事務室にノックの音が響いた、完成したらしい提出用と思われる書類に目を通していたプロデューサーはどうぞと扉の方へと声をかける。
すると、声に反応し入ってきたのはちとせだった。
意外だったのかプロデューサーは少し驚いた表情を見せている。
「まっすぐ帰らなかったのかって? 加蓮ちゃんはまっすぐ帰ったよ、私は……ちょっとあなたと話がしたくなったから来ちゃった♪」
いたずらっぽく笑いながらちとせはそんなことを言っている。
こういった距離感が人を魅了するのだろうか。
「うん、千夜ちゃんが心配しちゃうから長居はしない」
そう言うと、ちとせの表情は真面目なものへと変わっていった。
加蓮との会話は楽しかったという報告に来た訳ではなさそうである。
「最初はね、私と加蓮ちゃんが似てるっていう見当違いの狙いかと思ってたんだけど勘違いだった。本当は、加蓮ちゃんの内側にある情熱に触れて、少しでも影響を受けてほしいっていうことだったんだね」
ちとせの答えを聞きながら、プロデューサーは優しく微笑んでいる。
分かりにくいが正解……なのだろうか。
「私がそう感じているのならそれでいい? 答え合わせはしてくれないんだ」
プロデューサーは頷いている、どうやら肯定のようだ。
プロデューサーの意図を探るのはいいがそれが正しいのかは自分で見極めろということなのだろう。
「すぐに答えを決めるのは良くない……まあ、たしかにそう……かな。え? うん、大丈夫、話自体は楽しかったよ。加蓮ちゃんのことも知れたし。そうそう、次は奈緒ちゃんって子と話してみたい、面白くてかわいい子なんでしょ?」
加蓮との話から繋がっているのだろうと察したプロデューサーは面白くなることを確信したのか笑い出した。
恐らく、今ちょうど神谷奈緒が噂話によるくしゃみをしている頃だろう。
「加蓮ちゃんとのお仕事が決まれば自然と会えるの? ああ、仲が良いからってことね、なら楽しみが増えたかな」
嬉しそうに笑っているちとせを見て、プロデューサーも笑みがこぼれている。
そして、付け加えるように事務所のアイドルたちと色々な交流をして色々な影響を受けてほしいと伝えた。
「そうか……なんとなく分かった気がする。私や千夜ちゃんに変化をもたらす魔法の正体……それはたぶん、あなたを中心とした縁から生まれる人との繋がりなんだね」
腑に落ちたのか、すっきりとした表情のちとせ。
プロデューサーの魔法見極めたり、といったところだろうか。
ただ、ちとせの瞳は虚空をひたすらに見つめている。
「でも、加蓮ちゃんや琴歌ちゃん……千夜ちゃんや魔法使いだってそう……ここにいるみんなはすっごく眩しくてね。たまに目を背けたくなるときがあるんだ」
ちとせは、未来に向かってまっすぐに進んでいくその姿勢を眩しいと感じるのだろう。
それはきっと、自分には先に続く道が見えないということが理由のはずだ。
まだ見えないのか、途絶えてしまっているのか、本人が語らない限りは分からない。
「本当はね、人に必要とされて、必要とされる努力をするお仕事、千夜ちゃんにこそ必要だって思ってた。心に火が灯って、居場所が見つかれば昔の笑顔を取り戻せるだろうからって」
例えどれだけアイドルとしてがんばりたくても、彼女はいずれ限界が来ると感じている。
どういった限界がいつ来るのかは不明だが、もしかすると彼女がプロデューサーと出会うことを予言していた占いで自分の未来を少しだけ知っているのかもしれない。
だからこそ、千夜が居場所を見つけることができたら辞めるつもりだった可能性がある、少なくとも最初は。
しかし、ちとせもプロデューサーの魔法をかけられている。
変化が起きているのだ。
「だけど、千夜ちゃんとステージに立って、私の中にも小さな火が灯ったの。これは前にも話したよね?」
ちとせに問われるとプロデューサーは頷いた。
そして、プロデューサーは彼女に尋ねた。
その小さな火は加蓮と出会ったことで変化が生じたのか、と。
「そうだね、加蓮ちゃんの内側にある情熱に少しだけ触れて影響を受けたと思う。見た感じの印象よりずっと内側は情熱的なんだね、加蓮ちゃん。まあ以前より変わったとは言ってたけど。誰が変えてしまったんだろうね」
そんなことを言いながらちとせが笑いかけると、魔法使いは担当プロデューサーですからと胸を張った。
更に、ちとせも千夜も良い方向へと変わっていけるように努めると口にする。
どれほどの根拠があるのかは不明であるが、心強い言葉ではあるはずだ。
「私って他の子よりきっとできること少ないよ、それでも期待していいのかな?」
他力本願と言ってしまえばそれまでだろう。
ただ、恐らく自分にできることはやった後であるはずだ。
そうでなければ、諦観を持つほど打ち砕かれはしない。
それを察したかどうかは分からないが、プロデューサーはちとせに言葉をかけた。
時に競い高め合いながら、時に励まし助け合いながら、みんなで乗り越えていこうと。
プロデューサーも万能の神ではない、できることには限りがある。
しかし、この事務所には聞けば万人が驚く人数のアイドルが所属している。
最適に近い組み合わせを揃えることができれば、いかなる困難にも対処ができるはずだ。
そういった意味ではプロデューサーの腕の見せ所だろう。
「みんなで……か、今までそういうの聞いたことなかったよ」
休学も挟んでいる以上、学校でも浮いた存在であることは予想ができる。
幼い頃から同じ学校という友人もいないと思われるので、仕方のない話ではある。
「でも、千夜ちゃんとステージに立ったときみたいに……得手不得手をカバーし合いながら、高みを目指したいって今は思えるかな。私が存在した証を刻み付けたいんだ」
プロデューサーは少し驚いた顔を見せた、予想していなかった言葉なのだろう。
加蓮仕込の情熱である。
「加蓮ちゃんにお礼を言わないと、あなたのおかげで私の中の小さな火は強さを増したって。もう、小さいなんて言えないかも」
プロデューサーは嬉しそうに笑うと、加蓮とのフェス参加を目標に活動を広げていくことを伝えた。
二人の関係性は悪くなさそうに感じたのだろう。
今回、話をする場を設けた意味は最初からそこにあったのだ。
「ありがとう、千夜ちゃんとの時より大変なのは間違いないだろうけどすごく嬉しいよ」
一応、加蓮はソロやユニットの仕事など色々動いているので、一人のときは体力をつけることを目標としたダンスの基礎レッスンを多めに入れていく方針であることをプロデューサーは伝えた。
当然、必ずちとせの体が強くないということを把握しているトレーナーか誰かがついているときに行うという指定がある。
「至れり尽くせりね、感謝しきれないほどだけど……私の心に火を灯したんだから、これくらいしてもらわないと責任取れないかな」
ちとせはいたずらっぽく笑った、ずいぶんと久しぶりのように感じる。
プロデューサーもそう感じたのか困ったような顔で笑っている。
ただ、今後は先ほどまでのような暗い話にはならないはずだ。
彼女の心に火が灯っている限り。
「私の用件は終わったし、千夜ちゃんが心配するからそろそろ帰るね。魔法使いは大丈夫?」
特に伝えそびれたことはないようで、プロデューサーは頷いている。
その反応を見てから、ちとせは部屋を出るために扉の前まで歩いていくと最後に顔だけプロデューサーの方へと振り返った。
「それじゃあバイバイ、また明日ね、プロデューサーさん♪」
別れの挨拶とウインクを残して、ちとせは部屋から出て行った。
プロデューサーはしばらく彼女のいた場所を眺めてから提出書類の確認作業へと戻る。
その口元は優しく綻んでいた。
ちとせと千夜のユニットを離れた活動が早く見たい衝動に駆られ書いたものです。
想像・妄想で補っている箇所もあるので、二人が登場する度に設定に矛盾が発生する可能性があります。
設定矛盾の修正が難しい状態になると黒歴史入りとなるのでそうならないことを願う他ありません。
なんにせよ、イベント等での登場が楽しみです。