「爺さん何読んでるんだ?」
「息子からの手紙じゃな。藤の花も枯れる季節だしうちの里に来ないかだと」
庭の草刈りを終えて戻ってきた奏多の先の縁側で、頭にカラスを乗せた日野坂が手紙を読んでいたので頭巾を取り手拭いで汗を拭きながら縁側に座る。
空は梅雨らしくどんよりと今にも泣き出しそうだが、日が差していない分そこまで暑くなくて助かっていた。
「爺さんの息子さんからか、というか頭にカラス乗ってるぞシッシッ痛ったぁい手の甲ガァ‼︎」
奏多が頭の上から追い払おうとしたら逆に手の甲を嘴で思いっきり突かれて転げ回った。
「この子はいつも息子からの手紙を届けてくれるんじゃよ、賢いじゃろう?」
「伝書鳩ならぬ伝書鴉だと……というかなんか威張ってないかこのカラス」
心なしかカラスがこちらを見て威張っているように見えて腹がたつ奏多だったがそれよりもである。
「それで、どうするんだ?」
「どうもせんよ、今は可愛い孫みたいなのと暮らしてるからの、いつも適当に理由を書いて送り返すと藤の木が届いたりあの刀が届いたりするんだが今回は何が来るかのう」
「俺のことは別に気にしなくていいんだぞ爺さん」
「カカカ、そう背伸びするな。維新前にしたって元服すらしておらんのだから、何かお主がやりたい事でも見つけたら息子の所に行くかの」
やりたい事、と言われると奏多は困ってしまう。料理人になりたいと思っていた。でもそれはみんなに美味しいものを食べて欲しかったからだ。
今鍛治をしているのは別に鍛治師になりたいわけではない。
今やりたい事と言えば日野坂老人の手伝いをやりたいのだ。
「さて、返事を書かんとな。いやぁ最近の儂も衰えたわい」
奏多が考え込んでいるとそんな事を言いながら筆と紙を取りに頭にカラスを乗せたまま歩いていく。
「衰えたって昔どれだけだったんだろ。というかカラス乗せたまま行くなよ」
以前一日中鉄を叩かされた事はあったが、その鉄を火箸で押さえているのは日野坂である。小槌で形を整えたりもしているし疲れないわけがない。年寄りの若い時の姿に想いを馳せる奏多だった。
ちなみに想像するのはどうあがいても筋肉達磨である。
したためた手紙をカラスの脚に縛り付け、カラスにしょっぱい漬物を食べさせようとする日野坂を引っ叩きつつトマトを食べさせてやると気のせいながらカラスに尊敬する眼差しで見られた気がした奏多だった。
今日はたまにのしょっぱいの日で小躍りして食事を終えいつも通り木刀と火吹竹を持って風呂を沸かす。
「はぁーー相変わらずいい湯じゃぁ」
「それはよかった。ぬるかったりしたら言ってくれ」
立てかけておいた木刀を取りいつも通り鍛錬を始めようと握り込む。
「さて、鍛え」
「鉄鉄臭いな、お前お前か? 耳耳障りな原因は」
ドゴン。ドスン。
突然耳元で殺気と共に声を掛けられ驚いた奏多は振り向きざま一閃木刀を振るった。
「あっしまった!」
驚いてぶん殴ってしまったと後悔した。殴られた奴は一丈くらい吹き飛んだので人間だったら大怪我不可避である。
月明かりに目を凝らして見れば首があらぬ方向に曲がっているように見える。
焦って駆け寄ろうとすれば、ゆっくりとそのまま起き上がり、こちらを見ている。そんなもの、人間に出来ることではない。
「なんじゃ? どうした?」
「ッ爺さん! 今すぐ風呂から出て逃げろ! 鬼が出た‼︎」
曲がった首が元に戻る。
「打た打たれるのは痛い痛いな、でもでも生きが良い」
月光に鬼の姿が照らされる。一つの頭に顔が二つあり、その境、頭の真正面に角が生えていた。異様に細い体と出た腹は地獄の絵巻に出てくる餓鬼を連想させる。
その姿に恐怖するでもなく、自分の不幸に悲嘆するでもなく、奏多の内を占めたのは怒りだ。
あれで終わりだと思っていた。悲劇は終わりを告げて新しい道を見つけていくのだと思っていた。
自分たちだけがとびっきりに稀な不幸にあったのだと思っていた。
(こんなものが、まだ居るのか?)
自分たちのようなことがまだまだたくさん起きている。その事を奏多は認めない。許さない。
この鬼を殺さなければならない。
「シッ‼︎」
怒りで荒れる呼吸を抑え踏み込みと共に鬼の頭に木刀を叩きつける。鍛錬用に内に鉄が入っているお陰か折れることはない。
あの時、腹を滅多刺しにしても死ななかった。どうやって行冥は自身と沙代を守ったのか、思い当たるのは陥没していた床板。
(頭を叩き潰せば殺せるかもしれない!)
「ががっぎゃっ」
ヒュウと息を吸い込み、頭に向け木刀を乱打する。鍛治で鍛えられた筋肉が奏多の要求に応えどんどんと鬼の頭をぐちゃぐちゃにしていく。
「おおお‼︎」
裂帛の気合と共に上段から振り下ろしたトドメが鬼の頭を叩き潰した。
やったか、と一瞬気が抜けた奏多に向け首なしの鬼の腕が全力で振るわれる。
咄嗟に後ろに跳ねながら木刀を盾にする。表面の木が弾け飛び、鉄芯が露わになった。
「痛痛い。恐ろ恐ろしい奴だ。でもでもそんなものじゃ、死死なない」
潰れた頭の代わりに首から二つの顔が生えてくる。頭を潰しても死なないことが確定した。
「奏多! 今行くから待っとれ!」
「くるな爺さん! 俺のことは良いから逃げまでくれ!」
「バカモン逃げて婆さんに顔向けできるか!」
「年年寄りの割に、良い良い威勢だ、お前お前を食った後の、おやつおやつにしよう」
二つの顔が笑みを浮かべた。
「させるかよ!」
木刀を叩きつける。細い枯れ木のような腕がへし折れるもそれを無視して鬼は動く。攻守が逆転する。一方的に身動きが取れない程殺し続けるにはまだ奏多は弱くこの鬼は以前の鬼より再生力が高かった。
木刀の表面を削り取られながらも受け流した蹴りが藤の木の幹に直撃したやすくへし折られる。
まともに受けてしまえば行動不能は免れられない。受け方を過たないよう神経を集中させる。
頭を潰しても死ななかったなら殺せる可能性は一つだ。化け物にありがちな弱点。夜にだけ出没する鬼。
(日に当たれば死ぬか何か鬼に良くないことが起こる!)
だが、丑の刻、夜中の二時程に鬼が現れたあの時と違い今は戌の刻、九時程だ。ここから日の出まで八時間近くの間、この鬼と戦い続けなければならない。
鬼の突進と共に繰り出される抜き手を体を後の先で体をひねって回避しながらその捻りを攻撃に転用する。鬼の後頭部に直撃し薪置き場に突っ込んだ。
「ハーッ! ハーッ!」
心臓が破裂しそうだった。体が空気が足りないと息を求めている。
薪をガラガラと崩しながら鬼が起き上がる。二つの顔は片方が笑みを浮かべ片方が憤怒の表情を浮かべている。
「流石流石に面倒くさくなってなってきたぞ。いいかいいかげん食べられろ」
「うるさいバーカ! そんなに食いたきゃその辺の石でも食ってろ調味料に塩貸してやるからよ!」
「威勢威勢が良いな、いつまでいつまで続くかな」
「朝までだよ!」
奏多の威勢の良さは虚勢であり、自分を奮起する鼓舞だ。守られる者から守る者に移行した思いが、奏多自身が気絶や倒れることを認めない。
「朝朝は困るな、さっささっさと飯になれ」
受け流そうとした鬼の腕が突如肥大化した。突然の事に受け流しを誤り木刀が鉄芯ごとくの字にへし折れる。木刀が身代わりになり致命傷にはならなかったが、武器を失った。
(それがどうした、行冥だってどうにかして守ったんだ。武器がない程度で何もできなくてどうする!)
「奏多‼︎」
決死の覚悟の元無手で挑もうとした奏多の元に、飛来するものがある。目の良さでそれを認識して掴む。それは鞘。
鍔があり、柄がある。掴んだ。しっかりとした手応え。鯉口を切り鞘から刀を引き抜く。
「退魔の、刀」
「使え奏多! 息子を信じろ!」
褌一丁の日野坂老人の姿が奏多を鼓舞する。彼の息子ならば奏多は信じることができる。
「刀刀だと、厄介厄介な」
「これでおしまいだぞ鬼め!」
重さは木刀と大差ない。息を吸い込み、素早い踏み込みと共に鬼を袈裟斬りにした。
「ぎゃあああ!」
「よし、効いた流石退魔ーーー」
「なんてなんて、嘘嘘だよ」
袈裟斬りにされ膝をついたと思った鬼がケロリとした顔で立ち上がり舞うようにくるりと一回転してみせた。右肩から左腰に抜けた切り傷が徐々に治っていく。
「おいジジイ‼︎ 全然ダメじゃねえか治ってるぞ‼︎」
「なにい⁉︎ 息子よ‼︎ 龍彦よッッ‼︎ 死んだら恨んで出てやるからの‼︎」
ギャーギャー喚きながらも鬼の蹴りを切って迎撃し鬼の拳を捌いていく。切っても切っても治り出す様はまさしく不死身。
その鬼が、奏多の斬撃を一つだけ"避けた"。
(避けた? 頭を潰されても平気だった奴が?)
息を整え、踏み込むと共に滅多斬りにする。
鬼は腕を切られようと構わない、足を切られようと構わない、頭を斬撃がかすっても気に留めない。ただ唯一避けたものがある。
(首に対する、横薙ぎ‼︎)
苛烈さを増す奏多の攻撃に合わせ鬼の攻撃も苛烈化する。鬼の体当たりが建物にぶつかり、風呂釜が割れたのかお湯が溢れ出す。
掴まれれば死の剛腕を広げ迫る鬼に、奏多が股を抜けながら片足を切り裂く。
たたらを踏んだ鬼を正面から構える。
(この身は鋼だ。鍛え鍛え上げ)
思い浮かぶのは一年前まで家族として暮らしてきた十人。そしてお世話になった一人の老人。
(守る為、剱と成る!)
多量の空気を吸い込む。全身の筋肉をできる限り掌握し理想の動きをする。この攻撃は"まだ"技ではない。
「速速ッ⁉︎」
「おおおおお!」
しかし後の彼の技の名前を借りるならば、こうなるだろう。
"全集中 剱の呼吸"
高速の疾走と共に大きく体が捻られる。 全エネルギーを内包したまま大地を蹴る。体を回転させ、力全てを円にし、一刀に込める。
"壱ノ太刀 草薙"
鬼の首が切り飛ぶ。切った勢いのまま姿勢制御もままならず地面に叩きつけられ転がる奏多がなりふり構わず無理やり立ち上がり鬼を見る。
切られた首からまた顔が生えてくることはない。ゆっくりと体が崩れていくのを見て、駆け寄ってくる日野坂老人を見て、安心して息を吸う事も忘れ、酸欠で気絶するのだった。