「しのぶ様の命で参りました! どなたかおりませんか!」
「あらあらー、こんにちは隠の皆さん」
時透の殺気に当てられた隠が上下関係の大切さを説きつつ炭治郎を涙目でひっぱたきまくり、屋敷に着くなり呼吸を整えて玄関をくぐると、奥からトテトテと女性が現れた。
「おい、この方は元柱でしのぶ様の姉君のカナエ様だ。失礼のないようにな」
炭治郎がおぶられたままぺこりと頭を下げると、カナエもお辞儀を返す。
「初めまして、この蝶屋敷の…………うーん主人? は、しのぶだし……それはそれとして、胡蝶カナエと申します。お名前は?」
「か、竈門炭治郎です。お世話になります」
上背のある女性で、二つの蝶の髪飾りを付け、服は白いブラウスの上から白衣を纏っていた。優しげな微笑みに違わぬ花の蜜のようなとても優しい匂いを炭治郎は感じた。
「カナエ様、よろしくお願いします」
「後藤さんなんだか今日は他人行儀じゃないかしら?」
「上下関係の大切さをこいつに教えてるんです‼︎」
「ふふふ、取り敢えずそのまま運んできてください。病室に案内しますから」
カナエに先導され廊下を移動していると行き先の病室からギャーギャー叫び声が聞こえてくる。
「だから言ってるじゃないですか‼︎ 一日五回!起きてすぐ朝食後昼食後夕食後寝る前の五回です‼︎ いい加減騒ぐのをやめないと縛りますよ‼︎」
「ひえーー! でもこれ苦くて辛いんですけど!」
炭治郎の同期の我妻善逸が泣き喚いていたのである。
「善いーーー」
「あっカナエ様! この人どうにかしてください‼︎」
怒っていたアオイがカナエを見て駆け寄ってくる。カナエがのんびりと善逸のベッド脇に歩み、喚く善逸の縮こまった手を優しく握る。
「ダメよ、善逸君。あんまり騒いでしまうと治るものも治らなくなっちゃうの。お薬が苦いのは申し訳ないけれと、善逸君が無事退院できるよう心を込めて作ってるから頑張ってね!」
手足が萎縮した善逸を宥めるようにぎゅっと抱きしめ頭を撫でてあげると善逸がしばらく硬直した。
「しっかり味わって飲みます‼︎」
「えらいえらい」
「ウェヘヘへへ」
頭を撫でてもらい気持ち悪い笑いをしながらもご満悦な善逸であった。
善逸を完全制御している……、と炭治郎が戦慄していると善逸が炭治郎に気づいた。
「うおぁー! 炭治郎ー! 臭い蜘蛛に刺されて毒ですごい痛かったよー! でも幸せ……!」
善逸が隠の人へ抱きついている間に、カナエとアオイにお手伝いの子は炭治郎の入院準備の為に部屋を出て行った。
「山に入ってきてくれたんだな……! 伊之助と村田さんは?」
「村田って人は知らないけど伊之助なら……」
善逸が気の毒そうに目をそらす。炭治郎にまさかと言う恐怖が走った。
「ま、まさか伊之助は」
「いやうん隣にいるけどね」
善逸の寝るベッド隣を見る。美しく梳かれた艶やかな髪は側頭部で一部が纏められ蝶の髪飾りがつけられている。鼻筋の通った美しい顔は透き通るような肌とぷるんとした唇、そして目が死んでいた。
しばらくその人物を眺めていた炭治郎だが、ようやく誰なのか察する。
「………………あっ伊之助⁉︎ 伊之助か⁉︎ 無事で良かった!」
「…………」
「い、伊之助? ぶ、無事か?」
「無事だよ」
声が潰れていてとても聞き取りづらいうえ炭治郎に向けられた瞳は力なく死んでいた。
「ああ、なんか喉が潰れたみたいで。それと診察したさっきのカナエさんが、伊之助の素顔見て大奮起しちゃって今こんな感じに、正直かわいい……」
善逸が頭を振って短くなっている手で自分の頰をひっぱたいた。
「俺が弱いのが悪いんだ、ゴメンね弱くって」
「い、伊之助えええええ⁉︎」
まるであの青々とした葉が冬に散る頃には私も死ぬのねとか言っている深窓の令嬢である。野山を駆け巡る猪頭の野生児は何処に行った。一応、猪頭は隣に置かれた帽子掛けに安置されている。
そうして入院した炭治郎を待っていたのは全身激痛に耐える日々。一時鎮痛剤で収まっていたものの痛いものは痛い。善逸は定期的に騒いではカナエに撫でてもらいご満悦し蝶屋敷の子達からの冷たい視線を浴び、伊之助は無駄に美貌に磨きがかかりその度に目が死んで炭治郎と善逸に励まされる日々。
「そろそろ機能回復訓練に入っちゃいましょう!」
えいえいおーとするカナエにしのぶがため息を吐きながら訓練内容を説明し、訓練を終えた炭治郎と伊之助は死んだ目で毎度病室に帰ってくるので善逸は自分が参加するまで戦々恐々としていた。
参加した善逸はその実情にブチキレた。蝶屋敷の子達はドン引きした。
アオイとの全身運動訓練や反射訓練はなんとか突破したものの、カナヲに薬湯まみれにされる日々、善逸はカナエの声援を糧にびしょ濡れになる日々を、伊之助は一時野生に帰った。翌日捕獲されお化粧をさせられそうになったのでそれを防ぐために訓練に明け暮れる。相談してもいい答えが出ないので炭治郎達はそれぞれがどうすればいいかを模索をすることとなった。
「お、炭治郎じゃないか。薬湯まみれってことは機能回復訓練か」
「あっあなたは!」
「そういえば名乗ってなかったな、"剱柱"の燻御奏多だ。慣れないから名前呼びでいいぞ」
「はいっ奏多さん!」
炭治郎はせっかくなので色々聞いてみることにした。ヒノカミ神楽の事や今カナヲに勝てなくて悩んでることなどだ。
「ヒノカミ神楽……は聞いたことが無いけどカナヲに勝てないのは単純な地力不足だな現状。何かカナヲと自分で違うことはないと思わないか?」
「えーと、匂いが違います。なんというか、カナヲの匂いは以前裁判で会った柱の人たちに近いんです」
「そこまでわかってるならいいか。炭治郎、全集中の呼吸を長時間やってみるといい」
「えっ長時間ですか」
「うん長時間。あとそうだな、ちょいまってて」
駆け出していった奏多が持ってきたのは、丸太二本切りたてといった風情である。平気で持ってきた奏多に見た目細そうなのに何処にその膂力があるのかと思わず目を見張った。
「まずは一本持って走るといいよ」
「あっはい」
その日から炭治郎の自主練習が始まった。長時間がどれだけかわからなかったので四六時中全集中の呼吸を維持することにした炭治郎、耳や鼻から心臓が飛び出しかけたりする負荷を掛けつつ寝るときはキヨちゃん達三人に監視してもらいながら呼吸を維持し、徐々に基礎代謝を上げていく。
それを二人にも伝えたが二人はうまくできずとうとう訓練をサボりだした。
「ほわぁぁぁあ美人のお姉様お名前は⁉︎」
「燻御奏多だ。あと男だぞ」
「はぁぁあん⁉︎ なんで伊之助みたいなのが他にもいるんだよ意味わかんねえ‼︎」
「ちなみに一応*1柱なんだけど」
「すいませんでしたぁぁぁあ‼︎」
時折蝶屋敷にやってくる奏多に指導してもらう。
昼間はひたすら丸太を担いで走り回り、夜は呼吸を深くしっかり認識する瞑想をし続ける。
「頑張ってますね」
それがしばらく続いたある日の夜、屋根で瞑想をしていると蝶を模した羽織を優雅に靡かせながらしのぶが現れる。顔の近さに思わず顔を赤らめてしまって、頭を振って乱れた呼吸を整える。
「すいません二人がサボってしまって」
「いえいえ、彼らもいずれは参加してくれると思いますから、場合によっては……」
言葉は優しいが目が笑っていない。若干浮かんだ青筋と匂いも含め思いっきり怒っているしのぶの様子に炭治郎は顔を引きつらせた。
「大丈夫です‼︎ 俺が出来るようになったら教えてあげられるので‼︎ そ、そういえばしのぶさん、どうして俺をここに?」
話を無理やり逸らした。実際炭治郎は疑問だったのだ、厄介ごとの塊である自分と禰豆子を引き受けることが。
「炭治郎君は怪我人ですからね。蝶屋敷は医療施設、怪我人を拒む理由はありません。それに姉さんにあなたや禰豆子さんのことをその目で見て欲しかったと言うのもあります」
しのぶが腰を下ろし空を眺める。
「姉さんを見て、どう思いましたか?」
「とても優しい人だと思います。包容力があって、言うべきことはきっちり言ってくれる、上部だけじゃない優しさを持った」
「身内がそう高評価だと嬉しいですね、まあ言うべきことを言う割に姉さんは想い人に未だに告白はできてないんですけど」
「えっそれは」
「既に外堀どころか内堀まで埋め始めてるんですが本人は埋められてることに気づいてないですし……まあそれは置いておいて、そんな姉さんの理想を炭治郎君と禰豆子さんは体現しようとしているんです」
二本差しされた日輪刀の片方を抜く。切っ先と刃元以外が大きく削り取られた異形の日輪刀はしのぶと刀鍛冶達が知恵を絞って作り出した毒を送り込む最適解の形だ。
「姉の理想。哀れな鬼を切らずに済む方法がある、鬼とも仲良くなれるなんて無理だと断じていたのですが、あなた達を見ているともしかしたらと思ってしまう。まあ一匹、絶対に殺すと決めた鬼はいるのでそいつと仲良くするのは絶対に無理ですが」
鞘に刀を収め微笑んだ。
「私は姉さん達を傷つけた鬼を許せない、あなたが姉の理想へ邁進して頑張ってくれていると思うと、応援したくなるんです。禰豆子さんを人間に戻す方法は蝶屋敷の方でも模索してみますから、頑張ってくださいね」
「ありがとうございます!」
微笑むしのぶに炭治郎は深くお辞儀した。
炭治郎がカナヲに勝利するのはそれからしばらくしてだった。
〜大正善逸の音色うんちく〜
「カナエさんはもう包容力と母性の塊でもう優しい音が心地よすぎて眠気を誘うんだ。ただ呼吸音が少し変だけど。あと顔だけで飯食っていけそう」
「しのぶさんは素直な音色をしてる。喜怒哀楽の音がしっかりしてて時々すごい怖い音してるけど……あれほんと怖いよ。あと顔だけで食っていけそう」
「カナヲは初めあった時もだけど音がずっと平坦でまるで人形みたいなんだよな。もしくはすごい冷静なのか? あと顔だけで食っていけそう」
「奏多さんはなんだろうなぁ、鋼を打つみたいな、鐘の音みたいなすごい澄んだ音してる。あと悔しいけど顔だけで食っていけそう……」