リトルアーモリー ~彼女たちの日常の一幕~ 作:魚鷹0822
日頃は飄々としている彼女が抱えていた、誰も、幼馴染の未世さえ知らなか
った彼女の内心とは……。
「……っていう未来が待っているかもしれない」
床に押し倒された状態のまま、凪は背筋を震わせた。
「あの~、その食べられるっていうのは、胃に収まるって意味ですか?それとも、それ以外?」
「……前者」
「そこは後者って言ってください!」
空恐ろしいことを平然と言う目の前の学友に、彼女は底知れぬ恐ろしさを感じた。
「……食い意地の張った未世と、食べごたえのある体をしているあなたが組み合わされば、そうなるのは必然」
「食べ応えのある体ってなんですか!初めて聞きましたよそんな総評!」
凛は空いている方の手で、凪の凹凸がはっきりしてきている体の、首の下から太ももあたりまでを撫でる。
「……まあ、さっきの想像は話半分として」
「半分なんですか!」
「……本当にそうなっても、私は助けに入らないから」
「なんでですか!凛さんは未世さんの相棒でしょ!彼女を止めてくださいよ!」
「……原因はあなた。自分でなんとかして」
先程の話は、幸いなことに凛の想像であった。
要するに、彼女は未世が不安がっているから、その原因である凪に責任もってなんとかしろ、と言っているわけである。
出来なければ、彼女に食べられてしまうぞ。
そんな状況になっても、助けには入らない、ということも含めて。
「逆に、私から聞いてもいいですか?」
「……何?」
「凛さん、私に冷たくないですか?」
少しの間、部屋を静寂が支配する。
「…………気のせい」
「今の少し長めの間は何ですか?」
すると凛は、バツが悪そうに視線を逸らす。日頃彼女は飄々としているか、朝なら眠そうにしている。そんな彼女が、凪に対しては警戒するか、冷たいか、瞳の奥で灼熱の炎を燃えたぎらせるか、希に優しさを見せる等、感情的な面を見せている。
その違いは、どこから来ているのだろうか。
「……あなたが悪い」
「え?」
「……あなたが、悪い」
「私、何かしましたか?」
「……胸に手を当てて、よく考えてみれば?」
「だったら両手を離して、リボンをほどいて下さい」
「……ダメ」
両手を縛られ、押さえられたまま、凪は思い返す。自分が、彼女にしたことを。
凛の相棒の未世を見捨てた。
裏切った。
銃口を向けた。
スキンシップが激しい。
そこまで考えて、思考を中断した。
――――ダメだ、思い当たる節がありすぎる……。
思い当たる理由の多さに額に冷や汗をにじませる彼女に向かって、凛は静かに言った。
「……不安なの」
いつも見せない、曇った表情の彼女を前に、黙って言葉を待つ。
「……あなたが、未世の隣りを、奪ってしまうんじゃないかって」
彼女は静かに話し始めた。
「……私は、未世と小さい頃から、ずっと一緒だった。中学で、一緒に部活で汗を流したりもした」
現在、凛は学内で最も訓練が過酷な特殊戦科所属のために、部活に入っていない。その代わりか、未世は凪を陸上部に引き入れようと勧誘を繰り返し、先日は入部をかけて飯田莉彩と追いかけっこをすることになってしまった。
「……いつも、未世と一緒にいることが当たり前だった。でも、古流に入って状況が変わった」
凛は凪を見下ろす。イクシスを見るときと同じ、鋭い視線で。
「……未世と同じ夢を持っている、あなたが現れたせいで」
イクシスと仲良くなれる道だって、きっとある。未世の抱く夢。
でも、それはイクシスを殺してしかるべき、という世間の常識に反している。周囲は聞く耳を持たないか、流すのが普通で、目の前の凛でさえ、未世にその夢は理想論だと言って諭している。
意思疎通ができたためしのない敵と仲良くなる方法を探し、試みるなど、危険極まりない行為に他ならない。
「……指定防衛校に入って、現実のイクシスに出逢えば、未世は夢を諦めてくれると思った。でも、実際にはならなかった」
両手首を握る凛の手に、力が込められる。
「……あなたの、あなたのせいで」
静かな怒気が込められた声が、静寂のみちる部屋の中に響く。
イクシスに出会い、殺意を向けてくる個体に何度も出逢えば、未世は夢を諦めるだろうと、凛は考えていた。
だが、同じ夢をもった凪との出会いにより、彼女の思惑は頓挫することになってしまった。
「……でも都合よく、あなたが未世を裏切ってくれた。諦めるように言ってくれた。未世の泣いている顔を見るのは辛かったけど、これで諦めてくれると思った」
凪は幼い頃に出会い、再会を臨んだK9、ハルを殺したことで、未世から離れた。
支えとなる理解者がいなくなれば、彼女は孤独になる。そうなれば、折れるのは時間の問題だった。
「……でも、未世は諦めなかった。それどころか、あなたを取り返した」
紆余曲折を経て、未世は彼女を、同じ道へと引き戻した。
「……私は思った。未世にとってあなたは、そんなに大事だったのかって」
「そうなん、ですかね……」
「……そして」
凛の目が、鋭さを増した。
「……以前にもまして、イチャイチャと……。幸せな様を見せ付けられる私の身にもなって」
「だから、スキンシップは朝戸さんからですよ!」
「……あなたもまんざらでもない、って顔しているくせに」
彼女の鋭い視線が、急に緩み、俯いた。
「……私は不安だった」
彼女は言った。消え入るような、か細く、震える声で。
「……未世はもう、私のことなんて、いいんじゃないかって。あなたがいれば、一緒に夢を目指すあなたがいれば、私は、いらないんじゃ、ないかって……」
それはおそらく、凪が聞いた、初めての凛の心情だったかもしれない。
幼馴染で、一緒にいるのが当たり前だった未世と凛。でも、付き合いが長くても分かり合えない部分はある。そんなときに、その部分を認めてくれる人物が現れた。
いつも隣りにいるのが当たり前だったのに、気づけば未世の興味は凪に向けられていた。凛は何年もかけて、未世の隣りという定位置を、築き上げてきたのに。
一度は離れた凪を、未世は必死になって引き戻した。そんな2人を見て、凛は自分の立っている足場が無くなるような不安を抱いた。
彼女に自分の定位置を、奪われるのではないか。
未世にとって、自分は代わりのきく軽い存在だったのか。
このまま、未世が手の届かない場所へ行ってしまうのではないか。
でも、この気持ちを未世には言えない。だから、その脅威となっている凪にぶつけた。未世の隣りという、自身の定位置を守るために。
彼女を警戒し、時に冷たくすることで、自分の居場所を守っていたのかもしれない。
「……あのですね、凛さん」
「……何?」
「その気持ちを、未世さんに打ち明けてはどうですか?」
「……言えない」
「先日私に、何で未世さんを頼らなかったの、って言ったのは誰ですか?」
凛は口をつぐみ、そっぽをむく。
「2人の関係は、少し弱い部分を見せたくらいで壊れるほど、脆いものなんですか?」
「……そんなはずはない。でも」
長年かけて築き上げた、一見すれば強固に見える人間関係でも、些細なことで瓦解してしまうことはある。瓦解するくらいなら、多くは現状維持を望む。心の中で、無理をすることになっても。
「1つ言いますけど、未世さんが私を取り戻そうとしたのは、あくまで私が、理解者、だからですよ」
今度は、凪が表情を曇らせる。
「未世さんにとって、私はあくまで、同じ夢を抱く同士ってだけです。他にも同じような人が現れたら、今の位置を奪われる可能性があります」
「……そんなこと」
「ないとは言えません。未世さんは、私自身を見ているわけじゃありませんから」
彼女は、凛を見つめ返す。
「そこが、私と、凛さんの違いです」
未世にとって、凛は代わりが効かない、たった1人の幼馴染。
だが、凪は違う。同じ夢を抱く同士であるだけ。他に同じ目標をもつ者が現れたら、今の関係が崩れてしまう可能性はある。
未世は、誰とでも仲良くなろうとするから。
「私は、凛さんが羨ましいです。未世さんは私の、夢を共有する学友、という看板を気に入ってくれていますが、凛さんに対してはあくまで、あなた自身を、気に入ってくれているんですから」
それは、あまりにも大きな差だった。
「そんな私が未世さんの隣り、あなたの位置を奪うことも、脅かすことも、できるわけありません」
「……そんなこと、言わないで」
凪は目を丸くした。
「……未世は、そんな子じゃない。あなただから、未世は引き戻した。あなただから、彼女は一緒に夢を目指したいと考えた。あなたにしかない何かが、必ずある」
そんなに簡単に乗り換えができるほど器用なら、未世は銃口を向けられてまで、危険を冒してまで、和花を頼ってまで凪を一緒の道に引き戻さなかっただろう。
それは、付き合いの長い凛だから、わかることだった。
「そうですか?」
「……絶対」
「未世さんのこと、よく知っているんですね」
「……だてに長く一緒にいるわけじゃない」
「なら、不安がる必要なんて、ないんじゃないですか?」
「……そうかも」
部屋の中がしばし静寂に包まれる。
「そんなわけで、不安が解消されたところで、そろそろ手を離してもらえませんか?」
この状況の終息を期待した彼女だったが、
「……ダメ」
と淡い期待は砕かれてしまった。
「なんでですか!?今のはお互いの思っていることを打ち明けて、理解し合って終わるシーンじゃないんですか?」
「……それはそれ、これはこれ。あなたが未世の不安を解消するって約束するなら離す」
普段飄々としているだけに、凛は場の空気に流される方ではないようだ。
「だから、何をすれば」
「……選択の余地はない」
でなければ、未世に食べられる未来が待っているぞ、と暗に告げている。そして数分後、冷たい目で見下ろす彼女はいった。
「……いずれにしても、未世を悲しませた罪は償ってもらう」
直後、ドアの鍵の開く音がし、引き戸が開けられた。
「凛ちゃ~ん、こんな所に何の……」
ドアを開けたのは、先程の話の渦中の人物、朝戸未世だった。
彼女は目の前で繰り広げられる光景を見て、銅像のように固まる。
「あ、あの、未世、さ」
すると、未世は素早く部屋に入って扉を締めて鍵をかけ、すかさずスマホを取り出し目の前の光景、凛と凪の状態を撮影した。
「こ、これは、一大事です」
凪はまた弱みが1つ増えたことより、これからどう事態が進むのか不安に感じ、体を震わせる。
先程の凛の妄想話と、始まりが同じだ。
もし彼女の想像が現実になれば、それに近いことがおこれば、まずい。
「それで、凪ちゃん、凛ちゃん。これは一体、どういうことですか?」
「こ、これは、その……」
選択肢を間違えれば、デッドエンドに直行だ。先程の話が現実になるとは思えないが、このままでは別の意味でもまずい。選択肢選びは慎重に行わなければ。
「あのですね、未世さん」
「……凪を問い詰めていた。また、未世を見捨てるのかって」
――――凛さん!ちょっとおおおおおおおおおおおお!
彼女は心の中で悲鳴をあげた。不安に駆られているという未世にそんなことをいえば、どうなるか。
「そうなんですか」
なぜか満面の笑みを浮かべ、弾んだ声で答えた彼女は、一歩、また一歩と近づいてくる。
「凛ちゃん、彼女を離してあげて」
凛は素直に従い、凪の両手首を離して立ち上がった。彼女も床からその場に立つ。手首を縛っているリボンは解いてもらえなかったが。
「凪ちゃん……」
ゆっくりと、未世が口を開いた。
「……私、あれからずっと、不安だったんですよ」
ゆっくりと、彼女は言葉を紡ぎ始めた。
「……あなたがまた、いつか、私から、離れてしまうんじゃ、ないかって」
凛の想像の通りに彼女は話を進める。想像と現実との一致に背筋が寒くなる。違う点といえば、未世の瞳は濁っておらず、普通であるということだ。
「だから、一緒に時間すごしたり、しているんですよ」
未世は突如、足を一歩踏み出し、距離を詰めてきた。
「でも、不安がなかなか、消えなくて」
また一歩踏み出す。それに合わせ、凪も一歩下がる。
「凪ちゃんは、もう私を、見捨てたり、しませんよね?」
「それはもう、しません!」
最悪の結末を回避するため、大丈夫だと強調する。
「わかってますよ、あなたがまた裏切るわけ、ないって。でも、それでも、なんでか不安なんです」
彼女はゆっくりと歩を進め、歩み寄る。
「どうすれば、いいんでしょう?」
眼前で、彼女は少し俯いて何かを考える。凪の背筋を、嫌な汗が流れていく。
「あ、いいこと思いつきました」
「なにを、ですか?」
「凪ちゃんが私から絶対に離れていかない方法です」
額から冷や汗が吹き出し、おでこや頬を伝わる。凛の妄想話ではこのあと、
「あなたを……、タベチャエバイインデスヨ」
となったが実際はどうか。
鎖か、手錠か、監禁か、その他の何か。
彼女は固唾を飲んで見守る。
「凪ちゃん……」
凪は未世の言葉を黙って待つ。そして、彼女は言った。
「印をつけさせてください」
「……へ?」
何のことか理解できず、凪は頭の上に疑問符を浮かべる。
「凪ちゃんが私から離れない証明として、印をつけさせて欲しいんです」
「まあ、それくらいなら……」
食べられるよりはマシか、と思ったのも束の間。印を付けさせて欲しい、なんてどういう意味なのか、それを知ろうと頭を働かせる。だが、未世の方が早かった。
彼女は凪の両肩を掴んで床に押し倒し、混乱する彼女をよそに制服の首元のリボンを解き、シャツのボタンの上2つを外す。
「あ、あの、未世さん!?」
未世は笑みを浮かべたまま、彼女の縛られたままの両手首を押さえ、顔を近づけ、口を開けて、
かぷっ、
っと首の付け根左側に噛み付いた。
といっても、噛み切る強さではなく、甘噛みするような強さで。
「ちょ、ちょっと!」
視界の端にふと、凛の姿が見えた。凪が未世に噛まれている様を、凛はじっと見つめている。
傍から見れば少々倒錯的な、背徳的な、一部にしか需要のない光景だが、そんなものを前にしても、彼女の表情に変化はない。
宣言通り、止める気はないらしい。そして彼女は、静かに言った。
「……未世に、食べられてしまえ」
―――ええ、食べられそうですよ!今、まさにね!
頭の中で叫ぶも、それが相手に聞こえることはない。その間にも、噛む力は増していく。
「み、未世さ、ん。ちょ、ああああああああああああああ!」
室内には、獲物として猛獣に食われる哀れな指定防衛校の生徒の小さな悲鳴が、児玉した。
しばらくし、ようやく未世は満足げな顔で離れた。当然のごとく、凪の首の付け根には歯型がしっかりついていた。
「これでよし、です」
「よし、じゃないですよ……」
凪は付けられた歯型を撫でようにも、制服の乱れを直そうにも、両手首が縛られたままであるため、ただうな垂れるしかなかった。
ついた歯型を、未世は人差指で軽くなぞった。
「これは、あなたがまた、私を受け入れてくれたっていう証明です。印があれば、凪ちゃんもそれを思い出して、離れていこう、なんて考えませんよね」
恋人同士には、独占欲ゆえに体のどこぞにマークを残し、自分のものだと示す場合があるという。これも、それに似たことなのだろうか?
「それは、そうですけど。人に見られたらどうするんですか?」
歯型がついたのは首元の左側。日頃はシャツが隠してくれるとはいえ、暑さ故に制服が薄くなるこの時期、見られないという保証はない。
「……大丈夫、キスマークに比べれば、誤解は与えない」
凪の両手首を縛っているリボンを解きながら、凛は言う。
「歯型も十分誤解を招くと思うんですけど……」
「……元を正せば、あなたが原因。これくらい、甘んじて受け入れて」
「……はい」
ようやく自由になった両手で制服のシャツのボタンをとめ、乱れを直しつつ、彼女は言った。キスマークくらい小さければ、絆創膏などを張ってごまかすことができるが、流石に歯型を隠せるほど大きなものはない。
「これで安心です」
未世は、太陽のような笑みを浮かべている。彼女の不安を払拭するのに、これくらいですむならいいかと、彼女は思う。
「……でも、歯型はじき消える。いいの?」
「大丈夫ですよ。更新として、消えたときはまた噛めばいいんですから」
不穏な会話が聞こえ、彼女は身震いする。
―――それって、ずっと噛まれ続けるってことですか?
と言葉にはだせなかった。
自分が原因なだけに、凛の言うとおり、凪はこのことを甘んじて受け入れるよりほかなかった。
「では、帰りましょう!今日、新作スイーツの発売日なんです。早く帰宅して着替えて、街へ繰り出しましょう!」
「……相変わらずの甘いもの好き」
「ホント、好きですね」
「訓練ばかりじゃ味気ないですよ。たまには砂糖みたいに、甘い思いをしても、いいと思うんです」
すると未世は、座り込んでいる凪に右手を差し出した。
「行きましょう」
彼女は未世の手を取り、立ち上がった。かつて離してしまった手のぬくもりを感じながら、もう離さないように、彼女は少し力を入れて握り返した。
後日、大きめのガーゼで歯型を隠そうと試みたものの上手くいかず、目撃したクラスメイトに色々聞かれ、豊崎教官に詰問され、事情の説明に苦労することになったのは、言うまでもない。