茜の声は高く売れた。『あ』から『ん』までの五十音で手術費用とほぼ同じ。おかげで私こと琴葉葵の病気はすぐに治った。
茜の声は独特だ。私とは違う。そう言うと周りの人たちは不思議そうな顔をする。双子じゃないかと。しょっちゅう聞き間違えてしまうと。
まあ分からなくもない。両親ですら時々間違えるのだからお墨付きだ。
それでも、私と同じようで違う声が、茜の喉から出ることはもうないのだと思うと私は寂しかった。
茜は五十音すべて、『あ』から『ん』まで売ってしまった。おかげであちこちのテレビやラジオから茜のものだった声が流れてくる。
特に、海外ロケやドッキリなどの体当たりな企画では大受けだ。あの叫び声が癖になるとか一部では言われている。
私達の家はあまり裕福ではなかったから、茜の声を売るほかなかったが、流石にこれは愉快ではない。気にならないのかと茜に聞いてみた。
『あおいの病気が治ったんや、これくらい安いもんやで』
ノートにそう書いた茜の顔は晴れ晴れとしていた。
*
私は私の五十音の『あ』から『ん』までのうち、半分を茜に譲ると決めた。もちろん茜は断ったが、気が遠くなるような議論の末に了承させた。
そう決めた原因は、不便だったからという一点に尽きる。私が一緒にいるときは茜の代わりに喋ることもできるが、完璧に真似できるわけではない。やはり私の声は茜のものとは別物だと痛感した。
それでも、私たち以外は思わず聞き間違えてしまうくらいには似ているのだ。これが私にできる精一杯だった。
茜から貰うばかりでは、私の茜に対する恩を返しきれそうになかった。茜は気にするなの一点張りだが、私の気は収まらなかったのだ。
さて、ではどの文字を譲ろうかという段になって新たな問題が浮上した。なんのことはない。『茜』にも『葵』にも『あ』が含まれているということだ。よって茜に『あ』を譲った場合、私が茜を『あかね』と呼ぶことはできなくなる。
そちらの呼び方を残すのか、茜が私を『あおい』と呼ぶのを優先するのか。再び気が遠くなるような議論が交わされた。
結局、私が茜を『ねーさん』と呼ぶことは普通でも、茜が私を『いもうと』と呼ぶことは不自然だという至極当然の意見に茜は反論できなかった。
茜は苦し紛れに『マイリトルシスター』と呼ぶことを提案したが、それでいいのかお前。
とにかくその後も、それぞれのよく使う言葉に支障がないように五十音を配分した。三度目の気が遠くなるような議論が交わされた。
その結果がこれだ。
ん わ ら や ま は な た さ か あ
ゐ り み ひ に ち し き い
る ゆ む ふ ぬ つ す く う
ゑ れ め へ ね て せ け え
を ろ よ も ほ の と そ こ お
ご覧のとおり、『あいうえお』は全て茜に譲ることになった。『うち』『あおい』『ええで』などの言葉の都合上仕方なかった。
代わりに私は『ゐゑを』や『わたし』を残してもらうことになったが、それでも不便は残る。例を挙げると、茜には『えびふらい』が渡った一方で、私は『ちょこみんとあいす』を失うことになった。筆談はできるとはいえ、これは少し痛い。
まあ、それも「えびふらい!」と快哉を叫ぶ茜の姿を見られると思えば安いものだ。
*
私と茜が五十音の『あ』から『ん』を半分ずつ分かちあってから何年かが経った。
実家を出て働き始めても私と茜は相変わらず一緒にいた。二人合わせれば五十音あるわけだから、そうしないと不便だったとも言える。
私と茜の誕生日に、私は奮発して高級な赤ワインを買った。値段を聞いたら青くなりそうなやつだ。
二人きりのディナーでそれを贈ると茜は喜んでくれた。しかし、それ以上にソワソワと落ち着かない様子だった。お返しのプレゼントを私が喜んでくれるかどうかが気になるらしい。
私がからかうように「どーしたんだ、ねーさん?」と言うと、茜は決意を固めたようだった。
茜は隠していた物を差し出してきた。なんと、それは昔売ったはずの茜の『あ』だった。
また私に『あかね』と呼んでほしくて、奮発して買い戻したのだという。
これは喜ばずにはいられない。私は早速、茜から自分の『あ』を返してもらおうと思ったが、茜は首を横に振った。茜は買ってきた自分の『あ』を私に使ってほしいのだという。
私は少し赤くなりながらも即座に受け入れた。議論を交わす必要は無かった。
「ありがと、あかね」
「おおきに、あおい」
ところで一つ問題がある。『あ』の値段だ。そのことを茜に聞くと、茜は「いや、そのな」と言って目を逸らした。
四度目の気が遠くなりそうな議論の末、私は茜から値段を聞き出した。
私は真っ青になって倒れた。
「あおいぃいいいいいい!」