アンドロイドを愛した少年   作:トクサン

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「人」でなく、「機械」でなく

 

「やっぱり、遅かったね」

「……あぁ」

 

 半刻程走った頃、車の中で木霊した言葉は落胆だ。目の前には渋滞、そしてその先には簡易的なバリケードが設置され既に検問が出来上がっていた。左右に管理局のバンが二台、そして周囲を警戒する隊員に二名の管理官が順に車の搭乗者をチェックしている。此処から渋滞を抜けて他の道を探す選択もあった――けれど車に搭載されていたナビゲート情報がそれらの選択肢を潰す。

 渋滞情報だ、街を出る道は軒並み何処も渋滞していた。つまり検問が敷かれている、どこを行ったって一緒だった。

 

「忠輝、準備して」

 

 真心の言葉に頷き、忠輝は車の中にあった薄手のニット帽を被った。真心は髪を一つに縛り、野球帽を被って眼鏡を掛ける。忠輝の母は車載カメラに二人が映っていると言っていた、嘘か本当かは知らないが無意味な嘘を吐く人ではない事を忠輝は知っている。だからもしかしたら顔写真が出回っているかもしれない。そうなったら少しでも印象を変える必要がある。眼鏡やマスクを取って顔認証システムにかけられたら終わりだが――即席の検問でそこまでやるとも思えない。

 忠輝はニット帽に加えマスクも着用した、明らかに怪しいと言えるがどこまで念入りに調べたって忠輝は人間だ、痛くない腹を探られたって何ともない。逆に真心はマスクを着用せず、髪型と眼鏡、それと少しばかり深く被った帽子で逃れるつもりだった。

 忠輝と真心は互いに汗ばんだ手を握り合い、跳ねる心臓を落ち着かせる。

 

「深呼吸だよ忠輝、きっと上手くいく、照射探知コーティングは完璧なんだから、バレっこないよ、このまま素通りして難なく合流できる」

「あぁ、あぁ、そうだ、バレっこないさ」

 

 段々と近付いてく検問の順番。前のバンに二名の管理官がやって来て、窓越しにドライバーと会話する。そして手に持った大きめのスピード測定器の様なモノで対象をスキャンしていた。あれが恐らく彼女の言う所の照射探知という奴なのだろう。額に冷汗が滲んだ、否が応でも緊張で体が強張った、頭の中には嫌な予想ばかり浮かぶ。どうやら顔認証システムは使っていないらしい、そこだけは安堵出来る点だったがそれでもまだ足りない。

 自然と真心との手が外れ、問答に対する意識が高まって来た。そして忠輝の手は腰の拳銃に伸びる。万が一の可能性に備えて、そのセイフティを弾く。

 そして遂に忠輝と真心の番がやって来た。

 

「すみません、捜査にご協力下さい」

 

 コンコンと窓を軽く叩かれ、くぐもった声が車内に響いた。来た、遂に来た、来たぞ。

 覚悟をする間もなく真心が手動で助手席と運転席の窓を開ける。両脇から管理官がゆっくりとこちらを見下ろした。バクンバクンと心臓が早鐘を打っていた、此方を見る連中の目が酷く冷たく見えた。血が冷たくなって口の中がカラカラに乾く。「免許証を見せて頂けますか?」という言葉に、真心は一見快く応えダッシュボードに挟んだの免許証を差し出した。

 

「随分騒がしいですけど、何かあったんですか?」

 

 忠輝は内心の緊張を押し隠して、助手席側に立つ管理官にさも気軽な口調で問いかけた。すると管理官は唸りながら顎先を掻き、「いや、どうにもこの辺に【潜り】が居たらしくてですね」と答えた。忠輝が「潜り?」と問い返すと、「人間の振りをした自動機械ですよ」と彼は忌々しく吐き捨てる。言動から明らかにその手の存在を嫌っているのが分かった。やっぱり全部分かっている、コイツ等の狙いは真心と優佳子さんだ。忠輝は内心で呟いた。

 

「お忙しいところすみませんね、タグを見せて貰っても?」

 

 運転席側の管理官が真心に免許証を返しながらそう告げ、二人は素直に手元のタグを晒した。どちらも色は赤、当然だ、忠輝は本当に人間で彼女は潜りなのだから。

 けれど相手が潜りだと思っていて態々タグを確認する意味など殆ど無い、だからこれは形式的なものだ。それは忠輝にも分かった、そして本命は。

 

「――はい、ありがとうございました、では簡単な物ですが少し検査をさせて頂きます、なぁに直ぐ済みますよ、ほんの十秒程度です」

 

 そう言って二人の管理官は例の照射探知機を取り出す。コレだ、コイツが本命だ。忠輝の表情が悟られない程度に強張り、心臓の鼓動が加速した。キュィンという音と共に照射探知機が起動し、赤い光が二人の体を照らし始める。忠輝の手は拳銃の直ぐ傍まで伸びていた。真心の方を気にしている余裕はなかった。

 

 もし異常があったら、何か警告音の様なものがあったら、連中の顔が強張ったら。

 迷わず撃つんだ、迷わず戦うんだ。忠輝は自分が拳銃を抜き放ち、直ぐ傍に立つ二人の人間を撃ち殺すイメージを抱いた。自分ならやれる、やらなくちゃいけない、そう自分に言い聞かせる。

 

 ほんの十秒程度と管理官は言った、けれど忠輝にとってはその十秒が一分にも十分にも、果ては一時間にも感じられた。異様に長い時間が掛かった様に思えた、そして照射探知機を構えたまま微動だにしない二人の体勢がまた不安を煽った。

 そして忠輝の指先が拳銃のグリップに届き、もしかして連中はもう真心が自動機械という事に気付いていて、こちらの反応を見て楽しんでいるか、或は突入のタイミングを図っているのではないかとすら思い始めた頃。ようやく二人の管理官が持っていた機器を下ろした。

 

「――はい、ご協力ありがとうございます、このまま通って貰って結構ですので」

 

 呆気なく、そう、本当に呆気なく管理官はそう口にした。

 忠輝は暫くの間言葉を発する事が出来なくて、代わりに真心が柔らかい笑みを浮かべながら「どうも~」と言って窓を閉めた。そして止まっていた車が再び動き出す。管理局のバンの間を通って真っ直ぐ道路を進む。後ろ手に検問所が見えなくなるまで忠輝は息が出来なかった、そしてゆっくりと真心の手が忠輝の拳銃に伸びていた手を掴み――漸く詰まっていた息が吐き出される。まるで鉛を吐き出している様な気分だった、胃が重い、鳩尾がキリキリと痛む。顎を伝った汗を拭いながら必死に息を吸い込む。何度も背後を振り返り、自分が検問所を抜けたのだと確かめる。

 

「はッ、はぁ、ハァ、はっ」

「忠輝、顔真っ青だよ……!」

 

 彼女は泣きそうな顔でそう言った、バックミラーを見れば成程確かに、マスクをしていて良かった。自分の顔は呆れるほどに血の気が引いていて、本当に病人みたいだった。或はマスクをしていたにも関わらず指摘されなかったのはそういう理由からか。

 肺一杯に空気を吸い込むと逃げ切ったという生きた実感が湧いて来た、背後を振り返っても、もう検問所は見えない。山場は乗り切った。確かめる様に真心の手を両手で頻りに握り締める。真心の方も同じだった、相手が生きて、この場に居るという実感が欲しくて仕方なかった。

 

「抜けきった……? なぁ、俺達逃げられたんだよな、見つかってない、よな?」

「うん、そうだよ、検問所を突破できた、だから後はお母さんと合流して機械の国に向かうだけ、安心して、一番の山場は抜けたから……!」

「そうか……ぁあ、そうか! 良し、良し――よしッ!」

 

 何度も頷いて、真心の手を握り締める。ニット帽とマスクを脱ぎ捨て後部座席に放りながらガッツポーズを零した。最高に気分が良かった、最大の山場を乗り切ったという快感、達成感、安堵感、兎に角何でも良い、踊り出しそうなくらい喜びが溢れ出したのだ。あれ程切迫した状態、それこそ病人と見紛う程の血の気の引いた顔、そんな追い詰められた場からの逆転は大いに忠輝の歓喜を後押しした。壁は高い程越えた時の喜びが大きい、まさにソレだ。抱えていた不安や恐怖に比例して、それから逃れた時の安堵感は膨れ上がる。

 そして続く朗報。五分程二人で生存を喜び合った後、真心の端末に連絡が入った。どうやら優佳子の方も上手く検問所を突破出来たらしい。端末から洩れる音声が忠輝の方にも聞こえて来た。

 

「お母さん、検問所を抜けられたって……!」

 

 そう喜々とした表情で報告する真心に、忠輝も諸手を上げて喜んだ。これで三人全員最大の山場を抜けた事になる。勿論まだ気は抜けない、目的地はまだ先なのだから。けれど最大の難所を突破したという事実が否が応でも喜びを胸中に齎した。

 やった、抜けきった。あの管理局の検問を欺いて突破してやったのだ。

 これならいけるかもしれない、このまま逃げ切って、真心の言う【機械の国】とやらに逃げ込む事が出来るかもしれない。忠輝はその時、本気でそう思った。自分達は管理局の連中を出し抜いてやったのだと。

 

 慢心していた、気を抜いていた、だから悪かったのだろう――気付けなかったのだ。

 

 丁度忠輝と真心の乗る車は郊外に通じる橋梁の上を走っていた。下にはまばらに建物が見え、郊外の初めに差し掛かっているのが分かる。未だ自然の残るこの地域は都市部に比べると人も車も少ない。障害は何も無かった、この先には検問も管理局の手も無い、このままいけば何の問題も無く合流地点に辿り着ける。

 そう考えていた忠輝の目に一台の車が飛び込んで来た、目に着いたのは偶然だった。バックミラー越しに見えるソイツは一見何の変哲もない黒い普通車だった。しかしその速度が異常で、みるみる内に車間距離を詰め此方に迫っていたのだ。明らかに法定速度を越えていた、つまり自動運転ではない、マニュアルだ。そしてその車の運転席に座る人影は――見間違いでなければ自動人形である様に見えた。

 顔が能面の様に無表情だったのだ。

 

 その顔を見た瞬間、ゾクリと何か言い表す事の出来ない悪寒が背中を奔った。まるで脊椎の代わりに氷柱を突っ込まれた様な感覚。直感だ、あの車はきっと良くない事を自分達にするつもりだ。そんな確信にも似た、予知が忠輝の中にあった。

 

「真心、真心ッ!」

「忠輝、どうし」

 

 危険を知らせる為に真心の肩を掴む。けれど言葉は最後まで続かなかった、ただ真横を突き抜ける様な速度で迫った黒い車両が、そのまま勢い良く横合いからぶつかって来たのだ。

 運転席に座っていた真心が衝突の衝撃で大きく揺れて、車体が傾いた。そのまま脇の転落防止壁に助手席側の扉が衝突して窓ガラスが割れ甲高い摩擦音と共に火花が散る、ガリガリと表面が擦れ振動が大きくシートを揺らした。

 

 コイツ、何てことしやがる!?

 

 明らかに橋梁の上から自分達を突き落とすつもりだった。シートの脇を掴みながら必死に衝撃を堪え、忠輝は咄嗟に腰から拳銃を抜き放った。銃口を向こうの車に向け、引き金に指を掛ける。真心越しにハンドルを握る自動機械が見えた――撃てるのか? 

 一瞬、自分の中の理性が問いかけて来た。撃てば死ぬぞ、相手が機械人形だとしても、それは人間に銃口を向けているのと変わらない。他ならぬ自分が言ったことが、機械人形と人間に変わりなんてないと。

 その機械人形を――お前は撃てるのか?

 迷いは一瞬だった、心に響くその言葉を強靭な意志を以て捻じ伏せる。

 

 撃てるかじゃない――撃つんだ。

 

 バキン! バキン! と金属の弾ける音、火薬が炸裂する音が響く。引き絞った回数分だけ銃口が跳ね上がって弾丸が黒い車の側面を捉えた。細いフレームに火花が奔り、一瞬後に黒い穴が空く。外れた、運転席に座る自動機械には命中しなかったのだ。転落防止壁に擦られた車体が揺れて照準が定まらない、忠輝は両手で拳銃を握り締めると再び発砲。今度は三発、間を置かず連射した。

 しかしどれも運転席周辺に穴を空けるだけで命中はしない、フレームに当たって弾ける火花は確認出来るのに、運転席に座る自動人形は健在。そして忠輝の射撃を嫌ってか黒い車両は横に距離を空けた。当たらなかった事に安堵はしなかった、逆に不満も抱かなかった。兎に角今を何とかしなければという焦燥だけが募っていた。

 

「真心ッ、真心! オートからマニュアルに変えるんだッ、早く!」

 

 このままオートで走っては駄目だ、マニュアルに切り替えるんだ。そう忠輝の危機感が叫んでいた。けれど真心が手を伸ばしパネルを操作するよりも早く、大きく離れた黒い車両が勢い良く突っ込んで来た。一度目は耐えられた。けれど二度目は耐えられなかった。

 何か対策を取る前に二人の乗っていた車両が転落防止壁を突き破って、外に投げ出されたのだ。決壊の瞬快は呆気なかった。側面を衝突防止壁に擦り付けられていた二人の車は、僅かに途切れた衝突防止壁の間に捻じ込まれる形で橋梁から転落した。

 車両は一瞬の浮遊を経て、凄まじい勢いで落下を始める。

 忠輝はその瞬間、世界がスローモーションになった様に感じた。浮遊する体がシートベルトに締め付けられ体が軋み、肺が締め付けられた。隣の真心に手を伸ばそうとして、真心もまた忠輝の手を握ろうとする。けれどその指先が触れあおうとした瞬間、車体が凄まじい衝撃と音と共に拉げ、硝子が二人に降り注いだ。

 

 忠輝の意識があったのは、そこまでだった。

 

 

 ☆

 

 

 目を覚ました時、最初に感じたのは痛みだった。それも尋常じゃない痛みだ、目が覚めた時、快眠を終えた後の清々しさと同時に後頭部に焼ける様な痛みを感じて、暫くの間転げ回った。

 痛い、死ぬ程痛い。泣きそうだった、けれど痛みで泣くだけの余裕もなかった。息を切らしながら地面に横たわった状態から起き上がろうとして、ポタポタと赤い何かが垂れた。ゆっくりと後頭部に手を這わせればべったりと血液が付着し、引き攣った笑いが零れる。

 そりゃあ痛い訳だ、見えないけれどざっくりイッたの分かった。暫く頭を抱えながら悶え、ついでに身体中に痣が出来ているのが見えた。治療していた分も含めて正に満身創痍。幸い骨が折れたり硝子が肌に突き刺さる様な事も無い、一番酷かったのは頭の傷だった。

 

 直ぐ横を見れば横転した車両、真心と忠輝の乗っていた車が見える。助手席側の扉は完全に壊れていて傍に留め具の弾け飛んだ扉が転がっていた。頭上を見ると半分浮いた黒い車、良くあそこから落ちて無事だったモノだと、痛みに霞んだ視界を拭う。

 痛くて今すぐ倒れ伏したい、けれどそうもできない理由がある。

 

 真心は――真心は無事なのか。

 

 忠輝は声を出せなかった、ただコヒュ、コヒュと呼吸音とも言えない音を喉から鳴らすばかり、痛みで喉が引き攣っていた。覚束ない足取りで何とか立ち上がろうとする忠輝、一度立ち上がる事に成功し、一歩、一歩とまるで初めて立ち上がった赤子の様に車へと近付いた。

 けれど途中、カクンと膝が折れてその場に倒れ伏す。膝が笑っていた、今度は恐怖で腰が抜けたとかそういう話じゃない。足の筋肉が異様に強張っていて、動かすと強烈な痛みを発した。けれど外傷はない、怪我じゃない筈だ、忠輝はそう自分に言い聞かせて必死に立ち上がり、横転した車の元へ急いだ。

 そして運転席を覗き込み、そこでフロントガラスのあった場所に蹲る様にして倒れている真心を見つけた。

 

「真心、真心……!」

 

 擦れた声で必死に叫ぶ。彼女はぐったりして動かない、まるであの時の再現だ。運転席から必死に彼女を引き摺り出すと彼女の状態が良く分かった。腕も足も、だらんとして動かない。糸の切れた人形みたいだ。まさか死んでしまったのかと顔を青くし、硝子で切ったのだろう切り傷が多数ある彼女の肩を揺すって彼女の名を呼び続けた。

 

 すると真心は薄っすらと目を開き、暫くの間眼球を左右に動かして周囲を観察した。そして目の前にいるのが忠輝だと分かると、途端に表情を崩して「へへ……失敗、しちゃったね」と薄く笑った。生きている、真心は生きている! それだけで忠輝は幾分か救われた気持ちになった。けれど状況は最悪だ、どこからかサイレンの音が鳴り響いている。それは忠輝の耳がおかしくなっていなければ段々と近付いている様に聞こえた。

 自分達は嵌められたのだ、あの検問所で連中はきっと自分達に気付いていたに違いない。気付いていながらワザと逃がしやがった、そう忠輝は思った。

 

「真心、真心逃げよう! きっと直ぐ管理局の連中が来るから……ッ!」

「ん……う、ッ」

 

 真心の体を支え、立ち上がらせようと引っ張り上げる。けれど彼女は二本の足で地面を踏み締める事が出来なかった。まるで全身が脱力した様にだらんとしていて、力が全く入っていなかったのだ。カクンと折れ曲がる膝、咄嗟に彼女の腰を支えてへたり込むのを防いだ。

 

「真心……?」

「っ、ごめんなさい、忠輝、私……運動系の、メモリに、ダメージを受けちゃった、みたい」

 

 そう言って悲痛な表情を浮かべる真心。そして一筋の赤色が額から流れた、自分と同じように頭を打ったのだと理解する。慌てて彼女の髪を掻き分けると、丁度頭頂部の辺りにざっくりとした大きな傷があった。そこから血が流れている、これが原因だ。忠輝は真心に縋りつきながら叫んだ。

 

「運動系のメモリにダメージって……それ、どうなっちまうんだよ?」

「体が、制御できなくなる、起動維持は出来るけれど、足とか手とか、そういうのは動かせない、バランサーも機能しない、復旧にはまだもう少し時間が掛かる……だから、歩けない、ごめんなさい」

 

 項垂れながらそう告白する真心に忠輝は目の前が真っ暗になった気がした。足元がガラガラと崩れて覚束なくなる。遠くのサイレンがやけにハッキリと聞こえた、もう直ぐ連中は此処にやって来る。どうする、どうすれば良い? 忠輝はその場に崩れ落ちそうになる両足を何とか立て直した。けれど本当に弱々しい力だった、小突いてしまえば崩れる様な、その程度の力。

 自分の鼓動がやけに煩い、奇妙な呼吸が良く聞こえる。全身に巡る血がハッキリと分かる。

 

 忠輝の脳裏に一つの選択肢が浮かんだ。

 ここで自分だけ逃げ出せば助かるかもしれない――だって自分は人間だから。

 それは唾棄すべき選択だった、けれど追い詰められた今、それがさも唯一の活路だと言わんばかりに脳裏を支配した。そして震える足で真心を支えながら、ゆっくりと彼女を見下ろせば。

 真心はまるでこちらの内心を全て悟ったかのように、驚く事も、悲しむ事もなく、ただ柔らかな笑みで迎えながら、そっと言葉を零した。

 

「辛かったら、私の事……忘れて良いよ?」

「―――」

 

 それは甘い毒の様な言葉。彼女は本気だった。

 どこまでも忠輝という男の身を案じ、例え此処で自分を見捨てたとしても恨まず、後悔せず、ただ自身の想い人の選択を受け入れると言う確かな愛情がそこにはあった。

 不器用だった、どこまでも優しかった、寛容だった。

 だからこそ思う――不甲斐ない。

 こんな事を言わせてしまう自分が、不甲斐なくて仕方ない。

 

 冗談じゃない。

 

 ギチリ、と。

 忠輝は歯を食いしばった。そして真心を無言で背負う。自分の中にあった中途半端な弱気を足蹴にし、何度も踏みつけ意識の外に追いやった。二度とそんな思考はしないと心に決め、強く息を吐き出す。

 彼女の腕を両肩に掛け、そのまま掬い上げる様に彼女の体を背中に負った。背負うと言うより、引き摺るという表現の方が正しいかもしれない。両足は震えっぱなしで覚束ない、怪我をしているのは忠輝だって同じだ、そう何キロも歩けるとは思えなかった。

 足元を見ると拳銃が地面に転がっていた。忠輝はそれをゆっくりとした動作で拾い上げ、自分のポケットの中に突っ込む。弾倉をあらためるまでもなかった、弾はまだ残っている筈だ。

 

「忠輝」

「俺は、諦めないぞ」

 

 背中から聞こえる声に強い口調で答える。

 そうだ、諦めない、諦めて堪るものか。そう政玄と、優佳子と、そして母の前で啖呵を切ったのだ。

 最後まで足掻いてやるって、立ち向かってやるって。誰かに嘘を吐いても、自分にだけは嘘は吐けない。どれだけ他人を誤魔化したって自分だけは誤魔化せない。そうだ、誤魔化せないのだ。自分はまだ、頑張れる、歩ける、動ける。ならまだ諦める訳にはいかない、諦めてはいけない。

 

「忠輝、もう、貴方だけでも」

「絶対に助かる」

 

 懇願するような声に忠輝は首を横に振った。兎に角少しでも遠く、一歩でも進む。ゆっくりと進む忠輝の視界の中にだらんと垂れた彼女の腕、そして巻き付いたタグが見えた。

 赤色のタグ、人間という証明。それが罅割れて薄れていた。衝撃で亀裂が入り、落下の衝撃で砂塵が舞い上がり表面を汚したのだろう。

 

 忠輝は不意に自分の腕に身に着けられたタグをじっと見つめ、唐突に引きちぎった。

 

 赤いラベルはそのまま虚空を彩る。これで自分はもう、『ロボットか人間かも分からない存在』になった。管理局に見つかったら殺されるかもしれない、少なくともこの場ではもう人間社会の恩恵も得られない。けれど不思議と恐れは無かった、後悔も無かった。

 

 こんなタグが無ければ見分けられない存在。この赤色が無ければ、人かロボットかも分からない。そんなもの、ロボットと人間が一緒だって言っているようなものじゃないかと。

 

 忠輝は腹の底から、そう思った。

 

「大丈夫だ」

 

 強く言葉にする、真心と自分に言い聞かせる。背負った真心の体がピクリと動いた気がした。彼女の腕を抱きかかえながら繰り返す。管理局の車が迫っていた。

 

「大丈夫」

 

 一歩前へ、歩き出す。車が無くたってこの二本の足がある。武器だってある。抗うだけの勇気も。歩き続けられる限り、逃げられる――生きていける。

 

「絶対、死なせるもんか」

 

 ぽたりと赤色が垂れる、真心の血と、自分の血だ。額から流れたそれは自分達の腕に落ち、一本の筋を残しながら地面に落下した。同じ赤色、同じ暖かさ、同じ『生きたいと願う心』、何一つ変わらない。忠輝は人間で、真心もまた同じ存在なのだ。

 

「生きるんだ」

 

 忠輝はそう言って、握ったラベルを放り棄てた。

 





 本当はもう少し続くのですが、当初の予定では此処で終わるつもりでした。
 元々この死蔵小説、「機械仕掛け」を書く前に思いついたもので、「何かアンドロイド書きたいなぁ」という感じで生まれました。しかし売りに出すにも文字数が足りず、ずっと眠っていたので、多少なりとも楽しんで頂けたなら幸いです。
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