あいえす城御前試合   作:徳川さんちの忠長くん

5 / 20
IS度というより「装甲悪鬼村正」度60%。
剣術浪漫回なので、長めです。


地裏の濡羽

 織斑千冬を見て、女は思った。

 ──その色は、アタシのものだ、と。

 

 

 

 日系ブラジル人であるユリ・ソフィーア・コンドウ・ガルシアは、物心ついた時から、リオデジャネイロのスラム・ファヴェーラで暮らしていた。

 彼女に両親はいない。

 無論、生物学上の親はいるし、なんなら両親の住むアパートメントだって知っていた。

 しかし、ストリートでは生きることに誰もが精一杯。知らぬ間に出来ていたユリなぞ、多少動けるようになれば、それで十分、とばかりに、齢一桁にして娘を放逐していた。

 ユリ自身も、そんな彼らを、真実親とも思っていない。何しろ彼らとの思い出を、一つたりとも持ってはいなかったからだ。

 風の噂で、親のどちらかが死んだと聞いても、ふーん、あっ、そう、と数秒頭に留めて、そのまま流すほどだった。親の死より、今晩の飯の方が重要だった。

 ところで、ユリは両親の名前さえ、頭の中に刻んでいない。その為、親のどちらかが日系人で、どちらがブラジル人なのか。はたまた、その他の人種の血が流れているのか、それさえもよくわからなかった。

 所属、という点において、彼女のアイデンティティは、実に希薄だった。

 ただ、太陽を呑み込むような、濡羽色(・・・)の髪だけが、彼女の価値を保証していた。

 

 

 ユリ本人は知らぬことであるが、神の視点から見て、彼女が12歳の頃。

 いつものように少女が鉄屑、食べ物、コイン──あるいは馬鹿な観光客──を探してファヴェーラを徘徊していると、いささか奇妙なことに気がついた。

 美しい髪の色をした彼女は、将来を期待させる瑞々しい果実。若々しい少女が、女らしい妖艶さを身につけつつある。そのアンバランスさに惹かれて、彼女と懇意(・・)になろうとする少年、あるいは大人の男達が時折群がってくることがあった。

 ユリは運動神経においても大器を抱えた少女であった為に、勝手知ったる路地を使って逃走、あるいは鉄パイプを用いた我流闘殺法で、近づく小蝿どもを蹴散らしていた。

 この少女、それをめんどくせー、とは思いながらも、まぁ、アタシの可愛さなら、当然だよな! と考えていた。傲慢が服を着て歩いているような女だった。

 ところが、今日この日は、厄介な信者が誰一人として見当たらない。

 

 ──ふぅむ。これは団体さんのカモ(・・)でもどこかからやってきたかな?

 

 市街地の方では大漁祭でも開催されているのか?

 この波に乗り遅れるわけにはいかぬ、とユリは観光客が訪れるであろう場所を、脳内で即座にリストアップして、目的地へと駆けて行った。

 第一候補であった、表の街とファヴェーラとの境目に位置するリストランテ──子供に甘いことで有名。ユリも時々賄いの世話になっている──に立ち寄った時、ユリは異様な光景を目の当たりにした。

 そこでは、リストランテのウェイターと観光客であろう団体と、ファヴェーラの同類。交わらぬであろう三者が、男女問わず、歓声をあげながら備え付けのテレビを凝視していた。

 テレビを見つめるアホ面の中に、ユリのよく知る顔が混ざっていた為に、これ幸いとユリは少年に声をかけた。

 

「ヘイ、ブラザー! 今日は何やってるの? ホワイトハウスでストリップショーでも開催中?」

「はぁ? 何言ってんだ──ってユリじゃねぇか! お前も見にきたのか?」

「アタシが女の裸を見てどうするんだよ」

「ばっか、お前! 知らねぇのかよ! 石器時代から来たのか?」

 

 ──モンド・グロッソの生中継だよ!

 

 少年の声は、少女の耳に、よく響いた。

 

「もんど・ぐろっそ? なんだ、そりゃ。チョコレートの賞か何か?」

「お前マジで石器時代から来たのか?

 ──ISは知ってるよな? 頼む。知ってると言ってくれよ?」

「ISぅ? あー、あの。金持ち婆のおもちゃだろ?」

 

 少女の知識量が伺える。

 少年はマジかよこいつ、と目をギョッと見開いて続けた。

 

「そうそう。その金持ちのおもちゃ。それで着飾ったグラマーなねぇちゃん達が、ズッコンバッコンとキャットファイトを繰り広げるお遊戯だよ」

「ふーん。そんなにエロいの?」

「とりあえず見てみろよ! それでわかるだろ!」

 

 これ笑うとこ?

 年増の乳繰り合いを見てなんになる。アタシの方が美少女じゃい! 少年に催促されて、少女は渋々テレビに目を向けた。無自覚の傲慢さが顔に浮かんでいた。

 

 えらい美人がそこにいた。

 

 冗談だろう? 少女は、女の武と美に圧倒された。自分より格上(・・)だ、と認識した。屈辱だった。

 テレビからはその女のプロフィールが流れてくる。

 日本代表。織斑千冬。

 濡羽色(・・・)の髪をした女が、スポットライトを浴びていた。

 

 

「ふーん。やるじゃん」

 

 織斑千冬が優勝を決めた時、ユリは恐る恐る感想を口にした。かろうじて、声は震えていなかった。

 

「かー、このオレもなぁー。ISに乗れればなぁー! きっと女の園に放り込まれて、美人なねぇちゃんとよろしく(・・・・)やれてたのによぉ! 知ってるか? ユリ、ISは顔審査をやってるらしいぜ? どいつもこいつも美人しかいやがらねぇ」

 

 隣にいるバカが、バカすぎてリラックス成分を出しているのかもしれない。

 

「はっはー! バッカお前! お前みたいなド三流が、ISなんて使えるかよ! ブリュンヒルデサマ(・・)の身内でもないと、そんな機会、あるわけないだろ! でもって、美人に使えるなら、アタシは当然使えるな! 一番間違いなしだわー」

「そこまで言う? んじゃあ今晩どう? 未来のブリュンヒルデ?」

「はッ! てめーのちゃち(・・・)な豆鉄砲なんざ、相手にしてられっかよ!」

 

 どさり。膝から崩れ落ちるバカ。

 言葉のナイフで一発K・O(ノックアウト)

 敗者をよそに、ユリはリストランテを後にした。

 ──今日の戦績、一勝一敗。

 

 

 

 第一回モンド・グロッソ決勝。

 この日以来、ユリの姿は、リオの片隅の日本人街でたびたび目撃された。この少女、何を思ったか、日本人学校の教師や、黒髪の娼婦の前に現れては、「よし」と一言残して立ち去ると言う奇行を繰り返していた。

 

「──もしかして、お前ってソッチ(・・・)系?」

「──はっ? な訳ねーだろ! この可愛いユリちゃんの遺伝子が残らないなんざ、ファヴェーラ史に残る損失だわ!」

「まっ、それもそうか。今日遺伝子残す?」

 

 無視。

 ──今日の戦績、一勝。

 

 

 数ヶ月後のとある日。

 ユリは、日々のゴタゴタを終えた後、日課のごとく、日本人街で黒髪の女への「辻斬り」を行おうとしていた。

 

 ──今日はこっちの道でも行ってみるかな。

 

 知らない道には入ってみたくなる。

 頭の中の地図が埋まっていないと埋めたくなってくる。

 遠いどこかで、「マッパー」と呼ばれる人種の血を継いでいたユリは、日本人街を巡る裏道を歩いていた。

 周辺の、ゴミ溜まりと呼ぶに相応しい路地と比べると、それなりに綺麗、と呼べるような裏道を抜けた先。

 

 ──そこには、ユリが見た限りではいっとう大きな、木造の日本式家屋が佇んでいた。

 玄関先には──文字だろうか? おバカなユリには読めなかったが、何らかの文字が記されていた。

 遠慮、常識、道理なぞかけらも知らぬこの女。ずかずかと敷地に押し入ったユリは、建物の奥で、がたんがたんと、何やら物音がすることに気がついた。

 興味を惹かれたユリは、音のなる方へと、そろり、そろりと忍び寄る。屋内にある道場施設の中、それを物陰からこそりと見れば、そこにあったのは、

 

「────────疾ッ!」

 

 ──風を切り裂いて剣を振るう、着流しを纏った白髪の老人だった。

 老人の手の中の刀は、窓辺から差し込む陽の光を反射し、ユリの目をしかりと刺した。

 老人の腰に携えられた鞘は、何らかの木地に漆が塗られた、濡羽色(・・・)を晒していた。

 

 ──欲しい。

 

 ユリは、心よりそう思った。

 何としても、自分の()としなければ──柄にもなく、欲求した。

 さて、どうするか、と頭を回したその時。

 

「──そこの(わらし)何用(なによう)か」

「──おー、おう。何だよ、(じじい)。気づいてたのか」

「言うに及ばず。そのような、餓狼の如き(まなこ)を向けられれば、ほんの赤子でも悟るわ」

 

 ばれちゃあ仕方ない。物陰からひょいと姿をあらわす。ユリの手には愛用の鉄パイプが握られていた。

 ユリが目を離していたほんの数瞬の間に、老人は刀を鞘に納めていた。

 

「あのさー。爺。大変申し訳ないんだけどさー──その刀、鞘ごとくれね?」

「ふむ──よかろう」

「マジで!? じゃあ……」

「儂を切り捨てて、持って行くがよい」

 

 思わず気色を浮かべたユリに、老人は武蔵坊の振る舞いを求める。

 ユリは「……後悔するなよ?」と一言呟くと、鉄パイプを正眼に構えた。

 それを見て、老人。近場の壁に立てかけられた、木刀を手にして、同じく正眼に構えた。

 ──っハッ! 舐めやがって! アタシじゃ(エモノ)は必要ないってか? 肩の一本や二本、覚悟しな! 

 ユリは腰を落として右脚を引き絞り、断! と地を疾駆する。先手必勝こそ、彼女が見出し我流の戦闘術理。鉄パイプをそのまま振りかぶる──。

 

「──ぅるるるぅあぁあ──ッ!」

「────────」

 

 目の前を黒が舞った。

 少女が辛うじて認識できたのは、鏡合わせに木刀を振りかぶった爺。爺が木刀をユリの鉄パイプに叩きつけたこと。鉄パイプはぐにゃりとあらぬ方向へとねじ曲がり、木刀がユリの肩と首の境目を(したた)かに打ち据えたこと。

 そして、老人の残した声だけだった。

 

 ──吉野御流合戦礼法、『打潮(うちしお)』。

 

 

 

 首元が痛い。

 ずきりという疼きを感じたユリは、はっと目を覚ました。

 首回りと額の上には、しとりと濡らされた、薄い布巾が掛けられていた。

 

「目覚めたか」

 

 老人の声が聞こえた。

 首のあたりに手を添えながら、ユリはガバリと上半身を起こした。彼女の口からは、思わず苛立った声が出た。

 

「──っチッ! いてぇな、おい! こんな可愛い子供にここまでやるか、フツー?」

「は、何が(わらし)か。随分と遊び(・・)慣れておる。一端の盗人ではないか」

 

 グゥの音も出ない。

 少女は一瞬声を詰まらせたが、振り切って求めた。

 

「……なぁ、爺さん。あの刀。やっぱりくれないか?」

「何を言うかと思えば、戯言を。また繰り返す──」

「それと!」

 

 諦めの悪い子供を諭そうとした老人。通りを説いたその語りを、少女は大声で押し止める。

 起き上がった上体は、そのまま老人の方へ倒された。

 

「それと! ……それと、だ。爺さん。頼みがある。一生のお願い。この通りだ。

 ──アタシにそれを……剣を教えてくれ!」

「……ふむ、何故だ。理由を述べよ」

 

 鋭い眼光が、少女の背中を貫いた。

 

「……少し前まで、アタシは自分のことを、世界で一番凄いやつだと思っていた。そりゃあ頭はちょっとばかし足りないけど、力も見た目も、そんじょそこらのやつじゃ、相手にならないと思ってたよ」

「……続けよ」

「ところが、ところがだ! 最近見たんだ。テレビの中で、アタシより強くて、アタシより美しい女が輝いてたのを。──アタシとおんなじ髪の色でだ!」

「……ふむ」

「アタシは思ったね。あれはなんかの夢だと。そこらじゅうを歩いてみれば、そぅら、見ろ! アタシより弱くて、アタシより醜い、同じ髪の色をした婆さんたちがあちこちにたむろしてるじゃねぇか!」

「……それで?」

「それで、だって? 爺さん。アタシはアンタを見た時も、自分より格下(・・・・)だ、と思ってたんだよ」

 

 ──ひどい自惚れだった。

 吐息とともに心を漏らす。

 老人の目を見据えた少女の目尻には、雫が溜まっていた。

 

「アタシはこの世界の片隅でさえ、一番じゃない! 多分この世界には、アタシよりも、爺さんよりも強い、あの女みたいな奴らがわんさかいるんだ!」

「──ならば、我流で鍛えればよかろう。何故、儂に言う」

 

 老人が問いかけると、少女は自分の髪を撫で付けて言った。

 

「──その武器、その技。日本の技だろう? ……アタシには、自分が誰かを証明するものが、この髪しかない。これしか、価値あるものを持っていないんだ。だから! 同じものを集めてるんだよ!」

「…………少し、待っておれ──」

 

 少女が本心を──おそらく誰にも話した事がないそれを──曝け出す。

 老人は、ユリに待つように命じた後、道場から姿を消した。

 少女の中では、期待と、怒りと、悲しみと、後悔と、欲望と──様々なものがぐるぐると、血脈に乗って、全身を駆け巡っていた。

 

 

 しばらくして戻ってきた老人の手には、一本の数打ちの刀と、奇矯な形をしたヘルメットが握られていた。

 老人は、刀をユリの目の前にぽんと放り投げて言う。

 

「──なんでもいい。その兜を、壊してみよ」

「……? は?」

「だから、なんでもいいと言ったのだ。その数打ちで、斬りつけても構わん。童の持つ棒切れを叩きつけても構わん。殴りつけようと、蹴りつけようと、好きにしろ。

 それを壊せれば、お主に我が剣術(しょうがい)を教えてやる──」

「──ハッ! 上等ッ!」

 

 ユリは立ち上がるとすぐさま、老人が投げ捨てた刀に飛びついた。

 刀を白鞘から抜き放つ。刃は妖しく鈍色に輝いていた。

 しばしそれに見惚れていると、老人は、兜を兜掛けに立てかけながら、ユリをおちょくるように言った。

 

「──どうした? それ(・・)で満足か?」

「──な訳ねーだろ!」

 

 未練ごと乗せて、刀を振り払ったユリは、それを大上段に構えて、兜を見据える。

 

 ──今のアタシには、整然とした技がない。下手に爺さんの真似をしようとしても、まだ(・・)、アタシにできるはずがない。単純だ! ただ! 力任せにでも押し斬るッ!

 

 両脚に力を溜めて。

 右脚を踏み出しながら、裂光の気合を込めて、少女は刀を斬り下ろす──。

 

 ──ジュィイイン──。

 金属の上で金属を滑らす、黒板を引っかいたような音が辺りに響く。

 呆然とする少女を尻目に、老人は飄々と近づき、少女の持つ刀先に目をやる。

 

「──おうおう。耳障りな音を響かす(のう)。刀が痛むぞ、刃こぼれするわい。

 ……で、どうした? 諦める(・・・)のか?」

「──まだだッ! アタシのやり方(スタイル)は、こんなんじゃなかった!」

 

 老人のからかいに、少女は白鞘に刀を収めながら、反論する。

 そのまま鉄パイプに持ち替え、兜掛けを引きずり、壁の近くに置き据えた。

 

 少女の流儀(スタイル)。我流闘殺法。

 環境を活かし、弱みを打ち消す事こそ彼女の理合い。

 彼女の戦場は、ごみごみとした路地裏が多い。付近に置物やブロック塀などが多く設置してある。だから──。

 道場の端まで歩いたユリは、鉄パイプを下段に構えると、そのまま兜掛けに向かって疾駆──ではない! 方針をずらして、ユリは兜掛け近くの道場の壁に向かって、助走そのままに(しょう)と跳躍する──!

 

 ── まだ(・・)アタシに(パワー)なんて無いんだ。だったら……。

 

 壁をガンと片脚で蹴りつけたユリは、そのまま三角飛びの要領で、兜掛けの方へと翻り──!

 同年代より遥かにマシとはいえ、大の大人には敵わぬ力。それを補うために、ユリが身につけた闘法こそ──

 

「──ユリちゃん流闘殺法、『 雪颪(なだれ)』ッ!」

 

 ──地球の重力を味方につけた、敵上段からの、打ち下ろし!

 

 ガギィと耳障りな金属音が聞こえた。

 左肩から地面に叩きつけられたユリは、思わず鉄パイプから手を離す。二度の衝撃に揺れる道場の中で、カランカランという金属音が響き渡った。

 

 さあ! どうだッ!

 勢いに負け、転がっていった兜を探して、ユリはきょろきょろと辺りを見渡す。

 

「……ふむ。見事。

 ──で、まだ(・・)やるか?」

「──ハハッ。マジかよ」

 

 そんな、老人の声が聞こえた。

 

 

 数刻。空に夕焼けが浮かぶ頃。

 汗まみれのべそまみれで、ユリは道場に横たわっていた。

 あれからずっと。ユリは様々な方法で破壊を試していた。

 ブロック塀に叩きつける。屋根の上から放り投げる。ひたすらに蹴りつける。あるはずのない(ひず)みを探す。

 どの方策も、成果をあげられなかった。

 

「──喃、童。どうする?」

 

 つきっきりでユリを見張り、時には彼女のオーダーを受けていた老人は、彼女の顔を覗き込んで、こう言った。

 まさしく万策尽きていたユリは、常なら出す事のない、泣き言を口にした。

 

「無理だろこれ! こんなもん人間が壊せるわけねーだろッ! バカじゃねぇのかッ!」

「──うむ。そうだ(・・・)

「──は? おいおい。おいおいおい。待て待て爺さん。今更何言ってんだ! アンタが壊せって言ったんじゃねぇかッ!」

 

 だから、そのあまりにもあっけらかんとした肯定に、ユリは思わず食いつく。

 向けられた詰問をよそに、老人は「貸してみぃ」と呟き、ユリの手に握られた、白鞘の刀を奪った。

 

「儂が手本(・・)を見せてやろう──」

 

 白鞘から刃を抜き放ち、奇しくも少女の始まりのように、大上段に振りかぶり──!

 

「──吉野御流合戦礼法、『兜割(かぶとわ)り』」

 

 ──斬り降ろされた刀は、打ち合うや否や、刀身から真っ二つになり、折れた刃は、道場の天井へと突き刺さった。

 

「──斬れぬよ、これは。人間には斬れぬ。

 この兜は、かの劔冑(IS)に使われる鍛鉄を甲鉄として作られておる。

 これを斬れるということは、即ち劔冑(IS)をも斬れるということだ。そんなもの、最早真っ当な人ではない。化生(けしょう)か修羅の類よ」

「……は? じゃあ……なんでわざわざこんなことを……?」

 

 「判らぬか?」と老人は呟き、ユリを立ち上がらせる。

 

「ひたすらに自らの力を試し、ありとあらゆる万策を試し、それでもなお、届かぬものがある。

 ──人間だけ(・・)では不可能なこともある、と認める事。

 それこそが、この試しの目的よ」

「……はっ、なんだ、それ」

 

 らしからぬ努力をした。

 試す。壊せない。試す。壊せない。試す。壊せない。試す。壊せないッ!

 傲慢な少女は、その鼻っ柱を粉々に叩き壊された。

 だが、それでいい、それこそが目的だという。

 

「童。名をなんと申す」

「ユリ。ユリだ」

「よかろう。百合。我が剣術(じんせい)をお主に託す──」

 

 

 

「そういえば爺さん。聞きたいことあるんだけどー」

 

 数日後。門弟となったユリは、飯をかっ喰らいながら問いかけた。

 白米に味噌汁。魚の塩焼きに沢庵。

 ファヴェーラでは見かけない朝食だった。

 日本では、珍しくもない朝食だった。

 

「ふむ。なんだ」

 

 少女に箸の使い方を指導しながら、老人は応える。

 

「なんでIS素材の兜なんて珍しいもん持ってんの?」

「成る程。それはだな────」

 

 過去語り。

 曰く。老人は、古くは幕末。欧米の使節団に同行した、一人の男を祖に持つという。

 その男、何を思ったか、旅の始まりの米国にて、船を降りてしまったとのこと。

 

「それで、その男とISが、どう関係あるっていうんだ?」

「いやなに、なんとも奇怪なことだが、その男。使節の一員として、機織(はたお)りの者共の世話をしていたらしい」

「機織りって、あれか? 服の糸を縫うあれか?」

「うむ、そうそう。その機業(・・)よ」

 

 老人はからからと笑う。

 からから、からからと嗤う。

 

「それで、今ではその機織り共、先の大戦の折、大層稼いで、今では劔冑(IS)にも手を出せるほどの商いを成しておるのだ」

「ふーん。つまりは爺さんは、そんな凄いとことのコネクションがあるってことか?」

「そうとも。彼奴らとのこねくしょん(・・・・・・)を持っているのだ」

 

 自分で聞いておいて、そこまで興味がなかったのか、少女は沢庵を貪っていた。

 

「その会社って、今どこにあるの? ブラジル? それともアメリカ?」

「……さぁの。亡国(・・)にでもあるのではないか?」

「なんだよそれー、亡国ってことはもう無いじゃん!」

 

 

 

 そんなこんなで楽しく時は過ぎ。

 ユリが道場に棲み着いて二年ほど経った頃。

 昼間に水を飲み過ぎたのか、ユリは夜ふと目覚めて、厠へと用を足しに行っていた。

 用を済ませた後、寒さにぶるり、と身体を震わせ、寝具の元へと向かおうとしたユリだったが、縁側の方から何やら物音が聞こえてきた。

 

「どうした? 爺さん」

「む。百合か」

 

 そこでは、白髪の老人が、猪口から清酒を呷っていた。

 満天の星空だった。

 老人の横に座った少女は、彼とともに、無限に広がる成層圏を眺める。

 

「──なぁ、爺さん」

「なんだ?」

「爺さんの剣術。これって生身の人のためのものじゃないだろ?」

 

 猪口を傾ける手が止まった。

 

「なんかやってて思うんだけどさー。ISに最適化され過ぎてる(・・・・・・・・・)んだよね、これ」

「……」

「でもさー、爺さん。乗れないじゃん? 男だし?」

 

 「で、そこの所、どうなの?」とユリは徳利から、老人の猪口に清酒を継ぎ足しながら、問いかけた。

 

「──────儂は、劔冑(IS)に乗りたかった。ただ、儂の剣術(いっしょう)が、誰よりも強いと、証明したかった……」

 

 酒を受け取り、老人は深々と漏らした。

 年齢を感じさせる声だった。

 

「儂が乗れぬとわかっていても、それまでの剣を創り替えてきたのも、いつか、きっと、乗れると信じておったからよ……」

「……」

「遠く日の本から離れた地の裏で、日の本()の朝廷に対して我こそはブラジル()の『吉野』などと嘯いて……。まったく。滑稽よ喃……」

「……そっか!」

 

 ──じゃあ、乗れるアタシが(・・・・・・・)、代わりに証明してやるよ!

 

 老人は目を見開いて、傍の少女を見つめた。

 天の光を、濡羽色(・・・)が吸い込んで、微笑んでいた。

 

「爺さんが乗れなくても、誰よりも可愛いアタシなら、間違いなく使いこなせるって! 爺さんの剣術(かち)は────」

「そうか……、うむ、そうか……」

 

 光が二人を照らしていた。

 月下の誓いだった。

 

 

 

 彼女は自分の価値を求めていた。

 老人はただ、己が最強(じんせい)を証明したかった。

 彼女の師は、自らの剣術(かち)を、少女に託した。

 彼女は誓いを胸にした、地裏の若武者である。

 

 ブラジル代表、吉野御流。

 濡羽のユリ。

 

 

 

 

 


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