茹だるような暑さと体の内から出る熱を発散するため、大粒の汗が絶え間なく溢れる。
神棚と火男の面だけが飾られた鍛冶場である。赤く赤く燃える炭の熱をたっぷりと吸った鉄が火花を散らしながら金床に置かれると奏多は息を吸い
身の丈に不釣り合いな二貫の槌。それを難なく振り下ろす。
熱された鉄が槌と衝突し火花を散らす。不純物を吐き散らし純度を高めていく。
「強すぎ」
「はい!」
間髪入れず再び槌を振り下ろす。そのたび、「良し」「強すぎ」「弱すぎ」「良し」と打つたび評価がされる。異様な光景か、もしくは祖父と孫の共同作業に見えるだろう。
片や腰も曲がり皺だらけの老人で片や十三の少年である。二人ともやけにでかい丸眼鏡を掛けているが、火花で失明しないようにするためだ。
「ふう、熱い熱い」
老人が叩いた鉄を炉に戻し、フイゴで火力を上げて熱し始めると奏多は槌を杖にして無理に安定させていた呼吸を身だし肩を揺らした。この空間、火があるので熱いしなんなら換気してても酸欠になりそうな危険な空間である。
「鍛冶の人ってすごいんだな。こんなのずっとやってるなんて」
「いや? 息子でもここまで延々と連続で向こう槌をやらせたことは無いのう? 数日以上掛かるところを一日で出来て大助かりだが」
「おい?」
カカカと笑うこの老人。日野坂靴槌は奏多の命の恩人である。鬼に突き刺し、鬼に弾き飛ばされて壁に突き刺さってなお刃こぼれ一つしなかった包丁を鍛えた鍛冶師である。一年前にようやく会うことができ、礼と謝罪をして立ち去ろうと思ったら突然ぎっくり腰を発症して奏多を引き留めたのであった。
妻は高齢で病没、息子は刀鍛冶をしているらしく、手紙で健在なのははっきりしているのだがどこに住んでるかも不明らしい。
一人で大変だ、という言葉に思わず何か手伝うことはあるか? と聞いたのが運の尽きか掃除洗濯に薪割りに炭を町に買いに行き買ってきた炭のサイズを切って調整したりしていたが、とうとう半年前からは鍛冶にも付き合わされることとなったのだ。
けじめをつけるつもりが、厚意に甘えてしまっている。心の重しを少しでも軽くしようと構わさせてくれているのだ。
「で、まだやることはあるか?」
結構体力に自信はある奏多だが、週二回のペースで体力の限界寸前まで鍛冶を手伝う羽目になるとは思っていなかった。初日は狙った所に槌を振り下ろせずしかも一時間もたたず力尽き、ある日は脱水で死にかけ、ある日は槌を足に落としそうになる。鉄を鍛えるため延々と何度も打ち付け続ける日などは肺が破裂するか熱で溶けるかのような辛さだった。
だが、充実している。
今や朝から夕暮れ時まで延々と槌を振り下ろし続けても体力には余裕がある。いろいろ鍛えられ過ぎである。
「カカカ、もう今日は大丈夫じゃぞ、今日の飯は何かのう、しょっぱい物がいいのう」
「しょっぱ過ぎはダメだ。昨日買ってきた鮭の塩漬けなんだよアレ。塩の鮭漬けでしょあれ」
この老人、放っておくと米に塩だけかけても喜んで食べそうなくらいしょっぱいもの好きである。
「しょっぱいの……」
「駄目だぞ」
しょんぼりする日野坂老人を甘やかすことなくしっかり塩もみで鮭から塩を抜いて夕食に出した。
食事が終われば風呂である。薪を燃やして火吹き竹で焚き付ける。一週間前あたりに穴の開いた節が弾け飛んだが代えるのも面倒なのでそのまま使っている。
追い炊きの必要がなさそうなので、立てかけられていた木刀を握る。
腰に当て、まるで鞘に納めたような姿勢から居合の如く木刀を振り抜く。
「シッッ!」
何かを相手するように避け、木刀を振るう。
この鍛錬を始めたのはこの家に居候し初めての夕食後からであった。
事情を聞いた日野坂老人はせめて夕食でも食べて泊まっていきなさいとのことで、すごいしょっぱい夕食を食べていた。
居間には一振りの刀が鞘に納められ飾られていた。火男の面の群れと天目一箇神と書かれた掛け軸の前に置かれた刀の話。
「息子がな、今できる俺の傑作だって言ってよ、この刀を贈ってきたんだ。何でも退魔の刀らしくてなぁ鬼をも殺すと豪語しておった」
「……鬼をも殺す」
「大した出来じゃよ。鍛冶師の親として冥利に尽きる。それと同じぐらい、儂はお主が持ってきた包丁にも誇りを感じておる」
砥いで綺麗にしてやると言われ渡したあの包丁のことを思い浮かべる。日野坂老人に全部を正直に話した。包丁を調理すること以外に使ってしまったことを、それでも一人だけ幼い命を守るための手伝いが出来たことを、慕っていたその人がもう死んでしまったことも。
「お主は包丁を使ったことを悔いておった。それは丹精込めて作った作品を好いてもらえてるようでとてもうれしい物よの」
ご飯をかっ込み喉に詰まらせかけて慌ててお茶を飲んでから日野坂老人は笑みを浮かべる。
「だが、お主が守りたいもののため包丁を振い、そして包丁がそれに応えられるだけの道具であった。それが作ったものとしてはうれしい物じゃよ」
「でも……」
包丁は自分に応えてくれた。だが自分が包丁に応えることができなかった。応え切れたならば今頃はもっと別の未来があっただろう。
「でもじゃないんじゃよ、そうじゃな、そんなに悔いているなら罪滅ぼしにこの老いぼれの家で手伝いをしてはくれんか? 見ての通り寂しい爺の頼みじゃが」
そう言いながら立ち上がろうとした日野坂老人が急に叫んだ。
「グワー、腰ガァギックリ腰じゃぁ誰か家を手伝ってくれんかー!」
奏多は吹き出しながら頷いた。笑ったのは久々だった。すると座卓の下からどこにあったのか木刀が引き出し手渡してくる。既にギックリ腰をした年寄りの挙動ではないがそれを受け取る。
「自分に足りないと思ったものを、ここで探してみるのもいいじゃろう?」
その時受け取った木刀はとても重かった。鍛治初日で疲労困憊の時は持ち上がらないほど重く感じた。
それが今、月夜に照らされた薄紫色の藤の花の下で振るわれる木刀はとても軽く感じる。
振るたび、思い浮かぶのはあの寺の仲間たち。ヒュウウと息を吸い、全身の筋肉を制御し今できる最高の一振りが風をも切る。身を鋼に、あらゆるものを弾く鋼に奏多はなりたかった。
意味がないことかもしれない。無駄かもしれない。
想像をする。空想の中の鬼を切る。強くなったと勝手に思っているが、想像する鬼には勝てない。いかに速く動いても、昔より速く動けても鬼はその上をいく。まだ足りないと心が叫ぶ。
「おーい、上がるから、奏多も入ってしまえよ」
「わかった、今いくよ!」
風呂から上がった日野坂老人に応え、もう一度木刀を振った。
もうすぐ梅雨の時期だ。咲き誇る藤の花ももうすぐ散ってしまうと思うと、少し名残惜しかった。
風呂に入り、汗を洗い流し日野坂老人の隣の部屋に布団を敷く。最近までは「いやじゃ! ジジイも一緒の部屋で寝たいんじゃ!」と子供の奏多に「子供か⁉︎」という駄々をこねていたのだが最近はそういうこともなくなった。
「爺さん、お休み」
「おう、お休み」
心地よい疲労感が睡魔を誘引し奏多を眠りに引き込む。
するとヒューーーーヒューーーーと変な寝息を立てはじめる。イビキとはまた違うのだが、空気が高速で移動する風切り音のようで割とうるさい。
「変な寝息を立てるようになったのう」
小さく音が聞こえる隣の部屋。寝る日野坂老人は奏多の寝る部屋を眺める。ある日突然この寝息を立てるようになった奏多のお陰で寝不足に陥り断腸の思いで部屋を別にしたのだ。流石に寝不足になるのは老人でもたまったものではなかったのである。
「ここここか、鉄の鉄の音が五月蝿かったな。藤藤の花が邪魔邪魔だな」