(完結)閃の軌跡Ⅰ ~鋼の意志 空の翼~ 作:アルカンシェル
「うわあ……」
ヘイムダル帝都駅。その屋根の上に伏せたエリオットは下を覗き見てあまりの高さに竦み上がる。
「ここから飛び移るのかフィー? いささか高過ぎるのではないか?」
「他にちょうど良い場所はない……あっても鉄道憲兵隊がいるから」
「それにしたって列車の三倍くらいの高さがあるけど……本当にここから飛び移るの?」
目算で高さを計ってみたクリスは唸る。
駅の構造上、ホーム間の行き来は線路を跨ぐように造られている階段を行き来することになる。
なので建物の上に出てしまうと最低でも三階分の高さ。
それを今から飛び降りる。しかも走行中の列車に飛び乗るのだからエリオットの気後れも当然だった。
「怖気づいた? なら今から戻れば」
端的なフィーの言葉にクリスは思わずため息を吐きそうになるのを堪える。
そんなことをすれば不機嫌なフィーは躊躇うことなくここで自分たちを置いていくだろう。
この場にはA班の中でリィンだけがいない。
憲兵隊にリィンだけが協力を要請され、残ったA班は特別実習を中止して帝都で待機しているように指示された。
この観光列車乗っ取り事件で鉄道は全面的に運休してしまい、トリスタにも戻れない状況だった。
とりあえず、東部地区の憲兵隊詰所にいたB班と合流してサラに指示を仰ぐことになっているのだが、その命令を無視してクリス達は動いていた。
「ううん……やるよ」
素っ気ないフィーの言葉に真っ先に言葉を返したのは意外なことにエリオットだった。
本来なら命令無視を真っ先に尻込みする彼なのだが、突き動かすのは憲兵隊舎を追い出される直前に聞いた情報。
占拠された観光列車に楽団スタッフとして乗り込んでいた中にエリオットの姉がいたから。
エリオットがその事実に焦燥し、ならば自分たちで助け出そうとフィーが言い出したのがクリス達が屋上にいる理由だった。
「そ……ラウラとクリスはどうする? このままリィンのオマケだって思われたままで良いの?」
「オマケはともかく私にできることがあるなら協力は吝かではない。もとよりこの剣は力無き者を守るためにあるのだから」
「僕も異論はないよ」
頷くクリスが思い浮かべるのは尊敬する兄の話。
兄はかつて空賊の飛行艇に潜入して、そのアジトを突き止めて攫われた民間人を華麗に救出してみせた。
その憧れに似た状況に彼が乗らないはずがない。
かくして、姉の安否に駆られるエリオット。対抗心を拗らせるフィー。義務と仲間意識を尊重するラウラ。そして冒険を求めるクリス。
彼らの無謀を諫めるブレーキ役はここにいない。
「ちょうど来たけどクリス」
「ああ、行くよ」
仕切るフィーにクリスはリヴァルトを抜き、そして戦術オーブメントを構える。
クリスは《風》の導力魔法を魔剣と同調させ、導力魔法の域を超えた範囲で風を作り出す。
「オオオオオオオオッ!」
「ハアアアアアアアッ! 洸翼陣っ!」
フィーは咆哮を上げて、黒い闘気をその身に纏う。
ラウラは呼気を解放し、白い洸をその身に纏う。
「ARCUS駆動――クロノドライブ」
エリオットは導力魔法を全員に掛ける。
「お前達、そこで何をしている!?」
全ての準備が整い、蒼い列車が目前に迫った所で怒声が響く。
声は上から、空を見上げればいつの間にか飛行艇が滞空し、その中から鉄道憲兵隊の男がクリス達に銃を向けようとしていた。
「無視して走る」
フィーは短く言って駆け出した。
それにラウラがエリオットを横抱きにし、クリスが風を解放して後に続く。
「いっけぇっ!」
颶風を背中に受け、三つの影は駅の屋上を全力で駆け抜け、そのままの勢いで宙へと飛び出した。
「なっ――」
一部始終を飛行艇から見ていた憲兵隊――ミハイルは操縦者と共に絶句した。
駅舎の屋根の上で怪しい人物がいたと思い、声を掛けたらあろうことか駆け出した。
こちらの声を無視して走り出したところで、問答無用で銃撃を浴びせようとしたが彼らが着る制服がトールズ士官学院のものだと気付いて躊躇ってしまった一瞬での出来事だった。
「ちっ……クレア大尉と回線を繋げ!」
「は、はいっ!」
「ちっ……リィン・シュバルツァーといい、何なんだ今年の士官学生たちは……」
通信が繋がるまでの短い時間でミハイルは思わず愚痴を漏らすのだった。
*
「あ……あはは……やればできるものなんだね」
蒼一色の列車の屋根の上でフィーに支えられたクリスは笑う。
駅舎の屋根から身を投げ出した瞬間に正気に返って馬鹿なことをしていると振り返ったが、後戻りはできず、怯みはしたがそれでもなんとか無事に飛び移ることができた奇蹟に興奮する。
「ま、これくらいは出来て当然。それよりもここからが本番。そっちは問題ない?」
ブレーキ代わりに屋根に突き刺した銃剣を抜いてフィーは落ち着いた様子でラウラへと声を掛ける。
「ああ、こちらも大丈夫だ」
「はああ……心臓がまだバクバクしてる」
抱えていたエリオットを降ろし、ラウラは代わりに背負っていた大剣を腰に付け直す。
「それでこれからどうする?」
「まずは人質の安全確保。そのためには一番後ろの車両から制圧していくべきだからとりあえず移動かな」
フィーを暫定のリーダーとして一同は方針を素早く決めて移動を始める。
風に煽られないように身を屈め、慎重に後部車両へと進んでいく。
「止まって」
不意に先頭を歩いていたフィーがその足を止めた。
「どうしたフィー……む……」
フィーの肩越しにラウラは前を見て、思わず顔をしかめた。
そこには異様な風貌の男が列車が巻き起こす風の中を物ともせずに佇んでいた。
長く白い髪。
顔を覆い隠す鬼の面。
黒い軍服に白いマント。そして異様に長い太刀。
一言で説明するならば《真・魔界皇子》がそこにいた。
「その風貌はB班がバリアハートで戦ったという《剣鬼》……まさかこの列車を占領したのは貴様だったとは」
侵入を察知されたのか、伝え聞いたリィンを超える実力の持ち主ならあり得るとラウラは戦慄と共に大剣を構える。
「トールズ士官学院、Ⅶ組の片割れか……こんな所に何をしに来た?」
仮面越しに睨まれる気配に一同は心臓を掴まれたような威圧感に息を呑む。
「悪いことは言わん。今すぐこの列車から降りろ」
一方的な物言い。
太刀を抜いて問答無用で襲い掛かれば、瞬く間にフィーたちを排除できるというのに《剣鬼》はわざわざ言葉で警告する。
「そ……そうはいかない」
その息苦しい威圧感を跳ね除けて真っ先に言葉を返したのは意外なことにエリオットだった。
エリオットは負けじと《剣鬼》を睨み付け、魔導杖を握り締める。
「こ、この列車にはぼ……僕の姉さんが乗っているんだ。お、お前たちの好きにはさせない」
膝を震わせながら言い切ったエリオットの姿に他の三人は萎えそうになった気持ちを奮い立たせる。
「エリオットの言う通りだ。テロリスト風情の言葉で退くなら無茶をして乗り込んでいない」
「リィンよりも強いんだよね? だったらここで乗り越える」
「貴方を倒すことは難しいかもしれない。でも、この列車から排除するだけなら話は別だ」
それぞれ武器を構えて並び立つ。
目の前の男は確かに強いかもしれない。しかしそれでも列車から突き飛ばせばそれだけで戦線離脱させられる。
そこに一縷の望みを掛けて言い切るが、強風に煽られないように身を低くして武器を構える様と言葉のギャップは滑稽さを醸し出している。
そして、的外れなことを言っている一同に《剣鬼》は呆れたと言わんばかりに肩を竦める。
「状況の把握が出来ていないようだな……
もしも俺がお前たちの言うこの列車を占拠した一味だとしたら、お前達は見つかった時点で負けているというのに」
「え……?」
「俺がお前達を発見したと中に伝え、お前の姉が人質にされることを考えなかったのか?」
「あ……」
「お前達がすべきだったことは問答無用で俺に襲い掛かり排除することだった。だからこうなる」
「っ――!?」
いつの間にか抜き、喉元に突きつけられた大太刀にエリオットは息を呑む。
「遅い……反応も判断も何もかも遅すぎる。そんな体たらくでテロリスト達を退けられると本気で思っていたのか?」
「それは……」
「気持ちだけで貴様に何が守れると? 軍人でもない貴様らに何ができる?」
「それは……」
《剣鬼》の言葉にエリオットは思わず目を逸らす。
ここまで姉を助けたいという一心で仲間の手を借りて来たが、ここから先は直接テロリストとの戦闘になる。
争いごとは嫌いで音楽の道を進みたかったはずなのに、それと矛盾する行動をしていたことに気が付いた。
「分かったら。さっさとこの列車から降りることだ」
「…………僕達を捕まえないのか?」
突きつけた太刀を下げて鞘に納めた《剣鬼》にクリスは違和感を覚えながら尋ねる。
「貴様たちが勝手に誤解したようだが、俺はこの列車を占拠したテロリストとは無関係だ」
「じゃあ何故こんなところに?」
「逆に言わせてもらうが怪しいという意味では貴様達も俺と変わらないぞ」
《剣鬼》の言葉に一同は言葉を詰まらせる。
冷静に考えればテロリストも走行中の列車の屋根の上を見回りさせるとは思えない。
ならば、自分達と同じ侵入者。
クリス達が《剣鬼》とここで戦う理由はない。
「それじゃあもしかして貴方も人質の救出に?」
ユミルで会った執行者たちのことを思い出しながらクリスは尋ねる。
どの執行者も個性的で決して人助けを率先して行う慈善を振り撒く者たちではない。
だが、同時に彼らは気まぐれでもあり、条件が合えばそれこそ誰が相手でも、仲間でも殺し合える者たちばかりだった。
そんな執行者の一人がこの場にいる理由を考える。
列車を占拠したのが《身喰らう蛇》ではないのなら、彼がわざわざ乗り込んできた理由は推測すれば目的は同じなのではないかと考える。
「生憎だが俺はそんなことをするために乗り込んだわけではない」
そう言うと《剣鬼》はクリス達の横をすり抜けて歩き出した。
「今は最後尾の資材車両にはテロリストは一人しかいない。せいぜいうまくやることだな」
悠然とした足取りで前の車両ヘと歩いて行く《剣鬼》をクリス達はただ見送ることしかできなかった。
「あれが先月B班が戦わされたという《剣鬼》か……確かにリィンを超える使い手というのも納得だな」
「そだね……だけど……」
「どうしたフィー?」
「…………何でもない。ところで《剣鬼》はああ言っていたけど、どうする?」
何故か震えていた腕を抑えてフィーは改めて一同にこのまま進むか尋ねる。
特に矛盾を指摘されたエリオットは姉を助けると息巻いていたのが嘘だったかのように消沈している。
「どうするって……ここまで来て何も成果を出せずに戻ったら……怒られるだけでは済まないよね?」
「う……うむ……そうだな」
「多少の問題は結果を出せばうやむやにできる。猟兵はそうだから」
そう言ってフィー達はエリオットの様子を伺い見る。
「…………大丈夫。僕も行くよ」
深呼吸して顔を上げたエリオットは迷いを抱えながらも進むことを決めた。
「無理しなくても、ここで待っていてくれてもいいのに」
「そういうわけにはいかないよ。姉さんを助けたいって言い出したのは僕だし、そのためのクリスとフィーが案を出してくれたんだから」
明らかに強がっているが、それ以上フィー達は何も言わずにエリオットの意志を尊重し、当初の目的通り後部車両へと移動を再開する。
「ん……どうしたフィー?」
ラウラは足を止めて背後を見ているフィーに首を傾げる。
「…………何でもない?」
《剣鬼》の背を見て、震える腕を押さえつけてフィーは歩き出した。
*
「まさか叔父様がこんな手を使うなんて」
列車の中とは思えない豪華な内装の室内。
本来なら食事や楽団を招いた小さなコンサートなどを楽しむ憩いの場だったのだが、そこは今この列車に乗っている貴族と従業員が集められていた。
その中でこの催しのためにアストライア女学院から呼び出され、カイエン公爵の名代として賓客を持て成すように一方的に指示されたミルディーヌは小さくため息を吐く。
「くそ……鉄道憲兵隊は何をしているっ!」
ミルディーヌから離れた位置で悪態を吐きながら何杯目かのワインを呷るバラッド侯爵。
彼の他にラマール州を代表する貴族が数名、家族ぐるみで招待された大陸横断鉄道のツアー。
どの貴族もそれぞれ大なり小なりカイエン公爵に含むところがある者達ばかり。
「それは私もですね……」
諦めたようにミルディーヌは呟く。
おそらくこれはカイエン公爵がテロリストと共謀した策。
次期カイエン公爵の座を密かに狙っているバラッド侯爵。
ラマール州の貴族でありながら革新派の専横を領内で許している伯爵。
それに切った所で痛痒にならない男爵。
そして自分。
彼らを人質にした帝国政府への犯行声明など建前でしかない。
「本当の目的は双龍橋の爆破でしょうね」
自分たちをこの車両に軟禁してから、一度後部車両から物々しい荷物が前方車両に運ばれて行った。
中身は見てないが爆発物だと察してしまった。
列車の奪還の失敗による鉄道憲兵隊の失態を作り出すこと。
双龍橋を破壊してガレリア要塞を孤立化させ、今後の内戦への一手とすること。
カイエン公はこの事件で自分の領の貴族や姪を奪われた被害者として、鉄道憲兵隊から鉄血宰相の権威を少しでも削ぐつもりなのだろう。
「はあ……」
ミルディーヌは諦めのため息を吐く。
いくら未来を見通す思考力があったとしても、自分は所詮何の力もない小娘なのだと思い知らされる。
叔父の呼び出しに諍えず、お披露目もまだしていないというのに名代として持て成す役を押し付けられたことがその最たるものだろう。
「何だ?」
諦観した思考に没頭していたミルディーヌはその声に振り返る。
後部車両に続くドアの向こうから怒鳴り声と銃声が一瞬だけ響き、静かになるとゆっくりとドアが開く。
「クリア……この車両にはテロリストはいないみたい」
銃身の下に刃をつけた銃を構えながら入って来たのは赤いトールズ士官学院の制服を纏った少女だった。
彼女に続いて三人が入って来る。
「姉さんっ!」
その中の一人が車両の中を見回し、楽団のスタッフに向かって声を上げて駆け出した。
「エリオット……どうしてここに?」
驚きながらも姉と思われる紅毛の女性が駆け寄って来た少年と抱擁を交わす。
「人質はここにいるので全員?」
それを尻目に銀髪の女の子は油断なく前方のドアを警戒しながら従業員に尋ねる。
「え、ええ……後は運転手が二人いるが、それ以外は全員ここにいる」
「そう……」
「君たちは――」
「ふん、やっと来たか」
従業員の言葉を遮ってバラッド侯爵が酒に酔った顔で椅子から立ち上がり、金髪の少年に歩み寄る。
「さあ、早くここから出してもらおうか」
「申し訳ありません。僕達は正規の救出部隊ではありません。ですが安心してください。このままテロリストを制圧するので貴方達はここで――」
「ふざけるな! 私を誰だと思っている!? 私はカイエン公爵に次ぐバラッド侯爵家の当主だぞ!」
バラッド侯爵と他の貴族や従業員に向けた安心させる言葉は一喝されて遮られる。
身分をひけらかし、今すぐこの列車から降ろせと騒ぎ立てるバラッド侯爵に金髪の少年は困った顔をする。
「そ、そうだこんなところにいつまでもいられない。早く降ろしてくれ」
「ミラなら後でいくらでも出してやるだから――」
「あ……」
まずいとミルディーヌは察するが緊張が決壊してしまった他の貴族達もバラッド侯爵の言葉に同調し、現れた四人に縋りつく。
「何をしている騒がしいぞっ! 静かにしろ!」
当然、騒ぎ出せば前方の車両からそれを聞きつけたテロリストが怒声を上げてやってくる。
「ひいっ!」
威嚇するように天井に向けて発砲した音に驚き、バラッド侯爵は金髪の少年を盾にするようにその背に隠れる。
「くっ――邪魔っ!」
「しまった」
「エリオット」
「姉さん放して! 僕が――」
我先に逃げ、少しでも暴力から遠ざかろうとする貴族達の波に飲まれて二人の少女が動きを鈍らせる。
「何だ貴様らどこから入り込んだ!」
剣を持つ少年にテロリストは素早く銃口を向ける。
背中をバラッド侯爵に抑えられた少年は剣を構えることもできずに無防備な姿を銃口の前に晒すことになる。
「くっ――」
「ダメッ!」
咄嗟に、彼の正体を知っているミルディーヌはその銃口の前に割って入る。
「ミュゼッ!?」
そこで金髪の少年――クリスは初めて彼女の存在に気付くがバラッド侯爵に張り付かれてろくな身動きなどできなかった。
引き金が引かれ、凶弾が発射される。
その様をミルディーヌは何とも言えない感慨で見る。
――お父様、お母様。今私もそちらに向かいます……
ゆっくりと見える凶弾にミルディーヌは覚悟を決めて目を瞑る。
しかし、胸を穿つ衝撃はいつまで経っても訪れなかった。
「やはりこうなったか」
代わりに耳元で囁かれた言葉にミルディーヌは閉じた目を開く。
「怪我はないなレディ?」
「え……あ……」
間近の鬼の面に驚くよりも、身を抱き寄せた自分を庇う様にしている状況に顔を真っ赤にして、口を開いて閉じてと意味もなく繰り返す。
「あ……あわわ……な、なんで――」
異能じみた思考が彼の正体を教えてくれるが、それが余計にミルディーヌの思考に熱を宿す。
「お静かに、もう大丈夫だから落ち着いて」
名を口走ろうとしたミルディーヌの唇に指を押し当て、耳元で囁かれた言葉にミルディーヌは目を回す。
その能力からもう子供のような夢想をすることを忘れてしまっていたとしても、ミルディーヌはまだ年頃の娘でしかない。
そんな彼女が乙女なら一度は夢想する騎士に守られるお姫様の状況を体験してしまえば、平静でいられるはずがなかった。
腰砕けになりその場にへたり込みそうになるミルディーヌを小脇に抱え、《剣鬼》はテロリストに向き直る。
「な、何だお前は! 変な格好して鉄道憲兵隊なのか?」
一見すれば軍服にも見える《剣鬼》の姿にテロリストは困惑する。
「そんなこと貴様が知る必要はない」
素っ気ない《剣鬼》の言葉にテロリストは眦を上げるが、冷静に銃を構える。
「武器を捨てろ。さもなければ撃つぞ」
「好きにしろ」
舐めているとも取れる発言に激昂するよりも早く、テロリストは引き金を引いた。
少女を右腕に抱え、腰に佩いているのは両手を使わなければ抜けそうにない大太刀。
そして彼我の距離は十アージュもない。
撃てば確実に当たると誰もが確信を持つであろう状況に、引き金を引いたテロリストは仮装した目の前の馬鹿が銃弾によって撃ち殺され倒れ伏す姿を目撃する――はずだった。
「どうした? 俺を殺すのではないのか?」
悠然と《剣鬼》はミルディーヌを抱えたままテロリストに向かって歩き出す。
「な、何をしたお前っ!」
もう一度導力銃を撃つが、その瞬間《剣鬼》の左腕が霞み銃弾が弾かれる。
「な……何でスプーンなんかで導力銃を防げるんだよ!」
銃を撃つ度に《剣鬼》が持つ武器とは言えない食器で銃弾が弾かれていることにテロリストは狼狽える。
「それはお前が下手糞だからだ」
そんなテロリストに《剣鬼》はそのスプーンを無造作に放り投げる。
「ひっ――」
それに過剰に反応したテロリストは慌ててそれを躱し、次の瞬間《剣鬼》が拾ったワインボトルで頭を打ちつけられた。
「がっ――」
「ふん……」
ガラスが砕け頭からワインを被り気絶したテロリストを一瞥し、《剣鬼》は振り返る。
「き、貴様なんてことをしてくれた!」
《剣鬼》が何かを言う前にバラッド侯爵が憤慨した声を発した。
「何だ?」
「貴様が今ぶちまけたワインは20万ミラもするヴィンテージワインだったんだぞ。それを――」
「くだらない」
文句を言うバラッド侯爵に《剣鬼》は鬱陶しそうに仮面越しに睨み付ける。
「グラン=シャリネの半分にも満たない安物で騒ぐな。程度が知れるぞ帝国貴族」
「ぐっ……」
引き合いに出されたリベール産のそれも厳選された高級ワインの値段を出されバラッド侯爵は押し黙る。
言い換えれば20万ミラなどはした金だと言い切る相手に対して、それを責めれば貴族としての器が知られるようなものと感じて口を噤むしかなかった。
《剣鬼》は押し黙るバラッド侯爵から士官学院生達に向き直り――
「お前たちは人質になりに来たのか?」
「くっ……」
呆れを含まれた言葉に一同は顔をしかめる。しかし何も言い返せなかった。
クリスだけではなく、テロリストが現れて取り乱した貴族たちに纏わりつかれて動けなかったのはフィーとラウラも同じ。
エリオットに関しては逆に庇われるように姉に抱き締められていた始末。
普通に戦えば勝てた相手だとしても、足手まといがいる戦場を楽観視し過ぎていただけに《剣鬼》の指摘は正鵠を射ていた。
「余計な仕事を増やして……」
溜息を吐き《剣鬼》はクリスにミルディーヌを押し付ける。
「お前たちはここで待っていろ。気は乗らないがすぐに済ませる」
踵を返す《剣鬼》をクリス達は呼び止めることはできなかった。
人質に足を引っ張られたのは醜態だが、それを予想していなかったクリス達の落ち度でもある。
「ま……待て、何者か知らんがお前を雇ってやる」
そんな風に苦汁を噛み締めているクリス達を他所にバラッド侯が懲りずにそんなことを言い出した。
「今すぐこの列車から私を降ろせ! そうすれば褒美をくれてやるぞ」
明らかに普通ではない彼に物怖じせずにそんなことを言えるバラッド侯にある種の尊敬を感じながら、クリスは諫める言葉を掛ける。
「バラッド侯爵、彼は――」
「うるさいこの役立たずが!」
罵りの言葉にクリスは閉口する。
その物言いに苛立ちを感じるが、同時に何も言い返せない。
もしも《剣鬼》が割って入ってくれなかったらミルディーヌは凶弾に撃たれ、それが更なる混乱を呼び収拾がつかなくなっていたと想像すれば確かに自分たちは場をかき乱しに来ただけの役立たずだった。
「…………良いだろう。この走り続けている列車からお前達を降ろしてやる」
唇を噛み締め俯くクリス達に《剣鬼》はもう一度ため息を吐き、バラッド侯爵の要請を受け入れる。
「あ……あの私たちは――」
そして恐る恐る遅れて他の貴族が機嫌を窺う様に口を挟む。
「ふん。お前達は――」
「安心しろ。まとめてどうにかしてやる……
だが、今役立たずと罵った子供たちに感謝しておくことだ。そいつらがいなければ俺も手を出すつもりはなかったからな」
「おい。それはどういう意味だ!?」
バラッド侯が聞き返すが《剣鬼》は無言で前の車両へのドアを開けてそのまま先に進む。
「お……おい?」
その直後、がくんと列車の速度が落ちた。
「何をした!?」
慌ててクリスが《剣鬼》を追い駆けてドアを開け放つと、そこには次の車両はなかった。
「なっ!?」
遠ざかっていく前方車両。
続くはずだった通路の先に大太刀を抜いた《剣鬼》が佇んでいた。
「まさか斬ったというのか!?」
分厚く見るからに頑丈な造りの連結部から、周囲の外装に至るまで一太刀で斬り裂いた通路の切り口にラウラは戦慄する。
自分がやれば斬るではなく破壊してしまう。
いくら斬ることに優れた太刀だったとしてここまで鋭利な切り口など見たこともない。
「お前たちはそいつらの面倒を見て、大人しく帰るんだな」
《剣鬼》はそう言って踵を返す。
「くっ……」
助走を付けて跳べば向こう側に飛び移ることはできるかもしれない。
しかし、それは身軽なクリスとフィーの二人だけ。
テロリストの本隊がいるだろう敵地に乗り込むには無謀だろう。
「あ、あの!」
向こう側の扉が閉まり切る前にミルディーヌが声を上げる。
「テロリストの本当の目的はおそらく双龍橋を破壊することです。そちらの車両に爆弾が運び込まれているのを見ました……
だから……その……御気を付けてください」
一気に捲し立てるが、《剣鬼》は何も応えずにドアを閉めた。
改めて遠ざかっている列車を見送るⅦ組一同はそれぞれ己の不甲斐なさに拳を握り締めるのだった。
*
その後――切り離された列車が止まり、残っていた制圧済みのテロリストたちをクリス達は改めて拘束し直していたところでクレア達が到着した。
《剣鬼》の言葉のおかげか。それとも鉄道憲兵隊を揶揄するためかバラッド侯爵たちは走行中の列車に飛び乗ってまで救出に来たクリス達を褒め称えた。
その場ではクレア達も解放された人質や捕らえたテロリスト達の事後処理を優先する。
《剣鬼》が残った前方車両に関しても双龍橋に辿り着くことなく制圧されたらしい。
もっとも停車した列車の中には、殴り倒されたテロリスト達だけで肝心の《剣鬼》の姿は何処にも確認できなかったらしい。
そして――
「貴様ら……これは明白な命令違反だぞ!」
帝都の鉄道憲兵隊の詰め所にて独断専行で救出作戦を行ったA班はリィンを含めて正座させられミハイル大尉の雷が落ちた。
そのミハイルの言葉にサラが同意するように頷く。
「確かに私は以前、せいぜい悩んで何をするべきか自分達自身で考えてみなさいって言ったわ……
でもそれはあくまで自分たちの手に負える範囲での話よ……
溺れている人を助けるには正しい手順を知っておかないと、その要救助者によって助けに行った人が溺れさせられたなんて事例があるくらいなの……
あんた達が要人救出なんて十年早い!」
「はい……」
「身に沁みました」
サラの真剣な怒りにエリオットとラウラはいっそう肩身を小さくして頭を下げる。
「できるって扇動したのはわたし。だから責任はわたしが――」
「フィー、最終的にみんなで決めたことだから全員の責任だよ」
「だがリィンは鉄道憲兵隊の協力をしていて別行動を取っていたのだから――」
「連帯責任です。例え関わっていなかったとしても貴方達の行動の責任は班全体に、ひいてはサラさんや学院長が取ることだってありえたんです。それを良く噛み締めてください」
ラウラがせめて関係ないリィンを逃がそうとするが、微笑みを浮かべるクレアの言葉に切り捨てられる。
三人の中で一番穏やかな顔をしているが、一番威圧感を醸し出しているのはクレアでもある。
「すまぬリィン。巻き込んでしまって」
また迷惑を掛けてしまったことにラウラは嘆くように謝る。
「やってしまったことは仕方がないさ。それにエリオットがお姉さんを助けたいっていう気持ちは分かるつもりだ……
結果的には人質もみんなも大した怪我がなかったんだから怒られるくらいで済むならそれでいいさ」
「ってリィンは言っているけど、今回は運が良かっただけで、次が無事である保障はないのよ」
「ええ、今回はたまたま《結社》の《剣鬼》がそこにいて気まぐれを起こしてくれたおかげでどうにかなったようなものですから」
「それにしても《身喰らう蛇》の《剣鬼》が何故そこにいたかも問題だ」
腕を組んで唸るミハイルだが、その両隣にいるサラとクレアはそれぞれ目を明後日の方角へ逸らす。
「それは後で調べるとしましょう。ともかく――」
「エーリオットォオオオッ!!」
その話題はいろいろとまずいとクレアが説教を切り上げようとしたところで、突然ドアが開き感極まった声が室内に揺るがした。
「へ……? 父さん?」
突然現れたオーラフ・クレイグ中将、父にエリオットは目を丸くする。
呆然とするエリオットにオーラフは真っ直ぐ突き進み、正座したままのエリオットを上から覆い被さるように力一杯抱き締める。
「フィオナから聞いたぞ! 走行中の列車に飛び乗りテロリストに立ち向かったと!
士官学院に入学して二ヶ月。男子三日会わざれば刮目して見よ、という言葉があるがまさかそこまで逞しく成長してくれていたとは!
涙を呑んでお前を士官学院に入れたことは間違いではなかった!」
エリオットの成長にオーラフは感激して叫び、抱き締める力をさらに強くする。
「ちょ、ちょっと父さん……」
「クレイグ中将。そのような物言いは困ります。彼はまだ学生の身とはいえ重度の命令違反を犯しているんです……
正規の軍人ならば軍法会議を行って然るべきです」
「まあ、そう言うな」
ミハイルに肩を叩かれて我に返ったオーラフはエリオットを解放して咳払いを一つ。
中将としての風格を取り繕ってミハイル達に向き直る。
「確かに行動そのものは決して褒められたものではないが、結果として誰も犠牲にならずに事件を収めた切っ掛けになったことには変わりあるまい?
それとも君たちが行おうとしていた作戦では絶対に人質全員を無事に取り戻し、かつテロリストの本来の目的だったとされる双龍橋の破壊を防げたというのかな?」
「それは……」
オーラフの指摘にミハイルは口ごもる。
「怒ることも大切だが、走行中の列車に飛び乗るという並外れた勇気と行動力をまずは賞賛しようじゃないか……
なかなかできることではあるまい、できることならばその時のエリオットの雄姿をこの目に焼き付けておきたかった」
中将の顔の中に父親としての顔が混ざることに一同は毒気を抜かれる。
「フィオナも褒めていた。エリオット、やはりお前には軍人になる才能がある」
エリオットを立たせて、オーラフは肩を力強く叩いて激励する。
「才能……?」
しかし、その言葉にエリオットは言いようのない黒い感情を感じずにはいられなかった。
喜んでいる父の考えが分からない。
確かにエリオット達が動いたから《剣鬼》が見兼ねて手を貸してくれたが、それだけだ。
列車から姉のいるところまで確かにテロリストと戦って退けた。
しかし、それにしても列車と言う狭い室内でエリオットにできたのは他の三人を補助導力魔法で援護していただけに過ぎない。
そもそも列車に飛び乗るのもラウラに抱えられて運ばれただけでエリオット自身の力ではない。
「胸を張れエリオット。お前はもう一人前の男だ」
何が一人前なのだろうか。
姉を助けたいという我儘でクラスメイトを振り回し、そのクラスメイトにおんぶにだっこしてもらった挙句、自分の行動が姉を危険に晒し多くの人に迷惑を掛けてしまった。
誰よりも責任を感じ、A班の――否、Ⅶ組の中で一番実力も意志もないのに何を誇れと言うのだろうか。
「Ⅶ組の諸君、これからもエリオットとは仲良くしてくれたまえ……
まだまだ筋肉隆々には程遠く、頼りなく見えるかもしれないが必ずや君たちと肩を並べるに相応しい漢に成長――」
「いい加減にしてよ父さんっ!!」
先程のオーラフの感激の叫びを上回る怒声が響き渡る。
「………………え……?」
生まれてこの方、そんな風に愛しい息子に怒鳴られたことのないオーラフは何を言われたか分からず固まる。
「何が才能だ……何が軍人になれだ……」
「エ……エリオット……?」
戸惑うオーラフをエリオットは睨み付け叫ぶ。
「父さんなんてっ――大っきらいだっ!!」
言い放つと同時にエリオットは憲兵隊の詰め所を飛び出した。
あまりに唐突な出来事に呆然と固まっていたオーラフは糸が切れたように膝から崩れ落ちるのだった。
「エリオットに大嫌いと言われた……」
がっくりと項垂れるオーラフの姿には、中将としての威厳は欠片も存在していなかった。
その後のアストライア女学院
エリゼ
「ああ、良かったミルディーヌ。列車占領事件に巻き込まれたと聞いて心配したのよ」
ミュゼ
「……………」
アルフィン
「あら? ミルディーヌ? ミュゼ? どうしたの?」
ミュゼ
「……………」
エリゼ
「珍しいですね。ミルディーヌがここまで心ここにあらずになるなんて……」
アルフィン
「これはもしかして……あれかしら?」
エリゼ
「姫様、あれとは?」
アルフィン
「危機的状況に颯爽と現れて助けてくれる騎士様。乙女ならば一度は憧れるシチュエーション!
ずばりミュゼは殿方に恋をしてしまったんですわ」
エリゼ
「姫様……何を言い出すかと思えば」
ミュゼ
「そ、そうですよ。わわわたしが殿方に心を奪われるなんて…………なんて……」
アルフィン
「あらあら……」
エリゼ
「む……」