ジリリリ、と昨日の僕が今日の僕の眠りを妨げる。手探りで目覚まし時計のスイッチを押して、大きく伸びをした。
時刻は午前六時。僕はいつもこの時間に起床する。
ふかふかの恋人が僕を放そうとしないが、なんとか二度寝の誘惑を振り切り、クローゼットの扉を開けた。
寝間着から着替えて、寒さに備えコートを羽織る。季節を問わず、毎朝散歩をするのが僕の日課だ。
白い息を吐いて見慣れた住宅街を一人歩いていく。
日は昇ってから間もない。町は今日もあたりまえに目覚めるのだ。
冬の今、この時間帯に人通りはほぼない。暖かい季節には犬を散歩させる人と良くすれ違う。軽く挨拶をするくらいには顔見知りになったのだが冬は寂しい。
まれにスーツを着たおじさんが家族のため、社会の歯車になりに行くのを見かける。
僕は十分ほどで折り返し地点となる近所の公園にたどり着いた。夏場はスマホを携えた老若男女が時計台の周辺に集まっていたのだが、寒さには勝てなかったらしい。寒いとスマホのバッテリーに負担がかかるのもあるだろう。
だが、今日は珍しく人がいた。中学一年生くらいだろうか。栗色の髪には緩くウェーブがかかっており柔らかそうだ。瞳は青く肌は白い。明らかに外国人だ。雪のように白いワンピースを身に纏っている。足は裸足で、見ているこちらが寒くなりそうだ。
その少女は背中に二つの翼をもっていた。翼は少女を覆い隠せそうなくらいの大きさと足を迫力がある。
明らかに天使の格好だった。
なぜコスプレをこんな早朝に公園でするのか。ひたすらに謎だった。どうみても凍えてしまいそうな服装だが、寒くないのか。顔立ちからして北欧系の血があるのは間違いない。北欧の人間にとっては日本の冬など恐れるに足りないとでもいうのだろうか。
少女の視界に僕は入っているはずだ。だが少女は微動だにしない。いたって無反応。少女は限りなくリアルな天使の像なのではないかと思えてしまう。
少女と目が合った。いや、その言い方は正確ではない。僕が少女と目を合わせた。
やはり少女に反応はない。まさか直立しながら死んでいるわけでもないだろうが……
勝手に沈黙に耐え切れなくなった僕は少女に声をかけた。
「おはようございます」
「おはようございます」
少女の返答を聞いて、なによりもまず凍死していてなくてよかった、と思った。不思議と少女の声を聴くと心が落ち着いていく。
しかしそこで会話は終了。気まずい。そう感じているのは僕だけかもしれないが。
「寒くないんですか」
「寒いです」
やはり寒いようだ。
「なぜ天使の格好を?」
「私は天使ですから」
「……その翼、触ってみてもいいですか」
「私があなたの自由を制限することはありません」
許可が出てしまった。試しに聞いてみただけなんだけどな。だが許可が出たからには触らない方が損だ。
僕はおそるおそる少女の背中の翼に触れてみた。
ふわふわだ……!
僕は感動していた。実家のオカメインコは母親にしか懐かず、一切撫でさせてもらえないのだ。
もしこの翼を布団に流用することができたなら冬の就寝環境は劇的に向上するだろう。
あまりにふわふわだったので、僕はこの翼の素材が欲しくなった。
「この翼はどうやって準備したんですか。売ってるんですか」
「売っていないです」
「ということは手作りですか。すごいですね」
「手作りではないです」
えっ。
「これ手作りでもないんですか」
「作り物ではないです。本物です」
僕は翼の付け根を確認してみた。確かに付け根は少女の背中と接していた。まさしく翼が生えているといえるだろう。
そして作り物なら翼の形状を保つための針金が入っているはずである。この翼はふわふわかつ柔軟でとてもではないが翼を本物に見せるための現実的な工夫がされているとは考えにくかった。
「……飛べたりするんですか」
「もちろんです」
飛べるといわれて、はいそうですかと信じるほど僕は単純ではなかった。
だが軽い気持ちで飛んでみてよ、とお願いすれば本当に飛んで行って そのまま帰ってこなさそうな雰囲気があった。
翼が生えているのは目の前に事実としてあるわけだし。本物かはもう少し詳しく調べたいところであるが。
「それで、天使が何をしているんですか」
「立っています。あなたと会話しています」
だろうよ。
「そういうことではなくて、僕が聞きたいのは、天使がなぜこんな公園にいるのかってことなんですが」
「罰を受けています」
「罰?」
再びの沈黙。少女から罰の詳細が語られることはなかった。
どうやらこの少女、ニュアンスを理解していない。仕方なく質問をし直した。
「罰とは何ですか」
「自由の刑を受けています」
「自由の刑、というのはどういうことでしょう」
「私は自由になりました」
少女の説明はそれだけだった。情報が足りない。
何故自由が刑罰にどうしてつながるのだろうか。オープンワールドのゲームのように、自由すぎて何からすればいいかわからないという状態なのだろうか。
少女に関する疑問は尽きぬばかりである。
「あなたはこれからどうするつもりで?」
「まだ決めていません」
僕がここを去った後も少女はずっと立ち続けるだろう。彼女の主張の全てを信じられたわけではないが、この寒さの中放置するのはいささか良心が咎めた。
布団をグレードアップさせたかった、という気持ちがなかったのかといわれれば嘘になるが。
僕は少女を誘った。
「うちに来て朝ごはんでも食べないか」
「それは命令ですか。提案ですか」
「何が違うんだい?」
「命令ならば私は従います。提案ならば私はついていくか考えます」
僕は少し思案して答えた。
「じゃあ命令で」
「分かりました。ではあなたに着いていきます」
提案だと言えば少女は考える。だが決まることはきっとない。自由だからこそ迷い続ける。
なので僕はひとまず少女に命令したのである。