(完結)閃の軌跡Ⅰ ~鋼の意志 空の翼~ 作:アルカンシェル
6月19日。
四日に渡る中間テストが終わったその日、全校生徒は校庭に集められた。
テストが終わった解放感に浸りたかった生徒達は何事かとざわめくが、彼の登場にさらに動揺が走る。
「何であの人がここにいるんだよ!?」
「去年はこんなことなかったのに、いったいどうして?」
「やっぱりあいつのせいか?」
生徒達の視線は戸惑い、Ⅶ組の列に向けられる。
「ふむ……言われているがどうなんだリィン?」
「まあ俺のせいと言われればそうなんだけど、理由はすぐに分かるよ」
ラウラの問いにリィンが応えている間に、トールズ士官学院理事長にしてエレボニア帝国第一皇子であるオリヴァルトは設置された壇上に上がる。
「静粛にっ!」
ヴァンダイク学院長の一喝によってざわめく生徒達は口を噤み、オリヴァルトの言葉に身構える。
「やあ、諸君。まずは四日間に渡る試験、お疲れ様」
気さくな言葉でオリヴァルトは生徒達の労を労う。
「まだ結果発表があるのだが、それを今指摘するのは無粋だろうね」
オリヴァルトの指摘に反応は様々だった。
自信がある者、現実に目を背けて嫌な顔をする者。
様々な表情にオリヴァルトは懐かしみながら続ける。
「さて、折角テストが終わったというのに、僕の長話で水を差すのも悪いから早速本題に入らせてもらおう」
そう言って改めてオリヴァルトは演説を始める。
「皆は知っていると思うが、私は貴族派と革新派の融和政策を行っている……
今回はその政策の一つとしてここである催しを行わせてもらいたいと思う」
オリヴァルトが手を挙げると、それを合図に生徒達の背後の裏門が開き複数の導力トラックとそれに付き従う作業員が現れる。
導力車が停まると、彼らによって様々な荷物が荷台から降ろされる。。
緑色の制服を着た作業員たちに遊撃士の紋章をつけた二人、それに加えて学院の教官たちや第一学生寮に勤めるメイド達、それにラッセル一家も協力して瞬く間に準備が整えられていく。
「僕はこう思うのだよ」
背後の動きに目を奪われていた意識を引き戻すようにオリヴァルトが話を演説を続ける。
「貴族派と革新派、つまりは貴族と平民が分かり合えないのは互いに触れ合う機会がないからだと……
故にここに貴族と平民が接する機会を作らせてもらう」
貴族生徒はひたすらに困惑するが、平民生徒は導力トラックから降ろされる荷物を見てオリヴァルトの続く言葉に期待を膨らませる。
「ここに第一回トールズ士官学院交流バーベキュー大会の開催を宣言するっ!
そして今日は我が名、オリヴァルト・ライゼ・アルノールの名の下に無礼講とする。皆の者、存分に食べて飲んで、楽しむと良いっ!」
その宣言にテストを終えたばかりの生徒達は歓声を上げた。
*
何故オリヴァルトがこのような催しを開いたかと言えば、切っ掛けはやはりリィンだった。
一ヶ月前にクロスベルで起きた《D∴G教団事件》。
その解決に尽力して、後始末にも精力的に協力し、さらにはリィンが受け取るはずだった報奨金は全てクロスベル復興資金に寄付された。
復興作業も落ち着き、先日クロスベルではその事件に尽力した者たちの表彰式が行われた。
マグダエル市長はリィンを招待したかったのだが、事件当時に学院を長期で休ませてしまったこともあり、返礼品を送るだけに留めた。
リィン本人はもちろん、大切な生徒を借りたことでトールズ士官学院にも御礼の品が贈られた。
学院に贈られたのは市長と理事長が協議した結果、オリヴァルトはクロスベルの特産品や貿易で得られる食料品を返礼の品として願い、今回の催しを企画した。
「ほら、バイト。きりきり働けっ!」
「くっ……偉そうに……」
「ふふんっ……実際に今はボクの方が偉いんだから。トリスタを経由してリベールに帰る運賃分、存分にこき使ってやるから……
あ、ヨシュア。先にボク達は休憩しよ」
「ジョ、ジョゼット!?」
「ちょっと待ちなさいっ!」
オリヴァルトが雇ったのか、クロスベルの荷物を運んできた運送業者はそのままスタッフとして祭りに参加する。
生徒達と同年代のツインテールの髪の少女を働かせて、同じく同年代の黒髪の少年の腕に青い髪の少女が抱き着いたりしているが、それは余談である。
「おっしゃあ肉だっ!」
最初は突然の催しに戸惑い、準備が整っていく様子を呆然と眺めている生徒達だったが、バンダナを頭に巻いた銀髪の二年生が漂い始めた匂いに歓声を上げて突撃する。
それを皮切りに他の生徒達も動き出す。
串が刺された食材など、自分達で焼けと言わんばかりに配り、校庭の各地で作られた竃へと籤で散らばされる。
それはリィン達Ⅶ組も例外ではなかった。
「……俺はエリオットと一緒か」
「うん。そうみたいだね」
Ⅶ組と分かれてリィンとエリオットは割り振られた場所へと移動する。
「そういえばあれからお父さんとは話をしたのか?」
割り振られた班の場所に歩きながらリィンはこれまで静観していた彼の状況を尋ねる。
「あ……うん……実はまだなんだ……
何度か《ARCUS》の通信があったんだけど試験勉強の邪魔をしないでって、突っぱねちゃって……
その試験も終わったから今夜にでもまた掛かって来るかもしれないけど」
「家出をしたことがある俺が言うのもなんだけど、ちゃんと親御さんとは話をした方が良いぞ」
「…………良いよ。どうせあの人は僕の話なんて聞いてくれないんだから」
「エリオット」
「リィン……僕は……学院をやめようかと思っているんだ」
エリオットはそれまで煮詰めていた考えを吐露する。
「それはどうして?」
「リィンには言ったかな? 僕は本当は音楽院に進学したかったって」
「ああ、一応聞いているな」
「僕がトールズ士官学院に進学した理由は音楽院に入れなかった妥協案なんだ……
Ⅶ組のこともただ流されるだけで参加を決めただけだし、みんなみたいにちゃんと目標があるわけじゃない」
「だからって学院をやめるのは気が早いんじゃないか?」
「……特別実習をやって分かったよ。僕はつくづく争いごとに向いていないって……
このままじゃまたみんなの足を引っ張るだけだって、前の特別実習も僕の我儘が発端だったわけだし」
「でも列車を占拠していたテロリストとは戦えていたんだろ?」
「無我夢中だっただけだよ。剣鬼がいてくれなかったら僕達を含めて人質がどうなっていたか分からない……
結局僕達がしたことは人質を危険にさらして、鉄道憲兵隊の作戦を邪魔しただけだったんだから」
後から聞いた話ではリィンも列車に乗り込んでいたらしい。
鉄道憲兵隊がリィンに頼んだのは偵察と潜入のみ、人質の解放は任務の範囲外だった。
いくらリィンでも不特定多数の人間を無傷で助けるのは無理だと判断しての行動だったが、それを台無しにしたのは他でもないエリオット達の行動だった。
「確かに命が掛かった場面では失敗はまずい。だけど結果的にはみんな無事だったんだ……
ならその時の失敗を反省して次に繋げることを考えるべきじゃないのか?」
「そうなんだけど……」
リィンの指摘にエリオットは口ごもる。
彼の言う通り、あの失敗を糧にクリス達は前向きに論議を交わしている。
「学院に通うのだってタダじゃないんだ。軍人になる気がないのにこのまま学院に通わせてもらっているのは不誠実だと思うんだ」
「それはそうかもしれないけど……」
エリオットの答えにリィンは一定の理解を示す。
リィンも事情があるとはいえ学院に通わせてもらっている身だ。
ノイや《黄昏》のことを差し支えない範囲で説明し、シュバルツァー家を今の段階では継ぐことはできないとテオには話した。
学費は七耀石を売った料金で賄うつもりだったが、学費は自分が払うとテオは譲らなかった。
その推しにリィンは抗いきれずに学費は親に出してもらっている。
そのことに引け目を感じているのはリィンも同じだった。
「だけどそう決めるのはやっぱり早いんじゃないか? それに進学させてもらったお父さんと話をしないで勝手にやめるっていうのも誠実じゃないだろ?」
「それは……だけど……」
エリオットはリィンの言葉に唸る。
「良い機会だから、その辺りのことも教官たちや先輩に相談してみたらどうだ?」
リィンは自分達の班の場所にいる小さな先輩の姿を見て促す。
自分では無理でも生徒会長である彼女ならエリオットの相談に良いアドバイスをしてくれるだろうと考える。
「テストお疲れ様、リィン君達」
「よう、後輩。お前もこの組か」
リィンとエリオットを迎えたのはトワとクロウ。
他の生徒達もいるが、そちらには顔なじみはいない。
「お疲れ様です。トワ会長、それにクロウ先輩も」
「ありがとう。それより聞いたよ……
このイベントの食材とかリィン君が提供してくれたんだって、ありがとう」
「いえ、クロスベルから学院への謝礼なので俺自身はあまり関係ないですよ」
「いやいや、そもそもお前がクロスベルに寄付したからなんだろ?
いったいいくら寄付したらこんな豪勢なイベントができるくらいの返礼品が贈られてくるんだよ」
謙遜するリィンにクロウは呆れながら興味をミラに移す。
「細かい金額は聞いてませんけど、グ――じゃなくて一千万ミラくらいになったそうですよ」
「一千万ミラ……だと……」
気軽に聞いたクロウは返って来た金額に絶句する。
「これが格差か、一千万ミラを軽く寄付するなんてこれだから貴族は……」
「そう言われても……懸賞金の権利をクロスベルに譲渡しただけだから俺自身は一ミラも触ってさえいないんですけど……
それよりトワ会長。実は相談があるんですけど」
「え……何かな?」
「実は――」
リィンはエリオットが学院をやめるかどうかで悩んでいることを説明する。
「そんなやっと中間試験が終わったばかりなのに」
「ま、気持ちは分からんでもないな」
表情を曇らせるトワに対してクロウはエリオットの悩みに肯定的な態度を示す。
「クロウ君……」
「別に不思議なことじゃないだろ?
リィンは別としてもⅦ組の連中はどいつもこいつも普通じゃねえんだ。ついて行けないって思うのは当然だろ」
「それは……そうかもしれないけど」
Ⅶ組の顔ぶれを思い出してトワは口ごもる。
四大名門の次男、帝都知事の息子、光の剣匠の娘、元猟兵、ラインフォルト社の令嬢。
「本当に学院をやめたいのエリオット君?」
「やめたいって言うか、どうすれば良いのか分からなくて」
軍人になれと言う父の思惑と、音楽の道を進みたいと考えていても将来どんな音楽家になりたいのかも分からない。
「だけどこのまま卒業したら、父さんにまた無理矢理軍人にさせられるんじゃないかって思って」
「エリオットの親父ってクレイグ中将だよな? 確かにそれくらいできる権力はあるし、Ⅶ組の中でなら一番軍人の適正があるのは確かだな」
「え……?」
クロウの思わぬ言葉にエリオットは首を傾げる。
「僕に軍人の適正がある……でもリィン達の方がずっとすごい軍人になれると思うけど」
「逆だ逆、こいつがⅦ組の中で一番軍人らしくねえって」
クロウは後ろ指でリィンを差しながらエリオットの言葉を否定する。
「軍人に求められるのは突出した力じゃなくて規格化した兵士だ……
リィンじゃそこら辺の奴等と足並みを揃えることができねえし、四大名門とかの坊ちゃんも帝都知事の息子だって人の命令を大人しく聞くタマじゃない」
言われてみれば確かにユーシスやマキアスが協調性が必要な軍人には向かないだろう。
「だいたいお前の言い分だと、軍人はみんな争い事が大好きだってことだぞ。お前の親父は戦場が、血と硝煙が大好きな戦闘狂なのか?」
「っ――違うっ!」
咄嗟に怒鳴るようにエリオットは叫んでクロウの言葉を否定する。
「だろ? お前に少しでも親父さんを誇る気持ちがあるなら、軍人になる理由はそれで十分じゃねえのか?
それとも全く尊敬できない親父さんなのか? とりあえず音楽に進みたいっていう固定概念を取っ払って、本当に軍人になることが絶対に嫌なのか一度よく考えてみたらどうだ?」
「…………」
クロウの言葉に唖然とエリオットは呆ける。
「クロウ君、あのクロウ君がこんなことを言えるなんて」
「ちゃらんぽらんな先輩かと思っていましたが、ちゃんと考えていたんですね」
そしてそんなクロウにトワは涙ぐみ、リィンは感心する。
「おいテメエら……」
せっかく良いことを言ったのに水を差しやがってとクロウは毒づく。
「いえ……クロウ先輩の言う通りです」
そんな二人の反応を他所にエリオットはクロウの言葉を認める。
エリオットの悩みは第一に音楽への進路があることを前提にしていた。
それが一番エリオットの好きなことなのだから当然だが、だからといって軍人である父を尊敬していないわけではない。
「ありがとうございます。クロウ先輩、今ならちゃんと父さんと話せると思います」
音楽の将来のこと、軍人への誤解。
蟠りが全て解けたわけではないが、それでも以前よりもちゃんと自分の意見を父に言えると感じたエリオットは――
「エーリオットォオオオッ!!」
「へ…………?」
校庭に響くその怒声にエリオットは固まった。
お祭り騒ぎの喧騒がその声でぴたりと納まり、校舎へと続く階段の上に仁王立ちしているオーラフ・クレイグ中将に注目が集まる。
「と、父さん……?」
どうしてここに彼がいるのか分からず、エリオットが言葉を漏らすとそれを聞き留めたのかオーラフは睥睨していた校庭からエリオットを見つけ出しぎろりと睨み付ける。
「っ――」
遠くから交わった視線にエリオットは身を竦ませる。
今まで見たことのないオーラフの形相はまさしく猛将と呼ばれるに相応しい覇気に満ちており、エリオットが初めて見る父の姿だった。
「あれは……」
愕然とするエリオットの横でリィンはオーラフが漂わせる黒い澱みに目を細める。
教官生徒たちの視線を意に介さず、オーラフは躊躇することなく校庭に踏み入って来る。
一直線にエリオットを目指す彼の前には自然と生徒達が道を開け、その道を真っ直ぐと突き進みオーラフはエリオットの前に立つ。
「と……父さん……」
威圧するように自分を見下ろす父にエリオットは体を震わせる。
「テストは終わったようだな」
静かな、怒りを抑え込んでいるようにも聞こえる言葉にエリオットは首を竦ませながら頷く。
「そうか……」
エリオットの答えにオーラフは頷くと、その周囲を威圧する態度のまま言った。
「ならばすぐに荷物をまとめて来なさい」
「え……?」
「お前を帝都の士官学院への転校させることにした」
「そんなどうして!?」
一方的な言葉に気圧されていたエリオットは声を上げて抗議する。
「私が甘かった。せめてもの慰みと思ってトールズ士官学院を勧めておいたが、お前にとって未練を増やすだけのようだった……
今はただ勉学に集中し、音楽は将来が決まってから存分に趣味としてやるが良い」
「なっ……」
オーラフの言葉にエリオットは絶句する。
「とにかく今は心身ともに強くなることだけを考えろ」
「待って、待って父さん! 話を聞いてっ!」
「もう私はお前に一生恨まれる覚悟はできた。これがお前のためなんだ」
オーラフはエリオットの訴えに耳を貸さず、彼の手を――
「待ってください。クレイグ中将」
エリオットの腕を掴もうとしていたオーラフの手をリィンが横から掴んで止めた。
「邪魔をするな。リィン・シュバルツァー」
「リィン……」
オーラフの視線の圧力がリィンに移り、エリオットは息を吐きながら弱々しく彼の名を呼ぶ。
「今の中将は正気ではありません。一旦日を改めてから話し合いをするべきです」
「話し合いなど必要ない。これからの時代に必要なのは力だ……
私の息子でありながら世界の情勢に目を向けようとしない馬鹿者にはもうこうするしかないのだ」
「父さん……」
自分を罵るオーラフにエリオットは愕然とする。
「ですが中将、エリオットは軍人になることを望んでいません。なのにそれを強制するのはいかがなものかと思いますが」
「それをよりにもよって君が言うか?」
「え……?」
オーラフの意外な言葉にリィンは虚を突かれる。
「母君を殺されたからこそ、君はそれ程までに強くなろうと決意して、至ったのではないのか?」
「…………………………え?」
思わずオーラフの腕を掴んでいた手から力が抜ける。
言われた言葉が理解できなかった。
リィンにとって母と呼べるのはルシアただ一人。
しかし、彼女が育ての親であり、産みの親が別にいることはリィンも知っているが、リィンにはシュバルツァー家に引き取られる前の記憶はない。
「っ――」
不意に胸の痣が疼き、紅蓮の焔とリンに似た女性の顔が脳裏に浮かぶ。
「オーラフ中将…………貴方は……」
それを聞くことにリィンは思わず尋ねそうになるが、同時に《あの子》の最後の瞬間を思い出し、動悸が激しくなり呼吸がうまくできなくなる。
「リ、リィン君っ!?」
突然胸を抑えて膝を着いたリィンをトワが慌てて支える。
が、そんなリィンを無視してオーラフは今度こそエリオットの手を掴んで踵を返す。
「行くぞエリオット。お前も自分の身はもちろん、フィオナを護れるほどに強くなって――ゴフッ!」
「ちょ、父さんっ!」
リィンが意識を失う直前に見たのはスミレ色の髪の女の子に一瞬で意識を刈り取られるオーラフの姿と巨漢の父をぶっ飛ばされて狼狽えるエリオットの姿だった。
*
それは焔の記憶だった。
威嚇するように外で響き渡る銃声。
自分たちを探す怒号。
怖くて恐ろしくて、リィンにできたことは母に言われた通り泣き叫ぶのを我慢することだけだった。
彼らは笑っていた。
リィン達が息を潜めて隠れていることを良いことに、金目のものを物色して略奪し、踏みにじり楽しんでいた。
リィン達を見つけられなかった彼らは業を煮やして家に火を放つ。
そして家を取り囲み、狙いも付けずに銃を乱射する。
火に焼かれて死ぬか、出て来て撃ち殺されるか選ばせてやると彼らは笑っていた。
焔から逃げて外に出れば、それを待ち構えている彼らに撃ち殺される。
だから母は必死に焔の中で耐えた。
あの人がきっと来てくれるはずだと、何度も何度もリィンに微笑みかけ焔から護るように抱き締め続けていた。
そして、焼け落ちてきた建材にリィンと母は共に刺し貫かれたのだった。
*
「はっ――」
飛び起きたリィンは建材に貫かれたはずの胸を確かめる。
が、そこには鼓動が早まった心臓が脈を打っているだけだった。
「あ、目が覚めた?」
「…………エステルさん……?」
保健室のベッドの脇の椅子に座っていた彼女にリィンは一瞬何故ここにと疑問が浮かぶが、気を失う直前の催しを思い出す。
交流会のスタッフの一人として駆け回っていた姿は見ていたが、声を掛ける機会がなく頃合いを見計らってリィンの方から声を掛けるつもりだった。
「急に倒れたってレンから聞いてびっくりしたわよ。大丈夫? 気分が悪いなら先生を呼んでくるけど」
「……大丈夫です」
深呼吸をして呼吸を整えながら、リィンは起こした上体をベッドに投げ出す。
「リィン君?」
乱暴なリィンらしくない振る舞いにエステルは首を傾げる。
「何があったの?」
「………………俺を庇って死んだ母さんのことを思い出したんです」
リィンは左腕で目元を覆い隠し吐き出した。
「俺は…………心のどこかで父さんや母さんは何処かで生きているんじゃないかって思っていたんです」
「うん……」
「俺を捨てたのには事情があって、それでも何処かで生きてくれていると思っていた。だけど……」
燃えた建材に共に貫かれたはずなのに自分が生きていることを考えれば、彼女も生きている一縷の希望を抱いても良いのかもしれない。
だが、思い出した記憶を反芻すればするほどに、《識》と《観》の目がそれはないと現実を突きつけてくる。
「忘れちゃいけなかったのに……他の何をおいてもあの人のことを忘れちゃいけなかったのに俺は……俺は……」
よりにもよって《鬼の力》を疎んで捨てたのだと思った時期もあった。
だが、真実はただリィンが想像していたよりも優しく、そして残酷だった。
「リィン君……」
エステルは何も言わずにただ空いているリィンの右手を握る。
リィンの痛みはエステルも良く分かる。
だからこそ、掛ける言葉は一つだけにする。
「リィン君、良かったね」
「…………はい」
………………
…………
……
「みっともない所を見せてしまってすみません。エステルさん」
ようやく心を落ち着かせることができたリィンは改めてベッドから起き上がる。
「気にしなくて良いわよ。リィン君の気持ちは良く分かるから」
屈託なく笑いかけてくるエステルにリィンは複雑なものを感じながら改めて挨拶をする。
「お久しぶりです。エステルさん、でもどうしてトリスタに?」
「うん……クロスベルの復興が一段落したからリベールに帰るつもりだったんだけどね……
それなら帰るついでにトリスタに寄ってラッセル博士たちの定期連絡を受け取って来て欲しい頼まれたのよ……
それでトリスタに行くならついでに、リィン君へ寄付の御礼の品を渡して来て欲しいって依頼があったの」
「御礼の品って……それなら今日の交流会の食材がそれですよね?」
「あれはトールズ士官学院への御礼の品で、リィン君への御礼は別にあるわよ」
そういうとエステルは足元に置いていた旅行鞄を開ける。
その瞬間、リィンは嫌な予感に体を震わせた。
「実は――」
「それよりもクレイグ中将はどうしたんですか!?」
エステルの行動を遮るようにリィンは声を大にしてオーラフの安否を尋ねる。
「ああ、レンが後ろから殴り倒したあのオジサンなら安心して良いわよ。今はルフィナさんの法術でとりあえず《呪い》の暴走は抑えられてるみたいだから……
今頃はちゃんと息子さんと冷静に話をできてるんじゃないかな? ヨシュアが立ち会ってるから安心して」
「そうですか……」
エステルの言葉にリィンは胸を撫で下ろす。
何故、オーラフ中将がリィンの母のことを知っていたかは分からないが、《呪い》を除去する理由もあるので改めて問い質そうとリィンは決意する。
「それでクロスベル市からリィン君への御礼の品だけど――」
「うっ……」
「《黒の競売会》に出展物が偽物とすり替えられて《教団》のアジトに横領されていたのは知っているよね?」
「え……ええ。隠し扉とかを開けたのは俺ですから」
目を泳がせながらリィンは頷く。
「本当ならそこで見つかった本物は《競売会》で落札した人か、盗品だったら元の持ち主に届けて上げるのが普通なんだけど……
競売に参加した人の大半は《黒の競売会》に参加していた醜聞をさらしたくないとかで所有者の権利を放棄されちゃったのよ」
「へ、へー……そうなんですか」
「それで帝国と共和国の文化的な財産は両国に交渉の上で返還されたんだけど、どちらでもないものはクロスベル市の物とすることが決まったの……
で、リィン君の御礼の品はそこから《聖獣の涙》って言われる琥耀石がこれ」
「あ……あはは……」
差し出して箱を開けて中身を見せてくるエステルにリィンは乾いた笑いをもらす。
琥珀のような色合いの拳大の七耀石から感じる凄みは例のあれである。
「…………《黒の競売会》の出展物なら蒼耀石だったと思うんですけど?」
「ああ、それはすり替える手頃なものがそれしかなかったんじゃないかってレクターさんが言ってたわよ」
「そ、そうですか……」
がっくりとリィンは肩を落として項垂れる。
リィンにとってはいらないと突き返したい物なのだが、それをしてしまえばクロスベルの感謝の気持ちを蔑ろにしてしまう。
「あまり気にしなくて良いんじゃないかな?
クロスベルもなんか曰くがありそうな宝石だから扱いに困っていたみたいだし、リィン君の所ならうまく処理してくれるって思惑もあるみたい」
「ああ、そういうことですか」
エステルの説明にリィンはため息を吐いて納得する。
《教団》が持っていた曰くありげな宝石を持っていたくないという忌避感があったのだろう。
「どうする? やっぱりそれが嫌なら、別の物にして欲しいって掛け合うこともできるけど?」
「いえ、そういうことなら受け取らせていただきます」
観念してリィンは琥耀石を受け取った。
「これで後一つか……」
ローゼリアから始まった聖獣の石がわずか半年で集まるとは思ってもみなかった。
喜べば良いのか、嘆けば良いのか複雑な気持ちで琥耀石が宿す淡い光に見入っていると、リィンの肩にエステルが手を置いた。
「ところでリィン君……」
「え……エステルさん……何ですか?」
凄みを利かせた顔を寄せてくるエステルにリィンは息を呑み込みながら、先程以上の悪寒に見舞われる。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、良いかな? 良いよね?」
「は……はい……」
有無を言わせない口調でプレッシャーを掛けてくるエステルにリィンは冷や汗をかきながら頷く。
「うん。実はレンのことなんだけど……リィン君はレンのことをどう思っているのかな?」
「どうって……」
詰問されてリィンはこれまで努めて目を逸らしてきたあの瞬間を思い出す。
「ようやくレンと家族になれたし、レンがどんな形でも前に進めたことは良いことだと思うしあたしだって祝福して上げたいと思ってるわよ……
でも、まだレンにそういうお付き合いをするのはまだ早いんじゃないかって思うし、でもリィン君ならレンを任せても安心だって思っているわけで――」
「お、落ち着いてくださいエステルさん」
まだ整理し切れてない気持ちを何とか言葉にしようとするエステルだが、言わんとしようとすることを察してリィンは止める。
これは何といういじめなのだろうか。
初恋の相手に自分の恋愛事情を心配されるという状況は《聖獣の結晶石》に関することよりダメージが大きかった。
イースⅨで思ったことがありますので活動報告にて書かせていただきます。
ただイースとこの作品のネタバレに触れる事なのでご注意ください。
チケットの行方
リィン
「そうだエリオット、今度の自由行動日は暇か? 実はオペラのチケットが手に入ったんだけど」
エリオット
「ごめん。リィンその日は父さんと話をすることにしてるから」
リィン
「マキアス、今度の自由行動日なんだけど開いていないか?」
マキアス
「その日は部活とテストの見直しをする予定なんだ」
リィン
「ラウラ、今度の自由行動日なんだけど一緒にオペラを見に行かないか?」
ラウラ
「すまないがリィン。そんな高価なチケットを譲ってもらうわけにはいかない。他の者を当たってくれ」
リィン
「うーん……みんな空振りか……
エマは除外するとして、フィーは興味なさそうだし、アリサはシャロンさんと何か計画しているみたいだし、トワ会長は生徒会で忙しい。ティータはゼムリアストーンの加工実験があるから無理だろうな……
他にはガイウスか、ユーシスか、クリスの三人だけど……あ、そうだ!」
………………
…………
……
ヴィータ
「さあって、リィン君がデートに誘ったのは誰かしら」
ローゼリア
「おお! ヴィータの奴め、こんな大舞台で立派になって……ぐすん」
ヴィータ
「……………………やってくれたわねリィン・シュバルツァー」
………………
…………
……
エリオット
「え……誘ってくれたオペラってヴィータ・クロチルダのだったの!?」
マキアス
「ちくしょーーっ!」