あいえす城御前試合   作:徳川さんちの忠長くん

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IS度60%
少々エロチックな内容です。


被虐の軍人

 織斑千冬を見て女は思った。

 ──その一太刀、さぞや気持ちよかろう、と。

 

 

 

 モスクワ駐屯地に併設する、ロシア正教会のシスター、ダリア・コトフは、その日、一人の信徒、友人を迎えることになっていた。

 軍基地に併設されたこの教会では、立地的な都合上、訪れる信徒もその大部分が軍人である。告解の際も、暴力を生業とする事や、他者を殺害する事への懺悔が主であった。神への願いもまた、自身と仲間の安全など、現実に根ざしたものが多い。

 昨今の風潮の煽りを受けて、極めて異例ながら、神父の代わりに教会で奉仕することとなったダリアにとって、彼女たちの告解を聴くのは、最早日常的なものと化していた。

 礼拝堂の中を掃除していたダリアは、ふと壁掛けの時計を流し見る。

 短針は三を指し示していた。

 建物の外では、雪煙がひょうひょうと舞っていた。

 

「そろそろ来る頃かしら……」

 

 清掃道具をてきぱきと片付けながら、ぽとり、と声を漏らして少し。

 ぎぃ、と扉を軋ませ、一人の女が神の家に立ち入ってきた。

 まず目につくのは、180を超えんばかりの身長と、腰まで垂れ下がった美しいブロンドの髪。ついで、左の眼下から頰にかけて通った、薄い切り傷の跡だった。

 雪と土、汗にまみれた軍装を纏ったその女は、粗野な風体であったが、そこには妖しい色気が同居していた。

 名をエレーナ・ソコロフというこの女こそ、今話の主役である。

 

 

 シスターからタオルを受け取った軍装の女は、「あぁ、どうも。ありがとう」と労をねぎらい、重ねて申し訳ないのだが、と前置きして、一つの要望を口にした。

 

「みぞれに濡れた服がダボついてかなわん。替えの服はあるから、シャワーか何か貸してくれないか?」

 

 シスターがエレーナに目をやると、なるほど確かに。軍服はぐっしょりと濡れていて、小さなタオル程度ではどうにもならないほどだった。

 自身のうっかり(・・・・)に気がついた女は、気恥ずかしげに「ええ、どうぞ、構わないですよ」と告げた。友人と言えども、この女、職務中は敬語を使うタイプだった。

 大層粗放な(さが)であった軍装の女は、以前にも、こうして教会の設備を無心することが度々あった。ありがとう、と一言残した軍装は、勝手知ったる、と言わんばかりにシャワールームへと向かっていく。

 ──ああいった男勝りなところが、年若い女達の気をひくのだろうか?

 そのようなせんなきことを考えて、軍装の行く先を目で辿ったダリアは、はぁ、と深々と嘆息した。

 シャワールームへ向かう床には、ぽたぽたと滲み出た雪が、小さな水溜りを成していた。

 

 

 水溜りを除かんと、物置に雑巾を取りに行ったシスターだったが、その時ふと視界に入った洗剤を見て、そういえば、と昨晩の事を思い出した。

 

「そういえば、シャンプー切れてたっけ……?」

 

 洗髪剤がなければ、エレーナも困るだろう。

 そう思い立つやいなや、ダリアはシャンプーの替えを持ち出し、シャワールームへと足を運ぶ。

 脱衣所には脱ぎ捨てられた衣類がごちゃまん、としていて、女のズボラさが滲み出ていた。

 

「エレーナー。シャンプー切れてませんでしたー?」

「ん? ああ、確かに切れてるな。すまないが持ってきてはくれないか?」

 

 エレーナとしては、適当に脱衣所にでもおいておいてはくれまいか、と意図してそう頼んだのだろう。

 だが、このダリアというシスター。生来そそっかしいところがあり、同性特有の気安さもあってか、何処ぞの朴念仁よろしく、シャワールームへと一気呵成に踏み込んだ!

 

「はい! そういうと思って、持ってき────ッ!」

 

 ダリアは思わず息を飲んだ。

 中で水滴を滴らせていたのは、金色の髪をした男装(?)の麗人────では当然ない。

 そこにいたのは、あいも変わらず、無骨な女だった。いくら友人とはいえ、シスターがその女の裸体を正面から見たのは──当然ながら──初めてであった。

 そして、そのからだには、無数の刀傷、打撲痕があったのである。

 もともと見えていた顔面は勿論、肩も、胸も、両の腕足も、腹部も、いや股の先から太腿に至るまで、まるで場末の芸術家がむちゃくちゃに筆を振り回し、色をつけたかのような、そうそうたる有様だった。

 とてもではないが、安全安心を謳うISの試合で受けた傷とは思えない。

 シスターは何事かを言おうと思ったが、意に反して、口はぱくぱくと動くばかりだった。

 傷だらけの女は、ああ、と深く溜息を吐くと、

 

「済まない、ダリア。目に悪い物を見せてしまった」

 

 と謝った。シスターは何事かを言おうと一瞬画策し、

 

「どうしたのよ、その傷! 何があったの!?」

 

 出てきたのはそんな、敬語も忘れた、つまらない言葉だけだった。

 

「──悪い。ダリア。頼む。その事も話すから、告解室で待っててくれないか」

 

 エレーナはダリアにそう頼み込む。

 男勝りな彼女らしからぬ、縋るような言葉だった。

 

 

 

 告解室にて待つダリアの脳裏には、先ほどのエレーナの裸身が浮かんでいた。

 美しさ、妖艶さより先に、痛ましさを感じさせる体だった。暴力にはめっきり縁のないシスターは、彼女の将来──とりわけ女としての幸せが心配になった。

 

「済まない、待たせた。よろしく頼む」

 

 ダリアの教会の告解室は、信徒の様子が見えるようなつくりとなっている。向かい側に、パンツルックの女が現れるのが見て取れた。ここに来てダリアは、目の前の女が男らしい服装を好む理由が、自身の傷を隠すためではないかと勘ぐった。

 信徒の話を聴く、という原則を忘れて、シスターは軍人に詰問した。

 

「どうしたのよ、あの傷! 何? 誰にやられたの!? そもそもどうしてあそこまで傷つくの!? ISって安全じゃなかったの? というか私知らなかったわよ!」

「ああ、うん、そうだな。ファンデーションとかで意外と隠せるんだよ、これが」

 

 最近はいいもの売ってるよこれが……、などとピントのズレた答えを返すエレーナを見て、ダリアは噴火した。

 

「だーかーらー! さっさと訳を言いなさい! 訳を! どうしてそんなに怪我しているの!」

「ええと、あー、そのー、なんだ、うー──あまり気持ちのいい話じゃないぞ。ドン引きしたりしないか?」

 

 男らしい女が見た事も無いほどに優柔不断になっているのを見て、ダリアはただただ呆れた。

 ──そこそこいい友人をやっていると思っていたのは、自分だけだったのか?

 

「引く訳ないでしょ! ……いや、内容によっては引くかもしれないけどさ、それでも、ほら、友達じゃない、私達」

 

 雪のように白い頬は、ほんのりと赤く染まっていた。

 エレーナは目の前の女の照れを、きょとん、とした目で見つめた。

 

「そうか……、よし。言うぞ」

「はい、どうぞ」

 

 すー、はー。すー、はー。

 深呼吸を挟み、軍人は告げた。

 

「──実は、これ、私の(へき)によるものなんだ。

 つまり、私──マゾヒストなんだ」

「──はぁ?」

 

 シスターの目はまんまると見開かれた。

 

 

 

 

 

「はじめに自分の性癖に気がついたのは、そうだな。10歳くらいの時だったかな」

 

 女の奇癖語りが始まった。

 女はタイタニック級の乗りかかった船だ、とそれに付き合うこととした。

 

「小さい頃ってしょうもない悪戯とか、よくするだろう? まぁ私はよくしてたんだが、そうすると、当然、叱られるだろう? それで、先生だったか、近所の大人だったか……。詳しくは覚えてないけど、大人に頰を張られたんだ。

 ──で、それがまた、気持ちよく感じたんだ」

 

 女は過去を思い出したのか、恍惚としていた。

 女は早速船を降りたくなった。

 

「それからと言うものの、私はちょくちょくと悪戯をして、体罰を受けに行ったんだ。勿論絶対にやってはいけないようなことはやってないぞ。ただ、今思うと、ギリギリのラインを見極めるのはここで学んだのかもしれない」

 

 女は武勇伝を語るかのようにしみじみと語った。

 女はドン引きしない、と言う宣言を撤回する準備を始めた。

 

「思春期に入るにつれ、流石に悪ガキの真似事をする訳にも行かなかったからさ、私は合法的に愉しむ為に、そういう環境に身を置こうと決心したんだ。

 ──以前語っただろう? 私がやってる格闘技、システマ。この時に、近場の退役軍人がやってた道場に転がり込んだんだ」

 

 女は当時を回顧して語った。

 女は件の軍人に深く同情した。

 

「ただシステマってやつがなぁ……。私の目的からすると、少しばかり外れてたんだ」

 

 女は語りだす。

 そもシステマとは、技を修める武術ではなく、身体の動かし方の総体としての武術であるという。

 システマとは、「一定に呼吸し続ける」、「心身ともにリラックスする」、「姿勢をまっすぐと保つ」、「常に動き続けて間合いをはかる」、という四つの要素からなる。

 日本で言うところの合気道であり、相手が武器持ちだろうと素手だろうと、男だろうと女だろうと、とにかく無傷で勝つことを主眼としている。

 

「これがなぁ……。才能とでもいうべきか? そういうものはあったのか、システマの骨子ってやつをなんとなく身につけたんだ。

 ただ、そう。試合に勝てども勝てども、私は気持ちよくない。一方的なサディズムは私の趣味じゃないな」

 

 女は訳知り顔でそう話す。

 女はなんだか悲しくなってきた。

 

「それで、当時の私は発想を逆転させたんだ。

 ──私がシステマに合わせるんじゃない。システマを私に合わせるんだ」

 

 ユリーカ! まさに天啓!

 アルキメデスもかくやとばかりに女は語る。

 当時のギリシア人はこんな気持ちだったのか? と女は思う。

 

「いやぁ、まさに目から鱗。あの時ばかりは自分で自分のことが恐ろしくなったよ。ユーリィ・ガガーリン並みの頭脳じゃないかと思ったな。

 システマは紙一重で避ける武術だ──それなら、もう一枚内側に踏み込ませてあげればいいんじゃないか、ってな。

 好みの相手がいたら、適当に殴るなり、切るなりさせてあげる。で、限界までいったら逆襲する」

 

 いやぁ、楽しかったなぁ。女は当時を思い出す。

 神の血でも呑まねばやってらんない。女は無性に口寂しくなった。

 

「──で。当然バレるわな。道場主の爺さんに追い出された。その時には、私の方が爺さんよりも使い手(・・・)だったからどっちでもよかったんだがな。

 それで、次の暴力的な受付先に、ロシア軍を希望したんだ」

 

 そう語る女はどこか誇らしげだった。

 こんなやつに守られてていいのか? 女は自国の安寧を憂いた。

 

「知っての通り、この頃からISが軍に配備され始めて、私もそれに配属されたんだけど。

 ──今でも思うが、あれはいいな。篠ノ之束ってやっぱり天災だわ。いくら斬られても撃たれても死なない! それでいて衝撃だけはきっちりと通る! 実物そのものって訳じゃないだろうが、十分良かった(・・・・)。ISのSってあれだな、SMのSだな。感謝してる。あれは天からの贈り物だな」

 

 天災に対する、世界で最も阿呆な感謝を女は捧げた。

 女は呆れて、じゃあなんでそんなに傷だらけなのよ、と問うた。

 

「それは、ほら、あれだ。肉と魚どっちが好きか? と聞くようなものだ。直接味わうのと、絶対防御越しに味わうの。どっちもいい(・・)ぞ」

 

 足し算を解くかのように女は答えた。

 女にはその答えがフェルマーのように見えた。

 

「最近一番良かったのはそうだな……。日本のKGBから来た『霧纏の淑女』! あの子はすごく良かったな。槍で刺して、ガトリングをぶっ放して、最後には爆発だぞ? それに生身でもなかなかやる。木刀に慣れてるのか? いい打撃だった。見た目も青髪が映える美人で、少しサディスト。扇子を握ったこしゃまな小悪魔。実に好みだ」

 

 国際親善を果たしたかのように女は語った。

 最早国辱ではないか、女は思った。

 

 女の性癖語りは、しばらく続いた。

 

 

 

 

 

「──それで? 今日告解に来たのもそのことなの?」

 

 一段落つき、シスターは軍人に問いかけた。

 長い段落だった。

 

「──そう、だな。ここだけの話なんだが、聞いてくれるか?」

 

 意を決して、エレーナは問いかけた。

 ダリアはゆっくりと、天を指した。

 

「ここをどこだと思ってるの? 神の家よ。秘密は守られるわ」

 

 ──当然、あなたの趣味(・・)の事もね。

 シスターがそう告げる。軍人はそうか、と独りごちて、話し始めた。

 

「モンド・グロッソの決勝戦を覚えてるか? あれの埋め合わせを、近い将来やるらしい。──それで、上からの指示なんだが、どうもその大会に、私を出そうって、話らしいんだ」

「へぇ? いいじゃない。出なさいよ。私には誰が強いかなんてわからないけど、いいとこまでならいけるんじゃない?」

 

 気楽に勧めるシスターの言葉に対し、軍人は苦虫を噛み潰したような顔で言った。

 

「つまり、それが、さっきの話と繋がるんだけどな──」

「……あなたまさか──」

「──織斑千冬の剣。凄く気持ち良さそうじゃないか? いや、ブリュンヒルデだけじゃない。世界中から集まった強者(つわもの)だぞ? 絶対良いに決まってる。いやいや、やっぱり織斑だ。あの切れ長の目に睨まれながら斬られてみたい!」

「──っ、はぁーー」

 

 シスターはがっくりと項垂れた。ブリュンヒルデ級のため息だった。

 目を輝かせて自身の展望を語る軍人だったが、しばらくしてその目を曇らせて、こう続けた。

 

「──でも、やっぱりそれっていけない事だろう? 皆真面目なんだ。私ばかり愉しむ訳にもいかない。それに、もしバレたら祖国に迷惑がかかる」

 

 まさしくその通り。

 反射的に同意しかけたダリアだったが、ふと考えた。

 ──それで、いいのか? 

 自らの悪徳に悩む友人を、切り捨てて、本当に、それで、いいのか?

 

「本当はさ、よくない事だとはわかってるんだ。真っ当じゃない──」

「── 『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです』」

「──え?」

 

 ここは神の家。答えは神が知っている。

 

「いいじゃない。今は、正しくなくとも。いずれ、正しくなれば」

「……」

「確かにあなたのそれは悪癖だろうけど、主より与えられたものだし、仕方ないわよ。大事なのは、これからどうするか、じゃない?」

 

 ダリアはエレーナを見据えて、あっけらかんと言った。

 

「それに、バレなきゃいいじゃない。周りから見ても、普通そんなのわかんないわよ。もしバレそうになったら、強い人と戦うことが好きなんです! とでも言えば? そういう人たちの集まりなんでしょう? よく知らないけど」

「……」

「織斑千冬に斬られたい? いいじゃない。斬られた後、逆転、するんでしょ? 

 ──『願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです』

 チャンスが与えられたんだから、きっとそれは、正しい動機なのよ。主も仰っているわ! ……ええと、それに……」

「……ははっ」

 

 エレーナはダリアを見据えて、笑った。

 

「──ダリア」

「……何?」

「いいやつだな、お前」

「仕事よ、仕事」

「試しに、私を殴ってみないか?」

「はぁ? い、や、よ!」

「『誰かが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい』だろ?」

「右も、左も、どっちも打たないわよ!」

 

 

 

 彼女は痛みを愛している。

 彼女は悪徳を自認している。

 彼女は神と、神の使徒の愛に満たされている。

 彼女は赦しを求める、主の愛し子(いとしご)である。

 

 ロシア代表、システマ亜流。

 被虐のエレーナ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




筆者はロシア正教に精通しておりません。
宗教観の誤りについては、ご容赦、あるいはご指摘頂けると幸いです。

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