(完結)閃の軌跡Ⅰ ~鋼の意志 空の翼~ 作:アルカンシェル
特別実習レポート 製作者クリス・レンハイム。
中略。
交易町ケルディック二日目の朝は一つの事件から始まった。
前日に大市の店を出す場所で騒動を起こした二人の店が破壊され、商品が盗まれるというものだった。
しかし、これに対して領邦軍はろくな調査もしなかった。
そこで自分たちが事件の調査を買って出た。
双方の言い分、そして領邦軍への聞き込みの末、領邦軍が窃盗事件の裏で糸を引いていると結論付け、犯人の捜索を行った。
犯人はルナリア自然公園に一時潜伏していた。
門前の鍵をフィーが携帯していた爆薬で破壊し、窃盗団を発見し戦闘になる。
無事に制圧できたものの、直後に大型魔獣の襲撃を受ける。
これを何とか撃退し安堵した瞬間、拘束を怠っていた窃盗団の一人から不意打ちを受け、ラウラが人質に取られてしまった。
彼女の頭に導力銃を突き付けられ、武装解除を求められる。
しかし、そのタイミングで調査を放棄していたはずの領邦軍が現れる。
窃盗団はあろうことか、犯人は自分達だと言い出し自分たちはそれを捕まえたのだと言い出した。
さらにあり得ないことに領邦軍はそれを鵜呑みにした。
僕達の言い分はまるで無視する領邦軍だったが、彼らに遅れて鉄道憲兵隊のクレア・リーヴェルト大尉が現れ自分たちに代わり弁明し、領邦軍の言い分を論破してくれた。
ここでラウラを拘束していた男が領邦軍に見捨てられると察して暴挙に出た。
錯乱したように叫んだ男はその勢いのままラウラの頭に突き付けた導力銃の引き金を引こうとした。
その瞬間、誰よりも速くフィーが隠し持っていたナイフを投擲し、男の頭を射抜いた直後ナイフに仕込まれた爆薬が炸裂して男の頭を吹き飛ばした。
現場の状況からクレア大尉には正当防衛が認められ、体裁を取るということでフィーは自分達を残してクレア大尉に大人しく連行されて行った。
盗まれた商品は奪還できた。
犯人と明らかにグルだった領邦軍に憤りを感じるものの、それ以上に肝心なところで動けなかった自分の未熟さを痛感させられる実習だった。
*
「いやー大変だったみたいですねえ」
トリスタの街酒場に三人の教官が一つのテーブルを囲い、トマスがテーブルに突っ伏しているサラを労う。
「全くよ。ようやくマキアスの問題が解決してルーファス理事からもとりあえず残留許可を取れたって言うのに……」
サラはテーブルに身を預けたまま応える。
「だが状況を聞いた限りではクラウゼルの判断は間違っていなかっただろう……
一瞬でも躊躇っていれば犠牲になっていたのはアルゼイドだった」
嘆くサラにナイトハルトがそれとなくフォローする。
「そうなのよね。行為そのものは決して褒められたものじゃないけど、どうしたってこういう二択が迫られる時はあるんだから」
A班のレポート、それからフィーを引き取った時のクレア大尉からされた状況説明をサラは思い出す。
窃盗団を追い詰めたが、拘束する前に大型魔獣の乱入があったこと。
それも無事に撃退したが、倒したはずの窃盗団が立て直す時間を与えてしまったことになる。
大型魔獣を撃退したところで不意打ちのスタングレネードを食らってしまったこと。
他はともかくフィーがそんな不意打ちを食らったことは意外だったが、そんな時もあるだろう。
「っていうか、領邦軍の腐敗がそこまで酷かったのが完全に想定外だったわ」
ため息を吐きながら、奢りのビールに口をつける。
「トールズ士官学院の制服を着ている身元が証明されている者たちを一方的に犯人と決め付けるか……
さらに言えば調査しないと言っておきながらタイミング良く現れたことといい。クロイツェン州の中の事件だからと言って随分と舐めた真似をしてくれたものだ」
「それにどうやら学院内でフィー君の今回の噂を流したのは、そこの領邦軍の隊長の実家経由みたいですよ……
今回の事件がうまくいなかった腹いせでしょうかね?」
「はぁ!? 何よそれ!? ばっかじゃないの。むしろフィーにあんたら救われておいて何言ってんのよ!」
トマスの言葉にサラは余計に頭が痛くなる。
フィーの行為を認めるわけではないが、フィーがそれを選ばなければラウラの方が死んでいた。
そうなればいくら領邦軍がしらを切ったとしても、その隙をあの鉄血宰相が見逃すことはないだろう。
しかも害したのは武の双璧アルゼイド子爵の娘。
貴族派と革新派に対して中立を保っている良識派の貴族の代表的存在だがそんな風に娘を殺されてしまえばどうなっていたことか。
想像するだけでも恐ろしい。
「今のトールズ士官学院は士官学院とは名ばかりの緩い校風ですからね……
やはり人を殺したフィー君への忌避感が強くなっていますね」
「クラウゼルの謹慎期間は一週間だったな? 彼女のケアは大丈夫なのか?」
「あの子は元猟兵よ。そこら辺の心配は今更。本人は二度寝ができるって喜んでいるくらいだったわよ。問題は他の子たちよ」
「やっぱりですか?」
「頭からいろいろ被ったラウラとそれを目の前で見てしまったエリオットの二人が特に危ないわね……
ガイウスは動揺はしていたけど今は持ち直しているし、クリスもその時は流石に動転していたけど大丈夫そうよ」
「B班の方は? 直接見ていないとはいえ他の生徒達と同じように忌避感を持ってしまったのではないか?」
「そっちも確かに動揺しているけど受け入れられない感じじゃないわね……
直前に、やらせだったけど本人たちにとっては生き死にがかかった極限状態の戦いをやったおかげか、そこまで忌避感は強くないみたい」
「それは良かったですね……というのは不謹慎ですかね」
「良いわよ。そう言っておかないとやってられないわ」
「しかし意外ですね。アルゼイドと言えば帝国の武の双璧。そういうことに対しても教育は行き届いていると思っていたんですが」
「訓練と実戦では違うことはよくある話だ……
ましてやアルゼイドが人質になってしまったこと、一番近くでそれを見てしまったこと。トラウマになっていなければいいんだがな」
「そこら辺はエリオット含めてベアトリクス教官にカウンセリングを頼んでいるわ……
それに来週にはラウラのお父さんのアルゼイド子爵が武術指南に来てくれるから相談しようと思っているわ……
ってなんだか人任せにしてばかりね……はぁ……やっぱりあたしには教官なんて向いてないのかもしれないわね」
「珍しいなバレスタイン。お前がそんな弱気なことを言うなんて」
「言いたくもなるわよ。あたしはやっぱり斬った張ったをやっている方が楽だわ……
たった十人で手に余っているのよ。これが本来のクラスだったら数十人になるんだからもうあたしには手に負えないわよ」
「まあまあそう言わずに、貴族と平民が混在するⅦ組のようなクラスを担当できるのは元遊撃士のサラさんにしかできませんよ。ほらもう一杯どうぞ」
弱気なサラのグラスにトマスが新しいビールを注ぐ。
「Ⅶ組は他の生徒達と比べて個性的過ぎるからな。特にシュバルツァーはな」
「まあね……リィンと言えば、あんたどうやってリィンを口説き落としたのよ?」
ナイトハルトの呟きからサラはトマスに話を振る。
「口説き落とした? はて何のことでしょうか?」
「惚けなくて良いでしょ。あんたが今年度から作った歴史研究同好会に入部させたんでしょ? てっきりどこの部にも入らないと思っていたんだけどね」
「はは……リィン君も歴史に興味があっただけですよ……
リィン君の話は中々興味深いですよ。特にあの《リベールの異変》ではあの浮遊都市に乗り込んだそうじゃないですか?
それにあのルフィナ君という人形の方もなかなか深い見識を持っているようで話していて飽きないです」
「ふーん……まあリィンが普通の学生みたいなことができるならあたしがとやかく言うことじゃないから良いんだけどね……
確か来週に自由行動日に同好会で外出届を出しているんだったけ?」
「ええ、ドライケルス大帝の足跡を追うという名目で、本来ならノルドからやりたかったんですがとりあえず近場の遺跡を探検しようと考えています」
「あんまり連れ回さないでちょうだいよ、あの子は入学してからクロスベルに行ったり、ラッセル博士たちを迎えたりって忙しなく動き回ってばかりなんだから」
「ええ、心得ていますよ」
サラの忠告にトマスは本当に分かっているのか怪しい笑みを浮かべて頷いた。
……………
………
……
「あーうー」
「まったく明日が自由行動日だからと言って飲み過ぎだ」
肩を貸して歩くナイトハルトは弛緩したサラの姿に呆れる。
「まあまあナイトハルト教官。これまでサラ教官は頑張っていたから今日くらいは良いじゃないですか」
「それは分かっている。ただの愚痴だ」
トマスの言葉にナイトハルトは頷き、入学式から今日までのことを思い出す。
Ⅶ組全員とクラス代表達とリィンの模擬戦。
ラッセル博士を招いての技術交換。
マキアスが起こす差別意識による学院内での空気の悪化。
特別実習ではそのマキアスの今後の進退が関わるものでもあり、それを無事に乗り越えることができたと安堵したところにフィーの地雷が爆発した。
他の教官たちもできる範囲でのフォローはしているが、限度がある。
「しっかりしろ。もうすぐ寮に着くぞ」
業務を終えて夕方から始めた飲み会だったが、実際はまだ一時間も経っていない。
酒豪のサラがたったそれだけの時間でここまで酔いつぶれたという事実がある意味その心労の深さを表している。
「やーだーまだ飲むの! 今日はとことん飲むのー!」
「ええい駄々を捏ねるなっ!」
子供のように抵抗するサラにうんざりしながらもナイトハルトは見捨てずにそのまま歩く。
「飲み会なら明日改めて付き合いますから今日はもう休みましょう」
Ⅶ組が生活している第三学生寮に辿り着き、トマスがあやすようにサラに言い聞かせる。
「うー」
「トマス教官、シュバルツァーを……いや誰でも良い、中に入って――」
一時的に大人しくなったサラにため息を吐いて、早々に引き渡そうと考えたナイトハルトだったが、目の前で寮のドアが開いた。
「――っ、ナイトハルト教官にトマス教官。どうしてこちらに?」
大剣を携えて出て来たラウラは、扉の前に教官たちがいたことに、ばつを悪くしてそれを背中に隠す。
「サラ教官を送りに来たんですが、ラウラさんはこんな時間からどちらに?」
ラウラの疑問にトマスが答えて聞き返す。
「私は……日課の素振りを……その……」
「素振りか……それなら良いが、よもや街道に出るつもりではないだろうな?」
顔を逸らして言いよどむ姿にナイトハルトが指摘するとラウラはぎくりと体を震わせる。
隠し事ができない娘だと苦笑する。
「あまり夜遊びは感心しないぞ」
「よ、夜遊びではありません!」
ナイトハルトの言葉にラウラは声を荒げて反論する。
その声には目に見えた焦燥が感じられた。
ラウラとエリオット。
この二人は教官陣の中でも特に注意を払う様に指示されている。
「アルゼイド、気持ちは分からなくもないが今はやめておけ」
この一週間、ラウラは授業に出席しているものの常に上の空だった。
状況が状況なので様子見に徹していたが、ナイトハルトは今のラウラが何を考えているのか容易く察することができた。
「夜の素振りはまだ良い。だが朝帰りをする気だろう?」
「あ、朝帰りっ!?」
ナイトハルトから出て来た言葉にラウラは思わず狼狽える。
そんな風に初々しく動揺する姿にナイトハルトは彼女の姉弟子との違いに苦笑を浮かべる。
「お前たちの数代前の先輩の話だが、彼女は在学中、自由行動日の度に夜遊びと朝帰りを繰り返したらしくてな……
それが原因で一時期はこの周辺の魔獣の生態系が狂う問題が起きたと俺が通っていた士官学院にもその話が聞こえて来るほどだった……
当時はだいぶ大事になったらしくてな、その前兆を見逃すことはできんな」
「い、いえ……そんな大それたことをするつもりはないんですが……」
恐縮して首を横に振るラウラだが、ナイトハルトは全く信用せずにラウラの前に立ち塞がる。
「とにかく今日は休め。特別実習からすぐに授業で落ち着いて心の整理がついていないのだろう?
剣が振りたいのなら俺が明日一日付き合ってやってもいい。今のお前の精神状態で夜遊びを認めるわけにはいかん」
「明日はリィンとクリスと一緒に旧校舎の探索に行くんです……
二人の足を引っ張らないためにも私は――」
「ならばなおのことだ。適切な休息を取らなければ本来の実力さえも出すことはできないぞ」
「そんなこと……分かっています。分かっています……しかし――」
ナイトハルトの言葉に頷きながらもラウラの表情は晴れない。
「アルゼイド。お前は十分に強い。従来のクラス編成なら間違いなくトップの実力を持っている。だから――」
ナイトハルトは慣れない慰めの言葉を掛けていたところで、寮の扉の向こうから慌ただしい足音が聞こえて来たかと思うと勢いよく扉が開いてリィンが飛び出してきた。
「あっ――ラウラ……それに教官たち、丁度良かった」
扉の前にいたラウラに驚きながらリィンはナイトハルト達を見て喜ぶ。
「どうした? 俺達に何か用か?」
リィンの姿は制服ではなく私服。
だがその腰には太刀が佩いてあり、ラウラとは別の何かを感じる。
「すみません。今からクロスベルに行くので外出申請をお願いします」
「それはまた突然ですね。理由を聞いても良いですか?」
突然のリィンの申し出に驚きながらトマスが聞き返す。
リィンはすぐにでも駅に向かって走ろうとするが、トマスの眼差しに一度深呼吸して頭を冷静にして説明する。
「先程、クロスベルにいる友人たちから助けて欲しいと連絡がありました……
今クロスベルでは《D∴G教団》の残党によって行方不明者が多数、その中にはその知り合いの弟とアリオス・マクレインの娘さんなどが含まれている状況です」
「《D∴G教団》だと!」
思わぬ名前が出て来たことにナイトハルトが声を上げ、トマスが目を細める。
「またベルガード門の警備隊がその司祭に操られ、街には幻獣とでも呼ぶべき物理的な方法で倒せない魔獣が現れて混乱しているようです」
「なるほど霊的なものと戦うと言うのなら確かにリィン君の力は有効ですね」
「はい。そういうわけなので今から俺はクロスベルに行ってきます……
いつ帰って来れるかは分からないのでもしかしたら来週の授業に遅れるかもしれませんが――」
「学院については私の方で何とかしておきますが、まずいですね……」
「まずい、ですか?」
トマスの口からもれた言葉にリィンは首を傾げる。
「今日、最後のクロスベル行きの大陸横断列車は十分前に出たばかりです……
列車で四時間はかかる距離ですから鉄道を使えないとなると、今からクロスベルに行く手段がありません」
「…………いえ、十分前に出たなら今から走って追い駆ければ追い付けます」
「何を言っているシュバルツァー?」
当然のように言い切るリィンにナイトハルトは呆れる。
「そうよー……ばかなこといってんじゃにゃいわよ」
と、それにサラが同調して項垂れていた顔を上げる。
「あー……代案があるからちょっとそこで待ってなさしゃい……ひっく」
呂律の回らない言葉とフラフラした足取りでナイトハルトの支えから離れてサラは学生寮に入る。
数十秒後。
開け放たれたままの扉の向こうから嘔吐音が聞こえて来て、また数秒後今度は水音を被る音が聞こえて来る。
「ふう……お待たせ」
そして頭からずぶ濡れになってすっかり酔いを醒ましたサラが現れる。
「おい……バレスタイン。何をしてきた?」
恐る恐るナイトハルトはサラに尋ねる。
「胃の中のもの全部吐いて、冷たい水を頭から被ってきただけよ」
「サラ教官……そんなオリビエさんみたいなことを……」
「あたしのことは良いのよ……
それよりもクロスベルに行くなら旧校舎に資材運搬用のトレーラーがあるからラッセル博士に言ってそれを使わせてもらいましょう」
「その手がありましたか」
「トマスは学院長にあたしとリィンの外出届けと事情の説明をよろしく……
ナイトハルトは軍に掛け合ってガレリア要塞を通る許可とベルガード門の調査をするように連絡してちょうだい」
「分かりました」
「了解した」
「リィンはラッセル博士が泊まっている宿に行ってトレーラーの鍵を借りて来て、あたしは先に旧校舎へ行っているわ」
「はいっ!」
矢継ぎ早に出すサラの指示に三人はすぐに動き出す。が、それに蚊帳の外になっていたラウラが声を上げた。
「待ってくれリィン! 今からクロスベルって、それじゃあ明日の旧校舎探索は――」
「悪いラウラ。この埋め合わせは必ずするから、クリスに明日のことは中止だってことを伝えておいてくれ」
約束を違えるのかと、責める言葉をラウラはぐっと堪える。
《D∴G教団》なるものはラウラには分からないが、サラやトマス、ナイトハルトの反応を見る限り相当な事件が起きているのだと分かる。
子供が攫われたこと。
それだけでもどちらの方が優先度が高いかは明白だった。
しかしこの一週間、明日のために抑えてきた胸の内の昏い焔がそれをただでは呑み込ませてくれなかった。
「リィン、私も一緒に連れて行ってくれ!」
「ラウラ……?」
「よく分からないが、凶悪な犯罪者が相手なのだろう? だったら私の剣が役に立つはずだ。だから――」
「却下よ。どんな理由があっても今のあんたを連れて行けないわ」
「サラ教官!?」
「ラウラ、あんたは何をしに一緒に行くつもり?」
「何をしにって……そんなの敵を倒しに行くに決まっているではないですか」
「そう……ならやっぱり同行は許可できないわね。そもそもあたしたちは敵を倒しに行くんじゃないんだから」
「……何を言っているんですか? いったい何が言いたいんですか!?」
いつの間にかサラが同行するのが前提で話が進んでいるのだが、リィンは口を挟まずサラに任せる。
だがサラの言い分が全くラウラには理解できなかった。
倒すべき敵がいるのなら、それを倒すことが何故間違いなのか。
「悪いけど悠長に説明している暇はないわ。帰って来たら答え合わせをして上げるからそれまで大人しく待っていなさい」
「っ……」
まるでお前など力不足だと言わんばかりの態度にラウラは反論できず歯を食いしばり、血が出る程にきつく拳を握り締める。
「ラウラ……その……」
「気遣いは無用だ。邪魔をしてすまなかった……」
全精力を込めてそれだけをラウラは絞り出し、踵を返す。
そんなラウラの背にリィンは何と言葉を掛けて良いのか考える。
「リィン、行くわよ」
サラに促されてリィンは後ろ髪を引かれながらも駆け出した。
「………………くそ……」
一人、学生寮の前に取り残されたラウラは初めて己の無力さに涙をこぼした。
*
旧校舎。
そこはラッセル博士の実験場とも言えるその場で一台のトレーラーが緊急発進――することはなかった。
その代わり。
「システム正常に起動。問題ありません」
狭い運転席の中で、ティータの肩に乗る《空の至宝》の意志を宿したリンが淡々と報告してくる。
「こっちは問題ないそうです。リィンさん、サラさんそちらは大丈夫ですか?」
スピーカーを通してティータが尋ねる。
「ああ、こっちは大丈夫だ」
「えっと……本当にこれで行くの?」
返ってきたのは二種類の声。
何の緊張も感じないリィンの声と、腰が退けたサラの声。
「大丈夫ですよ。あのレオンハルト――ロランス少尉も同系統の機体に生身で乗って大立ち回りをしていたんですから、俺達にだってできるはずです」
「いやいやいや、あんなびっくり超人を基準に考えるのはおかしいから!」
「えっと……それならサラ教官は残りますか? 呼ばれたのは俺だけですし」
「…………そう言うわけにはいかないわよ……
ミシェル――クロスベル支部とは連絡がつかないし、あの《殲滅天使》がリィンに助けを求めたっていう事はそれだけ逼迫した事態っていうことでしょ?
あたしは確かに遊撃士を休業してるけど、だからって事件を見て見ぬ振りすることなんてできないわよ」
「サラ教官……」
身体を震わせながらも気丈に振る舞うサラの考えはリィンにもよく分かる。
「あのあの、それならサラさんが中に入りますか? わたしは外でも良いですけど」
「そんな情けないことするくらいなら降りてるわよ……ええい、女は度胸っ! ティータちゃん! やっちゃって!」
半ば自棄を起こしたようにサラは叫ぶ。
「えっと……」
「サラ教官のことは俺が何とかするから、ティータは操縦に集中してくれ」
「わ、分かりました。それじゃあリンちゃん、よろしくお願いします」
「了解しました。反重力術式の展開を完了。タイミングはティータ・ラッセルに移譲します」
呼びかけたリンはやはり淡々とした言葉を返して来るが、ティータはそれを気にする余裕はなかった。
いつもはもう寝ている時間。
しかし、今は胸が高揚して目が冴えている。
「今行くよレンちゃん。エステルお姉ちゃん……」
決意を胸に秘め、ティータは叫ぶ。
「トロイメライ・ルージュッ! 発進しますっ!」
その日、帝国の空に深紅の竜機が舞い上がった。
次の日の第三学生寮
ガイウス
「そうか……リィンはまたクロスベルに行ったのか」
ユーシス
「先月も競売会に行ったというのに忙しない奴だ」
アリサ
「それで……どうしてラウラはあんなに不機嫌なのよ?」
クリス
「実は今日、ラウラさんと一緒に旧校舎探索をする予定だったんですが、リィンさんが急にクロスベルに行くことになって中止になってしまったんです……
《ブリランテ》を賭けた勝負もそこでやるつもりだったんですけど、当然延期になってしまって」
エマ
「それはまたタイミングが悪かったですね」
フィー
「ふーん……でもラウラは連れていかなかったのにティータの同行は認めたんだ」
エリオット
「ティータちゃんか……僕達より年下なのに《リベールの異変》の最前線にいたんだよね……」
マキアス
「しかし、あれだな……今のラウラ君はまるで、父親が休日に突然仕事が入り、遊びに行けなくなって不貞腐れる子供みたいだな」
ラウラ
「レーグニッツ。そこに直れっ!」
マキアス
「はあっ!? いきなり何を言い出すんだっ! ってちょっと待て、待ってくれっ!」
アリサ
「……自業自得ね」
ユーシス
「口の軽さは相変わらずのようだな」
エマ
「あははは……流石に今のはフォローできません」
余談
ナイトハルト 閃Ⅳでは31歳。
オーレリア 閃Ⅳでは32歳。
ミュラー 閃Ⅳでは32歳。
ついでにウォレスがオーレリアとは士官学院からの付き合いらしい。
もしかしたらこの四人って同じ時期にトールズにいた可能性があるかもしれないんですね。
―追記―
ナイトハルトはトールズ出身ではないと指摘をもらいました。
あとオリヴァルトとルーファスが閃Ⅳで29歳と同い年なんですよね。
もしかしたらこの二人も同級生だったのかもしれません。
ミュラーはあえてオリヴァルトに合わせて入学したかもしれませんが、三歳差でやるかは疑問。