(完結)閃の軌跡Ⅰ ~鋼の意志 空の翼~ 作:アルカンシェル
また特別実習の導入なので今回は短めです。
その日、まだ歴史の浅い鉄道憲兵隊に事件が起きた。
あまりの事件にミハイル・アーヴィングは言葉を失い立ち尽くす。
その驚きは彼だけでは済まず、夜番からの引継ぎを行って賑わっている詰め所の中の同僚たちも仕事を忘れて固まった。
「おはようございます。皆さん」
そんな空気を珍しく察していないクレアは気持ち、高揚した雰囲気を声に含ませて挨拶をする。
それは別段おかしいと感じる光景ではない。
普通の朝の挨拶とすれば誰もが交わす挨拶に過ぎない。
声に含まれる雰囲気も程度はあっても誰もがやっていることに過ぎない。
だが《氷の乙女》の異名を持つ彼女では話が違う。
士官学生時代からその優秀さによって頭角を現し、鉄血宰相の子飼いということもあり、多くの嫌がらせを受けてきた彼女は罪には罰をと言わんばかりに相手が貴族であろうと平民であろうと関係なく徹底的な報復を行い黙らせた。
その苛烈さはまさしく《鉄血の子供》に相応しく、帝都の士官学院に通っていたミハイルにもその勇名は届いていた。
鉄道憲兵隊に入隊した時からもその冷徹な態度は変わることなく、彼女と同期として鉄道憲兵隊に入隊したミハイルはかつての彼女との変わりように言葉を失った。
だからこそ、杓子定規の感情の篭らない挨拶が常のクレアの声に感情が、それも楽し気な感情が乗っていることは鉄道憲兵隊にとって大事件だった。
「おいミハイル。お前何しやがった?」
「いきなり何ですか先輩?」
「惚けるな。クレアにいったい何をしやがった?」
「自分は……何もしていません」
鉄道憲兵隊の中でミハイルへの風当たりは良いとは言えない。
陰湿ないじめを受けているわけではないが、クレアとの確執を知る者ならば大半が彼女を擁護する。
それは当然だとミハイルは受け入れている。
自分の罪の隠蔽のためにクレアの家族を謀殺した父親。
運良く生き残ったクレアが叔父に――ミハイルの父に向けた感情が如何ほどのものだったのか、彼を処刑台に追いやった苛烈さを考えれば容易に想像できる。
非は明らかにミハイルの父親にあるはずなのに、当時のミハイルは家族と共にクレアを口汚く罵った。
『お前なんてエミルたちと一緒に死んでれば良かったんだ』
何て酷い言葉だろうか。
当時の事を思い出せば後悔ばかりが浮かぶ。
そのことを謝りたいと思っていたが憲兵隊で偶然再会した変わり果てた彼女を前にミハイルは何も言えなくなってしまうのが常だった。
「これはやっぱり……男が出来たのか?」
「クレアに……男だとっ!?」
先輩の愉悦が含んだ言葉にミハイルは目を見開く。
「やっぱりあいつか?
今帝国中で有名になっている次の《鉄血の子供》の最有力、今日と明日に《特別実習》として受け入れる士官学生の生徒だったよな……
つまりクレアにとっては久しぶりの恋人との逢瀬ってことか」
「恋人……逢瀬……」
根も葉もない先輩の言葉の一つ一つにミハイルは殴られたかのような衝撃を受ける。
ミハイルにとってクレアは五つ歳の離れた妹のイサラと同様に九年前までは妹分として可愛がっていた従妹であり妹分。
兄貴風を吹かせる資格がないことは重々承知しているのだが、彼女の家族を殺してしまった男の息子として彼女の幸せを守る義務があるのだとミハイルは一人で決意を固めていた。
「だ、ダメだ。いくつ歳が離れていると思っている。相手はまだ士官学生の一年だぞ」
「そんなこと言っていると行き遅れるぞ」
「くっ……」
先輩の指摘にミハイルは何も言い返せず唇を噛む。
八年の月日を経て、クレアはミハイルから見ても美しく成長した。
そんな誰もが振り返る美女も《氷の乙女》の悪名が男を敬遠させる。
それはそれで一安心なのだが、仕事が第一と言う彼女のスタンスは年頃の女性としてどうかと思う。
このまま時が経っても浮いた話の一つもなく、三十を過ぎても《氷の乙女》と呼ばれている未来が容易に想像できてしまう。
そう考えるとこれは千載一遇のチャンスなのかもしれない。
「まあ、クレアの本命がオズボーン閣下だから並の男には靡かないんじゃないかって噂もあるけどな」
「閣下に……まさか……いや、しかし……」
その可能性を考えてミハイルはあり得るのではないかと思ってしまう。
恩人であるオズボーンに特別な感情を抱いていないと誰が断言できるだろうか。
だが、それはリィン・シュバルツァーよりも遥かな茨の道。
「……………………良いだろう」
長い葛藤の末にミハイルは呟く。
「リィン・シュバルツァー……私がこの目で貴様を見定めてやる」
一人で燃えるミハイルは堅物の珍しい姿と面白そうに見守る先輩達の眼差しに気付いていなかった。
*
「トールズ士官学院、一年特化クラス《Ⅶ組》。担任のサラ・バレスタインです……
今日を含めた二日間、“私の”生徒をよろしくお願いします。クレア・リーヴェルト大尉」
「ええ、承りました。リィン君とクリス君の御二人は“私が”一時期家庭教師をしていた生徒でもありますから御安心ください、サラ・バレスタイン教官」
サラとクレアはにこやかな笑顔を浮かべて左手で握手を交わす。
「な……何だか寒くない?」
「あんな綺麗なお姉さんに家庭教師をしてもらっただと……何て羨ましい……」
「………………へえ」
Ⅶ組の面々は二人が醸し出す雰囲気に気押され、一部では二人が作る冷気に同調する者もいた。
「――というわけで、今月の《特別実習》は鉄道憲兵隊よ」
笑顔の挨拶を切り上げて、サラはⅦ組に振り返り改めてそれを宣言する。
サラの思惑では、両方の班の経験を等しくするために四月は共に地方都市にするつもりだった。
その地方都市でまず経験を積み段階を踏むことで帝国における社会体制を体験させ、次の実習では州都を実習先にするのが最初の計画だった。
しかし、ルーファスの提案を受けたことでサラの計画は最初の段階で修正が必要になった。
ならば今回は班をそのまま入れ替え、A班に公都、B班に地方都市と割り振れば均等は取れるのだが、前のA班のフィーを州都に行かせるとどんな問題が起きるか予想がつかない。
それに加え、先月やり込められた仕返しのつもりなのか、クロイツェン州の領邦軍の誤解を槍玉に上げて会議の主導権を握ったカール・レーグニッツが実習先に意見を通してきたのが、今回の実習先を選ぶ決定打になった。
「貴方達にはA班とB班に分かれて、鉄道憲兵隊の任務に同行してもらうわ」
今や帝国には欠かせない交通手段となった鉄道網。
その帝国全土に張り巡らされた鉄道網の安全を確保、および鉄道沿線における治安維持活動を行っているのが鉄道憲兵隊である。
その性質上と生い立ちから、《革新派》の手先として領邦軍とは反目関係にあり、帝国の内情を体験するのならばこれ以上ない実習先と力説されその提案を呑まされた。
「A班には私が同行して帝国東部の巡回に、B班はミハイル大尉に同行して帝国西部の巡回を行って頂きます」
「よろしくお願いします。クレア大尉」
A班を代表してリィンがクレアに挨拶をする。
Ⅶ組にA班はリィン、クリス、エリオット、ラウラ、フィー。
対するB班はガイウス、ユーシス、マキアス、アリサ、エマ。
前回の班編成をリィンとガイウスを入れ替えただけの簡単な変更だが、いざという時にフィーとラウラのストッパーになれるリィンと一緒にするのはある意味当然の人選である。
「ええ、こちらこそよろしくお願いしますリィン君」
朗らかな笑顔を浮かべてリィンに応えるクレアに詰所がざわりと空気が動いた。
「笑った!?」
「《氷の乙女》が!? あり得ない!」
「年下が好みだったのか……」
小声で今の光景の感想を交わす憲兵隊員たち。
彼らの態度にリィンは首を傾げる。
《氷の乙女》の顔を知らないリィンには彼らが何故そんなに驚いているのか理解することはできなかった。
「あらあら、クレア大尉は随分と人気者みたいね」
サラの揶揄う言葉にクレアは居心地悪そうに俯く。
「恥じらった!?」
「あの《氷の乙女》が!? あり得ない!」
「くっ……クレア大尉はクールでなければクレア大尉では――いや、これはこれで良い」
「皆さん、遊んでないで持ち場に戻ってください」
クレアが冷笑を浮かべて同僚たちに振り返ると、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「こほん……改めて、Ⅶ組の皆さん、二日間よろしくお願いします」
そう取り繕ってクレアは改めて、Ⅶ組一同と向き直り――
「少し良いかなクレア大尉」
その出鼻をミハイルが口を挟んで止めた。
「何でしょうかミハイル大尉?」
「急な申し出で悪いが、担当の班を交換してもらいたい」
「え……?」
いきなりの提案にクレアは困惑する。
《特別実習》の受け入れはすでに先週の段階で話はついていた。
班分けも監督役もそこで決まったはずなのに、こんな場面で異を唱えた彼の意図をクレアは考え、一つの答えに行き着く。
――なるほど……流石ミハイル兄さん、気付いたんですね……
Ⅶ組のメンバーはその半数が国の重鎮に子息たちばかり。
だが、その中には身分を隠したやんごとなき御方が在籍しているのをクレアは知っている。
伊達メガネにわざと乱暴に乱れさせた髪形。
それに何よりも半年前にはなかった戦士としての風格が備わり始め、さらには堂々としたその姿に他の者達はその正体に気付いていない。
そんな中で唯一気付いた兄貴分の優秀さに心の中で賛辞を贈りながら、クレアはミハイルの提案を拒否する。
「ミハイル大尉の御懸念は分かりました。ですが御安心ください……
彼のことは私は認知しています。そしてこの件についてオズボーン閣下とオリヴァルト皇子の両名の承認を得ています」
クレアはミハイルにだけ聞こえるように小声で話しかける。
と、ミハイルは目を剥いて驚愕した。
「何……だと……皇子はともかく閣下まで……しかも認知だと……すでにそこまで話が進んでいるというのか?」
わなわなと震えるミハイルにクレアは首を傾げる。
何かおかしなことを言っただろうかと自分の言動を振り返るが、特におかしな点はなかったはず。
「クレア……君はそれで良いのか?」
「良いも何も私が適任です。彼の人となりは私が一番良く知っていますから」
鉄道憲兵隊の中で、とクレアは言うまでもないことを省略する。
だが、いろいろな誤解を重ねているミハイルにはその言葉はさらなる誤解を助長させるものでしかなかった。
「そうか……一番良く知っているか……」
まさか彼女の口からそんな惚気が出てくるとは想像もしていなかったミハイルは力のない笑みを浮かべる。
彼女が家族を失った日から、そして叔父を――ミハイルにとっての父を処刑台に送ってから、ミハイルが見てきたクレアの顔は《氷の乙女》だけだった。
だが、その氷はミハイルの知らない所で溶かされていた。
そのことに一抹の寂しさを感じながらも、ミハイルはようやく過去を振り切り、未来の幸せに目を向けて立ち直った妹分に喜びを感じる。
「…………だがそういうことならなおさら、私が見極める」
感激の感情を胸に秘め、不撓の意志でミハイルはリィンを睨み付ける。
「リィン・シュバルツァーッ! 貴様がクレアに相応しいかどうか、この《特別実習》で見極めさせてもらう」
「…………はい?」
「兄さん! いきなり何を言っているんですか!?」
ミハイルの宣言に名指しされたリィンは困惑し、クレアは突然飛躍した話に混乱する。
「止めてくれるなクレア。私は君の家族の墓前で誓ったんだ。そして君から家族を奪った男の息子の贖罪でもある」
「本当に何を言っているんですか!?」
クリスのことを話しているとばかり思っていたクレアはリィンに向かってとんでもないことを言い出したミハイルに声を上げる。
「今更虫の良いことを言っていることは分かっている。だが君の兄貴分だった者として伯父さん達に代わって君の伴侶になる者を見定めなくてはいけないんだ!」
「は、伴侶!? 私とリィン君はそういう関係ではないんですけど……」
不撓なはずのミハイルが錯乱している様子にクレアは慌てるよりも先にひたすらに困惑する。
「恋人ではない!? ダメだクレア、このチャンスを逃したら君は行き遅れてしまう!」
「は?」
クレアの眼差しが絶対零度となってミハイルに突き刺さる。
「それともやはり本命はシュバルツァーではなくオズボーン閣下なのか!? それとも同じ《子供》のアランドールなのか!?」
「………………アーヴィング大尉……ちょっとこちらに来てください」
その言葉には震え上がる程の冷気が含まれていた。
皆が体を震わせる中で、唯一怯まず、気付かないミハイルは促されるままクレアと共に会議室を出る。
バタンっと頑丈そうな扉が閉まった直後。凄まじい衝撃が部屋を、詰所全体を揺るがした。
そして数秒遅れて、クレアが何事もなかったように一人で戻ってくる。
「申し訳ありません、皆さん……
B班担当のアーヴィング大尉は体調が優れないようなので、すぐに代わりの人間を用意しますね」
誰もが魅了される美しく、それでいて冷たい笑顔に反論する者は誰もいなかった。
余談だが、その日鉄道憲兵隊内で《氷の乙女》の異名で敬遠されていたクレアのファンクラブが設立されたのだった。
鉄道憲兵隊
憲兵隊員A
「あの《氷の乙女》に怯まないなんて、流石《不撓》のミハイル・アーヴィング」
憲兵隊員B
「《氷の乙女》にあんなことを言えるなんて、流石《不撓》のミハイル・アーヴィング」
憲兵隊員C
「今回の一件があったにも関わらず、《氷の乙女》に小言を言い続けるなんて、流石《不撓》のミハイル・アーヴィング」
憲兵隊員D
「クレア大尉、罵ってください!」
エリオット
「これが帝国正規軍の精鋭部隊の鉄道憲兵隊……何って言うか……その……」
リィン
「…………その内慣れるさ」
マキアス
「それにしても行き遅れなのか……あんなに綺麗な人なのに」
ガイウス
「ふむ……美しさならサラ教官も引けを取らないと思うが」
サラ
「あら嬉しい事言ってくれるじゃない」
フィー
「でもサラが行き遅れなのは残当」
サラ
「ちょっとフィーッ!」