代償。
心の(精神の)目に、色覚異常が起こる。
ここに来て、これまでの血が滲むどころか血液が体内でなく体外を流れる程の努力が裏目に出てきた。ひとたび街に出ると、その全て…食べ物、洗濯物、その他日用品やその街並みそのもの…果ては人々の全てが無価値に思えてしまうのだ。
全てが「無駄」で溢れてる。
彼女以外、あいつ以外、ほとんどが価値のある存在に見えなくなっていく。
というよりもこんな街、最早ドブだ。
いっそのこと下水道が溢れて皆溺れ死んでしまえばここもスッキリするのに…と、一時の気の迷いだがそう思ってしまった。
この、狂気的な思考の何が悲しいか…自覚していることだ。
もしも無自覚ならば俺は普通でいられた…けど、狂気をしっかり認識してしまってはそうも行かない。
もし、彼女が俺の狂気を知って…もし、俺の元から離れでもしたら…。
「よう、マーシレス…元気か?」
「ああ、うん…元気だよ」
知り合いだったか、突然話しかけてきた男へ適当な返事を返したまま歩き去っていく。
…そんでもって、俺はその「どうでもいい奴等」の目線が怖い。
奴等がどんな目で俺を…俺達を睨むのか。それを想像しながら生活する理不尽が受け入れられない。
何かのギャグだ、興味ないと評しながらその実それの興味を気にする…。
だからこそ、俺達を侮蔑だか侮辱だかの目で見る奴等を一層殺したくなる。
―――――そう言う妄想だ。
実際は誰も俺を「一人」として見てない、俺がそうであるように…ま、さっきのは別として。
最早こんな場所に居ていられない、さっさと帰ろう。
…後に、頼まれた買い物を思い出すのはその途中の話。
「おかえり、マーシィ。
卵は?」
「なかった、鶏が全員疫病にやられたとさ」
嘘だ…しかし後から事実にもなる。
というのも、実際に疫病で鶏が全滅してたのだ…行きつけの卵売りが。
しかしそれはどうでもいい。
今はこの、自宅にいるハズなのに感じるアウェー感が腹立つ。
頼まれたおつかいを忘れた罪悪感とか、そんな幼稚園児じみた理由じゃない。
繰り返す中で見た、彼女の苦痛や苦悶…結局、戦時中の記憶なのだ。
「…そう。
後、あなた宛に手紙が届いていたわ。―――これ」
「ありがとう…」
彼女から封筒を受け取り、手に持ったまま窓の外を眺めた。
街が見える…あの「ドブ」と一瞬だけ評した、あの街が。
今思えばドブで正解だったかも…実際、人の放つ気配というのが悪臭の様にも思えてしまうのだ。
「ねえ、マーシィ?」
「ん?」
彼女に呼ばれて、一度振り返った。
「これ…どう?
街の装飾店で買ったのだけれど」
少し照れ気味で話す彼女の手には、白と黒のハンカチがあった。
ピンっと広がったそれが持つ柄は…大きな白の中に浮かぶ黒。
黒が白の上で左右対称の幾何学模様を作っている。
…こういうの、なんて言うんだったっけか。
「自分で買ったの?」
「そう…でも、いいのを選べたのか自身がなくって…」
「ああ…」
もう一度、ハンカチの柄を見つめた。
周りのソレは該当する形を持たないのだが、たった一つ、中心にある柄。
まるで綺麗な蝶々だ、孤独だがそれだからこそ美しい。
「ああ、いい柄だな…」
「よかった…」
今の心境が穏やかであれば、彼女の微笑みに喜ぶことが出来たのだろうか?
もし、廻る時に埋もれた夥しい数の亡骸さえなければ…。
しかしその上で成り立つ(俺の中での)彼女の価値…いや、存在は大きい。
そして、ソレを奪わんとするモノも、とてつもなく大きい。
――――やはりだ、運命という死神は俺を生きたまま地獄に送る気らしい。