのが、食糧庫を漁る、獣のような全裸の少女だった。

 

 数日ごとに、少女は老夫婦の家を襲撃した。

 あいも変わらず夜中に忍び込み、食料を食べ去っていく。声をかければ脱兎のごとく逃げ出し、思い切って手を伸ばせば噛み付こうと歯を剥いて唸り声を上げる。

 だが、それでも改善された点もあった。

 当初は袋に入った生肉をそのまま食べていた少女だったが、今では皿に乗せられた焼いた肉を食べる。手掴みで食べることと、おかわりを求めて付近を漁るのは要練習だろう。

 物陰から彼女の様子を覗いていた老夫婦は、少女の様子を見て、クスクスと顔を見合わせて笑った。

 

 そんな奇妙な交流が、一年にもわたって続いた。

 

「ヘレン! ご飯よー!」

「──うぅ、ああ、お、はよう! おば、あちゃん! にく!」

「肉じゃなくて、ご飯といいなさい──はい、どうぞ」

「ありがとう!」

 

 老夫婦が驚いたことの一つとして、ヘレンと名付けられた少女が、非常に頭が良かったことが挙げられる。初めに聞いた単語はなんだったか、観察に勤しむ老夫婦に近づきてきたヘレンは、徐に老夫婦に言葉(・・)を投げかけてきたことから、夫婦の会話を聞き取った少女が、それを覚えていたことが発覚した。

 それだけでなく、時折人間らしい所作も発揮するようになり、暖炉の火や刃物といったものも怖がらなくなっている。彼女の足取りもよくよく観察してみると、家からほど近い場所に縄張りを移していて、殆ど同居しているようなものだった。

 長らく過ごして情が湧いたのか、あるいは単に子供を可愛がる気質だったのか、老夫婦はヘレンの面倒を甲斐甲斐しく見てあげていた。

 食事を与え、服を与え、住処に手を入れ、言葉を教え込む。

 ヘレン自身もそれを受け入れ、彼らの元で人間のように(・・・)振る舞った。

 

 気がかりだったのは、一年前と比べて、栄養価の高いものを食べて、体も大きくなっているというのに、時折辛そうな表情を浮かべていることだった。

 

 ヘレンの調子が悪い。

 心配した老夫婦が、事情を話して馴染みの医者に診せると、医者は淡々と診断した。

 

「肉体的には問題ありません。心因性の病でしょう」

 

 呆然とする老夫婦をよそに、医者は続ける。

 

「元々ストレスだったんでしょう。ヘレンさんにとって、人間社会に適応するとはまさしく檻の中に入れられたようなものです。今の環境は、あまりいいとは言えないのかもしれません」

「……それでは、あの子を森に還さなければならないということですか? いくら今まで過ごせていたと言っても、それはただの奇跡なんですよ? 今のヘレンが無事でいられる保証なんて、どこにもないでしょうッ!?」

 

 思わず医者の胸ぐらに手を伸ばす老爺。ハッとして押しとどめ、「すまない」と声を漏らして深くうなだれる。

 医者は彼に、まだ方法は残されています、と提案した。

 

「──大変失礼な例えなのですが、動物園の虎だって、檻の中に押し込められていたとしても、健康に過ごせています」

「それは、つまり……?」

「ええ、彼らの方策を真似しましょう。適切に運動させてあげるのです。できれば彼女が虎だった頃のような──」

 

 医者の話を聞いて、老爺の脳裏を駆け巡ったのは一つのことだった。

 それは、現代という文明社会において、唯一許された暴力行為。相手の息の根を止める暴挙と、絶対安全の謳い文句が同居する奇妙な舞台。密林の王者たる彼女にふさわしい狩りの対象、上質な「獲物」が現れる狩場。

 ──つまりはIS戦闘である。

 

 

 

 近隣諸国の代表がこぞって参加した選抜大会。多種多様な戦術が飛び交うそこでも、ヘレンの狩りは異様だった。

 ISによる戦闘では、あらゆる攻撃にシールドに対するダメージ判定が生まれている。それ故に、様々な特殊兵装を用いたとしても、原理上シールドを削ることが可能だ。とはいえ、殆どの選手は、近接武器を用いるが、あるいは単に銃器を使うだろう。一部の変り種が徒手格闘に拘って暴れ倒すくらいだ。

 当然ながら、ISは科学の極致、人間が人間と戦うための機械鎧に他ならない。牛刀で鶏を捌かないように、ISを用途外に用いることは、希少性から許されなかった。

 それ故に、世の中の誰も、ISを纏った獣との戦い方を知り得ない。考えたことすらない。

 ──それが、野生への慢心だ。

 地を這うように四つ脚で駆けずり回るヘレンを、パキスタンの選手は捉えられない。自分の膝よりも低い位置から襲いかかる相手をブレードで上段から斬りつけるのは、タイムラグも相まって非常に困難だ。剣を翻して下段から斬りあげたり、或いは草を刈るように横薙ぎに振るって工夫するが、地面を跳躍する獣を人間は未だに斬り伏せられない。紛れ当たりが起こりそうになるも、前足で的確に剣腹を叩かれて対処され、逆に体制を大きく崩される。

 虎は一瞬の間隙を狙い、獲物に向かってひた走る。

 ヘレンのフィニッシュブローを予想できた人物は、本人と関係者を除いて誰もいなかった。

 

 獣は勢いそのままに、人間へとタックルを仕掛ける。膝から太もも、腹胸といった上半身へと体重を順番にかけていくことにより、ヘレンは哀れなパキスタン人を土の上へと押し倒した。

 人間の二本の腕を関節から押さえつけて、靭帯を束縛する。腹の上に馬乗りになったヘレンは、いやいやと首を振るパキスタン人の顔に、自分の顔を寄せ──強烈な頭突きをお見舞いした。

 目の前で火花が弾け、チカチカと星が暗闇を舞う。

 意識を混濁させ、抵抗が弱まった女。ぐったりとした顔はわずかに傾き、健康的な首筋が露わになる。ぴくぴくと動く血管は己が職務を全うし、命を運んでいた。

 獣は、その命を糧とする。

 

 喉笛に噛み付く、血飛沫(火花)が飛び散る。

 喉笛に噛み付く、血飛沫(火花)が飛び散る。

 喉笛に噛み付く、血飛沫(火花)が飛び散る。

 喉笛に噛み付く……最早、獲物は動かない。

 

 それは紛れもなく捕食だった。

 

「Roar────────rar!!」

 

 ヘレンは高らかに雄叫びをあげる。

 

 会場は、しんと静まり返っていた。

 両親だけが、満足そうに笑っていた。

 

 

 

 彼女は密林で育った一匹の獣だ。

 彼女はそれ故に、文明社会では生きられない。

 彼女にとって、IS戦闘は自分を呼び覚ます狩りの一環だ。

 彼女はその身に野生を押し込めた、人型の虎だ。

 

 インド代表、密林我流。

 猛虎、ヘレン。

 

 




ISコアの数ってどうなってるんだよ問題。
467のうち戦闘用322に研究用145、学園分は研究用でカウントするとして、各国で均等割したら1.6個。
大国2、小国1が自然……? でもドイツが10持ってるらしいからG20ラインに10ずつ渡して残り122とするか。
内戦のある国に渡さなければギリギリいける……? それでも一つしか使えない国は実質飾りでしょ。
──束さーん! 五倍くらい追加で作ってー!? 

シールドに歯でダメージを与えられるというのは独自要素です。
実際ダメージ判定の基準がよくわからんのじゃ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。