翌朝、レッスンルームでは千夜と琴歌がトレーナーの指示を受けダンスレッスンを行っていた。
琴歌は息が上がっているものの、どこか楽しそうな表情で真剣に取り組んでいる。
千夜は呼吸は少し乱れているが涼しそうな顔をしてレッスンをこなしている。
鍛えていない人であれば琴歌と同じくらいになるのだろうが、千夜はちとせに仕える身であるからか体力や運動神経に優れているようだ。
「よし、一旦休憩だ。呼吸を整えておけ」
「「はい」」
休憩に入ると、琴歌は水分を補給し深く呼吸をしながら息を整えようとする。
西園寺というかなり大きな家の令嬢である琴歌は、さすがに体力自慢とはいかないようだ。
といってもプロのダンスレッスンなのだから、運動部に所属し活躍していたという人でもなければこうなってしまうのは必然。
あまり苦しそうではなかった千夜も、しっかり水分補給を行い呼吸を整えている。
「…………」
琴歌のことが気になるのか、千夜は彼女のことを少し観察している。
どこか明確にちとせと違う部分でもあるのだろうか。
「千夜さん、どうかしましたか?」
「あの……琴歌さんは体力がある方ですか?」
「いえ、お恥ずかしながら……プロダクションの中ではない方だと思います」
千夜の質問に対して、琴歌は少し頬を赤くして答えた。
多数のアイドルを抱える事務所なのだから、体力自慢のアイドルも多く所属しているのは当然。
スポーツ特待生というわけでもないのだから別に恥ずべきことではないのだが、上の方は体力お化けのレベルでつい自分と比較してしまったりするのかもしれない。
「……そうですか……」
琴歌の返答を聞くと、千夜はなぜか真剣に考え込んでしまった。
「ちとせさんのことが気になるのですね?」
なにを考えているのか思い当たることがあったのか、琴歌は聞いてみることにしたようだ。
そして、それは正解だったらしく千夜は驚いた表情に分かりやすく変わった。
「はい、よく分かりましたね」
「最初のレッスンのときに貧血で倒れてしまったと耳にしていましたので」
「そうでしたか……」
千夜の表情に影が差し始める、どうにも不安があるのだろうか。
そんな彼女を見て、琴歌は少し焦りつつ付け加えた。
「お気になさらないでください、朝食を抜いたりすればそういうこともあります。そういった事例を私もいくつか聞いていますから」
「お嬢さまはその日、軽食ではありますがしっかりと摂っていました」
「ということは、睡眠不足や体調不良かもしれませんね」
「……たしかに、お嬢さまは夜更かしすることを好みます」
千夜の言うとおり、二人が呼び出された日の朝もちとせは夜更かしをしていたらしく寝不足の様子だった。
それに加えて朝食は軽めで済ませたのなら、体調次第で貧血の症状が現れるのも不思議ではない。
「そうなんですね、夜がお好きなんでしょうか?」
「好き……なのかは分かりませんが、寝付けないとおっしゃって庭を散歩して朝寝坊ということがよくあります」
「なるほど、つまりちとせさんは夜型というやつなのですね!」
両手を軽く叩き、ずばり閃いたと言うかのように嬉しそうな顔をして琴歌は結論へと達した。
なぜ寝付けないのかはともかく、深夜に行動をしたがるのは確かに夜型と言えるだろうか。
「夜に作業した方が捗るというアレですか、たしかにそうかもしれません」
「羨ましいですわ、私は夜更かしをしようとしても眠くなってしまいますもの」
「それは正しい生活リズムをという方針のおかげでしょう、良いことだと思います。少なくとも、寝坊をするよりは」
困った表情でため息をつく千夜、しかし怒っていたり呆れていたりするようには不思議と見えない。
むしろ、ちとせに振り回されることを楽しんでいるようにも感じられる。
「ふふっ、仲がよろしいんですね」
そんな千夜を見て、琴歌は柔らかい笑顔を見せた。
少し変わった主従の関係だからだろうか。
「仲が良い……のでしょうか」
「ただ雇われているというだけではない、特別な関係に見えますわ」
「それは当然です、私はお嬢さまの僕。雇われているのではなく仕えているのですから」
それが自然な形なのだと言うかのように淡々と千夜は語る。
琴歌は彼女の話を聞くと少し考えるような仕草を見せた。
「琴歌さん、どうかしましたか?」
「いえ、私にはメイドに同じ歳の親友がいるのですけど、私とその子の関係とも少し違うようですので」
「そう……なんですね。しかし、それも当然です。私とお嬢さまは友人という対等な関係ではありませんから」
西園寺家の令嬢に、雇っているメイドの友人がいるということに千夜は驚いたようだ。
ただ、自分たちと近い関係なのかと感じていた琴歌に対して明確に否定をした。
「ですが、お嬢さまが特別な人であるということは間違いありません」
「理由を聞いても?」
「ええ、簡単な話ですから。お嬢さまは全てを失った私に居場所と目的を与えてくれた方、それだけです」
「なるほど、ちとせさんは千夜さんの恩人なのですね」
合点がいったという様子の琴歌。
たしかに、千夜の話を聞く限りでは間違いなく恩人である。
そして、全てを失ったに言及しないのは辛い話を彼女自身からというのを避けるためだろうか。
「恩人……そうですね、主であり恩人である、というのが近い表現かもしれません」
「ふふっ、これで千夜さんやちとせさんのことを少しは知ることができたでしょうか」
「お嬢さまはともかく、私のことなど知って嬉しいのですか?」
「もちろんですわ、同じステージに立つ方ということもありますが……実は、メイドの親友の子にお二人のことを話したら興味を持ったようで」
「まあ、立場だけで言うなら同じではありますね。そういうことならば興味を持つのも分かる気がします」
千夜は理由を聞くと少し納得できたようだ。
自分が琴歌のメイドの側だったとしても不思議に思うだろうという自覚があるらしい。
「もし私が誘ったらアイドルになるのか尋ねてみたら、自分には無理だと言っていました。だからこそ、千夜さんがちとせさんと同じステージに立っているということがとてもすごいと思っているとも言っていましたよ」
「私はあくまでお嬢さまの戯れに従っているだけです。それに、お嬢さまを輝かせるという役割、私がもっとも上手くできるという自負もありました。まさかユニットとして隣に並び立つことになるとは思っていませんでしたが」
淡々と語ってはいるが、千夜の表情や言葉に乗る感情から自信と誇りが伝わってくる。
ちとせのために、やはり彼女にとって行動する一番の理由はそれなのだろう。
そんな言葉を聞き、琴歌は笑った。
今までのような優しいものではなく、どこか力強さを感じる笑顔だ。
「千夜さんのその自負、たしかなものだったと思いますわ。私、お二人の作り上げた世界に心を動かされましたもの」
「ありがとうございます、そう言っていただけるのは素直に嬉しいですね」
「ですが、私が千夜さんと作り上げるステージもきっと素晴らしいものにできると思っていますわ。千夜さんはどう思いますか?」
「もちろんです、やるからには最高の……」
言葉を途中で切り、千夜は少し驚いた表情で上胸部に触れている。
あまり自分らしくない言葉であると感じ、自分の心に触れようとしているのだろうか。
「千夜さん、大丈夫ですか?」
突然のことだったので、琴歌はやや心配そうな顔をしている。
それを見たからか、千夜は一度深呼吸をしてからもう一度琴歌に向き合った。
「問題ありません。お嬢さまに見せても恥ずかしくない素晴らしいステージを、そう考えていたことに驚いただけです」
「そうでしたか、千夜さんもそう考えていてくださったのはとても嬉しいですわ」
安心したのか、琴歌にも笑顔が戻る。
千夜もその反応のおかげか表情が穏やかだ。
「まさか、私の中にこれほどの火が灯っているとは思いませんでした」
「きっと、お二人のステージに千夜さん自身も心動かされたのでしょうね」
「たしかにあの場所から見えた景色には言葉を失いましたが……。そうですね……今、私は新しい景色を見たいという高揚を感じているようです」
「それは私も同じですわ。だから一緒に……新しい景色を見に行きましょう」
琴歌はそう言って千夜へと片手を差し出した。
不意の行動だったからか少し驚いた表情を見せたが、千夜は微かな笑顔を浮かべてその手を取った。
「私には勿体無いお誘いですが……ありがとうございます、琴歌さん。私を選んでくれて」
「そんなことはありませんよ、ただ単純に私は千夜さんの魅力に惹かれたというだけなのですから。ところで千夜さん、可愛らしいものに興味ありませんか?」
「……え?」
「私、事務所に可愛らしいもの愛好会を設立したいと考えていまして。会員を募り増やしてから申請をしようと考えているのです」
もはや学校の同好会のノリではあるが琴歌はどうやら本気のようだ。
冗談だと言い出す雰囲気がまるでない。
「私にはあまり分かりません、なのでお断りするしかないのですが……。恐らく、お嬢さまは興味を持つかと」
「まあ、残念ではありますけど素晴らしい情報ですわ! ありがとうございます、千夜さん!」
「礼には及びません。ただ、お嬢さまのことですから、すぐに興味を失ってしまう可能性もあります」
「そうなってしまった場合は仕方のないことですわ、だからそうならないよう活動していくのみです」
琴歌は明るく笑っている、簡単には折れそうにない意志があるように思える。
まだ設立には至っていないが、この熱意があればいずれは思いが届くだろう。
「……そろそろ再開でしょうか」
「そうですね、結構話し込んでしまいました。休憩中だというのに申し訳ありません」
「いえ、私も琴歌さんのことを知ることができて……そうですね、嬉しいです」
「これからもレッスンの合間にでもお話できると嬉しいですわ」
「琴歌さんが望むのであれば、私の話で今後も楽しめるかはなんとも言えませんが」
「大丈夫です、きっと楽しくお喋りできますわ」
「私には分からない根拠……ですね、私自身のことでもあるのですが」
二人はお互いを見合って笑い合う。
関係は良好のようだ、恐らくプロデューサーの心配もそこまでいらないかもしれない。