(完結)閃の軌跡Ⅰ ~鋼の意志 空の翼~ 作:アルカンシェル
9月15日水曜日。
「すいません、クレアさん。わざわざ送ってもらって」
その日の診察を終えてようやく退院の許可を得たリィンは憲兵隊の導力車で帝都からトリスタへ送迎されていた。
「いえ、リィン君は帝都での一件に引き続き通商会議でも“帝国解放戦線”の暴挙を阻止したんですからこれくらいは当然です」
「そう言われても」
居心地悪そうにリィンは前を走るもう一台の導力車を一瞥してため息を吐く。
二台の仰々しいとも言える扱いに居心地の悪さを感じずにはいられない。
「俺なんかより父さんたちの安全の方を重視して欲しいんですけど」
「それは抜かりなく手配しています」
リィンの進言にクレアは淀みなく答える。
「フフ……今のリィン君は現在の帝国で唯一の“騎神”に対抗できる重要人物なんですから有名税と思って我慢することね」
「ルフィナさん……」
後部席にナユタを抱いて座っているルフィナにリィンは困ったと言わんばかりに肩を竦める。
「そういうことです……
今後はリィン君達の邪魔にならないようにしますが、トリスタに憲兵隊を常駐させるか検討しているのでそのつもりでいてください」
「…………あの……クレアさん……怒っていますか?」
淡々とした凍てついた言葉にリィンは恐る恐る聞き返す。
「…………気のせいです……いえ、確かに怒っていますが今回の件について私はリィン君と共犯ですから……
むしろそこまでやるはずがないと、心の何処かで“解放戦線”を侮っていた自分に憤りを感じています」
クレアは言い直してリィンの指摘を肯定する。
あの日、リィンからもたらされた情報をクレアは半信半疑のまま彼の行動を手伝った。
しかし本来ならその情報も通商会議の前に掴んでいなければならなかったと思うと、ヴァリマールで爆弾を処理するという最終手段を認めるしかできなかった自分の不甲斐なさに今でも怒りを感じてしまう。
「今回は運が良かっただけです」
「ええ、それは判っています」
リィンは左目を押さえてクレアの言葉に頷き、クレアは逡巡して尋ねる。
「…………いつから気付いていたんですか?」
「それはどのことを言っているんですか?」
返って来た即応の言葉にクレアは緊張する。
口調こそ以前のリィンと変わらないはずなのに、どこか“あの方”を思わせるようになった言葉にクレアはクロスベルで知ることとなった彼の実父とその姿を重ねて納得する。
「閣下が……オズボーン宰相が実の父親だとリィン君は気付いていたんですよね?」
「……はい」
数日前、らしくもない神妙な顔をしてその事実を明かしにきたオリヴァルトのことを思い出しながらリィンは首肯する。
「意外ですね。クレアさんの能力ならとっくに気付いていると思ったんですけど」
「それは……」
返って来たリィンの言葉にクレアは言葉を詰まらせる。
“統合的共感覚”。
少ない情報を感覚的に結び付けて答えを導き出す異能ならば、確かにリィンの指摘通り気付いていてもおかしくはなかった。
何故と言う疑問が頭に浮かぶが、そこから答えが出て来ないことにクレアは自分のことながら戸惑う。
「……俺が気付いたのはクレアさんに貰ったオズボーン宰相の資料を読んだ時です……
確信――と言うよりも確証を得たのは直後のオズボーン閣下と手合わせをした時ですね」
そんなクレアの戸惑いに気付かない振りをしてリィンは彼女の疑問に答える。
「そんな前から……」
「オリヴァルト皇子から聞かされましたが、別にクロスベルであの人が言っていたことが事情の全てだとは思っていません……
俺を捨てた事情やそう振る舞わなければいけない事情もおおよそ見通せています。だから大丈夫です」
「リィン君…………」
自分の頭脳を持ってしても読み解けないオズボーンの考えをリィンは察していると言われクレアは言いようのないモヤっとした気持ちを抱く。
果たしてそれがどちらに対しての気持ちなのかクレアはやはり分からなかった。
「もしも何かあったら相談してください。できる限り便宜を図る様に閣下に言われていますから」
「必要ないと言っておいてください……
クレアさんもこれを機に俺とは距離を取った方が良いと思います」
「リィン君?」
突然の言葉にクレアは首を傾げる。
「今更あの人を“父親”として敬うつもりはありません。何より二年後には敵対することになるだろう相手ですから」
「え……あ、あのリィン君? それは」
「失言でした。忘れてください」
口から漏れた言葉にリィンは顔をしかめて取り繕う。
これまで特別実習と通商会議の準備で考えている余裕がなかったが、改めて鉄血宰相が《黒》の起動者、もしくは傀儡だったとした場合の事を考えると今から頭が痛くなる。
「忘れるには少々不穏な言葉でしたね。ちゃんと説明してください」
敬愛するオズボーンを害する言葉を流石に聞き流すことはできず厳しい言葉でクレアは問い質す。
頑として退かない気配にリィンは肩を竦める。
「詳しいことは閣下に聞いてください」
そう言って説明を彼に丸投げすると同時にクレアのスタンスに線引きをする。
「…………リィン君。いくら貴方でも閣下を害すると言うのなら――」
「ええ、分かっています」
そう分かっていたことだとリィンは自分に言い聞かせる。
クレアにとってギリアス・オズボーンは恩人であり、自分は亡き弟の代替でしかない。
彼と対立する場合、彼女がどちらに着くのかは今のやり取りでも明白だった。
対するクレアもリィンの言動に警戒を募らせる。
先日の、帝国解放戦線の暴挙に対して神経を尖らせているのも理由だが、例え親しい少年であっても優先順位を間違えることは“氷の乙女”にはあり得ない。
それこそ彼にとって捨てた父親への復讐であってもそれを見逃すことはない。
――そう例えリィン君に恨まれることになっても……
リィンが将来オズボーンに敵対すると言うのなら憎まれ役になっても構わないと、クレアは心を凍てつかせて――
「そう言えば……」
「まだ何かあるんですかリィン君?」
「大したことじゃないんですけど……互いに認知しているわけじゃないから違うんでしょうけど。クレアさんと俺は義理の“姉弟”ということになるんですかね?」
次の瞬間、クレアが運転する導力車は暴走した。
*
「失礼しました」
学院長室から退出したリィンは息を吐いて強張っていた肩から力を抜いた。
「あう~?」
「大丈夫だよ」
こちらを気遣う様に手を伸ばして来るナユタにリィンは苦笑する。
「オリヴァルト殿下から聞いていたけど、ここまであっさり話が通るなんてな」
ノーザンブリアの特別実習から学院に帰らず、それまで人伝にしか報告できなかったナユタの事、白く変色した髪の事などまとめてヴァンダイクに報告したのだが特にお咎めはなかった。
むしろノーザンブリアの内情把握を怠って、生徒を危険にさらしてしまったことを謝られてしまった。
ナユタのことも最大限の便宜を図ってくれると約束してくれた。
至れり尽くせりの待遇。
代わりに要求されたことと言えば来月の学院祭でヴァリマールを展示させて欲しいというだけだった。
とりあえず本人の意思次第と言う事でその場での回答は避けたが、結局最後まで咎められることなく学院長への報告は終わった。
「はぁい! お勤めご苦労様」
「サラ教官……」
学院長室の前で待っていたサラに――その背後に控えている見覚えのある少女にリィンは首を傾げた。
「シャーリィ・オルランド。どうしてここに? いや、その格好は……」
「やっほーリィン。今日からよろしくね」
深紅の制服を着崩したシャーリィは気楽な挨拶をする。
「……サラ教官」
「テロ対策の一環でね……
貴方とクリスの二人の護衛が半分、帝国解放戦線に対してのヘイトコントロールが半分って感じでⅦ組に在籍させてみようってオズボーン宰相に捻じ込まれたのよ」
「ヘイトコントロールって……たしかジオフロントに逃げたテロリスト達を一人残らず虐殺したらしいな」
「まあね。リィンの読み通りみんな戦術オーブメントに自爆術式を仕込んでいたから不意打ちで一気にやっちゃった」
「自爆術式……」
その言葉にかつてリベールで“あの子”の戦術オーブメントを調べた時のことが脳裏に過る。
「リィン。あんた……いや、何でもないわ」
《赤い星座》の虐殺を容認していた事実にサラは顔をしかめたが、言おうとした言葉を呑み込む。
危険なテロリストのことを考えれば、何もさせずに制圧するにはそれが一番効率が良いというのはサラも理解できる。
「まあ、そういうことで明日からこの子も貴方達Ⅶ組の一員よ。というわけでこの虎の世話は任せた」
「サラ教官……一生徒に押し付けるのはどうかと思うんですけど」
責任を丸投げするサラにリィンはジト目を返す。
「と言うか、シャーリィ。君もそんな風に制服を着崩してないでちゃんと着なさい」
「ええ、良いじゃん別に」
リィンの指摘にシャーリィは自分を見下ろして首を傾げる。
そんな彼女の様子にリィンはため息を吐く。
九月に入り、夏服から冬服へと学院全体が変わった時期のため、シャーリィの服装も深紅の女子制服を纏っている。
しかしブレザーの前を止めず、タイを外しシャツは第二ボタンまで外している。
「結構服装は自由にして良いって聞いてたんだけど?」
「限度があるからな」
Ⅶ組のそれぞれの着こなしや一部先輩達の滅多に見ることのない制服姿のことを思い出すが、それを棚上げして言い切る。
「ま、そこら辺の教育はおいおいしていくとしてとりあえずⅦ組の教室に案内するわ……
リィンも今日の授業はもう終わってるけど、来月の学院祭の出し物の話をしているから顔だけでも出しておきなさい」
「それは良いですけど、ナユタはどうしますか?」
「そうね……今日だけは特別よ」
Ⅶ組の教室では10月に行われる学院祭の出し物を何にするのかという議題の話し合いが行われていた。
しかし、そこにいる誰もが会議の体を作りながらも何処か余所余所しく集中し切れていなかった。
九月の《特別実習》が行われるのかどうか、それによってできることが変わるからというのも理由だが会議が進まない理由は一人の少年が作る空気だと一同は気付いているがそれを指摘することは憚られた。
そんな陰鬱としたⅦ組の教室にサラは扉を躊躇わず開けて入った。
「ほらほら、しゃきっとしなさい」
「サラ教官……」
「えっと……自習だったんじゃないんですか?」
サラの登場にあからさまに黒板の前に立っていたエマとマキアスは安堵の息を吐く。
「あ……リィンさん!」
そして続いて入ってきたリィンの姿にクリスが嬉しそうな声を上げ――固まった。
「やっほー皇子様って……たしか学院では言っちゃダメなんだっけ?」
「シャーリィさん!? どうしてここに!? それにその格好は!?」
Ⅶ組の紅い制服を着ているシャーリィにクリスは驚く。
「確か以前実技テストの時に乱入して来た娘か……」
「サラ教官。これはいったいどういうことなのでしょうか?」
ユーシスとガイウスは訝しむようにサラに説明を求める。
「ちょっと事情があってね。ミリアムに続いて明日からこの子もⅦ組の一員になるからよろしくね。ちょっと特殊な出身だけどいじめちゃダメだからね」
「いじめって……」
茶化すようなサラの言葉にアリサはシャーリィの凶悪な武器を思い出して顔を引きつらせる。
「ねえねえ、これってつまりボクの後輩ってことだよね!?」
「ああ、確かに先月転入してきたミリアムの方が一ヶ月とは言え先輩だが……」
はしゃぐミリアムを宥めつつラウラはシャーリィから視線をこれまでずっと黙り込んでいるフィーとエリオットの二人に移す。
「……………シャーリィ・オルランド……どうしてここに?」
時間を掛けて彼女の転入を呑み込んだフィーは敵愾心を多分に含めた目でシャーリィを睨むようにして問い質す。
「う~ん……本当はクロスベルに残るつもりだったんだけど、鉄血のオジサンにスカウトされたのも理由の一つだけど……やっぱり一番は――
シャーリィはおもむろに目を閉じ、タメを作って――
「――揉みに来ました」
カッと目を開き、両手を前に突き出してシャーリィはそんなことを宣った。
次の瞬間、リィンがシャーリィの頭を叩いた。
一連のやり取りで、澱んでいた教室の空気は弛緩する。
しかしそんな空気を読まずに、エリオットが立ち上がると一同は息を呑む。
「…………リィン」
「エリオット……大変だったみたいだな」
幽鬼のような足取りで前に進み出て来たエリオットにリィンは何と言葉を掛けるべきなのか迷う。
「中将のことはオリヴァルト殿下から聞いている。その――」
「リィンッ! 一生のお願いだ! 僕にヴァリマールを使わせてっ!」
その場に土下座してエリオットは懇願する。 彼の言葉はある意味予想通りのものだった。
鉄血一家
リィン
「《鉄血の子供》たちは今のところ三人でしたよね?」
クレア
「ええ、そうですね。それが何か?」
リィン
「クレアさんが長女で、ミリアムが次女……弟枠なら俺じゃなくてレクターさんがいたんじゃないですか?」
クレア
「…………は?」
リィン
「えっと……ほらレクターさんはクレアさんの二つ年下で……その……」
クレア
「…………は?」
リィン
「……………………すみません」
クレア
「リィン君。レクターさんが弟枠だなんておぞましいことは口にしないでください。良いですか弟というのはですね――」
ルフィナ
「あらあら、これは長くなりそうね」
………………
…………
……
レクター
「クレアおねーちゃん♪」
その日、《かかし男》と《氷の乙女》の壮絶な鬼ごっこが繰り広げられた。