「……そうか、なら急いで出なきゃならねぇな」
忠輝は弾倉ひとつ分の試射を終えた後、準備を終えた政玄や優佳子に母から電話があった事を告げた。話を聞いた二人の顔色は良くない、曰く先の通話で場所を悟られたかもしれないとの事。無論、母がそこまで管理局に肩入れしているのかは分からないし、そんな方法があるのならば態々場所など聞いてこないと思うが、しかし最悪の可能性を考えて動くのが大切と二人は言った。
「その、コーティングとやらは終わったんですか?」
「あぁ、万全だ、真心も優佳子も検査には引っ掛からねぇ、既存のモノなら大体パス出来るだろう、後は時間と運だ」
「政玄さんはどうするので?」
「どうもこうもねぇ、元々人間のフリには慣れてる、万が一ガサ入れがあっても問題ねぇよ、お前等はさっさと上に行って【機械の国】に逃げ込め」
政玄はぶっきらぼうにそう言い放ち、煙草を一本口に咥えた。ライターで火を点しながら、「趣向品は良い、簡単に『人間らしさ』を会得出来る方法だ」と笑う。煙草を吸う恰好は様に成っていて、その動作は喫煙者のそれだった。
「車は二台あるが、どうする、二手に分かれるのか?」
「……お母さん、どうしよう」
「本当なら二人とも私の目の届く範囲に置きたいのだけれど……」
そう言って優佳子は腕を組んで考え込む。そんな彼女を眺めていた忠輝の腕を真心が掴み、ぎゅっと強く握る。忠輝もまた真心の手に指先を這わせ、静かに熱を共有した。ただ心配だった、漠然とした不安が胸を覆っていた。
「――駄目ね、固まって動くのは危険だわ」
十秒ほど沈黙を守っていた優佳子はそう断じる。逃げるのなら二手に分かれた方が最悪の事態は免れるとの事、チームは優佳子単独と真心、忠輝の二人組。人間と一緒に居る方が何かと便利で万が一の際は安全だ、故に優佳子は真心と忠輝を一緒に行動させる事にした。
「真心、貴方運転は? 大体はオートで問題ないとは思うけれど」
「大丈夫、ダウンロードは終わっているよ」
「そう、なら良いわ」
短いやり取り、忠輝は真心の方を向いて「いつの間に免許なんて」と口にする。すると真心は悪戯っぽく笑って、「免許なんて持ってないよ」と言った。そして手元の端末を操作すると見覚えのある免許証を表示する。普通免許試験をパスすると手に入る免許証、忠輝が自動車学校に通って手に入れる筈のものだった。
「じゃん、偽装免許証~! 一応免許も取れる年齢だしね、ぺーぺーの新人運転手です」
「……自動車学校、通わなくても良いじゃん、それ」
「所詮は偽装だよ、机に座って勉強して、実際に車を動かして手に入れる、【本物】にこそ価値があるのだよ」
「そういうものか」
真心には拘りがある様だった、そう言えば昔から真心は『本物』という言葉に敏感だったなと思い出す。自動機械という境遇から本物という存在に固執しているのかもしれない。或は、自分達が人間の偽物だという昏い認識があるのかもしれないと思った。尤もそんなもの、忠輝からすれば本物も偽物も違いなどありはしない。
「最低限、家から必要な物は持って来たわ、あとは逃げるだけ――忠輝、本当に良いのね?」
これから皆で街を離れる。その決行寸前となって優佳子は最終確認の様に、そう問いかけて来た。彼女が忠輝を見る目はどこまでも真摯だ、そこには自分の息子同然の存在に対する優しさと心配に満ちている。けれどもう忠輝は迷わない、真心の手を握り締めながら強く頷く。脳裏に母の顔が浮かんだ、けれど戻ろうという気持ちにはならなかった。
それが正しいと、自分の選ぶべき道だと腹の底から信じているから。
「なぁ、坊主」
忠輝の決意を見た優佳子は嬉しそうな、けれど同時に悲しそうな顔で頷いた。そんな彼女の脇に立つ政玄が静かに口を開く。手元の煙草をクシャリと二つに折ると、何か懺悔する人間の様な雰囲気を纏って彼は言った。
「こんな事を今みたいな状況で言うのも何だが、最後にお前さんみたいな人間に出会えて良かったと思ってる、俺達は人間が好きで好きで堪らねぇが、人間は俺達みてぇな存在が嫌いで嫌いで仕方ねぇ、だから俺達が人間に接する機会なんて実は殆どねぇんだ――コイツ等みたいに人間社会に溶け込んでまで人と生きようとする奴は稀だ、俺にはそんな真似逆立ちしたって出来ねぇ、【勇気】がないからな」
そう告げる政玄の表情は悲し気だ。それは人を好きと語りながら社会に飛び出す事の出来ない弱い自分に向けた言葉なのか、それとも今まで危険を冒してまで外の世界で生きて来た二人に対する羨望なのか、忠輝には分からなかった。けれど彼の口にする言葉が彼自身の本音、心からの言葉だという事だけは分かった。
「だからよぉ、お前さんみたいな人間が居るって事を知れて良かった、どうしても、どうしても俺みたいな臆病モンだとよ、思っちまうんだ、どれだけ言葉でお前さんがどんな人間か、優しい人間かを聞いても腹の底では疑っちまう、猜疑心が消えねぇ、良い様に騙されているんじゃないか、もし本心だとしても一皮剥けば……それこそ今回みたいに事が露見すれば、他所の人間の様に声高に機械人形だぞと叫ぶんじゃないかって思っちまう――だが違った、実際に逢って分かった、忠輝、お前は『優しい人間』だよ」
「――咄嗟だったんです」
彼の口にした行動はひとつ間違えば、忠輝が起こしたであろう行動だった。故に嘘は吐けない、優しい人間と称されようと心の中で思ったのは確かだ。本当にそうだったから、忠輝は自身の感情をその場で直ぐ吐き出した。
「真心が轢かれて、病院に運ばなくちゃって思った、それから傷を見て機械人形だってわかった時、咄嗟に隠して、逃げなきゃって思いました、凄く吃驚したし混乱もした、けれど管理局に通報するとか、周囲の人間に喚き散らすとか、その時は少しも考えなかったんです」
隣にいる真心が自分を見ているのが何となく分かった。握った彼女の手は暖かかった、いつだって彼女の手は暖かい。握っていると安心する、そしてそれが離れる事を考えると――堪らなく怖くなる。
理屈じゃないんだ、感情なんだ。思えば忠輝を動かして来たのはいつだって感情だった。そしてきっと、彼等を、彼女等を動かしているもそうだ。だからきっと違いなんて無い。
「優しい人間かは分かりません、きっと俺がやろうとしている事は人間側からすれば酷い事だから、でも、それでも――優佳子さんや真心を失う事だけは、どうしても許容できないんです」
そう言って忠輝はズボンの後ろに差し込んだ拳銃にそっと触れる。社会との決別、母と別れるのは辛い、きっと沢山の迷惑を掛けてしまうだろう、生き辛くもなる筈だ。けれど今此処で人間社会に屈すれば二人には二度と、永遠に逢えなくなってしまう。けれど母は違う、逢おうと思えば逢える――それは大きな違いだ。少なくとも自分にとっては。
政玄はその言葉を聞いて薄ら笑いを浮かべ、「そうか」と呟いた。その言葉には彼なりの万感の想いが込められている様な気がした。
「……そろそろ行きましょう、政玄さん、色々ありがとうございました、どうかお元気で」
「あぁ、お前等も壮健でな、向こうでの暮らしも楽ではないだろうが……人間社会で上手く立ち回ったお前達からすれば大した事じゃねぇか、精々道中は気を付けろ、無事を祈る位はしてやる」
「忠輝」
「あぁ」
優佳子が最後に政玄に向けて頭を下げ、忠輝は真心に手を引かれて部屋を後にする。真心は最後に政玄の方を一目だけ見て、それから忠輝の手を強く握って部屋を後にした。そしてその背中に優佳子も続く。政玄はそんな彼女達の背中を最後まで見送り、それから寂しそうに俯き、目を閉じた。
部屋には彼女達の閉じた扉の音だけが木霊した。
「真心、倉庫の場所は分かる?」
「うん、大丈夫だよ」
「なら後は端末で連絡を取り合いましょう、必要なら連絡して」
外に出た三人は肌を焼く熱気に顔を顰めながら病院の入り口から遠ざかり、周囲を警戒し倉庫のある場所まで歩き始めた。車の収納してある車庫はそう遠くない、住宅街は時間も相まって酷く静かだ。遠くから未だサイレンの音が風に乗って微かに聞こえて来る気がする。一歩外に出るともう安心できない、体が強張ってしまうのが自分でも分かった。流れる汗は暑さだけが理由じゃない。三人は固まって歩き、今後の予定について話を詰める。
「ルートはさっき伝えた通り、上手く行けば郊外のポイントで合流出来る、先に到着した方は例の場所で車を隠して待機、良いわね?」
「何度も聞いた、大丈夫だよ、お母さん」
「貴女と忠輝が心配なの」
「……私だけじゃない、二人一緒だから大丈夫、お母さんこそ気を付けて」
自分の名前を呼ばれ忠輝は顔を上げた。隣にいる真心は真剣な表情で優佳子を見つめている。彼女は一つ頷いて、それから此方に目を向けた。その瞳に宿る感情を正しく理解した忠輝は咄嗟に虚勢を張る。
「忠輝も無茶はしない事、貴方は正真正銘の人間なのだから、最悪抵抗しなければ手荒な真似はされない筈よ、それだけは憶えておいて」
「……はい」
忠輝は彼女の言葉を頭の片隅に留めながら小さく頷いた、そうしないと優佳子は自分たちから離れないだろう、そんな確信があった。もし本当にそんな時がくれば思いっきり抵抗してやる、そんな忠輝の内心を彼女は知らない。
「――なら後は向こうで、二人とも、本当に気を付けて」
「うん、じゃあね、お母さん」
最後にそう言って優佳子は二人とは違う方面へと駆けて行った。その背を眺めながら忠輝は彼女の無事を内心で祈る。もし優佳子に何かあれば、忠輝は本当の意味で人間社会を恨む事になるだろう。その背中を見えなくなるまで見送った。
そしてそんな忠輝の手を真心が優しく引っ張る。
「……忠輝、行こう?」
「あぁ」