ザ・スペランカーズ ガラスの高校球児たち   作:GT(EW版)

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転校生はボクっ子守備職人

 振り上げた右足に二段の溜めをつけたモーションから、勢いのあるボールが内角に食い込んでくる。

 クロスファイヤー。一球目から物おじせず投じてきたそのボールを、蔦谷は迷いなくバットを振るうことで洗礼を浴びせに掛かる。

 ついこの間まで中学生だった投手の球としては、悪くない速さだ。しかし高校野球が発展し続けている令和30年の時代、130キロの速球も今や地区予選レベルで見慣れている速さだった。

 故に、対応はそれほど難しいものではない。

 遠慮なく踏み込んで腰を回転させた蔦谷のバットは打撃投手篠原の直球を捉えると、打ち返した打球は彼の真横を抜けていった。

 

 センター前へ向かっていくゴロヒット。ミートの感触は思ったほど良くはなかったが、ブランク明けのワンスイング目としては上出来だろうと蔦谷は笑みを浮かべ――次の瞬間、驚きに固まった。

 

「ほい」

 

 確実に二遊間を抜けていく筈だと疑わなかった蔦谷の打球は、ショート美月光のグラブにあっさりと収められたのである。

 飛び込むまでもなく軽々と捕球してみせた彼は余裕を持ってボールを一塁へと送球し、蔦谷の一打席目を凡退にせしめた。

 

「パネェ」

 

 そんなショートの守備に対し、打たれた篠原が衝撃を受けたような顔で賞賛の声を漏らす。

 本来であればその賞賛は初見でヒット性の当たりを打った自分に向けられる筈だったのにと、蔦谷は憎々しげに光の姿を睨んだ。

 

「あと二打席」

「……ムカつく」

 

 ノックの時から彼の守備力は見ていたが、こうして打者の視点に立つとより一層彼の守備範囲が驚異的な広さであることがわかる。

 そしてもしも自分がショートだったならば、今の打球は抜けているだろうと認識している自分が蔦谷には悔しかった。

 

「こんにゃろめ!」

 

 二打席目。

 今度はもっと速い打球を打ってやると、ショートの光への対抗心を燃やした蔦谷が力を込めて篠原の初球を強振する。が、ボールの感触はするりと抜けていくように空を切った。

 蔦谷が捉えたと思った瞬間、篠原のボールが膝元へと沈み、そのスイングから逃がれたのだ。

 打撃練習にも拘わらず……いや、打撃練習だからこそ、変化球を交えてきたのであろう。

 その空振りは熱くなっていた蔦谷の頭を冷静に引き戻してくれた。

 

「……チェンジアップか。サウスポーのチェンジアップっていうのは、どうも打ちにくいな!」

「ええ球やろ? ついでに言うと、アイツはこれとスライダーとカーブを同じぐらい投げ分けられるぜ」

「マジっすか。それなら、夏の大会に使えるかもしれないっすね」

 

 チャラ男の金髪新入生、篠原進。見た目は高校野球を舐めているようなチャラさだが、実力は即戦力になり得る素材なのかもしれない。

 彼に対する認識を改めた蔦谷だが、次なる二球目を思い切り引っ張り、痛烈な当たりを左へと弾き返した。

 

「ヒエッ」

 

 球種、コースは最初の球と同じ内角のストレート。

 バットの芯に捉えた蔦谷の打球は矢のようにサードの左を通り抜けていくが、ラインからほんの僅かに外れたファールボールだった

 目の覚めるような当たりを見た篠原がマウンドから喜怒哀楽激しく声を漏らすが、一方でその打球を飛ばした蔦谷は思ったよりも内側に食い込んでくる彼の球質に気づいていた。

 

「アイツのストレート、微妙にカットしてますね」

「そういう癖玉なんやろ。真っスラって奴やな」

 

 篠原のストレートは正直なストレートとは性質が異なり、カットボールのように手元で動いているのだ。

 その個性とも言える癖球は、磨けば光りそうなものを蔦谷は感じた。

 そんな篠原は投げっぷりよく三球目、四球目と次々に持ち球を投入し、打者の蔦谷に堂々と挑んでいく。

 そこで見ることができた彼のカーブ、スライダーと言った球種は、各「そこそこ」といった具合のレベルだった。目を見開くほど素晴らしいわけではないが、実戦で使えないほど粗末なものではない。ボールゾーンへと逃げていくそれらのボールを冷静に見送ると、蔦谷はストライクゾーンに入って来たボールを逃さず振り抜いていく。

 

 そんな蔦谷が弾き返した会心の打球は――またも、ショートのグラブに好捕された。

 

 今度はライナー性の当たりだった。レフト前に落ちていくクリーンヒットになる筈だった打球を、光が低身長を補って余りある大ジャンプを披露しもぎ取ったのである。

 

 完璧なヒットを捕られた瞬間、蔦谷は思わず打席から「は?」と理解しがたい声を漏らした。

 

「かっけー……美月先輩マジかっけーっす!」

「猫かよ……」

 

 それはまるで平成末期にブームを起こしたらしいサーバルキャットを彷彿させるかのような素晴らしいジャンプ力だった。

 その鋭敏な反応速度と言い、彼に二本のヒットを奪われることになった蔦谷は何の冗談だと彼の実力に対して目まいを覚える。

 

 蔦谷がショートのポジションを死守する為には、こんな守備力を持った相手に勝たなければならないのだ。

 

 出会って初日でこうも焦らされたのは、蔦谷の野球人生上、初めての経験だった。

 そしてその焦りが、この打撃練習で最後となる三回目の打席に悪影響を及ぼした。

 

「うぇーい! 篠原君マジ打たせて取るピッチング!」

 

 そう自画自賛しながら目の前に転がったピッチャーゴロを捌いたことで、打撃投手篠原がこの打席への勝利宣言を発する。

 三打席の打球は美月光を意識しすぎたが故の、力んだ結果によるボテボテの当たり損ないだった。

 結果的に三打席全て凡退に終わる結果になった蔦谷だが、彼の視線は投手に対してと言うよりもやはりショートに向けられていた。

 

「……キャップから見て、俺とアイツはどっちが上手いっすか?」

「はは、言わんでもわかるやろ。一応、お前が下手なわけじゃないとは言ってやるけどな」

「むう……」

 

 蔦谷のプライドを考えてか、キャプテンの古川は美月光への評価を遠回しに答えたが、蔦谷にとってその言葉は十分すぎるほどわかりやすかった。

 

 美月光の守備は、自分とは比べ物にならないほど上手いということだ。

 

 相手の実力は素直に認める。それが蔦谷剛のポリシーである。

 そんな蔦谷に対してたった二回の守備機会で力の差を見せつけた光は、彼の野球人生において最強のライバルと言っていい存在だった。

 

「蔦谷、ショート守れ。美月と交代な」

「ウス」

 

 三打席を終えたことで打者交代となり、バットとヘルメットをベンチに置いてきた蔦谷はその手にグラブを持ち替えながらショートの守備位置へと駆け出していく。

 そんな蔦谷と入れ替わり、キャプテンの指示を受けた光が打席に向かっていく。

 部で貸し出している中で最小サイズのヘルメットを被ってきた光の姿は、高校二年生でありながらもリトルリーガーのように小さく頼りない。

 しかしショートのポジションから彼の姿を注視する蔦谷の頭には、既に彼に対する侮りはなかった。

 

「実は打つ方は下手なんです……ってオチなら笑えるんだけどな……」

 

 チームとしては守備も打撃もイケる完璧超人の方が喜ばしいのは当然の話だが、同じポジションを競おうとする立場である以上、蔦谷にとっては一つでも多く欠点を晒してほしいところだった。

 そんな複雑な心境な彼に見据えられながら、美月光はマイペースに左打席に入り、一旦帽子を外して打撃投手に会釈する。二年生ながら、後輩に対して随分礼儀正しいことである。

 

(さあどうする? お前はどういうバッターなんだ美月!)

 

 期待と不安、そして恐怖に駆られながら蔦谷は腰低く構え、打席での彼の対応を窺う。

 光はどうやら右投げ左打ちの左バッターのようだ。スタンスを狭めに取りながらバットを寝かせて構えた彼は、大人しめな打撃フォームから摺り足気味にステップを踏むと、篠原の初球を鮮やかに弾き返した。

 

「っ――」

 

 一閃――外角低めのスライダーを初見で打ち返した光の打球が、鋭い軌道で三遊間を襲っていく。

 外角打ちの教科書のような華麗な流し打ちである。サードの横を悠々と通り抜けていった打球に、蔦谷は頭から飛び込んでグラブを伸ばす――が、捕れない。

 グラブに掠ることもできなかった光の打球は当たり前のようにレフトの前に転がっていくと、文句のつけようがないヒットになった。

 

「あ、あいつ……こっちを狙ってやがるな!」

 

 打球の行方を無感情な目で見つめていた光の眼差しが、一瞬だけ蔦谷の視線と交錯する。

 その瞬間、おそらく被害妄想であろうが、蔦谷には彼が嘲笑っているように見えた。

 

 「俺はお前のヒットを簡単に捕れるが、お前は俺の打球を捕れないんだぜ?」と――そう言っているように。

 

「くそったれめぇ!」

 

 二打席目――光が打ち返したのは、またも初球だった。

 今度の球種は内角低めに曲がり落ちてきたカーブである。ショートの頭上を襲う鋭い当たりは、奇しくも蔦谷の二打席目と似たような打球だった。

 蔦谷もまたジャンピングキャッチで掴み捕ろうとするが――光の打球速度は想像以上に鋭く、彼のジャンプが到達した頃には既に左中間へと抜けていた。

 まごうこと無きクリーンヒットである。

 

「これが高校野球のレベルかぁ……マジッパネェ」

 

 左対左だろうと関係なく、渾身の投球がことごとく打ち込まれていく光景に、彼の打球を振り返り見た篠原がほえーと間抜け面を晒す。

 だがこの時、篠原は……いや、蔦谷もまだ本当の意味で光の実力を理解していなかった。

 

 

 

 

「……クセ球は嫌いだな……狙ってた当たりより、ちょっとズレる」

 

 左打席からぼそりと呟いた美月光は、二打席目の内容に納得がいっていない様子だった。

 そんな彼の様子に唯一気づくことができたキャプテンの捕手古川だけが、美月光という二年生選手に末恐ろしいものを感じていた。

 

「おいおい、天才か……」

 

 彼の実力は、高校野球のレベルに非ず。

 言うならばそれは高校野球の中でも際立ってずば抜けた才を持つ、「超高校級」の天才なのだと。

 

 

 

 

 

 テンポ良く進んだ次なる光の三打席目もまた、当然のようにショートの横を抜けてセンター前へと落ちていった。

 今度は低めに上手く決まった篠原渾身のチェンジアップをすくい上げ、またしても蔦谷の守りを越えていったのである。

 

 三回のスイングで三本のクリーンヒットをマークした彼女は、最後の打撃にだけは満足したように頷くと、心なしか上機嫌そうに打席から去っていった。

 

 そんな彼女が見せた三打席打撃は、小さく華奢な身体だろうと全部バットの真芯で捉えれば関係ないのだと示すような、いずれも痛烈な打球であった。

 

「よし、美月はセカンドと交代な」

「了解っす」

 

 三打席を打率十割で終えた光は、守備に戻り今度は別のポジションと交代する。

 駆け足でグラウンドに戻ってきた彼に対して、蔦谷はハンカチを噛むような思いで言い放った。

 

「こ、これで勝ったと思うなよー!」

「……?」

 

 今日のところは負けを認めるが、俺はお前にポジションを譲る気はないんだからね! 勘違いしないでよね!と、まるで平成二十年頃に流行ったような口調で言い放った蔦谷に、光は困惑の表情で首を傾げる。

 同じポジションを争うことになった二人の初日は、周囲からしてみればどこか一方通行な関係に見えたという余談である。

 

 

 

 

 

 

 練習が終わり、病み上がりであることを忘れいつも以上に身体を追い込むことになった蔦谷はクタクタな足を引き摺りながら用具を片付けると、ベンチに戻り仲間と共に着替えながら帰り支度を行っていた。

 今日は自身の立場を脅かすかつてない強敵の出現に狼狽えてしまったが、それが彼のハングリー精神に火をつけることになったのはチームにとっても喜ばしい傾向と言えるだろう。

 そんな彼は練習の汗が染み込んだシャツを脱ぎ、裸の上半身を晒したところで、いつの間にかベンチの中から等のライバルがいなくなっていることに気づいた。

 

「あれ? 先輩、美月の奴どこ行ったんすか? もう帰ったのか?」

 

 練習が終わるなり一言も無く即帰宅とは、随分と素っ気ない奴だ。そう思いながら問い掛けた蔦谷の言葉に、同じく学生服に着替えていた古川が答えた。

 

「どこって、更衣室に決まってるやろ」

「んー更衣室っすか? ここで着替えりゃいいだろうに、変な奴だな」

「えっ」

「えっ?」

 

 日没が過ぎた上、人気も野球部員以外ないようなグラウンドのベンチだ。一々グラウンドの外にある更衣室まで行って着替えるのも面倒だろうと何の気なしに呟いた蔦谷の言葉に、古川のみならずその場にいた一同全員が固まった。

 そんな彼らが浮かべているのはいずれも呆れ顔である。

 

「そりゃねぇっすよ先輩」

「美月の着替えを見たいとはやはり変態か……」

「な、なんだよお前ら! そんなに変なこと言ったか俺?」

 

 各部員たちから軽蔑の眼差しを向けられたことを、蔦谷は心外に思う。

 そんな蔦谷の顔を見て、「お前まさか……」と古川が状況を察し目を丸くした。

 今この時、美月光という野球部員に対して、彼らの間には大きな認識の齟齬があったのだ。

 

「蔦谷……お前まさか、気づいていないのか?」

「え? 気づかなかったって、何がです?」

「そりゃお前、美月はどう見てもおん……」

 

「ボクがどうかしたんですか?」

 

 呆れた目で蔦谷の顔を見据える古川が言い掛けた直後、彼らの会話に一人の少女(・・)が割り込んできた。

 

 学生服に着替えて更衣室から戻ってきた美月光その人が、蔦谷たちの前に現れたのである。

 その声に反応して蔦谷が振り向いた瞬間、彼の呼吸は止まり、頭蓋骨を撃ち抜かれたような衝撃を心に受けた。

 

「へあっ!?」

 

 スカート。

 学校指定のブレザーと合わせて着用した光の装いは、紛れもなく私立硝子館高校の「女子生徒」が着る制服だった。

 練習用ユニフォームを脱いでその服装になった彼女(・・)の姿は、どう見ても男子生徒ではない。

 その時になって初めて知った事実を、蔦谷は未だ混乱している頭で彼女に問い掛けた。

 

「お、お前女の子だったの!?」

「ん……そうだけど」

 

 ショートカットの黒髪と言い、ボクという一人称と言い……ボーイッシュな雰囲気や胸部の慎ましさ、何より野球選手としての能力の高さから、蔦谷はこの時まで彼女のことを肉体的成長の遅い男子として認識していたのだ。

 しかし改めて見ればどう見ても女子生徒である。はっきり言ってクラスメイトの誰よりも制服が似合っている可憐な姿に、蔦谷の心拍数は不思議な反応を見せていた。

 

「先輩クソ鈍いッスね。女の子にそれはどうかと思いますわ」

「う、うるせー!」

「…………?」

 

 チャラ男的外見の篠原から正論で指摘されると、蔦谷は自らの羞恥心を誤魔化すように着替えを済ませていく。

 そんな彼らの会話から要領を得ない当の光はと言うと、狼狽える蔦谷の態度にこてんと首を傾げるばかりだった。

 

 

 ――美月光は野球少年ではなく、野球少女である。

 

 

 これは、そんな彼女と共にグダグダな野球部が立ち上がり、いつの日か満足(サティスファクション)へと至っていく物語である。

 

 





 次回からスぺ要素を出していきたいと思います。

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