(完結)閃の軌跡Ⅰ ~鋼の意志 空の翼~   作:アルカンシェル

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10話 翡翠の公都Ⅰ

 四月二十四日。土曜日。

 その日は最初の特別実習の日だったが、リィンは旧校舎にいた。

 

「それじゃあ俺は明日まで帰ってきませんが、くれぐれもくれぐれも問題を起こさないでくださいね」

 

「分かっておるわい」

 

 ラッセル博士は邪険にするようにリィンの過保護な言葉に応える。

 

「ティータ……無理だと思うけどラッセル博士やエリカ博士が無茶をしないように頼むよ……最終手段はリンを頼れば良いから」

 

「はい。任せてくださいっ!」

 

「リィンは安心して特別実習に行くと良い」

 

 両手に拳を作って気合いを入れるティータと彼女の頭の、帽子の上に座っている自分によく似た人形が応える。

 《空の至宝》の意志が宿るローゼンベルグ製戦術殻《リン》。

 《空の至宝》《輝く環》《オーリオール》と様々な呼び名はあったが、人形としての名前として《環》とは別の《輪》の単語と自分に似た姿から《リン》と名付けた。

 本来はノイとルフィナの予備の体であり、二人と同様にリィンの《聖痕》の力で仲介されて外で動けるのだが、リンはリィンの力に依存して存在を保っているわけではないので今回のようにリィンが近くにいなくても単独行動ができてしまう。

 人形の方の機能を直接止める停止スイッチや、《聖痕》の力の紐付けはしてあるので、完全に野放しにしているわけではないのだが自由度はノイ達の比ではない。

 

「良いかリン、ティータの言うことはちゃんと聞くんだぞ……それから自衛するためなら《導力停止現象》を使っても良いけど、連鎖停止は駄目だからな」

 

「了解しました」

 

 抑揚のない言葉でリンは頷く。

 一抹の不安を抱きながら、トロイメライの解析にはリンの協力が不可欠だということでリンをティータに任せてリィンは旧校舎を後にした。

 

「時間は……まだ大丈夫だな」

 

 前日までに決めていた集合時間にはまだ十分時間があることを確かめてリィンは寮へと戻る。

 士官学院から真っ直ぐに駅に続く道を下りて、駅前の通りを曲がろうとしたところで背中を向けた建物から覚えのある気配が出てくる。

 

「ふあぁぁぁ~~~……

 むにゃ。朝日がまぶしい~……コーヒーでも買ってこようかしら……」

 

 ラジオ局から出てきた女性は大きな欠伸をして大きく伸びをする。

 パシャ、パシャ。

 と、リィンの横でカメラのシャッターを切る音が聞こえてくる。

 

「ルフィナさん……何をしているんですか?」

 

 いつの間にか出て来たルフィナが念動でオーバルカメラを浮かせてシャッターを切っている姿に呆れながらリィンは尋ねる。

 

「ふふ……交渉材料を作るのはこういう地道な作業が必要なのよ」

 

「交渉材料って、そんな微妙な手札を手に入れても……」

 

 ルフィナの言い分にリィンは唸る。

 女性に対してやってはいけないことだと思うのだが、ルフィナにはいまだに口で勝てたことはない。

 どう説得しようかと悩んでいると眼鏡と帽子を被った女性が寝ぼけまなこのままリィンに振り返る。

 

「んん……?」

 

「…………おはようございます。クロチルダさん」

 

「ええ……おはよう……リィン君……」

 

 半覚醒状態のままミスティことヴィータ・クロチルダはリィンに挨拶を返し、ルフィナとリィンを交互に見る。

 

「それじゃあ私はこれで失礼するわ」

 

 出て来た唐突さと同じようにルフィナは人形の身体ごと《箱庭》に戻り、ヴィータとリィンの間に意味深な沈黙が流れる。

 

「リィン君、ちょっと良いかしら?」

 

「っ!?」

 

 ヴィータは目を金色に輝かせ、誰もが魅了される笑顔でリィンに笑いかける。

 唐突に掛けられた《金縛り》の魔術。

 咄嗟に振り払うがその時にはもうヴィータは目の前に迫っていた。

 ヴィータはリィンのネクタイを掴んで、壁際に引きずり逃がさないように壁に手を付いて顔を寄せる。

 

「今見たものは忘れなさい。感光クォーツも貴方が破棄させなさい。良いわね?」

 

「クロチルダさん……お、落ち着いてください」

 

「良いわね?」

 

「いや、だから……」

 

「良いわね?」

 

「………………はい」

 

 笑顔のまま凄まれリィンは頷くことしかできなかった。

 

 

 

 

 リィンは肩を落として寮のドアを開く。

 玄関の広間にはユーシスとマキアスがすでにいたが、二人は互いに距離を取って顔を背け合っていた。

 

「おはよう。二人とも早いんだな」

 

 リィンが声を掛けるとマキアスは鋭い眼差しをリィンに向ける。

 

「言っておくが、君の事を仲間だなんて認めたわけじゃない。同じ班になったからといって馴れ馴れしくしないでもらえるか?」

 

「そうか……悪かったな」

 

 マキアスの拒絶にリィンはただ挨拶をしただけなのにと、顔をしかめて嘆息する。

 

「フッ……副委員長殿はずいぶんと粘着質のようだな」

 

 しかし、リィンが受け流した言葉にユーシスが嫌味を返す。

 

「なんだと……」

 

「ふん……」

 

「おはよう。みんな」

 

「おはようございます」

 

 一触即発になりかけたところでアリサとエマが階段を下りてくる。

 

「委員長。アリサ……」

 

「あ、あはは……みんな揃ったみたいですね。早速、出発しましょうか?」

 

 睨み合うユーシスとマキアスの様子から状況を察したエマは何事もなかったように一同を促し、リィンはそれに便乗する。

 

「そうだな。まだ列車の時間はあるけど」

 

「別に構わないぞ」

 

「僕も異存はない」

 

 ユーシスとマキアスは最初の時のようにそっぽを向きながらその意見に賛同する。

 

「はあ……激しく不安だわ」

 

 そんな二人の様子にアリサはため息を吐く。

 

「…………あら……?」

 

 不意にエマが漂って来た匂いに首を傾げる。

 

「ラベンダーの香り……」

 

 そして匂いの方向を辿り、エマは顔をしかめる。

 

「これ香水の匂いよね? リィンって香水なんか使ってたの?」

 

 エマの呟きを聞き取ったアリサが首を傾げる。

 

「いや……たぶん移り香だと思う。あんなに近くまで迫られたからな」

 

「…………リィン。貴方旧校舎に顔を出すとか言っていたけど、本当は――」

 

「待った! 違うぞアリサ。ちょっと知り合いに会っただけだ。別に何もやましいことはないから」

 

「私はまだ何も言っていないんだけど……怪しい」

 

「けっ……」

 

 ジト目を向けるアリサの背後でマキアスが汚物を見るような眼差しをリィンに向ける。

 

「ラベンダーの香り…………それに魔術の残滓も……やっぱり……」

 

 そんな彼らを他所にエマは深刻な顔で一人頷いていた。

 

 

 

 

 《翡翠の公都バリアハート》は東部クロイツェン州の中心都市。

 人口三十万人。

 周囲に広がる丘陵地帯では毛皮になるミンクが多く生息し、領内にある七耀石の鉱山からは良質な宝石が採掘されることでも知られている。

 このため毛皮や宝石を特産品としている。

 四大名門のアルバレア公爵家が治めており、街全体が公爵家を中心とした貴族のために構成されている都市でもある。

 トリスタから列車で五時間。

 穀倉地帯を抜けて到着した列車から降りたB班は駅員達の過剰とも言える歓待を受けることになった。

 が、彼らの到着を待っていたルーファスがそれを諫め、そして……

 

「むう……」

 

 宿泊場所へと案内するために乗せられたリムジンの中でユーシスは面白くないと言わんばかりに唸る。

 

「ほう……中々楽しそうな学院生活を送っているようだね。羨ましい限りだ……

 私の学院生活は張り合いがなくて、青春らしい青春もなくてつまらないものだったよ」

 

「そうなんですか? でも楽しい学院生活って言っても、いろいろなことがあり過ぎて困っているんですよ」

 

 一同への挨拶もそこそこにルーファスはユーシスが見たことのない上機嫌な様子でリィンと、それこそ兄弟かと思えるような気安さで学院生活のことを話している。

 手紙のやり取りで自分の近況こそ伝えているのだから、仕方がないのかもしれないがとにかくユーシスは面白くない状況だった。

 

「なんだかユーシスさんのイメージが……」

 

 そんな様子を傍で見せられているエマが苦笑する。

 

「お兄ちゃんを取られた弟かしら?」

 

「信じられない。あの傲岸不遜な男が……」

 

 アリサが生温かい目で、マキアスは驚愕の目で彼を見ていると、ユーシスは咳払いをして取り繕う。

 

「兄上、そろそろ実習について説明していただきたいのですが」

 

「ふむ、そうだな。ではこれを受け取ってくれたまえ」

 

 リィンとの会話を切り上げたルーファスは士官学院の紋章が捺された封筒を差し出した。

 

「君たちにはその中にある課題をこなしてもらう。どう行うかは君たちが決めると良い……

 もっとも正遊撃士の資格を持っているリィン君には簡単な課題だが、そこは他の者たちと足並みを揃えてくれるかな?」

 

「ええ。分かっています」

 

 ルーファスの指摘にリィンは当然だと頷く。

 そう言った忠告はサラや学院長からも言われており、他のメンバーの成長の妨げにならないように一歩引くことを言われている。

 

「正遊撃士って……え? リィンが!?」

 

「そんな話初耳だぞ!?」

 

「資格を取ってすぐに休業届けを出しているから、肩書だけもらったようなものだよ」

 

 そう答えて、革新派の筆頭であるオズボーン宰相が遊撃士協会を帝国から撤廃させたことを思い出す。

 マキアスもその考えなら、また要らぬ言い掛かりをつけてくるかと身構えるが、予想に反してマキアスは閉口していた。

 リィンは何気なく答えたが、まだ学生だと自覚しているⅦ組達は改めてリィンとの差を思い知らされる。

 準遊撃士ではなく、正遊撃士。

 その資格を持っているということはすでに一人前だと認められ、相応の仕事を任されるだけの信頼と実績があることに他ならない。

 

「何もおかしな話ではないよ。遊撃士の資格は十六歳から取ることが出来る……

 帝国では遊撃士の活動はオズボーン宰相によって縮小され活動は停止してしまっているが、リィン君が資格を取ったのはクロスベルだからね……

 それにあの《リベールの異変》で中心となって活躍した遊撃士も君たちと同い年だったそうだね?」

 

「ええ、エステルさんとヨシュアさんは俺より一つ上で、ユーシス達とは同い年です」

 

 ルーファスに振られた話にリィンが頷くと、Ⅶ組一同は《英雄》と比べられて押し黙る。

 

「ふふ、君たちが恥じることはないが、思うところがあるのなら精進するのだね……

 この《特別実習》は君たちにとって良い経験になるだろう……女神の加護を、実習の成功を祈っているよ」

 

 ルーファスはそう言い残して去って行くのだった。

 

 

 

 

「なるほど……やることは遊撃士の仕事と同じようなことか」

 

 ホテルの一室に集まり、渡された書類に目を通してリィンはそう結論付けた。

 

「あ……やっぱりリィンもそう思う?」

 

 先に書類に目を通したアリサはリィンと同じ意見だったことに安堵する。

 

「導力灯の交換、領邦軍との戦闘訓練、手配魔獣の退治に他にも雑用がいくつか……

 遊撃士はこんな仕事をしているのか?」

 

「基本的にはどんな仕事もする感じだな……とは言ってもあまりに身勝手な依頼は断りもするけど……

 このくらいの仕事量なら、夕方には終わらせられるかな?」

 

 ユーシスの疑問にリィンは頷き、大まかな見積もりを呟く。

 

「いつまでこんなところでおしゃべりをしているつもりだ?

 実習内容の確認は済んだんだ。さっさと行動に移るべきではないのか?」

 

 棘のある言い方でマキアスは一同を急かすが、流石に単独行動しようとすることがないことにリィンは安堵する。

 

「いや、その前に一つ決めておきたいことがある」

 

「何だと?」

 

 出鼻を挫かれたマキアスは眦を上げてリィンを睨む。

 

「この班のリーダーを誰にするか? 基本的な指針を決める人を決めておくべきじゃないのか?」

 

「道理だな。だがそれならお前がやればいいのではないか?」

 

「さっきもルーファスさんに言われたけど、俺が先導してしまったら《特別実習》の意味が半減してしまうだろ? 俺は委員長を推すけど、どうかな?」

 

「わ、私ですか!?」

 

「理由は?」

 

「本当なら地元のユーシスが一番良いんだけど、そうするとなレーグニッツが大人しく従うとは思えない」

 

「なっ! 馬鹿にするな! それが従うに値する命令なら従うのも吝かじゃない」

 

「そう言っているからダメなんだ。いちいち指示の意図を一から十まで納得しないと動けないような奴なんて言うことを聞かないのと同じだ」

 

「そうやって人を見下して、これだから貴族は」

 

「貴族は関係ないだろ……俺がリーダーに立候補しているわけじゃないんだ。それとも委員長の指示もレーグニッツは聞けないか?」

 

「ぐ……卑怯者め。どうせそう言っておいてエマ君を誘導して自分の思い通りにするつもりなんだろ!?」

 

 成り立たない会話にリィンは辟易とする。

 かと言ってアリサに頼んでも同じ理由で勝手な言い掛かりをつけるだろうし、マキアスにリーダーを頼むのは無謀としか思えない。

 どうしたものかと考えているとアリサが手を上げて提案する。

 

「ねえリィン。一度依頼ごとにリーダーを変えてやってみるのはどうかしら?

 こういう実習は初めてだし、最初からエマだけにリーダーを任せるよりも良いと思うんだけど、それにそうすればマキアスの溜飲も少し下がるんじゃないかしら?」

 

 最後は小声でアリサはリィンだけに言う。

 

「いや、それは……」

 

「良いんじゃないか? それぞれの適正を見極めるということではいろいろ試す必要があるのは確かだ」

 

 マキアスの指示を聞くことに抵抗があるのではないかと考えられたユーシスがアリサの意見に賛同する。

 

「私もそれが良いです。突然リーダーをやれと言われても困ります」

 

「…………分かった。みんながそう言うなら俺はそれで構わない。レーグニッツはどうする?」

 

「フン……僕もそれなら異議はない」

 

 アリサからの提案だったおかげなのか、マキアスはそれ以上渋ることなく了承した。

 現金なものだとリィンは呆れる。

 

「何だその目は?」

 

「何でもない」

 

 相も変わらずに敵愾心をたっぷりと含んだ目で睨まれてリィンは肩を竦めた。

 

 

 

 

 

『今回の特別実習の内容次第では君には他のクラスに移ってもらうことになるわ』

 

『どういうことですかそれは!? 何で僕がっ!?』

 

『理由は《ARCUS》のテストに非協力的だからよ……

 この一ヶ月、事あるごとにユーシスとリィン、それにクリスの三人に突っかかって関係改善が認められない……

 それどころか諫めようとしたガイウスや間を取り持とうとしているエリオットやエマに対しても言動が日に日に攻撃的になっている上に、君と彼らの戦術リンクの精度まで落ちている』

 

『そんなの僕のせいじゃない! 彼らが貴族の権威に擦り寄ることが悪いんだっ!』

 

『マキアス……誰もそんなことしてないし、リィン達だってこの学院で貴族の権威なんてひけらかしていないわよ……

 君のそれはただの被害妄想よ。君の事情は一応知っているけど――』

 

『知っているならどうして教官は貴族の肩を持つんですか!?』

 

『どこをどう聞いたらそうなるのよ……

 ともかく、これは君のお父さん、常任理事の一人であるカール氏も承認していることなのよ』

 

『父さんが……っ……』

 

『マキアス、悪いことは言わないから一度リィンと腰を据えて話してみなさい。そうすれば――』

 

『何で僕の方から折れなくちゃいけないんですか? 頭を下げて許しを乞うのはあいつの方だっ!』

 

『マキアス……』

 

『どうして僕だけっ! リィン・シュバルツァーだって誰ともまともにリンクを結べていないのに!

 平等を謳っておきながら、学院も貴族と平民を差別するのか!?』

 

『リィンに対しての差別じゃなくて区別よ。あの子を基準にしたら他の生徒たちの大半がついて行けないわよ』

 

『っ……だったら証明してやる』

 

『は……?』

 

『僕の方がリィン・シュバルツァーなんかよりも優秀なんだってこの《特別実習》で証明してやる! そうすれば良いんでしょ!?』

 

『マキアス……Ⅶ組の、《特別実習》の目的は《優劣》じゃなくて――』

 

『失礼しますっ!』

 

『待ちなさいマキアスッ! 話はまだ――』

 

「証明するんだ……」

 

 誰もいない職員室に呼び出された時のサラとの会話を思い出しながらマキアスは昏い眼差しでマキアスはリィンとユーシスの背中を睨む。

 

「貴族なんて……あいつらもどうせ一皮むいた本性は汚い貴族なんだ……」

 

 マキアスは自分に言い聞かせるように繰り返す。

 どんなに善人の顔をしていても二度と騙されるものかと、何度も何度も言い聞かせるのだった。

 

 

 




実習開始

マキアス
「あいつらもどうせ本性は汚い貴族なんだ――ぶつぶつ……」

アリサ
「はあ……本当に大丈夫なのかしら?」

エマ
「すみません。私があんなことを言わなければマキアスさんにリーダーなんてさせなくて済んだのに」

リィン
「気にしなくていいよ。委員長の意見だって決して的外れじゃないんだから」

ユーシス
「これも経験と割り切るさ……だが不当な命令に関してはお前達のものでも聞く気はないぞ」

リィン
「それは良いけど。少しは的外れの命令にもフォローできる範囲では従って欲しいな……
 独断で危機回避するよりも、その指示がどうまずかったのか後で話し合うことも大切だから」

ユーシス
「あえて失敗するか……流石は正遊撃士。プロを経験している者は言うことが違うな……だが了解した」

アリサ
「でも……私、今のマキアスと戦術リンクを結ぶ自信はちょっとないかも」

エマ
「実は私も……」

マキアス
「証明してやる。僕がリィン・シュバルツァーなんかよりも優秀だということを……ぶつぶつ……」

ユーシス
「やれやれ……」

リィン
「やっぱり呪いなのかな?」


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