楽しむという行為、それがなくても生きられるのか。
おもしろきこともなき世をおもしろく、しかして、独りでは難しい。
乾杯は、盃が複数あって音が鳴るのだ。
朝。
眠れぬ不死者には無関係な事柄を、ナザリック地下大墳墓の支配者であるモモンガは漠然と認識する。
地下にある彼の私室に朝日が差し込むことは、例え西から太陽が昇ろうともあり得ぬこと。そしてそれ以上に、生ける骸骨の彼が微睡みから目を覚ますのは、もっと有り得ぬことだ。
だがしかし、新しい一日の始まりであることはモモンガにも関係していることだ。
支配者として、ナザリック地下大墳墓の全てを、“アインズ・ウール・ゴウン”を、未来永劫に護り続けるために、彼は今日も一日、働かなくてはならない。
しかし、嘗て彼が重だるい微睡みから目を覚まし肉の体を引き摺って労働していた時とは違い、その労働に対してモモンガはそこまでの億劫さを抱いていなかった。
支配者としての振舞いが、悲しいかな板についてきたというのもあるが、それだけではない。自身と限りなく立場を共にする仲間達が、今はいるのだ。
後から帰還し紆余曲折を経てアインズ・ウール・ゴウンにそれぞれ納得する立ち位置を得た彼らは、モモンガと違い世界に積極的に関わっている。汚泥のような世界で違う形で苦しみ抜いて死に絶え転生した優しい仲間達は、この世界に二の舞を演じさせまいと精力的に活動しているのだ。
種族特性故に感情が抑圧され、そしてアインズ・ウール・ゴウン以外が全て有象無象にしか思えないモモンガも、そんな彼らに引っ張られ、今は以前よりもどこかやる気が漲っていた。この世界全てを手に入れ、どのような手段を用いてでも、誰もが絶対に幸福である黄金の世界を創り上げようと奮起しているのだ。
それは、物語の世界ですら描かれることもなさそうな、蜜よりも甘ったるい夢のまた夢に思えるような世界。しかしそれを、不死者は、異形の仲間達と肩を並べ、確かに夢みていた。
「……今日の予定は、午前にアルベドとデミウルゴス、それからユリの報告会。午後は予定なし、だったな」
「はい、モモンガ様、仰せの通りで御座います」
アインズ様、改めモモンガ様当番であるメイドのシクススは、金糸を垂らし見詰めていた盤上から顔を上げ支配者を見つめ返して答える。その視線を受け止め、鷹揚に頷いたモモンガは、彼女が見詰めていた盤上へと視線を戻す。
黒と白のリバーシブル模様の丸く平面的な駒が置かれた盤上では、黒が勝っている。その数の多さは、ぱっと見で分かるほどであった。
「シクススはオセロが強いと聞いていたが、本当だな」
「そんな、勿体無い御言葉……!」
顔を真っ赤にして、慌てたシクススは頭を下げる。火照った頬を冷やそうとするかのように、メイドのそれとは思えぬ白魚のような指が、その両頬に添えられた。
ナザリック地下大墳墓の支配者であるモモンガとそこのメイドであるシクススは、現在オセロを楽しんでいた。一本足の丸テーブル上で緑の盤上を間に挟んで、主とメイドは対戦中である。
現在、ナザリック地下大墳墓内ではアインズ・ウール・ゴウンに二番目に帰還した、たっち・みーが原因で、ボードゲームが流行していた。
私室などに適当に放置していたアイテムなどを最近やっと彼が整理を始め、そうして見つけたのが、様々な種類のボードゲームだったのだ。タブラ・スマラグディナにうっかり興味があるようなことを言ってしまい、彼が押し付けられた大量のボードゲーム類は、今はナザリック地下大墳墓内のあちこちに皆が楽しむため散っている。
モモンガとシクススが対戦するオセロも、その内の一つだ。
色々と成長を感じるなぁと思いながらモモンガはオセロの駒を手に取り、置いて、しまったなと思う。置いた後になって悪手であると気付いたのだ。
「……モモンガ様はお優しすぎます」
「そ、そうか?」
わざと負けてあげたと思われていることに恥ずかしく思うも、彼女に花を持たせ負けるが得策かという思考も並行して行いながら、モモンガは余裕そうな見せかけの態度を崩さなかった。
「そういえば、最近また洋服作りが流行っているらしいな」
パチリ。
「はい、稚拙ながら楽しくやらせて頂いております」
ぱち、ぱち、ぱち。
「謙遜するな。今は皆がかなりの腕前だと聞いているぞ」
「お、恐れ入ります。皆にも伝えたら、きっと喜びます!」
深々と頭を下げた後、シクススは盤上を眺め、顎に手を当て考え込む仕草をする。
「出来た物は、ユリの孤児院に寄贈しているらしいな」
「はい、外の材料で作ったものは孤児院に送っています」
シクススが駒を置き一枚一枚丁寧に捲るのを見守りながらモモンガは、ユリが助かっていると嬉しそうに言っていたことを伝える。手を止め、ぱっと顔を上げたシクススは花が綻ぶように笑って喜んだ。
「そう言えば、ウルベルトさんからも素材を渡していると聞いたぞ」
「はい、そちらは貴重な物ですので本当は厳重に保管したいのですが……、何か作ったら見せてほしいと御願いされましたので、コサージュなど、ウルベルト様の御眼鏡に少しでも適う物を作っています」
ウルベルトさんも扱い方が上手くなってきたなぁと内心で独りごち、友の成長にモモンガは感心する。そしてモモンガは、駒を裏返す作業に戻ったシクススに自分にも見せてほしいと頼んでみた。
「え、そ、そそんな! 至高の御方にお見せするようなものでは……!」
「お前達がデザインして作った物を見てみたいんだ。……ん? 待てよ、そう言えば以前シャルティアが今までに見たことがない飾りを付けていたな。ペロロンチーノさんはシャルティアに沢山衣装を持たせていたから、てっきりその一部かと思っていたのだが、もしかして……」
「お、お恥ずかしながら……、黒紅の薔薇に真珠とルビーの飾りが付いたコサージュでしたら、私達が作った物です、モモンガ様」
「ハハハ、そうかそうか、ちゃんとは見ていないが綺麗だったぞ? 今度、シャルティアに頼んでじっくり鑑賞させて貰おう」
「うう、勿体無い御言葉……! しかし、至高の御方に私共が作った物を見られるのは、やはり恥ずかしいです……!」
またもや顔を真っ赤にして、とうとう顔を覆い尽くしてしまったシクススに、モモンガはクスクス笑う。しかし、少し間を空けてから、ああそうだなと短く零した。
「自分の創造物を時間が経ってから見るのって辛いよなぁ」
「?」
「あぁ、いや、なんでもない。さて、シクスス、これで終わりにしよう」
パチリ、軽快な音がした後にまた駒が引っくり返っていく。骨の手が捲り終わり、盤上の勝敗が決定すると同時にモモンガは立ち上がった。
「新しい一日の始まりだ」
「はい、モモンガ様、今日もまた御身に良き一日を過ごして頂けるように務めさせて頂きます!」
白磁の骸骨が歩いて行く後ろを黒衣のメイドは微笑を浮かべ追従して行く。
とある支配者の、穏やかな一日の始まりであった。
昼。
食べぬ不死者には不要な食事を山盛り一杯食べる仲間を、モモンガは眺めていた。
伽藍堂の骨の身が何かを食するのは、喩え昼の空が黒く染まろうともあり得ぬこと。そしてそれ以上に、生ける骸骨が空腹を覚え食事を欲するのは、もっと有り得ぬことだ。
だがしかし、眼の前で大変美味そうにもりもりと食事をする姿を見せられれば、無関係のモモンガにもそれは大変羨ましいと思えることだった。
今は、“冒険者都市ベイロン”と名を改め、亡国の都市だった頃より巨大化した都の支配者として、“騎士ベイロン”を名乗り管理する彼、たっち・みーは、今日も一日働くためなのか食事の手を緩めない。
彼が手を伸ばし籠の中にある胡桃パンを取るのを、モモンガは何となく目で追う。嘗てモモンガがまだ生命体としてあった時に泥と石のようなものでしていた食事とは違い、彩りにまで気遣われた様々な温かい食事がラベンダー色のテーブルクロスの上には並んでいた。
籠に盛られた焼き立てのパンに、厚く切られた根菜とベーコンのスープ、トマトソースのかかった鶏肉のグリル焼き。新鮮に輝くドライフルーツ入りのレモンドレッシングのかかったサラダ。そして、テーブルに所狭しと並べられた料理の中、中央に鎮座する牛のような見目の生き物の丸焼き肉は、とても巨大で火が中まで通っているとは思えない程だ。
晴天の下で蔦に覆われ花で飾られたガラス製の屋根の下、食せぬ身になってから用意されたそれらを見てモモンガはまた苦笑した。
「……今のところ大きな問題もないし、順調のようですね」
冒険者の修練場を遠目に見下ろして、モモンガは頬杖をつき、のんびりと視察の感想を述べる。アインズ・ウール・ゴウン魔導王としてモモンガは、たっちが外で支配する都市の見学に訪れていた。
そして今は、たっちが気に入っている城の中庭で昼休憩を取っている。
疲労のしない不死者であるため、休憩というよりかは雑談をするためのサボり時間であるが、上司が率先して休むべしとモモンガは割り切って考えている。
「そろそろ、“冒険者都市”と堂々と名乗っても良いでしょうか」
「当然ですよ。それどころか冒険者で知らない者はいないみたいですよ、“冒険者都市ベイロン”のことは」
モモンガのその言葉に、騎士は食事の手を止め嬉しそうに異形の顔で破顔した。
冒険者都市ベイロン、亡スレイン法国内の南東、広大な平野を塗り潰して存在する今はたっちが管理するその都は、奇妙な都であった。
城塞の中に幾重もの壁があるのは本来は中央の本丸に近付かせないためであるのに、その都は中央の城までの大きく広い道が一本、綺麗に舗装され用意されていた。
森を抜けて少し歩いた先の巨大な門を開けば、老人でも苦労しないような緩かで真っ直ぐな坂道が、城へと誘うように用意されているのだ。その奇妙な一本道を無視すれば左右にあるのは普通の城塞都市と変わらぬ光景であるため、まるでその道だけが唐突に現れ、街を塗り潰したかのようだった。
そして、中央の城に近付くと不気味な声が聞こえてくるのもその都の特色である。
それは獣の声であり、そしてモンスターの声であり、誰かの絶叫だった。安全な都市内で聞こえるはずのない音声が、その城の背後からは漂っている。
そしてそれは、その都市が“冒険者都市”と名乗る所以だった。
その都は城の背中側を、冒険者の鍛錬と試練の場として利用しており、数多のモンスターや獣をそこに飼っているのだ。
モモンガとたっちが寛いでいる中庭は、中央の城の背後にあり、そこでは鍛錬場が見下ろせるようになっていた。
ギガント・バジリスクが暴れ回り、それを懸命に相手取る冒険者達を遠目に眺めながら、モモンガとたっちはのんびりと報告会というよりも、雑談というのが相応しい会話を続ける。
「今は皆もすっかり慣れて、色々とスムーズになりました。私の教えた柔道の先生も増えましたし、薬学やサバイバル術の授業も教本が纏まってきましたし、冒険者の質は数段良くなっていると思いますよ」
「彼らの質が上がれば、もっと広い世界をより詳しく知ることができますから、楽しみですね」
鍛錬場にて空に浮かび上がり魔法を放つ冒険者を眺めながら、モモンガはうんうんと満足そうに頷く。
「最近とても強い新人冒険者が現れました。試験結果は銀からのスタートですが、実際は金以上の実力です」
口に入れた食事を水で流し込み、たっちがそう言えばと、モモンガに伝える。鍛錬場から目を離し、モモンガはそちらの話題に食いついた。
「へぇ、どんな冒険者ですか?」
「亜人種ですが、それを差し引いても強いですよ。体格も才能も恵まれていて、彼に冒険者の部隊と死の騎士を率いて遠くに旅立ってもらえたら心強いのですが……」
言葉尻を濁した仲間のその様子を見て、モモンガは原因を予想してみた。
「もしかして、性格に難有り?」
「大当たりです。自信家で横暴、無茶をして突貫し目立ちたがる。チームを組む冒険者としては、失格ですよ。銀のプレートを渡された時にも一悶着ありましたし……」
溜息を吐くもそこまで困り果てている様子ではないたっちに、モモンガはまたも予想し当ててみせた。
「何か手を打つ予定があるんですか?」
「えぇ、近々トブの大森林の探索に行かせる予定ですので、アウラとマーレに協力してもらって天狗の鼻を折ってきます」
「やり過ぎて再起不能にならないよう気を付けないといけませんね」
「えぇ、程々に、成長を促す程度にしないといけません。アウラとマーレなら問題ないとは思いますが、私も気を付けますよ」
それから、とたっちがナイフとフォークを置き少し前に書類を持って中庭に現れていた執事に視線を向ける。
主達の会話を邪魔するまいと音をたてず気配を殺していた執事は、恭しく一礼し、そして持参した書類をたっちに手渡した。
「件の書類をお持ちしました」
「ありがとう、セバス」
その書類は、そのままモモンガへと手渡される。
「これが、一応目を通しておいた方が良さそうなタレント能力者一覧です」
モモンガは受け取った書類を捲り、たっちは再度ナイフとフォークを構え分厚い肉塊を口に放り込む作業を再開した。
「……やっぱりンフィーレアのタレントは破格だったんだなぁ。そもそもアイテム関連のタレントが少ないし……」
「……そうですね。タレント管理も進んでどんな能力でも登録されるようになってきても、アイテム関連は珍しいです」
中央の丸焼きから切り取った分厚い肉塊を飲み込んで、返事したたっちにモモンガは視線を遣り書類を机に伏せた。
書面にあるタレント能力一覧よりも、目の前の大食漢の方がモモンガは気になってしまったのだ。
「それにしても、大きいですね。まぁ、デカいハムスターみたいなのがいるなら、デカい牛みたいなのがいても、おかしくないのかな?」
「これを狩るのは、なかなか楽しかったですよ。対獣の狩りも悪くないです」
そう言った異形の口がまたガバリと花のように開く。大きなナイフとフォークで切り取られた丸焼きの肉塊はまた簡単に口内へと消えていった。
「最近は狩りをしているんですか?」
「えぇ、たまに。そうそう、それで体を動かしていて思ったんですよね、筋トレをしようかなって」
「筋トレ」
たっちの口から出てきた意外なワードを思わずモモンガは復唱した。転生前も、そして転生後はより、モモンガには興味関心関係のない言葉だ。
「今なら鍛えれば鍛えるほど、筋肉がつく可能性だってあるでしょう?」
「うーん。そうなったら戦力増強だし、助かる、かな? でも“異形”ですからね、“不変”かもしれないですよ。それに、その肉体って人間みたいに筋肉がつくんですかね?」
「まぁ、物は試しですよ」
そう言って、また口をガバリと開いて肉塊を口に放り込むたっちを見て、モモンガはふと思い至り指摘する。
「仮に変わるなら、逆も心配しないと駄目なんじゃないですか? 随分と沢山食べてますけど」
正に文字通り何もない骨の腹部分を膨らんだように擦る真似をして、モモンガはくすくす笑う。
「一応午後に運動する予定もありますし、大丈夫でしょう。前に言ってた、冒険者との集団戦闘訓練、今日やるんですよ。八百人集まってくれたから、午後が楽しみです」
「……それ、足りますか?」
人数も、運動量も、準備運動にすらならなさそうだとモモンガは心配する。
「騎士ベイロンとして戦うので、それに合わせ能力も装備も落としますから、まぁ、大丈夫でしょう」
表向きの立場である、“魔導王の騎士ベイロン”として“アダマンタイト級の中でも上位”という設定で戦うならば、確かに問題はなさそうに思え、モモンガは成る程と頷く。
「いい運動になるといいですね」
そう言ってモモンガは、先程の書類にちらりと視線を遣り、そしてまた頬杖をついて鍛錬場の方へと視線を遣った。
しかし先程見かけたギガント・バジリスクも、冒険者達も既に消えており、勝ったのか負けたのか、それは少しだけ気になるなぁとモモンガはぼんやり思うのだった。
晩。
眠らぬ不死者には無関係な事柄を、燃え盛るような夕暮れを眺めながらモモンガは一日の終わりと共に認識する。
生ける骸骨の彼に睡魔や疲労が襲い掛かることはない。一日の終わりであることも、今や悠久の時を生きるモモンガにとって、とても瑣末なことだった。
支配者として、ナザリック地下大墳墓の全てを、“アインズ・ウール・ゴウン”を、未来永劫に護り続けるために、彼はこれからも働き続けるのだ。
仲間達と共に、誇りを胸に抱いて。
夕暮れと、その色を受けて変色した街並みを眺めモモンガは素直な感想を零した。
「綺麗ですねぇ」
「いい観光地になりそうでしょう? 夜景の演出も色々と考えているんですよ」
友の賞賛を受けて嬉しそうに笑う悪魔、ウルベルト・アレイン・オードルがモモンガの隣に立ち満足そうに自身の管理する都を眺める。
そんな彼らが眺める亡スレイン法国内の北西、 雄大な自然に囲まれたその都もまた、奇妙な都であった。
以前は湖と崖に挟まれた僅かな土地にしかなかったその都は、今は湖を中心に綺麗な円形に広がっている。
そして、嘗ては都を守るためにあった自然の要塞の上には、巨大な橋が今は複数掛けられていた。その橋は、近くの都や街道など、様々な方向から自由に繋がっている。
戦時においてはメリットでもありデメリットでもあった“僻地”という特徴は、交通の便の改善で消えてしまっている。綺麗な装飾までされた洗練されたデザインのアーチ橋を歩き、都に入る門を開けば、すぐに湖と都が迎え入れてくれるのだ。
中央に巨大な石を積み重ねてできた塔がある湖と、来訪者を愉快な気分にさせようと試みるような色彩豊かな建物が並ぶ町並み。普通の都市と何一つ違うそれらが直ぐに来訪者を迎える様は、まるでテーマパークのようである。
しかし、そこに響くのは未だ主に工事の音であった。夕暮れ時に何処か物悲しく轟くそれは、仕事終了の鐘の音によって少しずつ小さくなってゆく。
「観光都市計画、そろそろ始められそうですね」
「復興に時間が掛かってしまい、申し訳ないです」
「気にしないでください。かなり壊れていたし、あの橋の建設とか時間がかかることばかりでしたからね、仕方無いですよ。でも、あの橋も、この街もとても凄いし、きっと大成功しますよ!」
前向きな応援の言葉を送るモモンガに、ウルベルトも嬉しそうにお礼を述べた。
「それにしても……、こんなロマンチックな場所に、骸骨と山羊かぁ」
何とも複雑そうな声を出しながら、モモンガは周囲を見渡す。
湖のすぐ側に造られた高級飲食店の、大理石でできた二階のテラス席に、モモンガはいた。白亜の大理石と黒のソファ、アンティーク調のどっしりした机に敷かれたワインレッドのテーブルクロスは、シンプルながらもお洒落な雰囲気を醸し出している。夕日に照らされている今など、どこを切り取ってもまるで絵画のように美しい。
「確かに、悲しいですね。……ぶくぶく茶釜さんとやまいこさんがいれば、ロマンチックな夜になりそうでしたかね?」
「うーん……、百鬼夜行ですねー」
「あははっ」
女性だが見目は異形であった仲間達のことを思い出し、モモンガはこれまた素直な感想を述べる。当人達が居ないからこそ言える悪口めいたそれに、ウルベルトも遠慮なく笑いソファから立ち上がると、モモンガに近づいた。
「あれが、以前伝えた国営の賭場です。今は内装の最終調整とスタッフの教育中です。勿論、アコギな商売はしません。程々に儲けさせ楽しく遊ばせる、そうしないと長続きしませんからね」
テラスから向こうに見える大きな建物を指差して、ウルベルトは書面で報告した街の施設について案内を始めた。
「親であるオレ達のところに自動的に金が集まるシステム……。ふふ、本当に良いアイディアですね、さすがウルベルトさん!」
遥か昔のことだが金策に苦慮したこともあるモモンガは、至極嬉しそうにしていた。そんなモモンガに、ウルベルトはまた別の施設を指差して自慢気に案内する。
「あそこはモモンガさんも喜んでくれるかと思います。国営質屋です。様々なアイテム、物品が向こうから来てくれますよ」
「わぁ、それはいいですね!」
想像通り喜んでくれたモモンガにウルベルトは満足そうにしつつ、話を続ける。
「まぁ、実際は都合よく珍しいアイテムがくるか分かりませんが、可能性に俺達は賭けましょう」
「えぇ、それに、時間は沢山ありますし、楽しみが増えるだけ有り難いですよ」
そうしてウルベルトの説明や相談が続き、モモンガがそれを聞き時折細かなところを尋ねたり、雑談に逸れたりしてゆくうちに、あっという間に夜が訪れた。
すっかり暗くなり、星々と月の明かりが深く暗い湖に映る。その自然の鏡にモモンガは感嘆し、ブルー・プラネットさんに見せたいなぁとぽつりと零す。
「えぇ、本物の星を見せてやりたいですね」
「きっとずっと星を眺めて、静かに感動しますよ、すごく静かに泣きそうです」
「あぁ、それは想像できるな。確かに、そういう喜び方をしそうだ」
そうして暫しの間、骸骨も悪魔も静かな一時を過していた。
暫くして、メイド達によってテラス席のあちこちにキャンドルライトが準備されてしまい、ますますムーディーになってしまったことでモモンガとウルベルトが肩を震わせていたところに、第三者が現れた。
「こんばんは、お疲れ様です」
鎧の音とともに現れた聖騎士に、骸骨も悪魔も気さくに返事する。
「あ、たっちさん、お疲れ様です」
「お疲れ様です。……山羊に骸骨に蟲か、ははっ、ロマンチックな夜だな」
「はい?」
首を傾げつつも、たっちはモモンガとウルベルトが囲むテーブルの空いた一席に腰掛けた。
モモンガが今までの事のあらましを伝え、そしてウルベルトが観光都市計画について改めて現状報告を行う。
「という訳で、平たく言うと人手不足です」
「こちらとしては雇用が増えるのは有り難いですね。元冒険者の引退した方々の引受先としてもいいですか?」
「あっ、そっか、そっちもありましたね。法国の生き残りを充てようかと思ってました。孤児院から生き残りがまた出て来る歳になるから、注意が必要とかデミウルゴスが言ってたし」
モモンガの発言に、ウルベルトが首を横に振る。
「それは止めといた方がいいかもしれませんね。ここ、スレイン法国の宗教都市でしたから」
「えー。そうだったんですか」
「あの塔も、神様の像の瓦礫が材料ですよ。あぁ……、復讐心を持ってるヤツの炙り出しには丁度良いか?」
夜と星を映し真っ暗闇になった湖を見詰めウルベルトが零した呟きに、モモンガがそれならばと提案する。
「じゃあ、注意が必要と判断された子供達中心にここで働くように、それとなく手を回すように指示出しておきますね。あ、たっちさんの方も受け入れできますか?」
ダメ元でと問うたモモンガと、諦めていたたっちが拍子抜けする程に、ウルベルトはあっさり了承する。
「人手が足りないですからね。平気ですよ」
「そんなに足りないですか? 確かかなりの数が移住したと思いますけど」
「工事関係者は工事終了と同時に故郷に帰る者達もいますからね。それに何よりも、国営の賭場に、質屋にと、知らない仕事をさせますからね。合わなくて仕事を辞めたり変えたりする者も出るでしょうし、それに、サーカス団を作ろうと思ってますから。とにかく今は沢山雇っておきたいんですよ」
なるほどと、たっちが納得し、モモンガが気になったところを問いかける。
「ウルベルトさん、サーカス団を作るんですか?」
「可愛いストライプ柄のテントもありますし、観光都市にショーは必要ですからねぇ」
「サーカスというと、ええと、ピエロ?」
「後は空中ブランコ、猛獣使い、曲芸師とかですね」
「全て訓練中ですがね」
「……ちょっと見てみたいな」
モモンガはサーカス団に気を取られたが、たっちは別のところを気にしていた。
「ところで、ギャンブル依存症の対策も必要になると思うのですが」
たっちの真面目な提案に、モモンガも思考を切り替え、少し考えてから同意する。
「そうですね。この世界の住人には、いきなりのことですし」
「俺は魔導国ならそこまで問題にならないとは思ってますがね」
モモンガは同意したが、独り特に問題なしとした彼に、視線が集まる。
「依存ってのは、貧しいと起きるんだよ、たっちさん。満ちないから縋るんだ」
「……そうですか。それなら確かに、この国なら心配ないのかもしれないですが、対策はしておきましょう」
「……そうですね」
以前と違い意見が違っても静かに歩み寄ることもできるようになった仲間達に内心嬉しく思いつつ、モモンガはそう言えばと、肝心なことを思い出す。
それは、この観光都市の名前である。今の今まで、未定であり無名だった街にそろそろ名前をとモモンガがウルベルトへ名前を尋ねる。
すると悪魔が、愉しそうに、嗤った。
とても良いことを思いついたと、言わんばかりに。
「実は、この観光都市の名前をどうするかは決めかねていたのですが、今、皆さんと話していて決めました」
そうしてウルベルトは、謳うように命名する。亡国の都市に、魔導国としての新しい名を。
「観光大都市、スレイン」
その名を聞いて、片方は面白そうに、片方は呆れたようにした。
「まったく貴方らしい。しかし、それを亡国への慰めにするのは無理がありますよ」
「しかし相応しいでしょう。宗教も賭博も、見えない何か、奇跡に依存するものだ」
「それなら神より賭場の方が偉いですね、たまに救ってくれる。しかもお金で」
クスクス嗤って天上の存在を小馬鹿にするモモンガに、諌める言葉をたっちが掛ける。
「モモンガさん、罰当たりですよ」
「はっ、ここまで言われて降りてこない神など」
「ウルベルトさん」
「はいはい」
神への忠義でなく真面目さ故に苦言する聖騎士を、悪魔は適当にいなす。そして彼は、全て終わったと判断し、簡単に話し合いを終わらせた。
「それじゃあ、仕事の話はこれぐらいにしましょうか」
ウルベルトが少し離れたところで待機していたメイドに片手を上げて合図する。恭しく頭を下げた彼女達は静かに移動し室内へと向かった。
暫くして、ワゴンに載せられた料理とワインボトルが運ばれてきた。当然、飲食物関連は、たっちとウルベルトの前にだけ置かれる。それに今更どうとも思わぬモモンガだったが、目の前に厚手の群青色のグラスが置かれ、きょとんとしてしまう。
そのグラスからは、爽やかで清々しい香りが溢れていた。
それまで頬杖をついて夜景を眺めていたモモンガだったが、その骨の顔は仲間の方に向き直った。
「モモンガさんにも中身の入ったグラスを渡したくて」
「全員で乾杯しましょう、モモンガさん」
ウルベルトが指し示す群青色のグラスの中には、香が入っていた。自分のために用意されたと解った白煙の満ちるグラスを、モモンガはその骨の手で持ち上げる。
「……良い香りですね、ありがとうございます、ウルベルトさん、たっちさん」
その素敵な香りだけでなく、仲間からの気遣いにもモモンガは嬉しくなっていた。満ちることのないはずの伽藍堂の胸中が、何か温かなもので満ちたような気持ちに彼は浸る。
「ウルベルトさん」
「あぁ、どうも」
ワインを注ごうとしていたメイドの手を止め、一言断りを入れてから、ボトルを受け取ったたっちが、ワインをウルベルトの差し出したグラスに注ぐ。同じように、ウルベルトも、たっちの差し出すグラスにワインを注いだ。
そうして、彼らはそれぞれのグラスを掲げる。
ウルベルトが持ち上げたグラスの中で、赤黒い液体が踊る。たっちが持ち上げたグラスの中では、明るい小麦色が波を立て、モモンガの持つグラスの中では香の煙が楽しげに揺れ踊っていた。
「「「乾杯! お疲れ様でーす」」」
明るい声とグラス同士の衝撃が、重なり合って、響き合う。
また楽しそうな笑い声が宵闇と揺れる蝋燭明かりの中で起こり、星々と暗い湖へと吸い込まれていった。
それは穏やかで賑やかな、異形達の日々の一幕。
日常。