第十話 義
「い、今なんて!?」
大きい目を、さらに大きくぐりっと見開いた山下が言った。
「”対抗戦”を行う。そういったのだよ。」
対照的に、目の前の男は淡々としていた。
前髪を上げ額を晒し。
青っぽい何やら高価そうなスーツに身を包み。
マホガニー製の机の上で手を組み。
要するに、いつもと何一つ変わらない調子で山下に告げたのだった。
「地下闘技場と対抗戦を行う。
この決定に変わりはないということが、拳願会の総意だ。」
男の名は乃木英樹。
山下商事が所属する巨大企業、乃木グループの会長であり。
現拳願会会長を兼任する男である。
山下とは絶命トーナメント以来苦楽を共にした存在であり、上司と部下以上の信頼関係がここにはあった。
「乃木会長…
あえて言わせてもらいますが、”煉獄”との様々な調整も秒読みの段階です。
この時期の対抗戦、というのは少し厳しいものがあるのではないでしょうか。」
「違うな山下くん。“今だから”なのだよ」
「…理由をお聞かせいただいても?」
「ああ。だが、理由を説明する前に一つ確認しておきたい。
煉獄との対抗戦が、”外敵”からこの日本を守るために必要な行為である。
その認識は持っているね。」
「はい。」
よどみなく山下は答えた。
この日本にはいくつか「裏格闘技団体」が存在する。
ルールが違ったり、出ている選手層が違ったり、規模が違ったりとそれぞれまちまちではあるが巨大な金がその裏に存在している点についてはほぼ共通していた。
それらが現在群雄割拠状態で、更に拳願会内部でも我が我がと覇を争う戦国時代の様相を呈しているのである。
今の状態では、諸外国からの『外敵』が資本力にものを言わせて侵略していた場合食い物にされる。
そういった危険をはらんでいるのだ。
だからこそ煉獄と『対抗戦』の後組織統合を行い、外敵に立ち向かうというシナリオが乃木と山下の共通認識であった。
そして、国内統合をするためには抑えなければならない巨大団体が三つ存在する。
一つは、山下や乃木が所属する拳願会。
もう一つが、今話題にのぼった煉獄。
最後の一つが―――――
「故に、”地下闘技場”と密約を結ぶのだ。煉獄との戦い、外敵との戦いに寝首をかかれないようにね」
地下闘技場。
東京ドームの地下に存在し、あの『範馬』が所属する闘技場である。
しかし煉獄や拳願会と違い、この闘技場は「代打ち」の場ではない。
企業と企業が何かを賭けて争ったりだとか、
巨大な金が動いたりするだとか、
そういったものがない。
そもそもこの闘技場に企業が関わったりすることは基本的にはない。
なぜなら、この闘技場での戦いに金が出ないからだ。
選手たちに支払われる金がなければ、企業同士の取引もない。
ないがゆえに、純粋に闘いのみを求める男たちがここに集う。
金とか。
権力とか。
しがらみとか。
そういったものに左右されずに、純粋な力だけを競いたいものがここにあつまってくるのだ。
ならば拳願会とは関係ないのではないか――――。
事実、そこまでかかわりはない。
関りはないが、運営している男が問題であった。
第13代徳川財閥当主、「徳川光成」。
日本のありとあらゆる場所に存在する徳川グループの総帥であり、その資産規模のあまりの大きさ故に時の総理でさえ挨拶に伺わねばならない男。
純粋な資産量だけ言うなら、あの「豊田出光」を超えるとまで言われている。
それに加え、この男には問題行動を起こす癖があった。
“あの爺さんにはほとほと困っているわよッッ”
そういう拳願会員もいる。
人を丸のみできる大蛇を連れてきた。
ノーベル賞受賞者、アルバート・ペイン博士を無下に扱いながらピクルと闘技者を戦わせる。
野生のシベリアトラの密漁疑惑。
そういう、倫理観とか常識とか。
そういうものをあまり持ち合わせていないのだ。
噂はまだある。
東京タワーという説も、スカイツリーという説もある。
どちらであるかははっきりしないのだが、多くは大きい塔の地下であるという説で一致している。
その地下で何かを企んでいる、というらしいのだ。
何かとは何か。
核実験というものもいれば、クローンを作っているという者もいる。
そもそも地下なんてあるのか。
本当であるなら一体だれが伝えたのか。
嘘であろうというものもいる。
第一、クローンや核実験ならばなぜ地下なのか。
クローンであったとしても誰のクローンなのか。
「徳川さんならやる」
そういう者もいる。
クローンでは権威的科学者を呼んだとか。
死刑囚と繋がっているとか。
ヤクザと繋がっているとか。
そういう者もいる。
徳川自身ではこんなことを語ったりはしない。
だから徳川に問うても
「カッカッカッ」
こう笑うだけである。
これらのことが真実であるかどうかは置いておくにしても、徳川を知る人物で、これを耳にしたものすべてが口をそろえて言う事がある。
「ああ。徳川さんならそれくらいやるでしょう。」
徳川光成。
そういう人物であるらしかった。
こういう気まぐれな核弾頭のような男が外敵と組まれたときどうなるか――――まったくもって予測がつかない。
だからこそ、先手を打って組んでおきたい、ということなのだ。
だから乃木が提案した、徳川光成との密約に拳願会としても異論はない。
異論はないが―――――
「試合形式は、ギャラは、どうするんですか?」
山下が訪ねる。
問題はここであった。
基本的にノーギャラで行われる地下闘技場。
拳願会としてはOKでも、『どこ』が『誰』を出すのか。
出したところでメリットはあるのか。
そういう疑問が出てくる。
もっともだ、と乃木が頷いた。
頷いて、それに答えた。
「試合形式は9対9の紅白戦だ。場所は地下闘技場を使うことになっている。
ギャラについても問題ない。」
「問題ない―――――ですか。」
「この対抗戦の参加者には、徳川光成氏が主宰するパーティに参加できることになっている。」
「パーティ?」
「そうだ。だが、ただのパーティではない。
ここのパーティには主催者の徳川氏をはじめ、
現総理大臣、阿部氏、
トラムプ氏
ブーチン氏、
周氏、
ゼフ・ベゾス氏――――
古今東西のありとあらゆる政治・資産家が集うことになっているのだ。
可能ならば呼び寄せることもできるらしい。」
「それって――――」
「そうだ。どこの誰とでも問答無用にパイプをつなげる。
我々には喉から手が出るほどほしいもの。
これを、用意しようと徳川氏から打診されたのだ。」
「――――――」
「これならば、十分ペイは取れると踏んだのだろう。
既に数社から対抗戦に出してほしいとの連絡が来ている。」
結局のところ、徳川光成が訴えたのは「力」であった。
徳川財閥の持つ人脈という人脈。
それらの中から好きなものをやるから出ろ――――そう訴えたのである。
企業側からすれば、このチャンスを逃さない手はない。
闘技者を出すだけで、世界最高クラスの指導者との接点が作れるのであるならば利用しない手はない。
しかも、無料でだ。
「どこからでしょうか。」
「西品治警備保障会社、『今井コスモ』。
八頭貿易、『ガオラン・ウォンサワット』。
既にここからは参戦が確定している。」
「コスモくんとガオランくんか!
この二人なら、勝ちがぐっと近くなりますね。」
「そうだ。特にコスモくんは向こうの参加者と、何やら因縁ができたようでね―――」
「因縁、ですか。」
「そのようだ。私も忙しかったので詳しくは聞かなかったが。」
「―――――」
「そしてもう一社、ついさっき参加が確定した会社がある。」
「どこでしょうか。」
「若桜生命。阿古谷清秋の参加が確定した。」
「か、彼が!!??」
「理由に関しては―――そうだな、これを見たまえ。」
そういって、乃木は一枚の新聞紙を机の上に置いた。
今日発行の、なんてことのない新聞だったが山下にはわかった。
記事の内容を見た瞬間に理解したのだ。
阿古谷が出る理由と、その対戦相手が。
『東京の花山組襲撃!!??犯人はいったい?』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
太い男と、細い男が並んで歩いていた。
細い男の眼は細く、鋭い。
腕も体も細くシャープな男であった。
黒のジャケット、黒のパンツに虎模様のシャツ。
派手ないでたちではあるが、前髪をきっちり額に上げて一本も乱れていないところから彼の几帳面さがうかがえる。
男の名は木崎。
五代目藤木組系暴力団花山組若頭――――要するにヤクザである。
太い男の方は――――圧倒的。
そんな表現しか見当たらない巨躯の持ち主であった。
『ガタイがいい』という領域はとうに超えている。
太い。
すべてのサイズが規格外の男であった。
指が太い。
手も。
胸も。
首も。
脚も
拳も
創もある。
大小問わず、場所問わず。
拳にも、貌にも、恐らくはその全身にも。
明らかに普通ではない経歴を思わせる。
その普通ではない肉体を白一色のスーツが包んでいた。
分厚くせり出した太い胸の筋肉が内側から押し出しているのは、派手な紫色のシャツと白いネクタイである。
太い頸が入っているその襟元には、ひし形の四つの辺から更に角のように尖ったバッジが見える。
そのスーツの下から男の放つ気―――オーラのようなものであろうか。
それがうっすらと陽炎のようにゆらめいている。
強烈な存在感とオーラ。
見ているものが思わず振り返るような、そこだけスポットライトがあたっているような光芒をその男は放っていた。
この男こそ、花山薫。
五代目藤木組系暴力団花山組二代目組長―――――要するにヤクザの組長である。
そんな組長とその側近が組の事務所に帰っていた。
事務所に帰って門をくぐった時、
「―――――――ッッッ」
「こ、これは…ッッッ!!!」
眼を見開き、立ち尽くしていた。
男達は朝、外出をした。
むろん、留守番をする家族がいる。
組の者だ。
血は繋がっていない。
しかし、共に飯を食らい共に笑う彼らの事を漢達は家族と思っていた。
組の者たちも、漢達のことを家族と信じていた。
夕方、帰宅する。
するとどうだ。
家族が、血を流して倒れている。
歯が折れている者もいる。
腕が折れているものもいる。
顔面がえぐれているものもいる。
気を失っているものも、いないものもいる。
様々であるが、皆立てず、喋れずにいるという点に関しては一致していた。
留守番は―――――
当然行われるものと思っていたために、立ち尽くす男二人。
それが、今の彼らであった。
しかし、いつまでも茫然とはしていられない。
気を取り直すように、木崎が叫んだ。
倒れている一人を抱き起して叫んだ。
「―――おいッッッ!!!!
どうしたッッッ!!!!
何があったッッ!!」
「~~~~~~~あ、あにき…」
「しゃ、喋れるかッッ!?
「に―――――」
「に?」
「人間――――じゃ、ねェ…」
そう言って、男の身体から力が抜けた。
眼を開いたまま、全身から力がすっと抜けたのだ。
木崎の眼に、熱いものが浮かぶ。
「大将――――――――ッッッ!!!
大将~~~~~~~~ッッ!!」
走ってくる男が居た。
金髪をリーゼント風に丸め、額の両端に切れ込みを入れている。
アロハのTシャツにゆるんだパンツ。
それに小さい。
恐らく身長は150かそこらくらいだろう。
背だけではなく、肝っ玉も小さいのがその泣きはらした顔から見て取れる。
典型的なチンピラ。
そういういで立ちの男がどたどたと走ってこちらに向ってきた。
「KEN
KENかッッ!!?」
田中KEN。
先代の七回忌を忘れたりするポンコツではあるが、どこか憎めない男。
花山からもかわいがられている。
その男が、両眼から一杯の涙をこぼしながら走って木崎と花山の元に駆け付けてきた。
木崎と花山が見た所、KENに目立った怪我はない。
それどころか血もついていない。
安堵しながら、木崎が訪ねた。
「無事だったんだなッッ!!
何が――――」
「おれんことはいいっすッッ!!
それよりッッ!!それよりこっちにッッ!!!」
木崎が言い終わる前に、KENが花山の腕を取った。
取って、上の方を残った左腕で指さした。
花山組事務所の、組長室だ。
その様子に花山と木崎は少し驚いた。
このKENという男はこんな騒ぎ方をする男だったか?
男ができていると言えず、冗談が好きでお調子者。
そのくせどこかぼんやりしていて、大事を大事ととらえることのできない器。
かわいいやつではあるが、少なくともこういうふうに焦って取り乱したのを見た事は無い。
見たことがないからこそ、事態の重要性が理解できた。
倒れ伏す家族には悪いと思いつつも、組長室まで駆け上がる。
KENを抱え、階段を木崎と共に二段飛ばしで駆け上がる。
駆け上がり、三階の組長室のドアに手をかけた。
ドアノブが握り潰れるのも意に介さず強引に押し開けた。
押し開けた所で、固まった。
「―――――――――――――――ッッッ」
「こ、こりゃあ…ッッッ」
―――――凄惨。
部屋の中の状態を、ひと言でいえばそうなる。
壁にかけていた国旗は、無残にも切り裂かれ。
応対用の椅子と机はその原型を留めることがなく。
コンクリートの壁と床には、恐らく何らかの衝撃でつけられた無数のクレーターとひびが入っていた。
そして何より。
おぞましい量の血があらゆるところに飛び散っている。
天井にも、
床にも、
壁にも。
いたるところに真新しい血痕が付着していた。
そして、その血の主はすぐにわかった。
見た瞬間に理解できた。
「―――――レ」
山が、部屋の奥にそびえたっていた。
巨大な人の肉体。
それが、立っていたのだ。
ただただ、立っていた。
真っ赤に染まった山が、傷一つついていない花山の勉強机の前で沈黙していた。
白目をむき、意識がどこかに行ってしまっているようにも見えた。
知っている。
花山も、木崎も、KENも、この山を知っていた。
否、この貌とこの身体を知っていた。
無造作な金髪。
えぐり取られたような貌の創痕。
ゆるんだズボンに髑髏の黒い上着をまとったこいつは――――
「レックスッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!」
登倉竜士――――通称『レックス』。そう呼ばれる男であった。
そのレックスが、立ったまま気絶していた。
叫んだ木崎が近寄ろうとして、何かを踏んだ。
ぴちゃりという、湿った水のような何かだ。
まだ、レックスは3m位先だ。
(血が――――流れすぎている)
冷や汗を流しながら、ごくりと唾をのんだ。
そして、振り返った。
振り返って言った。
「KEN―――――救急車だ。ありったけ用意してもらえ。」
「は、はいッッ!!」
「それが終ったら、納得のいく――――説明をしてもらうぞ」
KENが携帯で病院にかけている。
その横にたたずんでいる花山を見た。
表情は読めない。
眼鏡が光の反射できらめき、どういった顔をしているのかは木崎から見ることができなかった。
ただ。
その固く握りしめられた巨拳。
そこから滴り落ちる血の滴が、花山の心を雄弁に語っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その男は、ふらりと現れた。
具体的な時間はわからない。
20時とか、21時くらいだったとかいう者も居る。
ただ、夜であり、更に人気のない時間帯にいきなり現れたという点については全員の意見が一致していた。
幽鬼のように、前触れもなく。
どこからともなく、花山組の事務所の前に現れたのだ。
「―――――どちらさまで?」
組員が剣呑な調子で声をかけた。
フツウでない男たちが、メンチを切りながら、数人で男を囲んでいる。
褒められた行為ではないが、無理のないことでもあった。
ヤクザである彼らから見ても、この男はあまりにも怪しすぎた。
全身を上から下まで。
黒い鎧のようなもので覆いつくし。
頭部も同じような材質の黒いヘルメットをかぶっており、完全に顔が隠れている。
そして、肉の分厚い男だった。
鎧のようなスーツが張り詰めているところからも、ぱんぱんに肉が詰まっているのが理解できる。
身体が大きい。
花山よりは少し小さいが、それは花山が大きすぎるためだ。
常人からすれば、十分な巨体であった。
現に、組員達も冷や汗を流しながら見上げている。
そこで、目が合った。
黒いヘルメットのガラスから、右目だけがちらっと見えたのだ。
目が合った組員は言葉を発することができなかった。
全身に鳥肌が立ち、背中につららをぶちこまれたような感覚に陥った。
「―――――」
その黒い男が、養豚所の豚でも見るような、冷酷な目であったからだ。
KENはその時、二階でくつろいでいた。
くつろいで二階の窓際でその様子を見ていた。
KENの視線の先に黒い男と4人の男がいる。
黒い男がドアの前に立ち、その周囲を包んで4人の男たちが取り囲んでいる。
その背後に、ちかちかと煌めく電灯があった。
男達は手を出して立っているものもあれば、ポケットに手を突っ込んでいるものもいる。
ポケットに手を入れているものは、恐らくナイフをその手に持っている。
妙なことをすれば、即出す。
そういう面構えもしていた。
そして、それは黒い男もわかっているように見えた。
なんで逃げないんだろうな?
KENはそういうことを考えていた。
今ポケットに手を突っ込んでいる人間の一人をよく知っている。
いつも抗争の時には目を輝かせ、その抗争のためにいつもナイフを研いでいるような危ないやつだ。
そいつのナイフは、手入れされているだけあってよく切れた。
一回使っているところを見たことがあるが、刃が肉にするりと入るのだ。
それを、胸や脚に入れてぐるりと回す。
内臓とか筋肉とかがずたずたになる。
あばらの間に潜り込ませて骨を削ったこともあった。
花山のためならそういうことを平然とできる男であった。
だが、黒い男はそんな男を目の前にしても平然としていた。
ついに、男がナイフを抜いた。
「それ以上、ドアに近づかない方がいい。」
「―――――」
ナイフの男が言った。
黒い男は何も言わないし、何の構えも取っていない。
ただ、無造作にそこに立っているだけだ。
「俺らが言うのもなんだけど、あんたみたいな怪しい人間をそのまま通すわけにはいかないよ。」
「―――――――」
「なんかさあ、変にイキった恰好しちゃってるけどねえ。
そんないで立ち見てびびるような人間はチンピラだ。
そういうモンは今ここにいないよ。」
「―――――俺には全員、チンピラに見えるがな」
黒い男が、初めて口を開いた。
「あんた、極道を相手にしてるんだぜ。
そういうことを言っちゃいけないね。こちらは舐められたら終わりの商売なんだ。
そういうことを言われると、こっちも本気に―――――」
「本気だから来たのだ。」
黒い男が、指の関節を鳴らしながら言った。
「貴様らに念のため言っておく。俺は『正義』だ」
悠然として言った。
「逃げても、追いかけて正義を執行する。向ってきた者も、躊躇なく正義を執行する。
加減はしない。最低でも明日から自分の脚で立てなくしてやる。
貴様ら悪が、まっとうな生を謳歌できると思うな」
男が言い終わる寸前――――
「しゃあ!!」
ナイフを手にした男が、それを突き出してきた。
それが、当たった。
否―――当たったように思えた。
「これより、正義を執行する。」
「~~~~~~~~~~~ッッッ」
ナイフを持っていた男が右手を押さえて倒れ。
その横に、『ナイフと右手』がどちゃりと地面に落ちた。
「「「「「!!!!!!!!!!???????」」」」」
KENも、周囲の男も何が起きたのかわからなかった。
当然だった。
この黒い男は、彼らが目にも止まらない速度で右手をつかんだ後。
二回、三回とねじって右手首を手に持っているナイフごとねじ切ったのだった。
そしてそのまま、もだえ苦しむ男の頭部を踵で思いっきり踏みつぶした。
スイカが地面に落ちたような音と主に男の身体がびくんと撥ねた後、全く動かなくなった。
この段階でようやく、男達は理解した。
「てめえッッッ―――――――――――――!!!!!!」
「スッゾオラアッ―――――――――!!!!!!!」
「舐めんな―――――!!!!!!」
「お、応援を―――――!!!」
思い思いに叫んだ。
激高するもの。
敵討ちに燃えるもの。
びびるもの。
男達は本能的に、いろいろと叫んだが。叫び終わることはなかった。
「――――――――――」
黒い男が、叫び終わる前に男たちの声帯を素手でえぐり取っていたからだ。
頸の肉ごと、荒々しく。
しかし、チンピラでは到底見えっこないような圧倒的速度を持ってして。
KENは、椅子から崩れ落ちた。
崩れ落ちたところで、黒い男は手に付着した肉を丸めたティッシュでも捨てるかのように後ろに放り投げた。
放り投げ、ドアノブに手を回した。
「敵だァァァ――――――――――――――ッッッ!!!!
敵が入ってきているぞォォォォ――――――――――――ッッ!!!!」
組員の反応は早かった。
最近まであった源王会との抗争以来、こういうことには特に敏感になっていたからだ。
皆が、思い思いの武器を取り、入って来た男に対してとびかかる。
「拳銃。
ナイフ。
日本刀。
機関銃―――――――」
黒い男は何をするでもなく、そのままするすると歩いて行き。
突き出されたナイフをかわしながら男の顔面にハンマーナックルを叩き込み。
「―――度し難し」
ナイフをもった男の顔面が完全に凹んだ。
背後から振りかぶられた日本刀が、まだ初動のうちに。
「――――悪徳は栄え」
黒い男の太い右脚が二つの睾丸を砕き散らした。
「うげえええッッ!!!」
「世は荒廃する」
日本刀を持った男が、口から泡を吹きながら床を転げまわる。
その顔面を踏みつぶしながら、歩いていく。
「野郎ッッ!!」
「くそがっっ」
「死ねやッッ!!」
銃を撃つものも、機関銃を鳴らすものも居た。
それを、男は残像が残るようなスピードで走り抜ける。
はしり抜けながら、次々に命を奪っていった。
何発かは当たっていた。
かわしきれずに、黒い鎧に銃痕がいくつかついていた。
ただし、それだけだった。
この鎧がどういう素材でできているのか。
ゴムなのか。
鉄なのか。
それともほかの樹脂のような何かなのか。
わからなかったが、男の動きに何一つ支障がないことが見て取れた。
「度し難しッッ」
(ま、
次々と殺戮していくその姿に、KENは恐怖した。
同時に、二階から降りてくるんじゃあなかったと思い急いで階段を上った。
幸いやつはまだ、こちらに気付いていない。
逃げるため、でもあるがそれ以上に重要なことがあった。
逃がさなければならない。
自分ではなく、あいつを。
ふらりと訪れ、組長室で大将が帰ってくるまで待っているカタギのあいつを――――
「――――なになに?」
「な―――――」
「なんか、やってんの?」
そいつが、やってきた。
のそり、のそりと。
巨大な灰色熊のように、階段の上からそいつが歩いてきた。
「レックス!!!」
レックス。
花山薫のダチであり、一般人。
人間には見えない巨躯の持ち主ではあるが、れっきとした一般人である。
KENが叫んだところで、黒い男がぴたりと止まった。
止まったまま耳に手を当てた。
「――――聞こえるか、檜山」
『――――ええ。聞こえるよ、阿古谷』
今、無線越しに阿古谷と呼ばれた男こそが、この黒い男。
若桜生命所属闘技者。
並びに警視庁第44機動隊隊長、警部。
拳願試合戦績40勝1敗。
“処刑人”阿古谷清秋である。
その阿古谷が、相棒であり雇い主でもある檜山に言った。
「目標を肉眼で確認した。これより正義を執行する。」
『――――了解。サポートは?』
「不要だ。三分以内に終わる。」
『――――わかったわ』
耳に当てていた手を下ろし、すっとレックスとKENを見た。
ヘルメットでおおわれているため、その表情は読めない。
読めないが、視線とその意味は理解できた。
動物的本能とでもいうのだろうか。
それとも、第六感とも呼ぶべきものだろうか。
そういった五感以外の何かがレックスに強烈に訴えかけてきているのだ。
「うん―――――やべえな」
そういうが否や、レックスはKENをつかんだ。
親猫が子猫の首根っこを口ではさんで移動するように、KENの首根っこを摑まえて階段を三段飛ばしで駆け上がった。
「ど、どこ行くんだよッッ!!!」
何を言っているんだ俺は――――
KENはそう思った。
こんなことを言いたくて、レックスに会ったわけじゃない。
お前は無関係だろ。
カタギだろ。
逃げろ。
こういいたかった。
しかし、言えなかった。
後ろを振り返れば、黒い男が猛スピードで追ってきているからだ。
この調子だと、窓から降りることも考えていない。
「うーん。
そのまま、三階にある組長室のドアを開けた。
ドアを開けて、そのまま跳んだ。
助走もつけずに、十m近くは跳んだだろうか。
花山が普段使う、勉強机のところまで飛んだあと、脚を入れるスペースにKENを放り込んだ。
「おれがよう、良いって言うまで出るんじゃねえぞ」
「―――――な」
「うん。おれが、おれが
「レ――――」
「
「レックス――――!!!」
「追いかけっこは終わりか?」
ドアをけ破り、阿古谷が部屋の中に踏み込んできた。
「に、逃げてるつもりなんかねえよッ」
「ほう?」
「ここならおめえをほんきでぶちのめせるからなッッ」
「――――」
「よォ…言っとくけど」
「――――」
「おめえ、逃がさねえぜッッ」
そう言って、レックスは床を『むしった』
コンクリートの床を、ことも無げに。
無造作に。
食パンのようにむしり取った。
「――――そうか」
既に阿古谷はレックスの間合いの縁に入ってしまっていた。
もう一歩踏み出せば、否応なく間合いに入ってしまう。
この場合の間合いというのは実際に攻撃が相手に届く距離ではない。
何らかの構えを取らなければならない間合いであった。
しかし阿古谷はその縁で足を止めていた。
なぜか。
その理由はレックスが握っているコンクリートの塊にある。
もしも間合いに入る動きをした途端、レックスがその塊を投げてくるかもしれない。
一旦動きを開始した途端にその塊を投げてしまわれると、フットワークでかわすことが少々難しくなってくる。
不可能ではないが、そうするともう一方の手に握られている塊をかわすことができない。
確実に手で払うことになってしまうだろう。
仮に手で払った場合、相手が踏み込んで仕掛けてきたら後手に回ることになる。
そして、そのことをレックスも十分意識しているようだった。
「へへ…」
「――――それを、捨てる気はなさそうだな。」
「あ、怒った?」
「―――――」
「やっぱ怒ってるじゃん」
「捨てる気がないならそれでもかまわん。」
「ないね」
レックスが答えた。
こたえると同時に、阿古谷がゆらりとレックスの間合いに入った。
速い動きではない。
ゆっくりとした動きであった。
もし塊を投げられても体捌きでかわせる。
そういった、余裕を持った動きであった。
普通であれば腰を落とすか、両手を持ち上げて構えねばならない。
相手の動きに対応し、攻撃に移ることのできる形をとらねばならない。
それでも、二人の肉体は構えをとっていなかった。
阿古谷は両腕を垂らしたまま。
レックスも両腕を垂らしたまま。
「へへ…」
「…」
レックスは笑った。
阿古谷は全くの無表情のまま。
その時、阿古谷が動いた。
いや、動いたように見せた。
レックスに向って右に回り込むように左足を出した。
実際には足を出していない。
フェイントである。
そのフェイントにレックスが反応した。
右手に持っていた塊を阿古谷の顔面に向けて投げた。
阿古谷が眼の前の空間を、左の掌でなでた。
なでたまま、右の手を動かした。
「痛でッッ」
レックスの左胸の上の方を何かが貫いていった。
その衝撃で左の手に握っていた塊を落とす。
「せ…性格悪いよな、おめえ…」
「―――――」
「じゅ、銃弾握ってんならよォ…
「―――――」
「怒ってたわけねェよなあ…銃弾持ってんだから…」
「―――――」
「もしかして、ホントは怒ってた?根暗そうだから、わかんなかっただけで」
そう言っているその最中に
「おりゃッ」
どういう呼び動作もなしにレックスの左の拳が阿古谷の顔面に放たれていた。
コンクリートを豆腐のように砕き散らし、あのG・Mにすら『人間には見えない』とさえ言わしめた男の拳。
「~~~~~~~~~ッッッ!!??」
その男の拳が今、左腕一本で捌かれていた。
しかも捌かれるだけではない。
同時に、レックスの腕が切り裂かれているのだ。
「痛っでえ…」
これこそが阿古谷の技、「リッパー」である。
拳の骨部分、いわゆる拳骨の浮き出た部分をひっかけて高速で回転させることにより相手を切り裂くのだ。
絶命トーナメント以降更に磨きをかけたその技は、もはや『嫌がらせ技』の域には非ず。
レックスの太い腕の、皮だけでなく肉ごと引き裂いていた。
「こ、こんにゃろ…ッッ!!!」
右腕を振る。
当たらない。
左腕を振る。
捌かれてまた切り裂かれる。
肉片と血が天井に飛び散る。
痛い。
気の遠くなるような痛みがレックスを襲っていた。
それでも迷わなかった。
すうっと前に出た。
間合いを図るようなことはしないし、レックスにはできない。
前蹴り。
ただまっすぐに。
愚直に阿古谷を蹴り上げようとした。
ただ、このままやれば身体のどこかには当たる。
当たればいい。
当たったら?
その後考えればいい。
そういう蹴りだ。
浅くてもいい。
深くてもいい。
タイミングが合わなくてもいい。
空を蹴ってしまっても足を取られてもいい。
そういう蹴りであった。
その蹴りが、切り裂かれたあと右腕で防がれた。
阿古谷の身体が宙に浮く。
レックスは感心していた。
こいつは知っていた。
かわせぬとしって、切り裂いた後受けたのだ。
この飛んだのも、自分から飛んでいる。
ダメージはゼロだ。
―――つええ
しかしここで止まってはいられない。
前へ出る。
拳で撃つ。
打つ。
打つ。
それを阿古谷は浮いた状態で。
右腕で捌き、左腕で切り裂く。
右ひじで拳を上からたたく。
余りの衝撃にレックスの拳から骨が突き出る。
最後の一発は捌く事すらせず徹底的に切り裂く。
右で、左で、右で。
レックスの左拳から上腕部分までを徹底的に切り裂いた。
痛みにレックスがよろめく。
そよ風のようにふわりと着地した後、嵐のように阿古谷の拳と蹴りが襲い掛かって来た。
左下突き。
レバーブロー。
右上段足刀。
右下段足刀。
左掌底。
すべて、入った。
約束組手かと思えるようなくらいに綺麗にクリーンヒットした。
ぐるんと、レックスの眼が白くなった。
意識がどこかに飛んで行ってしまっているようにも見えた。
―――――めっちゃつええ
レックスは困惑していた。
強い。
こいつの拳と脚は固い。
人間の硬さじゃない。
まるで骨とか足が鋼でできていて、それをそのままぶち込んでくるような。
そういうたぐいの強さであった。
かといって攻撃しても当たらない。
当たらないだけならいいが、切り裂いても来る。
中途半端な刃物じゃ出血さえしない自分の身体を軽々と。
今まで戦った誰よりも強い。
壊した電車よりも。
不良よりも。
ヤクザよりも。
オカマよりも。
だけど、なんだろう。
困惑しているのは、こいつに対してではない。
自分に対してだ。
なんでかな。
あきらめるとか、倒れるとか。
そういう気には全くならなかった。
なんでだろう。
血がいっぱい出てるのに。
こんな痛い目に合ってるのに。
我慢してるとか。
耐えてるとか。
そういったものさえも浮かばない。
ただ、何かが胸の中に芽生えていた。
暖かくなるような何かだ。
何だろう。
ぽかぽかした。
あったかくなって全身に力がみなぎる。
花山!?
そうか。
そう思ってしまった。
なんで、こんなにもやれるのかとか倒れないのとか思ってしまった。
だからか。
レックスは思った。
そうだ、あの時
はじめてであった優しい人。
震えた。
嬉しさに震えた。
ギリとか。
ニンジョウとか。
花山が言うそういうのがチョットわかってきたような気がする。
苦しくなかった。
身体が、自然にこいつの拳を。
脚を。
膝を受け止めていた。
拳が動く。
切り裂かれる。
顔面が凹む。
当たるのも、
当たらないのも。
すべてが必然だ。
それでも、時間は経つ。
KENと、机は無事だ。
殴ろうとして、
殴られて。
蹴ろうとして、
蹴られて。
傷口に指が差し込まれ、内側から肉が抉られる。
それでもよかった。
それでよかった。
こいつが守護れるなら―――
快感が生じる。
当たった場所から、当てられた場所から極彩色の泡がはじけ、貌を濡らす。
すごい、気持ちのいい鐘の音が―――――
元和二年、如月の事。
武蔵野地に語り継がれる物語。
その日、一人の旅の博徒が、当地の豪農『花山家』に一夜を施されることとなる。
長旅をいやし、手厚い施しを受けたという。
その夜。
十数名からなる盗賊が花山家を強襲。
この盗賊が豊臣家の残党であるとかそういう説もあるが、
花山家が一家五名斬殺の、阿鼻叫喚の事態に陥ったのは事実である。
この夜起こった『晴天の霹靂』。
己一人では抗えぬと判断した旅の博徒は――――
一粒種の長男『弥吉』を背負い、寺の鐘を幼子の身にかぶせ。
それを背負い、一人盗賊の前に立ちふさがったという。
両の手がふさがったまま。
幾太刀も幾太刀も浴びせられ。
それでも漢は倒れなかった。
五臓六腑を刻まれて。
それでも漢は倒れなかった。
とうに命は枯れ果てて。
されど漢は倒れなかった。
わが身を盾に立ち尽くすその姿に、さしもの盗賊も賞賛の言葉を残しその場を去ったという。
これこそが、花山家に伝わる刺青。
『侠客立ち』の由来である。
そして今宵。
一人の漢が、友の家族を守護りきった。
国家権力。警視庁最強の男の攻撃を受け切って尚、倒れなかったのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――
義
『阿古谷』
「――――」
『阿古谷?』
「―――――――――正義、執行完了。」
『―――そうかい』
無線の女に、そう伝えた。
初めての事であった。
今まで数多の悪に正義を執行してきた。
ヤクザも。
サイコも。
詐欺師も。
その息子も。
悪の種と呼べるものはすべてに正義を執行し、皆一様に己のありさまを後悔しながら死んでいった。
しかし、こいつはなんだ。
阿古谷にはわからなかった。
悪党というものは、大なり小なりどいつもこいつも自分の罪を自覚している。
しているからこそ、己が現れた時に恐怖を感じながら死んでいくのだ。
もしくは、勝てると勘違いして笑いながら死んでいく。
しかしこいつはなんだ。
何故こんな、やり切ったような顔をしているのだ。
何故、後悔のない澄んだ笑顔をしている。
しかも立ったまま。
不愉快ではある。
笑ったまま、というのもそうだがこんな悪に少しでも感心してしまった自分に対して腹が立つのだ。
それに悪の殲滅は完了していない。
もう一人のターゲット、花山薫。
こいつを始末しない限り、この不愉快さは晴れることがないだろう――――
――――――――――――――――――――――――――――――――
何も言わなかった。
KENが電話し、木崎が指示を出す。
花山薫は何も言わなかった。
何も言わないまま、歩いて行った。
友、レックスの方に向って。
立ったまま気を失っている男に向って歩いていき。
「――――――――――――たいした。」
両の腕で、がっしりと抱きしめた。
力強く。
それでいて豊潤な抱擁であった。
「――――たいした『侠客立ち』だぜ。」
――――――――――――対抗戦第一試合。
花山薫VS阿古谷清秋。
ここに決定。
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