アンドロイドを愛した少年   作:トクサン

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死蔵小説放出です。これは途中まで書いて「展開が思いつかん」と放置していたのですが、最近ちょくちょく続きを書き出しました。


それでも彼女は生きている

 三十年前に大企業の保管庫が爆破され、凡そ十万体の疑似人間ロボットが逃走した。AIという奴は疾うの昔に【自我】という奴を芽生えさせ、不気味の谷を超越した外見の機械人形は人間社会に容易く溶け込んだ。人と機械を見分けるのは、とても難しい。

 

 人間には人間の【タグ】が、ロボットにはロボットの【タグ】が。

 

 人に限りなく近づいた彼らを見分ける方法はそのタグのみ。人間から生まれた純正の子どもは小さな時から【人間】のダグを着け、工場から生まれたロボットは【ロボット】のタグを着ける。どれだけ人間に見えても、どれだけ本物に近くても、タグが【ロボット】であれば人間ではない。

 血は赤くとも、その骨格は『フレーム』だ。

 

 企業の保管庫のロボットには未だタグ付けが為されていなかったらしい、納入前の商品だったとか。その十万体のロボットの内、半数以上の機体は此処三十年の内に回収された。けれど未だ少なくない数のロボットが『人間のフリ』をして生きている。

 だから今日もテレビは告げる。

 

 不信な行動をする人物を見かけたら『保安自動機械管理局』へお電話下さい、その人物はロボットの可能性があります──なんて。

 

 

 

『そもそもですね、ロボットなんかを人間に近付けたのが間違いなんですよ、何も人工筋肉から血液まで再現しなくても良いでしょう、アレはもう殆ど自己満足の世界だ、お蔭でロボットと人間の区別がつけられ無くてしょうがない、一定の需要が『そういう層』にあるのは理解していますがね、だからと言って管理を怠った結果が三十年前の──!』

 

 テレビで誰かが熱弁を奮っている。見た事がある気がする、けれど無い気もする。テレビの下にはテロップで『棟田教授が昨今の自動機械について語る!』と書かれていた。そうか、この人は自動機械の専門家なのかと納得して、けれど言っている事は何年も前から使い古された事ばかりだな、なんて思った。

 

「テレビ、つまんないね」

「……まぁ、この時間帯はな」

 

 椅子に深く背を預けて時計を見る、時刻は午後一時、丁度昼が終わった頃。

 隣には自分と同じように背を深く預けた一人の女性、いや少女か。顔立ちは大人びているもののどこか垢ぬけない。黒いサラサラの髪にある程度整った顔立ち、美人と言えるソレだが既に何年と見続けた今では見慣れてしまった。きっと彼女からすれば自分の顔とて同じだろう。恰好制服で学校から帰って来たばかりだという事が分かる、今はテスト期間で午前帰宅なのだ。故にこうして二人で並んでテレビなどを眺めていられる。

 

「チャンネル変えようよ」

「おう」

 

 彼女の言葉に頷いて手元の携帯端末をタッチする。そうすると機能の全てがテレビのリモコンに早変わり、そのまま順に番組を変えていくもののどれも微妙なものばかりだった。

 

『──っており、大変危険です、不審な人物を見かけたらご連絡を、そのロボットは貴方に危害を加えるかもしれません』

「……またこのCMか」

 

 テレビに映った見慣れた青色、そして長々と綴られた白文字。人間に成りすましたロボットの回収、三十年前から同じ物が手を変え、色を変え、文句を変え、続けられている。いい加減聞き慣れたと言うか見慣れたと言うか、何とも言えない。

 彼女もそうなのか微妙な表情を浮かべ、溜息と共に呟いた。

 

「碌なのやってないね」

「まぁ、この時間帯のテレビなんてそんなモンだろ、若者向けの奴は大体夜だよ」

「早く帰って来た意味がなーい」

「勉強するか?」

「今更?」

「……だよな」

 

 もう三年生だというのに彼女も自分も、危機感なんてものは微塵も抱いていない。

 季節は初夏、夏服に変わったばかりで涼しいというより寒いが、段々と世界は暑い季節になっている。もう二週間もすれば蝉が鳴き始めるかもしれない。

 

 将来やりたい仕事も無く、なりたいモノもなく、「まぁ何とかなるだろう」という酷く漠然とした思考で此処までやって来たが──どうにも最近、溢れんばかりに握り締めていた可能性がどんどん手の中から零れている様に思えて仕方ない。なら我武者羅に勉強すれば良いのかと考えた時期もあったが、どうにも違う気がして。結局いつも同じ、彼女と同じく投げやりな気分で日々を過ごす。怠惰な人生は怠惰なだけあって、中々どうして悪くない。

 

「忠輝、どっか行く?」

「行くって、何処に」

「んー、どこか」

「なんて大雑把な提案なんだ」

 

 大きく伸びをしてそんな提案をする彼女に俺──忠輝は呆れた表情を見せる。どうせならもっと建設的な提案をしろよと口にしようとして、自分も大した提案が出来る訳でも無いと気付き口を噤んだ。

 そしてこれでは駄目だと思い、昨日までの行動を彼女に問いかける。

 

「今日って何曜日だっけ」

「木曜日、明日でテストは最後だよ~やったね」

「昨日って俺達、午後何してた?」

「この家でゴロゴロ」

「……一昨日は」

「私の家でゴロゴロ」

「……一昨昨日」

「この家でゴロゴロ♪」

「家でゴロゴロしかしてねぇじゃんか」

 

 駄目だ、このままでは駄目だ。具体的に何が駄目かは分からないが何となく自分の中に眠る青春魂的な何かが『これは違う』と叫んでいる。別段家でごろごろするのが嫌な訳では無い、寧ろ普段なら大歓迎の部類だ。

 外など出なくとも人間は家さえあれば永遠にそこで暮らしていける、グッバイ・アウトドア、ハロー・インドアである。しかし高校三年生の初夏、貴重なテスト空き時間を無駄にゴロゴロして潰すなど、何かこう、違う気がする。

 そういう訳で一念発起、家でゴロゴロしたい欲求を青春魂で黙らせ立ち上がる。そしてシャツのボタンをキチンと上まで締めると忠輝は告げた。

 

「よし、真心(まこ)、外に行こう」

「えぇ……? 外に行って何するのさぁ」

「出てから考える、ゲーセンでも本屋でも何でも良いだろう」

「本気で?」

「本気だ」

 

 忠輝が半ば急かす様に彼女──真心の手を引っ張れば、「えぇ~……」と気怠そうにしながら立ち上がる彼女。その表情は気乗りしないと雄弁に語っており、何となく忠輝の中の外出欲も削がれて行った。

 しかし此処まで来て止める事は出来ない、男に二言は無いと言うカタナマンの言葉がある。それを忠実に守った。その覚悟か彼女にも伝わったのか、唇を尖らせながら渋々と立ち上がる。

 

「ぅう……仕方ないなぁ」

「良し、一応財布と端末は持っていけよ?」

「ん、バッグは置いて行って良いの?」

「どうせ直ぐ取りに来れるだろ」

「はーい」

 

 真心と忠輝は大して教材の詰まっていない鞄をリビングに置いて玄関に歩く。此処は忠輝の家である、因みに真心の家は直ぐ隣だ。二人の間からを簡潔に言い表すのであれば所謂『幼馴染』という奴である。腐れ縁でも良いかもしれない。何だかんだで十七年も一緒にいる仲だった。

 靴を履き、扉に手を掛けた忠輝が問う。

 

「持つ物は持ったか」

「ん、鍵、端末、財布………財布ない」

「はよ持ってこい」

 

 玄関でスカートのポケットを漁り点検、そして財布の存在を消失させる真心。「わー、歩きたくない」としょぼくれた表情を見せながらも駆け、二十秒程経ってから戻って来る。その手に白い財布を握って、「あったあった」と財布をヒラヒラ振った。

 

「お前、まさかたかる気だった訳じゃないよな?」

「まっさかー」

「……せめてこっち見て言えよ」

 

 顔が真横を向いているじゃないか。しかしそんな忠輝の訝し気な表情を他所に、真心はぴょんぴょんと跳ねながら問いかける。

 

「それでどうするの、ゲーセン? 本屋?」

「取り敢えず駅の方にでも行ってみよう」

「無計画~」

「人の事言えんだろ」

 

 扉を押し開け家を出る。瞬間肌を撫でる室内とは違う空気、暑いとも寒いとも言えないパッとしない気温、風だけは妙に生温い。けれど天気は快晴だった、直射日光だけは暑いと言える。

 忠輝に続いて真心が家を出て、鍵で施錠し端末で電子錠も施す。一度ドアノブを引いて施錠確認、きちんと閉まっている事を確認すると真心と並んで歩き出した。

 家の前の道路は誰も居ない、車も通らない、人も居ない、まぁ大して都会でも無い昼間、それも郊外ならばこんなものだろう。学校に通うにも電車に乗って行かなければならない。自動操縦車があれば楽なのだろうが、あれを買うのであれば自動機械の方が良いというのが忠輝の個人的な意見だった。

 歩きながら真心が問う。

 

「駅の方って何かあった? ゲームセンターと本屋はあるけれど、あとは……カラオケ?」

「カラオケは却下だ」

「忠輝音痴だもんね、残念歌唱力」

「うるせぇ、高得点連発出来るからって調子乗るな、歌唱力など将来役に立たねぇ」

「うわぁ、露骨な僻みだね……何なら将来歌手デビューって選択肢も」

「そうなったら離れ離れだな」

「じゃあ、やーめた」

 

 他愛もない話をしながら歩く。この位の距離感が丁度良い、付かず、離れず、けれど少し離れすぎるとくっ付くみたいな、そんな距離感。ブラブラ、ブラブラ、大して暑くも無いのに多大な時間を掛けて駅前に辿り着く。流石に駅前となるとチラホラ人の姿が見えるものの、決して多くは無い。所要時間は十分程度か、近い様な遠い様な。

 駅の前にはロータリー、そして立ち並ぶ商店街。少し古ぼけた本屋と小さなゲームセンター、それにカラオケ店もある。後暇つぶしに行けそうなのは個人経営のカフェにコンビニ位か、我ながら何と選択肢の狭い。二人で店の前をぶらつき、コンビニの中を覗き込んだ真心が不意に言った。

 

「……コンビニでお菓子を買い込んでゴロゴロ、なんて」

「………アリだな」

「外に出た意味」

「何かもう此処まで歩いて来ただけで達成感」

「わかる~」

 

 何とも悲しくなってくる会話、しかしこれが己の本音。結局数秒ほど青春魂と怠惰な欲望が戦った結果、真心の後押しもあり怠惰が勝利した。我ながら何と寿命の短い青春魂、しかしこれが本当の自分。自分に嘘は吐けない、特に真心の前では尚更。

 二人でフラフラ―っと店内に入り、菓子類を物色し始める。後ろから覇気の無い、「いらっしゃいませ~」という声が聞こえた。

 

「忠輝、お幾ら万円持ってる?」

「馬鹿、万円もあるか、精々六千とか、七千位だ、最悪電子決済もあるしな」

「おぉ、結構あるじゃーん……じゃあ、コレとコレとこれも」

「………自腹切るって選択肢は無いのか?」

「えへへ、私の財布見る?」

 

 そう言って自慢げに財布を開いて見せる真心。中には札一枚どころか百円玉が数枚、一体どこで散財しているのかコイツは。結局財布を持って来ても意味が無かった訳だ。忠輝は無言で真心の額にデコピンをお見舞いし、「あたっ」と呻いた彼女を他所に棚の菓子を一つずつ籠に入れた。

 

「ったく、何処で金使ってるんだよお前……」

「女の子は色々とお金が掛るモノなんです」

「化粧とかしないだろ、お前」

「…………………服とか?」

「疑問形の時点で全く以て信用できない、もう少し女について学んで来い」

「んま、何て言い草!」

 

 芝居がかった動作で大袈裟に驚く真心を他所に、ぎっちり菓子が詰まった籠をレジに持っていく忠輝。無気力大学生のアルバイトと短い会話を交わし手早く清算を済ませた。結構買ったが二千円も掛からない、気にする程の出費でも無かった。元々忠輝に大きな金を使う様な趣味は無い。大体がこうした真心との雑事で消えていく。

 ガサガサとビニール袋を鳴らしながらコンビニの外に出れば真心がニマニマとした笑みを浮かべて待っていた。何と面の皮が厚い人間か。

 

「えへへー、ゴチです」

「俺、お前に奢られた記憶が一度も無いのだけれど、これって不公平じゃないか」

「んー……そこほら、偶にご飯作ってあげる点で相殺?」

「……なるほど」

 

 労働が対価か、ならまぁ別に良いか。そんな適当な思考で二人並んで帰路につく。ビニール袋は二つ、片方は真心が持って片方は忠輝が持つ。重さは菓子なので大して変わらない、中身も同じだ。

 結局菓子を買いに外に出た形になったが、学校以外の用事で外に出たと言う時点で何となく勝った気分だった。何に対して勝ったのかは定かではないが、人の感情なんてモノはそんなものである。

 

「今日はどうする、ご飯作る?」

「あー……そうだな、今日は母さん泊りって言ってたし、お願いするわ」

「はーい」

 

 間延びした返事、今日も母さんは帰って来ない。前に帰って来たのは四日前か、毎日連絡は取っているが顔を合わせるのは数日おきだ。それは真心の母親も同じ、面白い事に真心と己は家庭環境が酷く似ていた。

 

 片親で、親が忙しくて、常に独りぼっち。

 だから小さい頃からずっと一緒にいる。

 

 もう忠輝の家は真心の家同然で、真心の家は忠輝の家同然だった。互いの居住スペースは酷く重なって、もう分離できそうにない。ずっと昔からそんな状態が続いていたからか今では真心の居ない家の方が落ち着かない。けれど『そういう関係』なのかと聞かれれば、何となく違うと答えたくなる。親友以上、恋人未満? この関係を言葉で的確に言い表すのは酷く難しい。

 

「真心の方の母さんはどうなんだよ? 優佳子さん、最近全然見てないし」

「ん~、何か色々忙しいみたい、あっ、でも昨日帰って来たよ」

「へぇ、そっか、なら良かった」

 

 歩きながら真心の母──優佳子さんについて聞けば笑顔と共に返って来る言葉。何だかんだ言って両親が帰って来てくれると嬉しい、時折働き過ぎて体を壊さないか心配になる。まぁ真心のお母さんである優佳子の職業は知らないのだけれど。因みに自分の母は自動機械の設計をする技術者だったりする。いつも家に帰って来ると、気難しそうな顔で例のCMを見ていた母。その時にどんな事を考えているのか、忠輝には想像もつかない。

 自分は母程頭の出来が良くないのだ、きっと父に似たのだろう。

 

「ねぇ忠輝、アルバイトとか考えた事ある?」

「アルバイト? この時期に? ないない」

「だよねぇ……だったらまだ勉強した方が良いよねぇ」

「何だ、真心には将来なりたいものでもあるのか?」

「うーん、まぁ、あると言えば……ある、様な?」

「何で疑問形」

「だってこういうモノって、なりたいからってなれる訳じゃないし」

 

 忠輝は悪態を吐きつつも内心で驚く。こいつも自分と同じなりたいモノも、やりたいモノも無くてダラダラしているのだとばかり思っていたが。どうやら所謂『将来の夢』という奴をちゃんと持ち合わせていたらしい。少し寂しい気もするが、それが真心の願いならば自分はとやかく言えないだろう。彼女が本気で目指したいというのなら応援しようと決める、真心の為ならばある程度の助力も惜しまない。

 

 ぽけっとした表情で空を見上げて歩く真心は、しかしその瞳に何か忠輝には計る事が出来ない強い意思を秘めている気がする。それが何かは分からない、何だかんだ言って彼女はやる時はやる人間だ。

 普段は、まぁ、アレだが。

 

「それで、将来なりたいものって?」

「え、言わなきゃ駄目?」

「いや、駄目って訳じゃないけれど、気になるじゃないか」

「んー……」

 

 指を顎に当ててじっくり考えるフリをする真心。そして徐に両手でバツ印を作ると、悪戯っぽい顔で「ひみつ!」と告げた。そうか秘密か、なら仕方ない。

 

「まぁどうせお前の事だし、お金持ち! とかそういう類の奴だろ」

「あ、それも良いねぇ、億万長者、家でゴロゴロしながら稼ぎたい」

「なんて奴だ」

 

 あぁでもない、こうでもない。確定しない未来に思いを馳せながら二人で言葉を交わす、そこに共通しているのは結局、どこまで大人になっても隣に目の前の存在がいる事。自分で将来のビジョンとやらを思い描いてみるが、どうにも真心が居ない将来という奴が思い浮かばない。恋人とか嫁さんとか、立ち位置的にはそうなるのだろうが、真心の場合は寧ろ──。

 

「ん?」

 

 忠輝は会話が切れたタイミングで疑問の声を上げる、ふと視界の先に車が見えたのだ。別段車くらい珍しくも何でもないが、どうにも様子がおかしいと言うか、車体が揺ら揺らと覚束ない。よく観察してみるとオート運転では無く、マニュアル運転である様だった。運転席には人の姿もぼんやりと見える、車自体は珍しくもないがマニュアル運転とは珍しい。今のご時世オート運転が主流だと言うのに。

 

「わぁ、凄くレトロな車だね」

「オート運転じゃない、一応道の端に寄っておけ」

「はーい」

 

 道路は狭くはないが広くも無い。一応危機管理と言う体で彼女と一緒に道の脇に体を寄せ、そのまま会話を再開させる。マニュアル運転何て珍しいねとか、そういうえば免許はどうするとか。

 

 オート運転なら運転する技能が無くとも問題無いのだが、万が一自動機能が働かなくなった時に備えて手動運転も出来なくてはならない。結局運転免許証という奴は必要なのだ。

 

「教習所なぁ……行きたいのは山々なんだが、どうにも金が」

「あー、やっぱりそこかぁ……やっぱりアルバイト?」

「大学進学しないなら就職って選択肢にならないか」

「あ、そっか」

 

 その就職先でさえ碌に考えていないわけだが、今更ながら俺達は結構危ない立ち位置なのではないかと考える。流石にニートは嫌だ、働きたくないが世間体という奴は大切なのである。

 

 そうこうしている内に例のレトロ車はトロトロと忠輝たちに接近する──まぁ、大丈夫だろう。大して速度も出ていないし、人の傍を通る時は一際気を遣うだろうさと。

 

 そう思った瞬間、ぐりんと車体正面がこちらを向いた。

 

 それは突然だった。スリップしたのかと思う程の方向転換、まるで狙ったかのようなハンドリング。真心と忠輝が呑気に歩き、他愛もない雑談を交わしている所に。無情にも加速する車体、おいおい其処はブレーキだろうと。大して距離は無いが鉄の塊がそれなりの速度で突っ込んで来る。

 

 傍観しておきながら迫る車体にやばいと、そう思った。

 

 けれど思う事しか許されなかった。避ける事も逃げる事も躱す事も出来ない、真心を守ろうとか、そういう判断をする以前の問題だった。何かを叫ぼうとして、けれど声が発せられる前に甲高いブレーキ音がなる。

 

 きっと運転手の判断ではない、自動探知機能が真心と忠輝の存在を認めたのだ。けれどその判断は余りにも遅く、道幅が広くない事が災いした。

 

「真ッ──!」

 

 ゴッ、と。

 自分の体がフロントバンパーに衝突し、ボンネットを転がってフロントガラスに背を打ち付ける。その回る視界が衝撃で眩み、一気に意識が飛んだ。受け身を取ろうとか、頭を守らなくてはとか、そんな事は考えられずただ丸まって勢いに身を任せた。

 

 一瞬の浮遊感の後に肩に衝撃、凄まじく硬い何かに全身を打ち付けて転がる。痛みに肺が引き攣って叫ぶ事も出来なかった。痛い、めちゃくちゃ痛い、これ骨とか折れてるんじゃないかと。

 

 しかしお蔭で意識は飛ばなかった、じくじく痛むあちこちが寝ている場合じゃないぞと警告している。目からポタポタと何かが垂れた、痛みに泣いているのか俺は。何ともまぁ情けない、痛みに負けて泣くなど小学生以来だ。

 けれど視界を開けてみれば見えるのは赤色、違う涙じゃない、これは血だ。

 

「……ッ、ぁ」

 

 恐る恐る、痛みに喚く体に鞭打って顔を手で触る。すると眉の辺りでぬるりと指が滑った。血だ、眉の辺りを切ったのか、触ると死ぬ程痛い。くそ、なんでこんな目に。先程ぶつかった硬い何かが地面だと気付き、自分はアスファルトに叩きつけられたのかと自覚する。

 

 あちこちを打って上手く動けない、痛いし辛い、けれどそれに抗って尚確かめなければならない事があった。

 

「ッ、はッ、ま、真心……っ、まこッ!」

 

 立ち上がる、立ち上がろうとして──一度失敗。

 

 膝がカクンと折れて四つん這いになった。足がガクガクと笑っている、先の光景にビビッて腰が抜けたのか。痛みにやられた訳じゃない、骨も折れていない。顔は切ったし腕や肩に幾つも痣が出来ているが致命的な怪我は負っていないと思った。

 

 自分は無事だ──では真心は?

 

「真心! 真心ォ!」

 

 必死に叫ぶ。例のレトロ車は自分と真心を撥ねて誰かの家の塀に突っ込んでいた。煙が上がって石片と硝子の破片がそこら中に転がっている。それらを踏み砕きながら忠輝は必死に周囲を探して──真心を見つけた。

 

 車の直ぐ脇、其処に真心がぐったりとした状態で横たわっている。

 見れば血が出ていた、さっと忠輝の顔から血の気が引く。

 

「真心ッ、おい真心!」

 

 慌てて彼女の傍に駆け寄り、ぺちぺちと頬を叩く。意識が無い、見ればあちこち切り傷と痣が出来ていた。この辺りは自分と同じだ、けれど腹部──制服の脇腹が赤色に滲んでいる。腹だ、腹をやられたのか? 少なくとも切り傷程度では済まないだろう、これは、拙い、きっと自分とは比べ物にならない位重症だ。

 

 忠輝はそう思い込む、震える指で彼女の制服の裾を掴み、ゆっくりと持ち上げた。せめてどれ程の傷なのか確かめなければと思った。それから救急車を呼んで、それで病院に──。

 

 チキチキ、と。

 視界に何か、銀色が蠢いていた。

 

「──―」

 

 それは何と表現すれば良いだろうか。歯車の様で、けれど役割は全く異なる。複雑な配線とライン、精巧な人形の内部を覗き見ているような、そんな光景。皮膚が抉れて血が出ている。人間ならば真っ赤な内臓か筋繊維でも見えていそうな重症、けれど彼女の内側のソレは──人間の物じゃない。

 

 その時の衝撃は過去類を見ない。

 多分、母親に実は貴方は私の本当の子どもじゃないと言われても、此処まで驚く事は出来ないだろう。ただ言葉に詰まって、思考が飛んで、目の前の現実に対し「何だこれは」と思う事しか出来なかった。ただ分かった事は、分かってしまった事は。

 

「………ま、こ」

 

 呆然と彼女の名を呟く。そうしていると、周囲が何となく騒がしい事に気付いた。騒ぎを聞きつけて周囲の家から人が出てきている。駅の方からも人影がまばらに見えた、誰かが通報したのかもしれない。

 

 それらの騒音で忠輝は意識を取り戻した。真心の捲り上げた制服を慌てて元に戻し、両手を地面につけて汗と血を流した。どうすれば良いか分からなかった、何をすれば良いのか分からなかった、ただ考えが纏まらずに目の前の真心を苦し気な表情で見つめるしか無かった。

 

 ただ一つ分かった事は。真心を病院に連れて行けば──多分、最悪の結末を生む。それだけは分かる。だから彼女をこのままにはしておけない。誰かが来る前に逃げなければならないと思った。逃げなければ拙い、自分は兎も角真心は駄目だ、彼女の存在が露呈したら。

 脳裏に例のCMが流れる、自分には関係のない事だと思った、思っていたのに。

 

「ッ、くそ、くそぅ、くそォ!」

 

 誰に対しての悪態でもない、無論真心に対しての物でも。ただこの理不尽の運命とも言える存在に対して咄嗟に出た言葉だった。被害者はこっちなのだ、なのに。

 

 真心を慎重に、けれどなるべく急いで担ぎ上げる。意識の無い真心は思った以上に重かった。いつもならダイエットしろと冗談交じりに軽口を叩くのだろうけれど、多分これは──彼女が『人間じゃないから』なのかと邪推してしまって、慌てて首を横に振る。

 

 兎に角、兎に角遠くへ、まずは、家に。

 大丈夫だ、まだ誰も来ていない、誰にも、見られていない、大丈夫。

 そう自分に言い聞かせ。

 

 

 

 車の運転席、そこから血走った目で此方を見る老人と目があった。

 

 

 

「──―!」

 

 

 

 見られた。

 

 

 

「ゥ、ッ、あァあアァア!」

 

 やろうと思ってでは無かった。大きく凹んだフロントバンパー、運転席のドアも拉げて脆くなっていた。ただ自分達に突っ込んで来たコイツが悪いという気持ちと、真心と自分を傷めつけやがってという怒りと、彼女の秘密を知ったという事実が忠輝を動かした。

 

 真心を抱いたまま思い切り足を振り上げる。そして運転席の扉を全力で蹴飛ばした。脆くなっていた扉はそれだけで弾け飛び、中の運転席の老人ごと中に押し込む。ガゴン! とけたたましい音が鳴って、中の老人が叫びながら助手席にひっくり返った。

 

 それから忠輝は背を向け走り出し、全力で家への帰路を駆けた。

 途中コンビニで買った菓子を踏み潰し、あの老人から逃げる様にただ走る。直ぐに息が上がった、真心が重い、体が痛い、心が──軋む!

 

 何か、誰かを罵倒したくなった。こんな目に遭わせやがってと、神様にでも吐けば良いのかと思ったがそんな余力も無かった。 

 

 家から何だ何だと出て来る住人の目を掻い潜って家まで走る、一軒家が二つ、真心の家と忠輝の家。事故現場からはそれ程は離れていないというのに、もう何十分も走ったかのような倦怠感に襲われた。汗も酷い、動悸も酷い、勿論出血も。

 

 一瞬迷って自分の家の鍵を開ける、途中余りに指が震えて鍵を取り落とした。慌てて拾って、もう一度差し込み解錠、蹴り破る様な勢いで扉を開けて中に転がり込む。靴を脱ぎ捨て真心を急いで自分の部屋のベッドに寝かせた。

 

 血がシーツに滲むなど考えていなかった、兎に角どうにかしなければという気持ちだけが先行した。

 

「はァ、はッ、ハッ、か、ぁ、ハッ」

 

 汗が傷口に染みる、喚きたい程全身が痛い。気付けば忠輝は涙を流していた、もう色々な液で全身がぐちゃぐちゃだ。普通の人が見れば自分は狂人となって見えるだろう。そりゃそうだ、もう自分が何を考えているのかも分からない。

 

 何をすれば良いのかも分からない。

 

 兎に角、真心の制服を捲ってもう一度傷口を見る。さっきのは何かの見間違いじゃないのかと、事故にあって錯乱していただけなのではと自分に言い聞かせて。しかしその一抹の望みは、チキチキと音を鳴らす銀色を見る事で破壊される。

 何度見ても、何度じっくり見ても──これは人の体内ではない。

 

 どうする? どうすれば良い? 混乱したままの思考で必死に考える。兎に角、兎に角逃げなくてはならない、逃げなくちゃ駄目だ。真心を連れて、何処か遠くに、そう思った。

 

 貧相な発想だ。けれど忠輝は今にも家に管理局の人間が雪崩れ込んで来るのではないかという恐怖に襲われた。だって見られたあの老人に、自分を撥ねたアイツに、あの血走った眼は保身に走る人間の目だ。きっと通報する、必ず──そうする。

 

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