(完結)閃の軌跡Ⅰ ~鋼の意志 空の翼~   作:アルカンシェル

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21話 堕ちる女剣士

 魔獣。

 それは通常の動植物とは違い、七耀石を取り込み体内に結晶回路を作り出した存在の呼称。

 そのため魔獣の中には、人間の場合はオーブメントを使わなければならない魔法を行使できる個体も少なからず存在している。

 まだオーブメントが発達しておらず、法術が七耀教会に独占されていた頃。

 その生態に興味を抱いた武人がセピスの欠片を魔獣に倣って食べてみたことがあるが、いくらセピスを食べても魔法を使うこともできず、さりとて魔獣に変貌することもなかった。

 その経緯から、人がセピスを取り込んだことで魔獣にはならないという見解がゼムリア大陸に広がり、現在でも取り締まりされていないがそれをする者はいなかった。

 

 

「――ですが、この話にはまだ続きがあるんです」

 

 自由行動日、生徒達が部活や課外活動を楽しんでいる中、リィンは一人Ⅶ組の教室で補習を受けていた。

 もっとも、授業の内容はこの一週間Ⅶ組で行われたものとは全く関係なく、加えて言うならば教室にいたはずなのに何もない黒の空間でリィンは講義を受けていた。

 トマスは真剣な眼差しを向けてくるリィンに対して、講義を続ける。

 

「結論から言ってしまえば、セピスを食べることで人間を魔獣化させることはできます……

 ですが、最初に摂取する量の配合比に個体差が大きく、適量を摂取しないと変容は始まりません……

 少な過ぎても多過ぎてもいけません。それに加えて人によって個人差もあります……

 そうして厳選されたセピスを摂取することで初めて身体に結晶回路が作られます……

 そこからはとにかく多くのセピスを摂取し続けることで人は徐々に理性を失い、精神を変容させていき魔獣となります」

 

「魔獣化と魔人化にはどんな違いがあるんですか?」

 

「良い質問ですねリィン君……

 厳密に言えば、この二つは同じものと言えます……

 そもそも魔獣化というのは獣が魔に堕ちたからそう呼ばれているわけで、人間の場合はそれこそ魔人と呼ぶのが正しいのでしょう……

 ただ不思議なことに魔獣から採取したセピスを取り込むと、その魔獣の形質を引き継ぐことがあるそうです……

 おそらく《グノーシス》によって起こる魔人化はそういった不純物の要素を取り除いているのかもしれませんね」

 

「ラウラのミミが他の人には見えてないようですけど、これはどういうことなんですか?」

 

「私も専門ではないので正解かは分かりませんが……

 人の変異は霊体から起こっているのかもしれません。幸い気付いているのは私とリィン君にロジーヌ、Ⅶ組ではエマ君だけのようですね……

 あとは一年Ⅲ組に一人気付いていそうな子はいますが、おそらく今回の事には関わっていないでしょう」

 

「Ⅲ組にそんな子がいたんですか?」

 

「ええ、まあその子の事は今は置いておくとして問題はラウラさんです。正直まずいことになっています」

 

「そうなんですか?」

 

「不思議に思いませんか? セピスを摂取することで人が魔獣化するのならそれを禁止する法を作っておいてしかるべきだと」

 

「言われてみれば、そうですね」

 

「昔はいろいろな宗派がセピスを使って術を使える体を作っていたんです……

 教会の法術、東方の符術や方術、魔術。後は身近なところでガイウス君の腕の刺青、あれは精霊術の名残ですね……

 ですが導力革命以降、セピスは人の文化に密接に関わるようになりました……

 そしてそれまで特別だった魔術や法術は導力魔法という形で万人が使えるようになり、それを機に七耀教会はセピスを使った人体の改造を隠匿するように働きかけたのです」

 

「あえて法として定めなかったのは、法を作ることで邪推されて試す人が出ることを防ぐためですか?」

 

「ええ、その通りです……

 わざわざ味もしない石なのですから、昔の知識が失われれば誰も好き好んでセピスを食べようだなんて思わないでしょう……

 例えいたとしても、一段階目の条件が厳しいので変異が起きる可能性も低いですからね」

 

「七耀教会としては……ラウラのことをどうするつもりなんですか?」

 

「…………第一段階を経過した人間が、完全に魔獣化するのには個人差もありますがおよそ一ヶ月掛かります……

 もしも彼女が魔獣化したのなら、私たちは彼女を外法と認定して滅することになります」

 

「それは――」

 

「セピスによる魔獣化は今の導力文明において隠さなければいけないものです。それに人を害する獣になるのなら滅する理由としてはそれだけでも十分……

 そして彼女が子爵家の令嬢だったとしても私たちのやるべきことに変わりはありません」

 

 丸い眼鏡の奥に冷徹な守護騎士の光を宿してトマス・ライサンダーは言い切る。

 

「ですが、まだ彼女が完全に魔獣化するには時間があります。第一段階の症状が確認できたのも一昨日からですので、まだ猶予はあります」

 

「具体的には何をすれば良いんですか?」

 

「セピスをこれ以上摂取させないこと、それだけで良いんですがこれが一番難しいんです……

 今のラウラさんは体の変容をわずかでも実感できてしまっているでしょうから、そうなればセピスは麻薬と同じであり、セピスに群がる魔獣の様に彼女はそれを求めずにはいられない」

 

「っ――」

 

「リィン君が責任を感じる必要はありません……

 確かに魔導書を部屋に放置してしまっていたことは咎めるべきことですが、《箱庭》の利便性から私がまだリィン君から本を引き取っていなかった責任でもありますから」

 

 《星見の塔》で手に入れた魔導書は主に《人造人間》を造るための技術書だった。

 当然、禁書でありリィンは七耀教会に引き取ってもらおうと考えていたのだが、守護騎士と隠しているトマスの事情もあり本の大半はまだリィンが《影の箱庭》で管理しているのだった。

 

「良いですか、リィン君これは不幸な事故です……

 幸いなことに被害はラウラさんだけに留まっています。教会への報告は私がギリギリまで遅らせるので、くれぐれも内密に何としても一ヶ月の間でラウラさんを更生させるんです。でないと――」

 

 どこか切羽詰まった様子でトマスはリィンに強く脅すように言い聞かせるのだった。

 

 

 

 

 五月九日、日曜日。

 補習が終わってリィンは早速ラウラに声を掛けるが、リィンの姿を見た瞬間ラウラは逃げ出した。

 その逃げ足は早く、《鬼の力》を解放していないリィンでは追い付けない程に俊敏だった。

 

 

 五月十日、月曜日。 

 意外なことにラウラの方からリィンに話しかけてきた。

 リィンがクロスベルに行っている間に部屋の中に入ってしまったことを謝罪される。

 リィンはそれを許し、ラウラにセピスを摂取していることを尋ねた。

 ラウラはそれを否定したが、目を泳がせての返答だったので嘘なのだろう。

 

 

 五月十一日、火曜日。

 旧校舎にG・シュミット博士がやって来たが、リィンはラウラの監視を始める。

 その日、ラウラは街道に出て魔獣と戦いセピスを集める様子はなかった。

 

 五月十二日、水曜日。

 根気よくラウラに話しかけるものの、そのしつこさにラウラはリィンに怒りをぶつけて言外にそれを認めた。

 

「そなたには関係ない事だ。私に構うなっ!」

 

 セピスのことは認めたもののそれ以上は聞く耳を持たないとラウラはリィンを拒絶する。

 

 今日は旧校舎の方で爆発が六回あった。新記録である。

 

 

 五月十三日、木曜日。

 クリスにある程度の事情を説明し、リィンは協力を求めた。

 《ブリランテ》を賭けた勝負を次の自由行動日に行うことをダシにして、クリスが勝ったらラウラに言うことを一つ聞いてもらおう事を条件にする。

 ラウラはそれを承諾してくれた。

 

 今日は旧校舎の方で爆発が五回あった。

 

 

 

 

 五月十四日、金曜日、夜。

 第三学生寮の一室でラウラは灯りも付けずに小さなセピスの欠片を手の中で弄んでいた。

 最初はただの興味本位と半信半疑だった。

 《人体強化のためのセピスの配分表》と題されたメモ書きを見て、自分の未熟さを感じていたラウラは怪しみながらもその表通りにセピスを服用してみた。

 それを数日続け、ラウラは効果のほどをようやく感じられるようになった。

 まるで戦術オーブメントを始めて使った時のように、膂力や体力、剣速が少しづつ上がっていることを実感できる。

 

「私は強くなれている……」

 

 実感があるのだからラウラはそれにのめり込む。

 《魔獣化》のことなどラウラは知らない。

 だが知っていたとしても、ラウラはこの方法に縋っていたかもしれない。

 レグラムでは大人顔負けの実力と評価されていて、それを鼻にかけていたわけではなくても誇らしかった。

 もちろん《光の剣匠》の父を始めとしたラウラにはまだ勝てない者たちもいたが、それでもそれは経験の差だと割り切ることができた。

 そしてラウラの自信はレグラムだけの狭い範囲のものではない。

 一年に一度行われる帝都での武術大会の未成年の部に出場して優勝した経験だってある。

 ラウラの自信はそんな裏打ちされた確かなものだった。

 しかし、それが変わったのは去年の御前試合からだった。

 

「リィン・シュバルツァー」

 

 今の時点でもラウラが手も足も出ないのに、それでも全力ではないということに驚く。

 異能者だということに文句を言うつもりはないが、断片的に知った《鬼の力》についてラウラが思ったことはずるいだった。

 身体能力を劇的に向上させる《異能》。

 そんなものがあるのなら自分だって欲しいと思う。

 

「フィー・クラウゼル」

 

 元猟兵ということで戦い方そのものや、思考において何もかも合わない。

 剣士を《正道》とするならば猟兵は《邪道》、と心の片隅で少しだけあった蔑みの気持ちがあったが、実戦で本当に貢献していたのは自分よりも彼女の方だった。

 そしてラウラが窃盗団に人質に取られた時、逆の立場だったらラウラに何ができただろうか。

 何もできるはずがない。

 人質を救う術もないくせに、人の戦い方を《邪道》と蔑んでいた自分はいったい何様だったのだろうか。

 フィーは確かに人を殺した。それと同時にラウラを救ったことも事実。

 ならば《邪道》も受け入れて然るべきものだとラウラは自身に言い訳をする。

 

「クリス・レンハイム」

 

 入学当初はラウラよりも弱かったのに、日に日に強くなっている少年。

 学院からはリィンの腰巾着、取り巻きなどと揶揄されているが蔑まれているのが分かっていないのかそんな陰口を聞いても嬉しそうでラウラには理解できない人種。

 一つ気に入らない点を上げるとするならば、現時点では自分の方が強いのにクリスの目にはリィンの姿しか写っていないこと。

 それまで誰かに追われたことのないラウラにとってクリスの成長は焦燥感を初めて煽られる存在なのだが、同時に彼の眼中に自分がいないという無視される苛立ちも初めてのものだった。

 

「っ……」

 

 その三人の存在がラウラの心をかき乱す。

 

「強くならねばいけないんだ……」

 

 《武の双璧》たるアルゼイド流の次期継承者として、弱いままではいられない。

 そして何よりも、武を研鑽し高め合いたいと思える存在と出会えたのに、誰も自分の事を見てくれないことへの不満と不安がラウラを駆り立てる。

 

「強く……なるんだ……」

 

 自分に言い聞かせるように、ラウラは最初の調合で買い溜めをしたセピスを齧る。

 

「………………足りない」

 

 いつもと同じ量を摂取しているはずなのに、その日ラウラはセピスへの飢餓感を初めて感じた。

 

 

 

 

 五月十五日。土曜日。

 その日、朝起きたらすでにラウラは寮を出ており、そして学院にも登校していなかった。

 

「ごめんなさいリィン君」

 

「いえ、ルフィナさんのせいじゃないです。まさかラウラに出し抜かれるとは思っていませんでしたから」

 

 自惚れのような言い訳だが、ラウラは気配を消す術に長けているわけではない。

 そんな思い込みで傲慢になっていた自分の判断にリィンは内心で激しく罵る。

 

「こんなことになるなら体面なんて気にせずに縛り付けておくべきだった」

 

 この一週間、ようやくラウラにセピスの常習をやめさせる切っ掛けを作れたと思った矢先にこれである。

 《武の双璧》のアルゼイドの一人娘が外法に手を染める。

 その風聞を気にして、これまで強く諫めることをしなかったことにリィンは悔やむ。

 

「まさかこんなに溜め込んでいたなんて……」

 

 ラウラの部屋の扉を法術で開けて家探しした結果、彼女の机の引き出しには大量のセピスが備蓄されていた。

 同時に見つけたのは学生会館の購入証。

 貴族生徒の特権の一つに、セピスを購入できることがあったことをリィンは思い出す。

 貴族生徒は戦術オーブメントの強化のために地道な魔獣退治をではなくミラでセピスを購入して済ませているのが主だった。

 なのでその気になればラウラもこれを利用することができ、彼女ならセピスを集めるなら魔獣退治だろうという思い込みの裏を掛かれたことになる。

 

「今のラウラの目的は何だ?」

 

 トリスタの街を当てもなく全力で走り回りながらリィンは考える。

 部屋には大剣がなかったが、まず最初に確認した東西の街道に彼女がいる気配はなかった。

 ならば大量にセピスを保管している学院の資材置き場や、もしくはラッセル一家の工房となっている旧校舎かと思ったが、そこにも彼女が現れた形跡はない。

 《識の目》も《観の目》も明確な答えを示してくれずにリィンは焦燥を募らせる。

 

「くそっ……」

 

 まるで何かに邪魔をされているように因果を見通すことが出来ない。

 

「どうすれば良い?」

 

 ラウラが特別実習が終わってから焦っていたことは知っていた。

 それを放置してクロスベルに行ってしまったことが間違いだったのかもしれない。

 いざとなれば《グノーシス》や《呪い》のように能力に任せた治療ができるからと高を括っていたのかもしれない。

 そのしわ寄せが来ているのだと思うといっそう責任を感じてしまう。

 

「こうなったら……」

 

 リィンは肌身離さず持ち歩いている薬のケースを取り出して《紅い錠薬》を――

 

「落ち着きなさいリィン君」

 

 それをルフィナが取り上げた。

 

「ルフィナさん、でもっ!」

 

「焦る気持ちは分かるわ。でもこれを使うような事態じゃないわ」

 

「だけどラウラがあんな事をしたのは俺の――」

 

「貴方のせいじゃないわ」

 

 リィンの言葉を遮ってルフィナは言い切る。

 

「どんな経緯があったとしても、最後にそれをやると決めたのはあの子よ。リィン君がそこにまで責任を感じる必要はないわ」

 

「だけど、あんな外法を使うなんてラウラらしくない! たぶんレーグニッツのように《呪い》に突き動かされているはずだ。それなら俺がやらないと」

 

「らしくないって……まだ一ヶ月くらいの……いえヴィクター子爵の娘ならそう考えてもおかしくはないか」

 

 付き合いの短さでラウラの人となりはまだ判断しきれないが、あのヴィクター子爵の娘ならばと考えてしまうとリィンの主張もあながち間違っていない。

 もっともやはりそれは早計であり、リィンが責任を背負うべきことではない。

 

「よくない兆候ね……」

 

 仮にラウラの今回の暴走が《呪い》によるものだったとしても、それはリィンが背負うべきことではない。

 しかし、それを指摘しても今のリィンは果たして聞き入れてくれるだろうか。

 

「リィン君、ここはみんなに話して協力してもらいましょう。もうラウラさんの名誉を気遣っていられる――」

 

 魔獣化だけならまだしも、彼女が一般人を襲ってしまえばそれこそ取り返しがつかないことになる。

 それだけは避けるべきだとルフィナは提案しようとして言葉を止めた。

 

「ルフィナさん、どうかしまし――」

 

 突然言葉を止めたルフィナにリィンが首を傾げると、その瞬間リィンの視界は黒く染まった。

 

「だーれだ?」

 

 背中から抱き着くようにして、両手で誰かがリィンの目を塞ぐ。

 

「なっ――!?」

 

 一瞬、混乱するもその声を聞き間違えるはずもなくリィンは驚きの声を上げた。

 

「ア、アネラスさん!?」

 

「正解!」

 

 嬉しそうな声でアネラスは手を外して、身体をリィンから離す。

 

「レンちゃんの誕生会以来だね弟君。ルフィナさんもお久しぶりです」

 

「ええ、そうね……でも、どうして貴方がトリスタに?」

 

「ラッセル一家の定期連絡と無事の確認に一ヶ月に一回、遊撃士の誰かが来るって聞いていませんか?」

 

「それは聞いています。てっきりアガットさんが来るんだと思っていたんですけど」

 

 ルフィナの質問に答えたアネラスにリィンは予想を外されたことに驚く。

 

「うん、そこはアガット先輩と交代って言うことで……ところで何か事件があったの?」

 

 挨拶を切り上げて、アネラスは顔を引き締めて尋ねる。

 

「それは……」

 

 鋭いアネラスなのか、それとも簡単に見抜かれてしまう程に焦っているのか。

 リィンはラウラの事情を話すことを思わず躊躇う。

 トマスには内密にと釘を刺されている。

 それにアルゼイドの令嬢が外法に手を染めたことを明るみにする風聞の悪さ。

 協力を仰いだクリスにもそこまで詳しい説明はしていないのに、完全な部外者のアネラスに話すことは躊躇ってしまう。

 

「ほらほら、急いでいるんでしょ? お姉ちゃんが手伝って上げるから遠慮なんてしなくて良いんだよ」

 

 えっへんと胸を張るアネラスにリィンはそれまで張り詰めていたものが解けていくように顔を緩めて、事情を説明した。

 

 ………………

 …………

 ……

 

「弟君の部屋に勝手に入って本を盗み見たラウラちゃんって子がセピスを食べて魔獣化……それはまた災難だったね」

 

「そんな言葉で済ませられることではないですよ」

 

 リィンはアネラスと肩を並べて第三学生寮に足を向けていた。

 

「事の発端が俺なんですから、ラウラがこのまま本当に魔獣化してしまったら、ヴィクター子爵に何と申し開きをすればいいのか」

 

「うーん……確かにそこは難しい問題なんだけど。ある意味セピスを食べてみるなんてことは武術家なら一度はやってみる麻疹みたいなものなんだよね……

 実はわたしも一度、セピスを食べたことがあるんだよね」

 

「え……?」

 

 意外な言葉にリィンは耳を疑う。

 

「意外? 弟君は目的が逆だったから、そんなことは考えたこともなかったかな?」

 

「確かにそうですね……」

 

 自分を律するために武術を習ったリィンと強くなろう武術の道へと踏み込んだ者。

 比率としてはリィンの方が少数派なのは間違いない。

 差し迫った理由もなく魔獣化してまで強さを求めるラウラの思考が読めないのはその差異のせいなのかもしれない。

 

「ところで弟君……もしかして調子が悪い?」

 

「え……?」

 

「何か顔色が――」

 

 アネラスがリィンの顔を覗き込んだところでガラスの割れる音が二人の耳に届く。

 

「アネラスさんっ!」

 

「うん、行ってみよう」

 

 すぐにその音に反応してリィンとアネラスは駆け出す。

 音の発生源はすぐに分かった。そもそもラウラの行く先の痕跡を探しに彼女の部屋をもう一度探すために第三学生寮に戻っていたところだった。

 

「ここが弟君たちが寝泊まりしている寮なんだ」

 

「ええ、そうなんですけど」

 

 時刻は正午に迫っている。

 未だにここの寮生達は学院で勉学に励んでおり、無人なはずなのに第三学生寮の中からは酷い騒音が響き渡っていた。

 

「…………音の位置からすると……俺の部屋か?」

 

「とにかく行ってみよう?」

 

 第三学生寮に入るとその音は一回の玄関まで響いて聞こえてきた。

 ドタバタとまるで子供が部屋で暴れ回っているように音が響き、天井が揺れる。

 リィンとアネラスはそこから音を忍ばせて、二階へと上がる。

 音の発生源は一番端のリィンの部屋から。

 木製のドアは砕け散り、中で暴れ回る音が直接聞こえて来る。

 

「がああああああっ!」

 

 獣のような声が響き、金属の何かが砕ける音が響く。

 リィンとアネラスはドアの左右に分かれ、手信号で合図をして部屋に突入した。

 

「っ――!?」

 

 そこにいたのは獣の形相をしたラウラ。

 ラウラはリィンとアネラスが突入した瞬間、割れた窓から外に飛び出した。

 

「くっ――」

 

「追い駆けるよ弟君」

 

 その後を追ってアネラスが我先にと窓の外へと身を躍らせた。

 

 

 

 

 東トリスタ街道の一角。

 常人離れした獣じみた速さだったが、元々国中をその足で歩き回る現役遊撃士とリィンを引き離すことはできず、ラウラは街道を外れた袋小路に追い詰められた。

 

「ラウラ……」

 

 改めて見る彼女の姿は酷いものだった。

 大きく見開いた目。

 追い詰められたのに背負った大剣を構えることなく、犬歯を剥き出しにして威嚇して来る様はまさに魔獣だった。

 

「あれが人の魔獣化なんだ……わたしにもイヌミミなんて見えないけど、本当にこんなことってあるんだ」

 

 叩きつけてくる敵意にアネラスは身構えながら目を凝らすが、件のミミはやはり見えない。

 

「トマ――教会の神父様は一ヶ月の猶予があるって言っていたのに」

 

 もう変容が完了してしまっているのではないかと思うくらいにラウラの仕草は獣のそれだった。

 

「とにかく一度気絶させよう。わたしにミミが見えないならまだ間に合うのかもしれないから」

 

「…………そうですね」

 

 動揺を抑え込み、リィンは太刀を抜かずに歩み寄る。

 

「ラウラ……頼むから大人しくしてくれ。きっとまだ治せるから」

 

「があっ!」

 

 差し出した手は乱暴に振り払われ、ラウラはリィンを蹴り飛ばす。

 

「弟君!?」

 

「大丈夫です」

 

 腕でラウラの蹴りを受け止めたリィンはその勢いでアネラスの所まで戻される。

 

「情けない……それでもヴィクター子爵の娘なのか?」

 

「――っ」

 

「その背中の大剣は飾りか? ああ、そうだな飾りだろうな。力が欲しいからって外法に頼って、それが君の限界だ」

 

「お、弟君……?」

 

 先程までの相手を気遣う言葉が一転して、挑発に切り替わったことにアネラスは戸惑う。

 が、そんな彼女の戸惑いを無視してリィンは続ける。

 

「これならクルト・ヴァンダールの方がまだマシだったな。アルゼイド流も地に落ちたな」

 

「――ダマレッ!」

 

 背中の大剣を抜き放ち、ラウラは獣じみた速度で踏み込み大剣を真っ直ぐに振り下ろす。

 

「遅い」

 

 が、大剣が振り下ろされるよりも速くリィンは前へと一歩踏み込み、拳を鳩尾に叩き込んだ。

 

「うえっ――」

 

 的確に急所を打ち抜いた拳の衝撃にラウラは込み上げた衝動を抑え切れずに胃の中のものをその場にぶちまける。

 胃液に混じったセピスの欠片。

 その量にリィンは顔をしかめる。

 

「ラウラ……」

 

 蹲り痙攣するラウラにリィンは導力魔法のアクアブリードを軽く叩き込む。

 

「目が覚めたか?」

 

「…………」

 

 過剰に摂取していたセピスを吐き出し、頭から水を浴びせられたラウラは獣の気配は薄くしたまま蹲る。

 

「君がやっていることがどれだけ危険なのか分かっただろ? まだ獣に堕ちるには猶予がある。今から治療をすれば十分に人に戻れるんだ」

 

「…………」

 

「ラウラにはちゃんと剣の才能がある」

 

「っ――」

 

「だからこんな外法に頼らなくたって、もう数年もすれば立派な剣士になれるはずだ」

 

「――さい……」

 

「俺のようになるべきじゃない。なっちゃいけないんだ。だから――」

 

「うるさいっ!」

 

 リィンの言葉と差し出した手を獣としてではなく改めてラウラ自身の意志で振り払う。

 

「何が才能があるだっ! 馬鹿にするな!」

 

 勢いよく顔を上げたラウラの目尻には大粒の涙が浮かんでいた。

 

「こんなにも弱いのに、何の役に立ってもいないのに……誰からも見向きもされていないというのに……そんな私のどこに才能があるなんて言えるんだ!?」

 

「ラウラ……」

 

「私はティータよりも劣っているのだろ?」

 

 ラウラは自嘲するように笑う。

 

「何が武の双璧のアルゼイドだ……私は……私は――」

 

「ラウラ、ティータをクロスベルに連れて行ったのはあくまでもトロイメライがあったからで――」

 

「私はアルゼイドなんだ……だから誰よりも強くならなければならない。強くならなければいけないんだ」

 

 ラウラの周囲に黒い瘴気が溢れ出す。

 

「これは《呪い》!」

 

 黒い瘴気は颶風となってリィンを吹き飛ばす。

 

「力が欲しい……」

 

 黒い瘴気の中でラウラは虚ろな声をもらす。

 

「だから……私は強くなるんだ」

 

 ラウラは掌に乗る程の大きさの銀耀石を見せつけるように手にして――

 

「それは――やめろラウラッ!」

 

 見覚えのある銀耀石にリィンは声を大にして制止する。

 が、ラウラはそれを無視し大きな口を開いて、聖獣が造り出した銀耀石を飲み込んだ。

 

 

 

 




 ちょっと先取り、被害総額
ラウラ
「すまないリィン、壊した部屋の修理代や家具は私がちゃんと弁償する」

リィン
「そんなこと気にしなくて良いよ。ラウラが魔獣化なんて考えた責任は俺にもあるんだから」

ラウラ
「いいや。これは譲れない。安心しろ、これでも子爵家の娘だ……
 まあ贅沢な暮らしをしているわけではないが、小さい頃から父上のような剣を作ることを夢見て溜めていたお小遣いがそれなりの額があるから大丈夫だ」

リィン
「いや……やめておいた方が良いと思うけど」

ラウラ
「そういうわけにはいかない。サラ教官、修繕費はどれくらいになるだろうか?」

サラ
「とりあえず蹴破った扉と、割った窓に壊した勉強机とベッド、遭わせて50万ミラくらいかしら」

ラウラ
「う……うむ……結構するな……」

サラ
「それでリィン個人の所有物だけど、ノイちゃん達のドールハウスが500万ミラ」

ラウラ
「…………え?」

サラ
「それからあんたが食べちゃったって言う、銀耀石なんだけどあれって聖獣が直接造ったものみたいで今の相場だと1000万ミラくらいするらしいわね」

ラウラ
「いっせんまんみら?」

サラ
「まあ……特別高いのはその二つね……
 他には太陽の姫と月の姫、空の御子の三人の名前が入ったサイン色紙とか具体的な値段はすぐに分からないものがあるから、リィンと相談して決めると良いわ」

リィン
「えっと……ラウラ、本当に無理しなくて良いからな……
 ほとんどが貰いものだから、気にしなくて良いからな」

ラウラ
「………………ちゃ……ちゃんとかえす。か、かえしてみせるとも……」



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