(完結)閃の軌跡Ⅰ ~鋼の意志 空の翼~   作:アルカンシェル

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124話 温泉郷Ⅳ

 

 季節外れの吹雪は夜が明ける前に納まりユミルの郷はいつもと変わらない一日が始めることができた。

 解決に尽力したであろうリィン達は特に何も語らず、Ⅶ組もリィンのすることなら間違いはないだろうと特に追及はしなかった。

 また今回同行できなかった一同は程よく積もった雪で雪上戦闘の訓練をしようとしたものの、二日連続の訓練にサラ教官の雷が落ちた。

 皇帝のメンツも潰すことになりかねないと、ちゃんと慰安しろと説教された一同は思い思いに長閑な一日を過ごすことになった。

 ある者は積もった雪を利用した遊びであるスノーボードに興じ、ある者は足湯を堪能し、ある者は大自然に向けて一心不乱にバイオリンを掻き鳴らす。

 またある者はサラ教官に注意されたが、それが一番の息抜きだと言わんばかりに雪上で模擬戦を行う者もいた。

 そして――

 

「リィン、起きてる?」

 

 凰翼館の男子部屋をアリサがノックする。

 既に時刻は正午。

 正午まで仮眠を取ると言っていたこともあり、それに合わせて来たのだが返事はない。

 アリサはため息交じりに振り返ると、廊下の先からアルフィンとミルディーヌが期待に満ちた眼差しを送って来る。

 

「……どうしてこんなことになったのかしら?」

 

 二人の背後にいるエリゼとクレアの眼差しも含めてアリサは自分の手に下げられたバスケットを見下ろしてため息を吐く。

 と、そこでドアが音を鳴らして開く。

 

「ようやく起きたみたいね……

 これ――エリゼさんや殿下たちと一緒にランチを作ってきたんだけど、良かったら食べて――

 勘違いしないでよ! これは……そう昨日、桶をぶつけちゃったお詫びなんだから――」

 

「――アリサ」

 

 バスケットを押し付けるように突き出しながらそっぽを向いて捲し立てるアリサに困惑の声が応じる。

 

「…………えっとリィンさんならもう起きて出て行ったみたいなんだけど」

 

 差し出されたバスケットを抱えたクリスは申し訳なさそうに目を伏せるのだった。

 

「姫様、見ましたか? あれがツンデレって言うんですよ!」

 

「ふふ、興味深いですわね」

 

「二人とも……」

 

「アリサさん……」

 

 

 

 

 

 ユミルの郷の外れに位置する共同墓地。

 その一角のまだ真新しさを残す墓標の前にリィンは一人、何をするでもなく佇んでいた。

 墓標には昨日供えた花と先程彼が作った“雪うさぎ”が添えられている。

 

「…………俺は……」

 

 何かを言おうと思って来たはずなのにそれ以上言葉は続かない。

 そのまま時間だけが無為に過ぎて行く。

 

「こんなところにいたのね」

 

 どれだけの時間そうしていたのか、すぐ背後で声が掛けられた。

 

「アリサ……」

 

 振り返って手が届きそうな場所にいるアリサにリィンは少し驚く。

 

「ふふん、隙だらけよ」

 

 何処か得意気にアリサは声を掛けるまで気付かれなかったことを誇る。

 

「……そうだな」

 

 そんな彼女にリィンは苦笑と共に強張っていた肩の力を抜いて息を吐く。

 

「……えっと邪魔しちゃった?」

 

 うるさくしたわけじゃないが、死者を悼んでいる相手にするには不謹慎だったかとアリサは首を竦ませる。

 

「いや、そんなことない」

 

 リィンは首を振る。

 落ち着きのある普段の姿とはまた違った様子にアリサは居たたまれない気持ちになりながら話を振る。

 

「実はエリゼさん達とランチを作ったのよ、昨日のお詫びとして私も手伝ったんだけど良かったらどう?」

 

「ランチ……ああ、もうそんな時間か」

 

 空を見上げ、夜の吹雪が嘘だったかのような晴天の空を見上げてリィンは呟く。

 

「もう……って、いつからいたのよ」

 

 非難する眼差しでリィンを睨み、アリサは彼の背後の墓石に刻まれた名前を読む。

 

「アルティナ――って、え……?」

 

 刻まれた名前にアリサは首を傾げる。

 アルティナ。

 それはかつてリベールに家出したアリサをアーツを使って追い回した銀の髪の女の子の名前。

 ラッセル博士は殺されたと言っていたが、先日帝都ですれ違いアリサはどういうことかと困惑した。

 

「それじゃあ帝都で会ったのは……」

 

「あの子は同じ名前だけど、この子の妹みたいなものだ」

 

 愁いを帯びた声にアリサは押し黙る。

 リィンの言葉でも複雑な事情があることは察することはできる。

 しかし、意外だったのはその死者を悼む態度だった。

 てっきり母の様に親しい人が死んでも涙一つ見せない冷血漢だと思っていただけにリィンの雲った顔はアリサの中でこれまでの印象が揺れて戸惑う。

 

「えっと……」

 

 言葉を選ぼうとしているアリサにリィンは苦笑する。

 

「行こうか、エリゼ達もその様子だと心配させてしまったみたいだから」

 

「…………うん」

 

 フォローする言葉は出来ず、逆にリィンに気遣わせてしまったことにアリサは肩を落とす。

 踵を返して歩き出したリィンに遅れて、アリサも郷に向かって歩き出す。

 そして何を思ったのか、墓石を振り返る。

 

「アルティナ・シュバルツァー。ここに眠る……」

 

 帝都で同じ顔の少女と会っていただけにアリサはあの時の少女が既に亡くなっていた事実に驚く。

 同じ顔の少女と出会ったリィンの心境も推し量ることはできない。

 ただ自分だけが家族に恵まれず不幸だと思っていたことをアリサは恥じる。

 

「あ……“雪うさぎ”……」

 

 ふと、墓に供えられた雪と葉っぱで作られたうさぎを見つけてアリサは言葉を漏らす。

 

「…………………あ……」

 

 思わずアリサは振り返り、歩き出した背中を見る。

 

「どうかしたかアリサ?」

 

「……ううん、何でもない」

 

 足を止めて振り返るリィンにアリサは平静を装って首を横に振る。

 リィンは首を傾げながら、前に向き直ると歩き出した。

 

「…………本当にあの時の男の子だったんだ」

 

 母に指摘されても半信半疑だった幼い日にこのユミルで迷子になっていたアリサを助けてくれた男の子とリィンがようやくアリサの中で重なるのだった。

 

 

 

 

「それじゃあクレアさん、エリゼ達のことは頼みます」

 

 カレル離宮駅。

 小旅行を終えたⅦ組はそのままトリスタへ戻るのではなく、皇族の住まいであるカレル離宮に寄り道をしていた。

 

「はい、お任せ下さいリィンさん」

 

 警備と時間の都合上、今日は女学院に戻らずアストライア女学院の女子たちは一泊を過ごすことになっている。

 既に駅は皇帝家の敷地内ではあるが、クレアはリィンの頼みを快く引き受ける。

 

「皆さん、今回はお兄様たちの無茶な我儘を聞いて下さり、ありがとうございました……

 おかげで皇族としてではなく、ただのアルフィンとしていろいろな経験をさせていただきました。この思い出は一生の思い出になるでしょう」

 

「そんな恐縮です」

 

 アルフィンの畏まった礼にリィンは苦笑する。

 

「そうだよ、アルフィンはいつも大袈裟なんだから」

 

「ふふ、本当にセドリックが羨ましいわ……いっそ来年はわたくしもトールズ士官学院に進学してしまおうかしら? クリス先輩」

 

「うっ――じょ、冗談だよね?」

 

「さあ、どうかしら」

 

 含みのある笑みを浮かべるアルフィンにクリスは顔を引きつらせる。

 そんな姉弟のやり取りにリィンは苦笑し、彼もまた妹に向き直る。

 

「それじゃあエリゼ」

 

「――っ……はい、どうかお元気で……学院祭、楽しみにしていますから」

 

 向けて来る変わらない笑顔に何かを感じながらもエリゼは平静を装い応える。

 

「ああ、待ってるよ……それじゃあ、また」

 

 リィンは微笑み、エリゼの頭をそっと撫でる。

 

「あ……」

 

 その手が離れるとエリゼは自然と声を漏らしていた。

 踵を返して、仲間たちと《アイゼングラーフ号》へ乗り込んでいく彼らの背をエリゼは見送り――

 

「兄様っ!」

 

 リィンが乗り込む直前、エリゼは駆け寄って彼の服を掴んでいた。

 

「エリゼ?」

 

「…………」

 

 目を丸くして驚くリィンにエリゼは躊躇いながら、己の内を吐き出す。

 

「兄様がどれだけ重いものを背負っているか私には分かりません……でも二度目は嫌です」

 

「エリゼ……」

 

「リベールの時のように、兄様がいなくなることなんて私も、父様も母様も望んでいません……それだけは忘れないでください」

 

「――っ……ああ、分かってる」

 

 エリゼの訴えにリィンは一瞬驚き、少しだけ気持ちが軽くなった。

 

「それでは兄様……また今度」

 

「ああ、また」

 

 改めて二人は別れの言葉を交わす。

 発車し遠ざかって行く《アイゼングラーフ号》をエリゼは万感の思いで見送り――

 

「ふふ、よく言えましたエリゼ」

 

「ああ、流石エリゼ先輩。たったあれだけの言葉でリィンさんの心を持って行くだなんて、やっぱり一番のライバルはエリゼ先輩のようですね姫様」

 

「姫様……ミルディーヌも茶化さないでください」

 

 子供にするように頭を撫でてくるアルフィンと頬に両手を当てて身悶えるミルディーヌにエリゼはため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 トリスタ。第三学生寮前。

 

「お帰りなさい皆さん」

 

 学生寮が違う先輩達と別れ、ユミルの小旅行から帰った一同をシャロンは玄関先で待ち構えていたように出迎える。

 

「シャ、シャロン……このパターンはもしかしてまた……」

 

「リィンのお客様だとしたら……オルディスの魔煌兵が女の子になって会いに来たとか?」

 

「はは、そんなまさか」

 

 いつぞやのように出迎えたシャロンにアリサ達は警戒を露わにする。

 

「…………ガイウスさん、そのイベントはもう終わってるんです」

 

 肩を落として誰にも聞こえない声でエマはガイウスが上げた可能性を肯定する。

 

「下らん、そんな二度も同じことなど起きるはずが――」

 

 ユーシスがそんな仲間たちの警戒を一蹴し、さっさと寮に入ろうとして――

 

「はい、皆さんが旅行に行っている間にリィン様のお客様が訪ねて来られました」

 

「……なん……だと……?」

 

 ノブに掛けた手を放し、一歩二歩とユーシスは後退る。

 

「俺に客ですか? でも中には誰もいませんよね?」

 

 気配を探り、学生寮の中に誰もいないことをリィンは指摘する。

 

「はい、今日帰って来るとお伝えしたのですが縁がなかったと手紙だけ渡して欲しいと頼まれました」

 

「手紙……?」

 

「こちらになります」

 

 差し出された手紙をリィンは受け取って、中を検めると差出人はリィンが想像していた者からの手紙だった。

 

「リィン?」

 

「あ、ああ……ユン老師、俺の剣の師匠からの手紙だった」

 

 仲間たちの好奇の眼差しにリィンは答える。

 

「それはもしかして八葉一刀流の開祖であるあのユン・カーファイ殿のことか!?」

 

 父から聞いたことがあるその名にラウラが真っ先に反応する。

 

「リィンの剣の師匠……」

 

「どんな超帝国人なんだろうな……」

 

「東方出身だから超共和国人じゃないの?」

 

 それぞれが勝手な想像を浮かべていることにリィンは苦笑を浮かべ、手紙をとりあえず流し読む。

 

「そのユン老師はリィンにいったいどんな言葉を?」

 

 やはり武芸者として興味があるのか、恐る恐るラウラが質問を重ねる。

 

「――どうやら近況報告と後は……」

 

 最後のページを捲り、リィンは目を細める。

 

「リィン……?」

 

「どうかしましたか?」

 

 黙り込んだリィンにクリス達は首を傾げる。

 

「いや、何でもない」

 

 リィンは手紙を仕舞い、話を切る。

 

「むぅ……」

 

 明らかに不満そうにラウラが頬を膨らませるが、流石に他人の手紙を詮索することは自重する。

 

「それじゃあ――」

 

 気を取り直して、リィンは学生寮に入ろうとして――振り返った。

 

「リィン……?」

 

「悪いみんな、俺は用事ができた」

 

「え……?」

 

「ちょっとリィン!?」

 

 仲間たちが首を傾げている間にリィンは寮の中に旅行鞄を投げ込み、彼らの間をすり抜け、アリサの制止にも振り返らずトリスタの街へと繰り出した。

 遠くから聞こえて来るのはハーモニカの音色。

 別に珍しいわけでもない日常の音の一つ。

 吹かれている曲も、誰かが創作したオリジナルではなく一般に普及しているありきたりな一曲。

 誰がそれを吹いているのか、想像は簡単にできる。

 そしてそれに意味がないことも分かっている。

 しかし、それでもリィンはハーモニカの主を確認するために動いていた。

 

「あ……」

 

 公園のベンチで一人で座ってハーモニカを吹いていたのはリィンが想像していた銀髪の少女だった。

 少女はリィンや公園の人々の注目を気にも止めずにハーモニカを吹くことに集中する。

 やがて少女はその一曲を吹き終わると顔を上げて、リィンを見て一言。

 

「不埒ですね」

 

「何でそうなる?」

 

 ジト目から繰り出された開口一番の非難の言葉にリィンは思わず項垂れる。

 

「ほぼ初対面の人間をまじまじと凝視するというのは不埒では?」

 

「まあ、それはたしかに……」

 

 不躾な視線だったことはリィンも認めるしかない。

 同時に“ほぼ初対面”という言葉にかすかな胸の痛みを感じる。

 

「いつもここでハーモニカを吹いているのか?」

 

「はい、いいえ……ハーモニカは毎日吹いていますが、特定の場所は決まっていません」

 

 リィンの質問に少女は淡々と答える。

 

「ルーファスさんは学院で教官をするそうだけど君はどうするんだ?」

 

「機密事項なのでお答えできません」

 

「そうか……」

 

「そうです……」

 

「…………」

 

「…………」

 

 奇妙な沈黙が二人の間に流れる。

 そんな中、少女は何を思ったのかリィンに歩み寄り、服の裾を引いてリィンをしゃがませる。

 

「ん? どうし――ひゃ?」

 

 何の予告もなしに少女はリィンの頬を押し潰す。

 

「不埒なことを考えていますね?」

 

「そんにゃことはにゃい」

 

 頬を潰されながらリィンは少女の言葉を否定する。

 

「いいえ、不埒なことを考えています」

 

 勝手に断定し少女はリィンの頬を押さえた指を上下に動かす。

 

「…………」

 

 リィンは少女の手を振り払うことなく、むしろ手から頬に伝わる熱に彼女がそこにいること、それを実感して無性に泣きたくなる。

 少女のしたいように、されるがままにされていたリィンは凝り固まっていた何かがほぐれて行くように感じた。

 

「ん……」

 

 リィンの頬を散々弄んだ少女は満足したように頷くと、その手を放す。

 その時にはもう澱んでいた心は晴れていた。

 

「はは……」

 

 思わず笑みがこぼれる。

 改めて自分が何を守りたくて、何のために戦おうとしているのか思い出す。

 

「むっ……」

 

 そんなリィンに少女は顔をしかめる。

 

「ありがとう、アルティナ」

 

 お返しとばかりにリィンは少女の頭を優しく撫でる。

 

「何故御礼を言うのか理解不能です……それからこの行為に何らかの不埒な意味は?」

 

 ジト目で睨んで来るアルティナにリィンは苦笑を浮かべる。

 

「そう思うならやめるけど、どうする?」

 

 その言葉にアルティナは沈黙を返すのだった。

 

 

 

 

 






 ユン老師の手紙

 ―中略―

 カシウスやアリオス、そしてアネラスから聞いたが無事に《鬼の力》を己のものにしたようだの……
 それに加えて各地でのおぬしの噂、剣の腕も儂が想像していたよりも遥かな高みに至っているようだ……
 そこでリィン、おぬしには儂から最後の課題を出そうと思う……
 “明鏡止水”の真髄。それに至れた時、《剣聖》と名乗ることを許そう……
 それではな、おぬしが《剣聖》になった頃にでもまた会おう。

 ――ユン・カーファイ。


クリス
「シャーリィさん、リィンさんへの手紙を勝手に持ち出すのはマナー違反ですよ」

シャーリィ
「えへへーでもみんな興味あったんでしょ?」

フィー
「それは……」

エリオット
「まあ……」

ラウラ
「しかし“明鏡止水”の真髄とは……いったいどんな境地なのだろうな?」

クリス
「きっと超帝国人を超えて黄金に輝く超戦士なんだよ! 真・超帝国人! いや超帝国人・神も捨てがたい。ううん」

シャーリィ
「……そう言えばちょっと用事思い出した。シャーリィはもう行くね」

フィー
「同じく」

エリオット
「ぼ、僕も学院祭のライブの楽譜を作らないとっ!」

ラウラ
「うむ、日課の素振りがまだだった」

クリス
「あれ……みんな? っていうかこの手紙はどうするの――」

リィン
「………………」

クリス
「――リ、リィンさん……い、いつからそこに?」

リィン
「言いたいことはそれだけか?」



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