(完結)閃の軌跡Ⅰ ~鋼の意志 空の翼~   作:アルカンシェル

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20話 後始末

 クロスベルにおける《D∴G教団》による《教団事件》はゼムリア大陸全土に大きく報じられた。

 《魔獣の大暴走》を意図的に起こし、さらには警備隊員を操り暴動を起こす。

 用意周到に行われたクロスベルが滅ぶかもしれない危機を救ったのは警察で新設された特務支援課だった。

 もっともクロスベルタイムズで大々的に取り上げられたのは彼らだが、それと同等に注目を浴びたのは紅い機械人形を伴って援軍に現れた遊撃士リィン・シュバルツァーの存在だった。

 

「…………なんだかすごいことになっていますね」

 

 自由行動日が明けた翌日。

 トールズ士官学院の話題はクロスベル一色だった。

 これが単なる事件ならそこまで大事にはならなかったのだが、その事件の解決にあのリィンが関わっていることが騒がれた。

 

「ああ、しかも事件は一昨日の深夜だったにも関わらず、今朝戻ってきたのはサラ教官と機械人形に乗っていたティータの二人だけ……

 そして今日の一限目は全クラスで自習となったか……」

 

 クリスの言葉に頷き、ユーシスは読み終わった帝国時報を閉じる。

 

「サラ教官はリィンさんは大丈夫だって言っていましたけど……」

 

 早朝に学生寮に帰って来たサラは多くを語らずに休む間もなく学院へと向かった。

 

「俺は六年前のことをよく知らないのだが、学院の授業を中止する程この《D∴G教団》というのは危険な集団なのか?」

 

 ユーシスから帝国時報を受け取ってその記事を読みながらガイウスが尋ねる。

 

「ああ……当時、各国から多数の子供を誘拐して非道な人体実験を行っていた団体だ……

 六年前の殲滅作戦では、各国の警察及び軍隊と遊撃士協会が共同戦線を張ったが、捕縛された《教団》信者の大半が自決し、更に誘拐された子供達の無残な遺体が大量に発見されたらしい……

 そしてこの作戦で《教団》本体は壊滅したが、大陸各地に残党が潜んでいるとまことしやかに囁かれ、各国がその有力情報には莫大な懸賞金を掛けている」

 

「無残な遺体……」

 

 ユーシスの説明にエリオットは身を震わせ、口を手で覆う。

 

「っ――大丈夫ですよ。今回は初動の速さもあって被害の規模に対して人的被害は皆無だったようですから」

 

 慌ててクリスが取り繕う。

 特別実習から二週間が経つのに、その時の凄惨な光景をエリオットはまだ振り切れないでいた。

 

「…………ごめん……士官学院に入学したっていうのに、こんな……」

 

「気にしなくて良いですよ。あの光景は確かに衝撃的でしたから」

 

 エリオットに共感するようにクリスはエリオットを気遣う。

 

「すまん、つい口が滑った」

 

 教団を語るには必要な言葉だったとはいえ、他の言い回しもあったとユーシスは謝る。

 

「それにしても何だか騒がしいわね?」

 

 教室の中の話題を変えるようにアリサは騒然とし始める廊下を覗き込み――

 

「えっ――?」

 

 言葉を失った。

 

「ん? どうしたんだアリサ君?」

 

 マキアスがそれを訝しみ廊下を覗き込むとそこにはクレア大尉を伴った鉄血宰相ギリアス・オズボーンがいた。

 

 

 

 

「えっと……本日はわざわざこのような所に来ていただき――」

 

 トールズ士官学院の会議室。

 学院長や教頭それに同僚達、さらには呼び出したクレアを前にサラはかしこまった言葉で挨拶を述べる。

 が、その言葉を向けた当人によって遮られることになる。

 

「ああ、堅苦しい挨拶は不要だバレスタイン教官……

 私はクレア大尉に同行させてもらっただけなのだから置物とでも思ってくれたまえ」

 

 帝国No.2である鉄血宰相はサラの気も知らず不敵な笑みを浮かべて宣った。

 

 ――あんたみたいな置物があってたまるかっ!

 

 内心で悪態を吐き、サラは気合いで笑顔を保つ。

 帝国の遊撃士協会を閉鎖に追い込んだ、サラにとっては怨敵でもある存在。

 呼んでもいないのに来たのは《D∴G教団》に関わることだからだろうが、宰相にあるまじきフットワークの軽さにサラは頭痛を感じる。

 それでも気を取り直して説明を始める。

 

「皆さんもすでに周知されていると思いますが、一昨日の夕方からクロスベルで起きた《D∴G教団》の事件はその明朝には犯人が逮捕される形で解決しました」

 

「それにしてはリィン・シュバルツァーは一緒に戻ってきていない所を見ると、クロスベルに残っているのかね?」

 

「彼は七耀教会の法術を修得しているため、霊的な治療を行うために残りました……

 何分《グノーシス》という薬で操られていた人間は千人を超え、潜在的な準キャリアも含めれば二千人規模の被害者がいるので教会の人手が足りていません」

 

 ベルガード門警備隊にルヴァーチェ商会のマフィア。

 それにウルスラ医科大学。さらには《太陽の砦》の近くのアルモリカ村の水源に微量の《グノーシス》が混ぜられていたとのこと。

 麻薬として手を出した一般人などそれこそ一握りしかおらず、自発的に服用した者たちなら自業自得と割り切っても良いのだが、自覚なく服薬させられていた者たちを見捨てることはできなかった。

 

「このことで遊撃士協会と七耀教会、それにクロスベル警察とマグダエル市長から正式にリィンを貸して欲しいと学院への要請書を受け取っています」

 

 サラはヴァンダイク学院長にミシェルから預かった書類を渡す。

 

「うむ……」

 

 ヴァンダイクはそれを会議室にいる者たちに聞かせるように読み上げる。

 まずはトールズ士官学院に在学している学生を緊急とはいえ招集してしまったことへの謝罪。

 続いて事件解決に大きく貢献してくれたことへの感謝。

 そしてリィンの力が《グノーシス》患者の治療に大きく貢献していること。

 違法薬物の治療はまず体内に取り込んだ毒素を体外に排出させる必要がある。その間に毒素が体の神経を壊すことが違法薬物の脅威なのだが、リィンにはその毒素を取り出す力があった。

 そうでなくとも病院の機能が停止している今、一人でも治療できる法術使いを手放したくないのがクロスベルの現状だった。

 

「しかし、リィン君の本分は学生であるのだがな……」

 

 書状に連なる名前にヴァンダイクは唸る。

 能力があるからと言って、学生に背負わせるには逸脱した仕事の内容にヴァンダイクは難色を示す。

 

「よろしいではないですかヴァンダイク学院長……それだけ多くの者がリィン・シュバルツァーの能力を評価しているということなのですから」

 

 そんなヴァンダイクにオズボーンはクロスベル側を擁護する発言をする。

 

「これで過労で倒れることにでもなれば、それはそれで良い経験と言えるでしょう……

 それに属州国の民に手を差し伸べるのは当然のことであり、リィン・シュバルツァーの献身はまさしく《世の礎》となるでしょう」

 

 まさかオズボーンの擁護があるとは思っていなかったサラは目を丸くし、ヴァンダイクは彼の鉄面皮の下に抑え切れていない感情を察して白い目を向ける。

 

「それで? わざわざクレア大尉を呼んだのはそれ以外に重要な案件があるからではないのかな?」

 

「え……ええ」

 

 オズボーンに促されてサラは説明を再開する。

 

「逮捕した今回の事件の主犯である《D∴G教団》の司祭ヨアヒム・ギュンターですが、リィン以外に対しては話すことはないという態度を取られ……

 そのリィンを通すことでいくつかの《D∴G教団》の情報を得ることが出来ました……

 まず現在帝国領内で活動が続いている二つの《拠点》の位置情報。これはナイトハルト教官にお渡しするので正規軍に対応をお願いします」

 

「ああ、任された」

 

「……それなら鉄道憲兵隊の方が――」

 

「落ち着きたまえリーヴェルト大尉。そちらを正規軍に任せるというのなら君には別の案件があるということだ」

 

 口を挟もうとしたクレアをオズボーンが諭し、サラはそれを肯定するように続ける。

 

「鉄道憲兵隊にはこっちのブローカーの取り締まりをお願いできるかしら?

 帝国内で人材を確保するために人身売買しているような奴等なんだけど、あんた達はそっちの方が適任でしょ?」

 

「っ――分かりました」

 

「それから歴史的文化財の価値を判断できる人を派遣してもらえないかしら?」

 

「それはどういうことかね?」

 

「レンが捕獲――いえ協力を申し出てきたレクター・アランドールからの要請です……

 《D∴G教団》の拠点には、ルヴァーチェ商会から横流しされた物品や金のインゴットなどがかなり蓄えられていました……

 今彼に目録を作らせていますが、それを確認できる人を呼んで来いと指示を受けています……

 本来ならクレア大尉にお願いするだけのつもりでしたが、せっかくなのでオズボーン宰相にお願いさせてもらいます」

 

「ほう……あのレクターを捕まえて働かせているのか……」

 

 名目上、休暇を取っているはずのレクターの名前が出て来て、それをこき使っていることにオズボーンは感心する。

 

「とりわけ急ぎの案件は以上です。《D∴G教団》の帝国支部もクロスベルでの出来事はすでに把握していると思うので正規軍と鉄道憲兵隊には迅速な対応をお願いします」

 

「了解した」

 

「分かりました」

 

 サラの言葉を受けて、ナイトハルトとクレアが席を立つ。

 一礼して足早に会議室から出ていく二人を見送り、オズボーンは改めてクロスベルで起きた出来事の報告書に目を通す。

 

「一つ確認しておきたいのだが……」

 

「何か?」

 

 会議が一段落して息を吐くも、鉄血宰相の言葉にサラは緊張した面持ちで応える。

 

「今のリィン・シュバルツァーは学生としてクロスベルでボランティアをしていると取って良いのかな?

 遊撃士としてはヨアヒム・ギュンターが逮捕された時点でその活動は終わっていると?」

 

「え……ええ」

 

 重ねられた質問にサラは身構えながら頷く。

 改めて思い出すが、この鉄血宰相は帝国内での遊撃士の活動を締め上げた張本人。

 今回の事はサラとリィンは一時復帰という言い訳にしてクロスベルの事件に介入したが、彼にとっては見過ごせないものがあるのかもしれない。

 

「何か問題でもありますか?」

 

 警戒を強め、続く言葉を何通りか考えながらサラはオズボーンに次の言葉を促す。

 

「いや、大したことではない。今回のリィン・シュバルツァーの働きに対する各国で設定した懸賞金の総額がどれほどになるのか気になっただけだ」

 

「へ……?」

 

「おや知らないのかね? 一般人に対して、《D∴G教団》の情報に懸賞金を掛けて情報提供を募っていると」

 

「…………あ……」

 

 言われて思い出す。

 六年前の殲滅戦で逃げられた残党に対して掛けられた懸賞金。

 もっともこれは軍人や警察官、そして遊撃士には適応されないのだが、今のリィンは遊撃士の立場から学生、一般人に戻っており変則的ではあるがその対象となっている。

 

「帝国での《拠点》の情報が二つ、ブローカーの団体が一つ……

 正規軍と鉄道憲兵隊の成果次第だが、それに当然カルバート側にも情報提供を行っているのだろう?」

 

「え……ええ……」

 

 うわぁっと内心で呆けながらサラは懸賞金の額を思い出す。

 帝国だけで500万ミラは行くのではないかと簡単に計算して、それだけあればお酒を――ではなく、ノーザンブリアのことを思い浮かべるが、何も関係ないリィンにたかるわけにはいかないとサラは自制するのだった。

 ちなみにその懸賞金について知らされたリィンはその権利を全てクロスベル市に譲渡し、そのおかげで賠償金や破壊された施設などの修繕費を何処が支払うか責任の押し付け合いが行われていた会議は円滑に進み、クロスベルの復興は想定よりも早く進むのだった。

 

 そして余談ではあるが、《D∴G教団》から押収された物品には盗品や《黒の競売会》で偽物とすり替えられていた本物があることが判明した。

 クロスベル警察は持ち主を調べたのだが、その競売で落札した者は風聞を気にして《黒の競売会》に参加したこと事態を否定した。

 そんな経緯もあり《D∴G教団》が溜め込んでいた資金の多くがクロスベル市が管理することになった。

 そしてリィンがそれらの中で唯一興味を示していた七耀石の結晶が、一ヶ月後に感謝状と共に彼の下に届くことをこの時のリィンが知る由もなかった。

 

 

 

 

「それじゃあ皆さん、見送りありがとうございます」

 

 クロスベル駅、帝国行の列車を前にリィンはロイド達に頭を下げる。

 

「いや、御礼を言うのはこっちの方だよリィン君」

 

 そんなリィンにロイドは恐縮する。

 この一週間リィンがクロスベルにしてくれた貢献は並大抵のものではなかった。

 ウルスラ医科大学のヨアヒムの研究室に寝泊まりし、《グノーシス》服用者の治療。

 さらにはワイスマンから譲渡された生体認証から、《砦》や《僧院》の隠し扉などを開けるために駆り出されたり、拘留されたワイスマンにはリィンでなければ話さないと主張され事情徴収に駆り出されたりもした。

 それにワイスマンと取引したことで引き出した《D∴G教団残党》の情報の懸賞金の寄付。

 もちろんロイド達やエステル達も頑張ってはいたのだが、代用できない仕事ばかりだったので焼け石に水だった。

 クロスベル支部の受付であるミシェル曰く、以前のアリオスを超える過密スケジュールであり、リィンでなければ途中で倒れていたというほどの激務だった。

 事件当時の援軍にキーアを守るための装備、そして後始末。

 クロスベルの人間としてすっかりリィンには頭が上がらなくなってしまった。

 

「できることなら大々的にリィンの功績を発表するべきだと思うんだけど」

 

 しかし貢献度の反面、市民にはリィンの功績はあまり浸透していなかった。

 診察室か遺跡か取調室ばかりが仕事場だったのだから仕方がないが、街で精力的に駆け回っていたロイド達の方が持ち上げられていることに複雑な気持ちを感じずにはいられなかった。

 

「良いですよそんなこと」

 

 元々誰かに評価されたくてやっていたことではない。

 《グノーシス》の治療も、遺跡の開錠も。ワイスマンへの面会に至っては、彼の認識を操る力を警戒する意味合いもあった。

 どれもリィンにしかできないことなのだから適材適所だろう。

 

「だけど学院を休んでもらったっていうのに」

 

「それはまあ……」

 

 ロイドの言葉にリィンは言葉を濁す。

 この一週間は公休として認められたが、今週はアルゼイド子爵が武術教練に来る予定があり、週末には同好会の活動も予定していた。

 特に入学式で楽しみにしていると言っていたアルゼイド子爵に対して申し訳なく感じてしまう。

 それに加えて、いくら公休扱いにされていても今後の自由行動日は補習だと考えると憂鬱にもなる。

 

「でも俺が補習を受けるくらいで助かる人がいるなら良いじゃないですか」

 

「そう言われてもな……」

 

 警察学校時代、補習とは無縁の学生生活だっただけに余計に心苦しくなる。

 

「あの……リィン……これ……」

 

 言葉に窮するロイドを見兼ねてか、キーアがおずおずと緊張した面持ちで持っていた紙袋を差し出した。

 

「これは……?」

 

 リィンは受け取った紙袋の中身を覗き見ると、それはあの日にキーアに貸したジャケットなどが綺麗にされて入っていた。

 

「あのね……あ、ありが……とう……」

 

 言い辛そうに、それでもちゃんと御礼を言うキーアにリィンは苦笑を浮かべる。

 どうしてキーアに避けられているかは分からないが、それでもきちんと御礼を言えることに感心しながら、リィンは受け取った紙袋をそのままキーアに差し出した。

 

「リィン……?」

 

「良かったら貰ってくれないかな? またあんな事件があった時にでも使ってくれ」

 

「え……でも……」

 

「君にまつわる事件はきっとまだ終わっていないと思う。だからその時のために君に持っていて欲しいんだ。きっと役に立つから」

 

 リィンの言葉にキーアは受け取って良いのか迷って振り返り、ロイドの顔色を窺う。

 

「良いのか? ペンダントとかは結構な値打ちものだと思うんだけど」

 

「構いません。元々俺のために作っていたものじゃないですから」

 

 キーアの姿にあの子を思い出しながらリィンはキーアに笑いかける。

 

「もちろん無理強いはしない。君がいらないなら遠慮しないでいらないって言ってくれていい」

 

 その言葉にキーアは迷いを見せながら、それでもリィンの手から紙袋を受け取った。

 

「ふふ……キーアちゃん、リィン君に言うことがあるんじゃない?」

 

「キーア、頑張ってください」

 

 終始おっかなびっくりの様子のキーアを微笑ましく見守りながらエリィとティオはキーアを促す。

 

「えっと…………あ、ありがとうリィン」

 

「どういたしまして」

 

 紙袋を抱え、言い辛そうにしながらもちゃんと御礼を言うキーアの頭をリィンは優しく撫でる。

 触れた瞬間にキーアは肩を竦ませるが、それでも逃げることなくリィンの手を受け入れた。

 

「…………おい、リィン……」

 

 と、そこでランディが底冷えを感じる声をリィンに投げかけた。

 

「何ですかランディさん?」

 

 キーアの頭から手を放し、リィンは首を傾げる。

 

「キー坊はやらんぞ」

 

「え……?」

 

「ランディ、いきなり何を言っているんだ?」

 

「でも、言いたいことは分かるわね」

 

「ですね。すごい自然に頭を撫でましたから……《超帝国人》恐るべし」

 

 ランディの言動にロイドは困惑するが、エリィとティオはさもありなんと頷く。

 

「えっと……」

 

「とにかくだ。俺は認めないからな!」

 

 まるで三下の捨て台詞を放つランディにリィンは頭を掻く。

 何となくだがランディの言いたいことは分かる。

 ようはリィンがエリゼの周辺を気に掛けることと同じなのだろう。

 そう考えると、軽薄な表情の下に血と闘争を好む猟兵の影は感じなかった。

 

「ランディさん」

 

「あん? 言っておくがこれに関しては一切引く気はねえからな」

 

 獰猛な目で威嚇して来るランディにリィンは苦笑する。

 

「もうすっかり貴方は人間みたいですね。自信を持って良いんじゃないですか?」

 

「それは…………ちっ」

 

 自分の言動を振り返りランディはバツを悪くして顔を手で覆う。

 

「クルトはミュラーさんやクリスに伝えておくことはあるか?」

 

「いえ、大丈夫です」

 

 リィンの申し出にクルトは首を横に振る。

 

「そうか……」

 

 胸を張っているクルトにリィンはそれ以上何も言わずに、レンとエステル達に向き直った。

 

「レンは結局エステルさん達と行くことを選んだんだな」

 

 《太陽の砦》でコリンを助けた時、レンは後の事はエステル達に任せて消えようとしていた。

 それを諫めて諭し、エステルとヨシュアはクロスベルで知ったレンの全てを受け止めた上で家族になろうとレンを抱き締めた。

 レンはそれに泣きながらも受け入れ、コリンをヘイワース夫妻に渡す時、彼らに《レン・ブライト》と名乗った。

 何か言いたげだったソフィアだったが、ハロルドはそれを諫め、何も言わず何も聞かず、ただコリンを救ってくれた御礼としてエステル達を含めて食事に招待したとリィンは聞いている。

 

「ええ、エステルがどうしてもって言うから仕方がなくよ」

 

 ツンとそっぽを向いて答えるレンにはもう以前に感じていたリィンが癒せなかった寂しさは感じなかった。

 

「僕達はあと一ヶ月くらいクロスベルの復興を手伝ってからリベールに戻るつもりだ。レンのことを父さんたちにも話さないといけないから」

 

「レンのことよろしくお願いします」

 

 別にレンの保護者だったわけではないのだが、自然とリィンはそんなことを言っていた。

 

「モチのロンよ! これからレンは徹底的に幸せにして上げるんだからっ!」

 

 元気良くエステルは答えて、レンを後ろから抱き締める。

 

「暑苦しいわよエステル」

 

 それを鬱陶しそうにレンは突き放すが、本当に嫌がってはいない。

 もう自分の役目は終わったのだとそんなエステルとレンのやり取りを微笑ましく見ていると、おもむろにレンがリィンに歩み寄る。

 

「リィン、ちょっと良い?」

 

 レンはリィンの服の裾を引っ張りしゃがむように促す。

 

「ん……どうかしたの――むぐっ!?」

 

 促されるままにしゃがんだリィンにレンは両手を伸ばし頬に手を添えると、背伸びをしてその唇を奪った。

 

「なあっ!?」

 

「あ……」

 

「おおっ! レン、だいたん」

 

「キ、キーアちゃん見ちゃダメ!」

 

 口々に悲鳴が上がるがそれらをレンは無視する。

 

「――ん……」

 

 閉ざされた口腔を押し開け、思考停止してされるがままのリィンの舌に自分の舌を絡めて蹂躙する。

 とても十三の少女が奏でるとは思えない妖艶な音がその場に響き、思わず一同は固まる。

 たっぷりと十秒。

 周りやリィンにとっては永遠とさえ感じる時間を掛け、レンは余韻を残すようにリィンの唇を最後に舐めるようにして顔を放した。

 

「………………」

 

 静寂がその場に満ちる。

 リィンはしゃがんだ姿勢のまま石像のように固まってぴくりとも動かない。

 

「――って何をしてんのよレンッ!」

 

「フフ、何ってタダの御礼よ。わざわざトリスタから来てもらって、あの人達やコリンを助けてくれたんだもの。ちゃんと御礼をしないといけないでしょ?」

 

「そうだけど……そうだけど……」

 

 顔を真っ赤にしてエステルは何かを言おうとするが、うまく思考がまとまらない。

 

「フフ、エステルったら初心ね……キスくらいヨシュアとしたことが――ああ、まだなかったのね」

 

「キスくらいしたわよ! でも……でも……あんなキスは……その……」

 

 直前の光景を思い出してエステルは声をすぼめて俯く。

 そんなエステルの様子をこれ幸いとレンはいじり始める。

 

「リィン君、大丈夫か?」

 

 そんな光景を前に微動だにしないリィンを見兼ねてロイドが声を掛ける。

 

「ダメね。完全に意識が飛んでるわ」

 

 大きく見開いた目の前で手の平を振っても無反応なリィンにエリィは思わず同情する。

 

「超帝国人にもちゃんと弱点があったようですね。真似をするつもりはありませんが」

 

「って言うか、あれは獲物を狙う目をしていたぜ。あの年の女の子がする目じゃねえぞ、御愁傷様」

 

「ごしゅーしょーさま?」

 

 手を合わせるランディをキーアが真似してリィンを拝む。

 結局、帝国行きの列車の発車を知らせるベルが鳴り響いてもリィンは固まったままだったので、ランディとロイドが無理矢理運び込んで席に座らせて、最後の別れを交わすことなく別れることになったのだった。

 

 

 

 

 トリスタに着く頃には流石に正気に戻ったリィンは心頭滅却と念じながら第三学生寮に辿り着く。

 寮の中に人気はない。

 時間はまだその日の最後の授業が行われている。

 

「心頭滅却……心頭滅却……あ……」

 

 そのまま自室の扉を開け、あっさりと開いたことでリィンは鍵を掛けていなかったことに首を傾げる。

 

「そういえば鍵を掛けるのを忘れていたな……」

 

 あの日の夜。

 《ARCUS》に突然レンから通信が入り、その後ろにエステルたちの声と戦闘音を聞いて鍵を閉めるのを忘れて飛び出していた。

 リィンの部屋にあるのは東方の掛け軸や刀掛けにラジオ。

 それからノイ達がこちらで過ごすための空間としてドールハウスが飾られているくらい。

 ローゼンベルク工房製のドールハウスは価値があるが、盗られたり、見られたりしてまずいものは特にない……はずだった。

 

「しまった。そう言えば、あの時、この本を読んでいたな」

 

 机の上に置かれた古びた本を見てリィンは鍵を開けっぱなしにしていた以上に顔をしかめる。

 その本はクロスベルの《星見の塔》で手に入れたたくさんの古書の一冊。

 中世の錬金術師が残した魔導書であり、少しづつトマス教官に引き取ってもらっている本だった。

 

「……まあ、いいか」

 

 放置してしまったものは仕方がないと割り切り、リィンはその本を《影の箱庭》の中に入れる。

 盗まれたわけでもないのだからリィンは気に止めずに、制服に着替える。

 今日の授業にはもう間に合わないが、職員室に帰還報告をしなければならない。

 とりあえず提出するように言われていた一週間の行動報告書の束を持って登校する。

 通学路を歩いている内にその日の最後の授業が終わる鐘が響き渡り、リィンが学院に着く頃には、下校する生徒と部活に向かう生徒たちに分かれて学院は一時的に賑わっていた。

 

「あ……リィン……帰っていたのか」

 

 真っ直ぐに昇降口から出て来た紅い制服の少女、ラウラがリィンの姿を見て軽く驚く。

 

「ああ、さっき到着したばかりなんだけど……」

 

 ラウラに答えたリィンはそれに目を奪われる。

 

「ラウラ……それはいったい何だ?」

 

「ん……それとは何のことだ? 何か付いているのか?」

 

 頭を指差すリィンにラウラは首を傾げて払って見せるが、それはラウラの手をすり抜けるようにしてそこにあり続けた。

 まるで霊体のようなものだと思ったところで、周りの生徒達がラウラのそれを一瞥もしていないことに気が付く。

 

「なあ、ラウラ……もしかして俺の部屋に入ったか?」

 

 リィンの言葉に息を呑み、首を横に振る。が、ラウラの頭の上のそれは動揺するようにピンッと立つ。

 

「いいいいや、わわわたしはリィンの部屋に何か入っていないぞお」

 

 目を逸らし、言葉を震わせながら否定するラウラの言葉に説得力は微塵もない。

 

「ラウラ……もしかして――」

 

「わ、私はこれから部活なんだ。すまないリィン、話は後で聞くっ!」

 

 ラウラはそう捲し立て、止める間もなく駆け出した。

 そんなラウラの背中を見送りながらリィンは頭を抱えた。

 

「どうしてこうなった……?」

 

 ラウラの頭の上についているリィンにしか見えていない犬の耳。

 そして、リィンが部屋に残していた本のタイトルは《魔人化初級編 七耀石を利用した人体の魔獣化現象》だった。

 

 

 

 




大人の経験

エステル
「それでレン、あれはどういうことなの?」

レン
「あれって何の事かしら?」

エステル
「惚けんじゃないわよ。何だってリィン君にそのキ――スしたのよ!?」

レン
「だから御礼だって言ったじゃない」

エステル
「御礼だからって、ああいうことは好きな人同士じゃないとしちゃいけないのよ!」

レン
「あら、レンはリィンの事を好きよ」

エステル
「なっ!? そ、それはつまり……その……そういうことなの?」

レン
「ふふ、さあどうかしら?
 でもエステルが怒っているのはレンがリィンの唇を奪ったから? それともリィンにレンの唇が奪われたから?」

エステル
「そ、それは……」

レン
「ねえエステル。レンが教えて上げようかしら?」

エステル
「教えるって何を?」

レン
「ヨシュアが教えてくれないキスの味、そしてヨシュアが喜ぶキスの仕方……フフ……」

エステル
「ちょ!? レンあんたうちの子になってからやけに積極的に――って、やめ――ダメ……助けてヨシュアッ!」

ヨシュア
「そこまでだレン」

レン
「あら残念」


アンケート
今後の展開について一つお聞きしたいのですが、
今後リィンが《黄昏》に対しての方針を決める回を予定しているのですが、そこでその方針を完全に伏せるか、それとも触り程度でもネタバレした方が良いか教えてください。
その閃Ⅰの段階で全く触れないとなると、閃Ⅳまでその方法は明かさないと思います。
そこに辿り着くまで一年か二年は必要になるので、それまでに同じネタを考え付く人がいて二番煎じになるかもしれない可能性があるので皆様の意見を聞きたいと思っています。




黄昏への対抗策

  • もったい付けて隠す
  • 少しでも明かす

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