阿修羅の牙   作:ダブルM

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ダンベル、キャラが濃い。



第十二話 友

一人の女子高生があせだくになって、バーベルを上げていた。

金髪のツインテール、肌が浅黒く日焼けした少女だ。

黒いタンクトップと、側面に白いラインが入った赤のジャージが汗に濡れて肌に張り付いてきている。

豊満な谷間に汗が一滴、また一滴と吸い込まれていた。

 

「ふんっ!!!…ぎぎぎ」

 

少女――――紗倉ひびきはあおむけになってバーベルを持ち上げていた。

ひびきの握ったバーが、手からにじみ出た汗のため、反射できらめいている。

30キログラム。

これが、ひびきがあげているバーベルの重さであった。

ここはシルバーマンジム。

都内某所にあるトレーニング・ジムだ。

最新式のトレーニングも、ここでは早い時期からすぐ取り入れている。

筋トレの専門家もそろっている。

最近では実力ある格闘家が利用することでも有名になっている。

本格的に鍛えたい者には何かと話題の評判のいいジムであった。

一回。

二回。

三回。

四回――――

歯を食いしばりながらバーベルを上げる。

残り五回。

それが、右にいる男から言われたノルマであった。

再びバーベルを上げる。

一回。

二回。

三回。

四回。

 

「4.1回」

 

そうか、まだ五回に達していないのだな。

 

「4.2回」

 

なるほどなるほど。

ひびきは、おぼろげながら理解した。

これは、まだ終わらない。

残り五回というのは、この人が五というまでっていうことだ。

だから小数点がついているし、残りの回数も無限に――――

 

「っていつまでやらせる気ですか???!!!!」

 

いいつつも、バーベルを上げるひびき。

まだ余裕があると判断されたのだろう。

男がにいと笑いながら、再び口を開いた。

 

「マダマダ元気ガアルジャネエカ。4.3回。」

「――――ぐっ!!!」

「ホラホラ。腕ガ上ガリキッテネエゼ。4.4回」

「くっそぉぉぉおおおおーーーー!!!!」

 

叫びながらバーベルを上げるひびきを見て、男は笑った。

ジャック・ハンマーであった。

山下商事の専属闘技者となって以来、ジャックは近場にあるこのジムによく来ていた。

だが、自分で見つけたわけではない。

 

「おっ。様になってるじゃねえか」

「ヘッ、茶化スンジャアネエ。

サア4.5回ダ。」

「ぎっ…!!!ぎっ!!!」

 

ドレッドヘアーの、肩幅の広い大きい男が隣から声をかけた。

プロレスラー・関林ジュンである。

このシルバーマン・ジムは関林の紹介であった。

拳願試合で闘って以来どこか意気投合するところがあったのか、

お互いがお互いの事を認め合ったのか。

あるいはその両方か。

その点については、当人の間でしかわからない。

しかし、事実として二人はよく一緒にいた。

関林が巡業の日は設営に参加したり、

超日本プロレスの若手の指導にあたったり、

時には関林とスパーリングをしたり。

こうして一緒にトレーニングをしたりしていた。

 

「な?こいつを連れてきて正解だったろ?」

「間違いないですね。

素晴らしい人材ですよ!!」

 

そして、関林がトレーニングをしようとこのシルバーマンジムを紹介した理由がこの男にあった。

髪の毛は短髪に。

しかしよく手入れされていて清潔感がある。

眼はほそいが、顎が太くなく顔全体が小さいため爽やかな印象を受ける。

上下青を基調としたジャージを着ており、その布地には汚れが見当たらない。

笑った時に出る歯も、白く輝いていた。

 

「イヤ…アンタガイテ助カッタノハコッチノ方ダ、ナルゾウ。

オレノトレーニングニ反対シナイドコロカ、ソノ上デ効率ヨク指導シテクレルナンテナ。」

「最初はなんて無茶なトレーニングをするんだと思いましたけど…特別な想いがあるなら、僕も手伝わないわけにはいかないです。

ジャックさんの筋肉もそれを望んでいるようですし!!!」

「―――ジャックの筋肉、ついに意志を持ったのか?!?!」

 

今関林に現実的なツッコミを受けた、このさわやか系イケメン。

街雄鳴造。

それがこの男の名前であった。

トレーナーでありながら、自身も一流のボディビルダーである男。

指導者としても一流で、ここに来てからジャックの身体能力は飛躍的に上昇した。

もともと243センチの肉体を自在に操るフィジカルモンスターが、街雄の指導によりさらにボディバランスと全体的な筋力の向上に磨きがかかっている。

その成果は拳願試合でも現れていた。

平均69秒。

これがシルバーマンジムに来て以来の、ここ3戦のジャックの平均KOタイムである。

その中には因幡のような絶命トーナメントに出場した『レジェンド』も含まれていた。

しかも、目立った怪我もない。

勝ち方は単純だ。

初手から突っかける。

次に猛烈なラッシュを仕掛ける。

これで終わりだ。

普段からよくやるジャックの戦法である。

この初手の突っかけと、ラッシュの速度が更に増したのである。

 

『人間じゃねェ。誰があいつを止められるんだ。』

 

そう言って、山下商事と闘うことをあきらめる企業も増えた。

 

『次の王は範馬だな』

 

そういう拳願会員もいる。

明らかに街雄の手腕によるものであった。

それ以来、ジャックは街雄の指導にはほぼ従うようにしている。

一か月経ち、二か月たち。

お互いの親睦も深まったころ、街雄が一つの依頼をしてきた。

ジャックの才能を認めて、ひびきや朱美などの高校生組の指導を空いている時間に頼めないかと打診したのだ。

最初、ジャックは渋った。

自身がトレーニングをしにきているのに教えるのか。

しかも、自分たちとはほど遠い人種の彼女らを。

だが、街雄に恩がある身として断り切れずに面倒を見ることになったのだった。

その結果――――

 

「5回。ヨク頑張ッタナ。」

「ぜえ…ぜえ…」

 

こうして、空いた時間にトレーニングを見るくらいのことはするようになった。

ひびきが、肩で息をしながら水筒が置いてある棚に向って歩いて行った。

ふらふらしてはいるものの、眼はまだ死んでいない。

少し休憩したら、次のトレーニングに入れるだろう。

口数が多く、オーバーリアクションなもののガッツがある娘。

ジャックの中でのひびきとは、そういう存在であった。

――――まだまだしごけそうだな。

そう考えて、次は何をやらせようかと思案しているうちに、関林が声をかけてきた。

 

「ジャック、そういやお前さん対抗戦の話聞いたかい?」

「アア。地下ト拳願会デヤルンダッテ?

オマエハ出ルノカ?」

「あったりまえだろ。相手も既に決まっているぜ。」

「ドイツダイ?」

「丹波。丹波文七。そう、巽さんから聞いたよ。」

「―――――ソイツハ、マタエライ相手ダナ」

 

ジャックがにい、と笑いながら答えた。

丹波文七。

プロレス界からすれば、いい意味でも悪い意味でも有名な男であった。

どこにも属さず、しかし巽真と松尾象山が取り合うほどの超実戦派空手家。

梶原に腕を折られ悲鳴をあげた丹波クン。

リベンジを果たした丹波文七。

新進気鋭の新人、鞍馬彦一をケンカでぶちのめした丹波文七。

中堅レスラー三人を再起不能にした丹波文七。

プロレス界とは浅からぬ因縁をもつ空手家。

プロレス界での丹波文七とは、そういう男であるらしかった。

 

 

「まあ、それはいいとしてだ。

気になってたんだがよ。ジャックお前あれだよな?

地下出身だよな。」

「マア。」

「でも、今は山下商事に所属してるんだろ?」

「アア。」

「あーーーー。言いなくないならいいんだけどよ、どっちから出るか気になってさ。」

「―――――」

「まあ、言いにくいなら――――」

「拳願会カラ出ルサ」

「ほう?」

「山下社長トハ気ガアウシ…何ヨリ、地下ニハアイツガ居ル」

「――――刃牙か?」

「ソウダ。」

 

ジャックが拳願会から出る理由―――――それは異母弟、範馬刃牙の存在が大きかった。

山下に恩はあるものの、決め手ではない。

結局のところ、純粋戦士であるジャックは闘いたい相手がいるかどうかが重要なのだ。

そして、それは地下闘技場にいる。

地下で闘ってもいいが、むざむざこの機会を逃す手もない。

既にこのことは刃牙にも伝えられており、承諾を得ている。

 

―――――対抗戦第九試合

ジャック・範馬VS範馬刃牙

既に決定。

 

「そうか。そうだよな。」

「アア――――俺達ハ兄弟ダカラナ…」

「ああ――――兄弟だし、それでいいんじゃね?」

 

関林が腕を組みながらうなずいた。

それと同時に、にかっとわらった。

 

「しかし――――へへ。それを聞いて嬉しかったぜ。」

「ン?」

「ジャック、お前と同じチームで闘えるからだよ。」

「――――――」

「仲間、ってわけだな」

「アア。言ワレテミリャア、ソウカ。」

 

考えてもいなかったことだった。

そうだ、言われてみれば同じチームで闘うのだ。

今まで、ずっと一人であった。

博士が居た時期もあった。

猪狩は今でもサポートしてくれている。

紅葉もだ。

しかし、こうして同じチームで戦い共に勝利を目指すようなことはしたことがなかった。

団体戦とか、そういうのにも興味がなかった。

自分が戦えればいい。

そう思っていたからだ。

ついこの間までは。

だが、今ジャックは楽しんでいた。

関林とスパーリングをすることとか、街雄とやるトレーニングだとか、こういう指導だとか。

いろいろなことが、楽しくなってきている。

 

「生マレテ初メテノチームプレイダゼ」

「――――」

「面白クテ、タマラネェナ」

「いいね」

 

本心であった。

最近よくジャックはこう思うのだ。

強いってのはスピードがあるだとか、パワーがあるだとか。

それだけじゃあないということだ。

楽しむこと。

これが必要だ。

多分、刃牙は毎日こういう感情で過ごしていたのだろう。

必死になって、つらい思いをしながら修練を積む者が、楽しみながら修練を積むものに勝てるわけがない。

敵わぬわけだ。

勝てぬわけだ。

そう思った。

少なくとも、今までの自分ならばそうだったであろう。

しかし、今の自分ならば勝てるかもしれない。

そう思い、ジャックは握った拳を見る。

こいつを楽しむこと。

それだけならば、今の刃牙にも負ける気がしなかった。

柄にもなく浮かれていると思ったが、いけないことだとも思わなかった。

 

「けど、忘れんなよ」

 

こつんと、関林の拳がジャックの胸に当てられた。

優しい丸みを帯びた拳だった。

 

「ジャック。対抗戦の次はおめえさんだ。

この関林が、範馬に土をつけた初のプロレスラーになるんだからよ。

それまで負けるんじゃねえぞ。」

「素敵ナ宣言ジャネェカ。余計ニ負ケラレナクナッチマウ。」

 

ジャックは口元に微笑を浮かべながら、答える。

優しい、しかし決意を秘めた顔であった。

 

「ジャックさん、ジャックさん」

 

そこに、街雄が声をかけてきた。

振り返ると、街雄の他にもう一人いた。

女の子だ。

ひびきと歳のころは同じくらいだろうか、よく一緒にトレーニングをしているのを見る娘だ。

今日もいつも通り、白いタンクトップに黒いハーフパンツの、トレーニングウェアを着ている。

黒く長い、美しい髪に整った顔立ち。

出るところは出て引っ込むべきところは引っ込んでいる。

素晴らしいプロポーションの持ち主であった。

だが、話した事は無い。

 

「――――ン?」

「彼女、奏流院朱美さんって言うんです。

ジャックさんがさっきまで教えていたひびきさんとはお友達で。」

「ソウナノカイ?」

 

ジャックが、膝を落としてひびきの顔をのぞき込んだ。

2メートルを大きく超えるジャックが上から見下ろすように話せば威圧感を与える。

そういう心遣いをしたうえでの行動だったのであるが、

 

「は、はい~~~~!!!!」

 

当の朱美は顔を、自身の名前の如く真っ赤にしながらひきつって答えた。

 

「はは。彼女、ジャックさんに聞きたいことがあるみたいでしてね。

こうやって連れて来たんですよ。」

「聞キタイコト?」

 

首をかしげるジャックに、関林は合点がいったようにうなずきながら言った。

 

「ああ。確かにお前、見た目えげつないからなあ。

聞きたい事あっても女の子一人じゃきついわ」

「テメーニダケハ言ワレタクネエ。」

 

ジャックが関林を苦笑いしながら肘で小突く。

その様子を、陰から見守る影が三つ――――いや、四つあった。

 

「うわー。やべえなこりゃ。完全にやっちゃってるよ。」

 

一人はひびきである。

親友が完全に『やっちゃってる』姿を見て顔面に手を当て点を仰いでいた。

 

「朱美、あんなキャラだっけ?」

 

ひびきの頭の上さらにのぞき込むように、浅黒い健康的な肉体をした少女が言った。

2人の友人、上原紗耶香である。

ひびきほど朱美とつるんでいるわけではないが、付き合いはそこそこ長い。

普段は上品華麗なお嬢様。

筋肉が絡むと残念になる変な女。

紗耶香の中ではそういうイメージであっただけに、あの妙なテンパリ様がひっかかったのだ。

 

「いえ、普段とはほど遠いわよ。」

 

紗耶香のさらに上からのぞき込む影があった。

2人の教師、立花里美である。

学校でも、ジムでも彼女の姿を知る里美は珍しいものを見るかのように目を丸くしている。

そう。

今の朱美はぶっちゃけ上がっていた。

誰がどう見てもわかるくらい上がり切っていた。

 

「―――朱美、マジでジャックさん狙いなの?

ああいうのが好み?」

 

その里美のさらに上からのぞき込む影があった。

銀髪の美しい短髪に、朱美以上の出るところが出ている身体の持ち主であった。

ジーナ・ボイドである。

ジーナは母国・ロシアで格闘技をやっている都合上、ジャックの話は耳にしたことがある。

ロシアの英雄、ガーレンを倒した男。

ロシアの最凶死刑囚、シコルスキーを圧倒した男。

ロシア裏格闘技では話題に上らない事は無い危険な男。

むろん、口に出すことはない。

友人の恋路を邪魔することでもないと思ったからではあるが、ジーナの中でジャックはそういう存在であった。

 

「いや――――朱美の視線の先をよく見てみなよ」

 

ひびきに言われてジーナが、よく朱美の顔を見てみた。

確かに舞い上がって顔を赤くしてはいるものの、視線の先が顔ではない。

胸だ。

 

「大胸筋ね」

「大胸筋だわ」

 

紗耶香と里美が、声をそろえて言った。

そう。

朱美はジャックの貌を見て舞い上がったり、顔面と性格が好みのタイプだから上がっているわけではない。

 

(ほんとに最高――――!!!今まで見た中で一番タイプの大胸筋――――!!!)

 

大胸筋がもろ好みドストライクだったからなのだ。

 

(ジャックさんが来るまでは私、待雄さんの大胸筋が至高だと思っていたわ。

汚れのない、光り輝いた―――――さわやか正統派の大胸筋が好み…そう思っていたの)

 

確かに、今でも街雄の大胸筋は捨てがたい。

興奮に値するものがある。

それは事実だ。しかし―――――――

 

(でもジャックさんを見てから考えが変わった――――いえ、最初からそうだったのかもしれない。

やっぱり私、お姉ちゃんみたいにワイルド系が。

オラオラワイルド系大胸筋が好きだったのね…)

 

やたら自分の胸に視線を向けられていることに気付き、頸をかしげるジャック。

なんとなく察した関林はにやつきながら事の次第を見守っている。

ここでようやく、朱美が口を開いた。

おずおずと、ジャックの服の裾をつかみながら恥ずかしそうに言った。

 

「あ、あのー…」

「ン?」

「せ、背中の筋肉を見せてもらってもいいですかッッッ!!!???」

「ア、アア…カマワンガ…」

 

謎の勢いにたじろいだジャックが、すごすごと上着を脱ぎ背中を見せる。

 

「く…く…」

「――――」

 

関林は下を向いて思いっきり笑いをこらえ。

街雄がニコニコしながらジャックと朱美を見守っている。

 

「コレデイイカイ?」

 

振り向いたジャック

広がっている背中を見てぶるりと体を震わせた。

――――最高よ。

そう思った。

顔を赤くし、恍惚とした表情で男の背中をつつ、となぞる。

 

(男は顔よりヒッティングマッスルで選べというお姉ちゃんの言葉を借りるなら、

この人を狙わない手はない…!!

背中広すぎてパンこねれるわ!!!)

 

なぞられていることに疑問符を浮かべながらも、とりあえずはそのままにしておくジャック。

そこに、関林が近づいてきた。

ジャックの隣に並ぶ。

なにも言わない。

 

「―――――」

 

何も言わずに朱美に向って横を向き、手を組んで大胸筋を強調した。

いわゆるサイドチェストである。

 

「!?」

 

朱美の眼の前に、至高の広背筋と極上の大胸筋が並ぶ。

ジャックとは違い、粘りのありそうな優しく丸い筋肉であった。

朱美は鼻血が出そうになるのをこらえながら、男達の筋を凝視している。

 

「――――なるほどね」

 

その様子を見て何かをひらめいた街雄が関林の隣に並んだ。

並んで―――――

 

「サイドチェストッッッッ!!!!!!」

 

服が、はじけ飛んだ。

はじけ飛んだジャージの下から、合成写真かと疑わずにはいられないほどのゴリマッチョボディが飛び出し朱美の網膜に突き刺さる。

 

「ああんっ!!??」

 

こらえきれずに、朱美の鼻から血と汁が噴き出した。

自分は暴力を受けている。

朱美は、そう思った。

筋肉美というエロスの塊が自分の眼球を埋め尽くしているのだ。

これが暴力でなくて何なのか。

ピンク色にそまる思考を切り替えることもできず、鼻息荒く三人の筋肉を見ていた。

 

「――――ナルホドナ」

「――――――」

 

ジャックが振り返る。

同時に、名もなきマッチョたちが集まって来た。

ぞろぞろと、朱美の眼の前に並ぶように歩いてくる。

うんうんとうなずきながら街雄が並んだもの達に促す。

 

「さあ、皆さんご一緒に再度…」

「―――――――」

「はいッ!!!!サイドチェスト!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

ムキィッ

そういう効果音と共に、目の前に並んだ男たちが一斉にサイドチェストを取って朱美に一歩近づいた。

 

「ああっっ!!!!!????」

 

たまらずよだれと血を口から吐き出しながら、朱美はよろめく。

こんなことが。

こんなこの世の極楽が。

こんな世界が許されていいのか――――。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

この時、朱美の脳内で繰り広げられた光景は、マッチョたちのサイドチェスト攻撃ではない。

そもそも、シルバーマンジムですらない。

会場だ。

こぎれいなビルの、一会場。

こういうものであった。

その中で、朱美は眼鏡とスーツを着用しながら椅子に座り、長机越しに対面を見ていた。

そこにはジャックや街雄をはじめとするマッチョ達がパンツ一丁で一列横並びに椅子に坐っている。

 

「今からマッチョの集団面接を始めます。

当社に入るに当たって一番力を入れた部位はどこかお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「二頭ダ」

「マッチョ」

「大胸筋です!!!」

「マッチョッッ!!」

「泣く子も黙る、大腿筋かな」

「マッチョ!!!マッチョッッ!!!」

 

こういったものであった。

眼の前の光景は、既に朱美の瞳には映っていない。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「帰ルカ。」

「ああ。」

 

そして、どこかの世界にトリップしている朱美をよそに。

ポージングに飽きたジャックと関林はロッカールームに向って歩いて行った。

 

「お、おい朱美ッッ!!」

 

ひびきがさすがに見ていられなくなり、飛び出して朱美の肩をゆすった。

がくがくと、焦点定まらぬ顔で飛んでいる朱美をこちらの世界に戻すべく力を込めて呼んだ。

 

「ほえ…?ひびき…?

私は今からジャックさんの腹斜筋で大根をすりおろすところだったのに…?」

「いや、知らねーよ!!!それよりも早くしねーとジャックさんの連絡先聞けねーぞ??!」

「―――――――――ハッ!!!???」

 

急いで走り出し、ジャックの連絡先を聞いた。

混乱しながらも連絡先を教えるジャックに、横で大笑いする関林。

本日もシルバーマンジムは平和であった。

 

 

 

「ここらへんでいいかい、先生。」

 

東京湾に面した、とある倉庫。

その中で二人の男が相対していた。

一人はヒョウ柄のシャツに白のジーンズ。

シャツからはみ出た胸部の筋肉、

ちらほらと生える無精ひげ、

濃いめの眉、その右眉をまたがるような大きい創痕。

悪く言えば、清潔感が少し欠ける。

よく言えば漢らしい。

そういった印象を受ける男であった。

男の名は丹波文七。

超実戦派空手家の雄にして、関林の対抗戦の対戦相手でもある男だ。

 

「構わないよ。」

 

先生と呼ばれた男が、丹波の眼を見た。

手入れのしていないぼさぼさの黒髪。

丹波と同じく、ちらほらと見える無精ひげ。

それに加え、黒い浴衣のような和服を羽織っているので、どことなく浮世離れした感じが見て取れる。

この男こそ、徳尾徳道。

通称”二徳”と呼ばれる男であり、あの『牙』を敗北寸前にまで追い詰めた男である。

しかし、その『牙』との試合で重傷を負った二徳は療養を余儀なくされた。

これが数か月前の出来事である。

そしてけがから回復した今、再び闘いの場に上がろうとしていた。

対抗戦には時期的に難しい。

しかし対抗戦が終ったあとの試合について、既に山下からオファーの準備はしていてほしいと頼まれている。

 

「丹波君――――ウォーミングアップに付き合ってくれること、感謝している。」

「礼には及ばねェよ。こっちも対抗戦を控えてるんで、いい練習相手が欲しかったんだ。」

 

そこで、実践のカンを取り戻すべくウォーミングアップを頼んだ相手。

それこそが丹波文七であった。

丹波文七は数年前、プロレスラー梶原に敗北を喫して以来様々な格闘技を取り入れていた。

その中で、サンボを習いに行ったことがある。

その道場に居たのが二徳である。

2人は年も近く、実力も近いことから意気投合。

以来、こうして何かの機会に会うことが度々あった。

 

「対抗戦――地下と拳願会のあれね。」

「知って―――て当然だわな。先生、あんた拳願会の人間だし」

「うむ。対戦相手のことも知っているよ」

「へえ」

「関林だろ?」

「そうだよ」

「これはまた、えらい相手とやることになったねえ」

「プロレスラーだろ?」

「その認識でいると君は負けるかもな」

「――――」

「”獄天使”関林ジュン。彼は君が今まで相対した、見てきたどのプロレスラーとも違う。」

「同じやつなんかいなかったよ」

「それでもだ。彼はプロレスに愛された男だよ。」

「愛された男?」

「常に、プロレス技で闘う。常に相手の攻撃を受け切る。そしてこの日本でトップクラスにプロレスをやっている男だ。」

「どういうことだい?」

「五千二百試合。」

「五千二百」

「これがどういう数字かわかるかね」

「いいや」

「今まで彼が行ったプロレスの回数さ。年間二百六十試合。それをざっと二十年くらいだ。

しかも、試合も練習も一回も休んだことがない。それは関林が一度も大きなけがをしていないってことを意味する。」

 

二徳が腕を組みながら言った。

 

「なぜこういう事ができるか。それは、彼の受けが尋常でなくうまいからだ。」

「受け、ねえ」

「相手のフォームを崩して破壊する。相手の攻撃力が高いほど、その威力は増していく。

だから相手は本気で攻撃できないし、セメントに近い事を仕掛けようとすると逆に自分が壊れる。」

「へえ」

 

五千二百試合。

二十年もの間相手の攻撃を受け続けてきた肉体。

プロレスが作り上げた、プロレスそのもののような肉体。

彦一よりも、

梶原よりも、

長田よりも。

もしかしたらあのグレート巽にまで匹敵するかもしれない、純度の高いプロレスの肉体。

自分はそういうものを相手にしようとしているのだ。

 

「面白いじゃないか」

 

にい、と丹波が笑った。

犬歯をむき出しにした、闘争心溢れる笑みだ。

 

「全く…つくづく君は餓狼だな。一人で戦い、相手が強ければ強いほど燃えるとはね」

「――――」

「私とは正反対だ。全く、次の試合が最後の試合になることを願うばかりだよ。」

「ハハ。先生は、そう言いながら一生戦ってそうだ。」

「勘弁願いたいね」

 

頭をかきながら、二徳が腕を下ろした。

 

「では、そろそろ始めようか」

「そうだな」

 

二徳は腰を落とし、両手を前に出した。

丹波は拳を上げて、構えた。

二徳の周囲が、

丹波の周囲がぐにゃりと歪んだ。

倉庫の壁や床なんかが軟らかい何かできているように歪んで見えている。

幻覚だ。

実際に物質が柔かくなっているわけではない。

しかし二頭の獣の闘志が、熱い陽炎のようにゆらめいて燃えているので、あたかも空間が歪んでみてるかのような錯覚が起きているのだ。

と――――

つううう、と二徳が動いた。

腰を落としながら前へ。

大陸のプレートが別のプレートの下にゆるやかに沈みこむように。

斜めに沈みながら前に出ていた。

丹波も、それに合わせてじりしりと。すり足のまま前に出る。

そこで――――

ダアン!!!!

こういう音が鳴った。

音の出どころは二徳。

より正確に言うなら二徳の足元にあった。

大地が動く時のように、沈んでいた二徳の身体が急に浮き上がったのだ。

床を思いっきり蹴り、身を起こすと同時にまっすぐ力強く丹波の懐に入ろうと試みる。

そして、入った時には既に手が動いていた。

タックルだ。

丹波の腰をつかみ、テイクダウンを奪おうとする。

 

「コッ」

 

それを、丹波は耐えた。

呼気と共に四股に力を入れて上からがぶりつくように覆いかぶさる。

アマレス流のタックルの切り方だ。

同時に、下から右の膝を突き上げようとした。

狙いは二徳の顔面だ。

 

「ぬっ」

 

二徳は膝を見た瞬間腰を左に切り、がぶりつかれたまま強引にサイドに移動する。

すごい力だ。

このまま膝を出し切ってはバランスを崩すだろう。

そう見込んで無理やり側面に移動しようとした。

そして、側面に移動することはあっさりと成功した。

丹波ががぶりついていた手をいつの間にか離し、膝を打つことをやめていたからだ。

移動した二徳のその眼前に左の拳が置かれてある。

サイドを取った瞬間に攻め込んでいたならば、この鉄拳が鼻っ柱にぶち込まれていたところであろう。

 

「やるね」

「あんたこそな」

 

互いが互いを賞賛した。

仕切り直し、丹波も二徳も構えなおした。

しかしその距離がはじめの時より若干近い。

 

「いくぜ」

 

じゃりっという、靴で小さい砂を踏みつけた時のような音が聞こえた。

音の発生源は丹波であった。

今度は、丹波から仕掛けたのだ。

右拳が二徳の顔面に迫る。

フェイントも何もない。

空気がこすれるような轟音と共に迫る。

二徳はそれを左手で内側から払い、そのまま丹波の腕をかすめるように左の突きを丹波に向って出していた。

受けと打撃が一体になったかのような、上手いやり方であった。

丹波はそれを首をひねって回避。

丹波が左のミドルを繰り出す。

二徳が、左へ短くとんだ。

受け切れぬと判断して自らとんだのでダメージはない。

それでも完全にはかわしきれなかった。

服の、脚がかすめた箇所から焦げたようなにおいがする。

着地と同時に丹波が距離を詰めた。

右脚を、左足に向って打ち下ろす。

ローだ。

タックルにせよ飛ぶにせよ、まずはその足を封じるという気持ちで蹴った。

それは二徳にもわかっていた。

わかっていたので、脚を上げて受ける。

それでも、重い衝撃が奔った。

反撃しようにもできなかった。

丹波が止まらないからだ。

 

左。

捌く。

左。

捌く。

右。

首をそらして回避。

距離を取ろうとしたところに前蹴り。

右手で上から受ける。

もう一度、爪先で突き刺すように蹴る。

右腕で上から抑える。

二徳の視線が、完全に下を向いていた。

万を持して、丹波の渾身の右が振るわれた。

顔と腹。

上下に揺さぶって意識を散らしたうえでの、顔面への右正拳であった。

―――当たる。

打った瞬間に、丹波はそう思った。

路上、試合。場所問わず何年も闘い続けてきた男の、本能から来る確信であった。

 

「流星光底 長蛇を逸す―――頼山陽。」

 

その拳が今、空を切っていた。

いないのだ。

今そこにまでいた二徳の姿がない。

ばかな。

一体どこに――――

そう思った瞬間、ぞくり。

悪寒が丹波の全身を包んだ。

そして、見つけた。

下だ。

丹波の右手を潜り抜け、低い姿勢のままフリーの状態を得ている。

なんという男か―――

冷や汗を流しながらも雄は瞬時に動いた。

膝だ。

低い姿勢の、タックル狙いの二徳に対してカウンターを入れようと膝を出した。

―――結論から言えば、この行為は無意味であった。

フリーの体勢になった二徳からすれば、ここから来るのは膝しかないと容易に想像がつく。

ついているので、左腕で上から丹波の膝を押さえつつ、逆の手で丹波の軸足を抱え込んで体ごと押し込んだ。

軸足タックル。

 

「~~~~ッッッ」

 

苦し紛れに丹波が肘を背に落とすが大したダメージはない。

そのまま、二徳の目論見通り丹波は尻から地面に落ちた。

テイクダウン、成功。

二徳がそのまま抱えた脚に関節技を決めようとするが、丹波が素早くそれを抜く。

ならばと覆いかぶさりマウントを取ろうとしたところで、何かが絡みついてきた。

 

「うまい」

「あんたに上になられちゃあたまんねェからな」

 

そう、二徳が思わず口に出した。

丹波も、笑いながら答えた。

脚だ。

大蛇が獲物に絡みつくように、丹波の脚が二徳の身体を下からがっしりと挟み込んでいた。

力強い。

二徳はそう思った。そして、迷った。

どうするべきか。

脚をこじ開けマウントを取ろうにも、丹波の力が強すぎる。

それに、無理に開けようとしたら下から打撃をもらう可能性もある。

丹波も迷っていた。

ガードポジションを取ったはいいが、相手は関節のプロ。

下手に三角絞めなどやろうものなら逆に腕を取られて極められる可能性が高い。

しかし、だからといって打ち合ってくれるような男か。

空手家の自分の実力をよく知っているこの男が?

考えにくいことである。

数秒、お互いの動きが止まった。

 

「―――――」

 

止まったが、先に動いたのは二徳であった。

二徳が、抱え込んでいる丹波の脚の、内側のくるぶしの少し上あたりを思いっきり指で押した。

 

「づうっ!!??」

 

三陰光。足首付近に存在する急所である。

ここを思いっきり押し込まれることにより、丹波は思わず足から力が抜けた。

二徳が、上から覆いかぶさろうとする。

たまらず丹波が右腕を下から放った。

それを見て、二徳は笑った。

にやりと、予想通りだというふうに。

 

「よし。」

 

手首を掴んだ。

同時にサイドに回り、丹波の右腕を両腕で抱えて身体を後ろに倒していく。

腕ひしぎだ。

伸ばしきれば決まる。

 

「カッッ!!!!」

 

その一瞬前に、察した丹波が強引に腕を引っこ抜いた。

極まると思っていた二徳は眼を見開く。

瞬時に立ち上がった丹波が、踏みつけるように二徳の脚に向って蹴り下ろす。

 

「くっ」

 

二徳はそれを後ろに転がって回避し、立ち上がった。

再び、丹波が構えた。

再び、二徳も構えた。

今度は動かない。

お互いがお互いの動きを知っているので、打つ手が少なくなってきている。

これ以上は、今まで以上のリスクがある攻撃を行わなければ勝負が動かない。

丹波も二徳も、それを理解した。

理解したので――――

 

「―――――ふう。ここまで、かな」

「―――――ああ。そうだな。どうだい先生、身体の調子は?」

 

構えを解き、力を抜いた。

濃いウォーミングアップであった。

 

「まずまず―――といったところかな。これなら何時復帰戦が来ても問題ないだろう」

「そいつはよかった。」

「君の身体もよく切れている。特に打撃がすごいね。私も馬力には自信があるほうだったが、つい打撃戦を避けてしまったよ。」

「そいつはお互い様だ。俺も、先生の寝技に付き合いたくねェからああいうことをしたわけだし。」

「―――フフ」

「―――ハハ」

 

笑った。

お互い、いい汗を流した爽やかな笑顔であった。

その笑顔のまま、二徳が言った。

 

「これなら、対抗戦には期待が持てるね」

「――――」

「ただ――――」

「ただ?」

「ただ、君が負けることがあるとするならば。それは君がプロレスをした時だ。」

「俺はプロレスなんかやらねェよ。」

「そうだろうな。だから、プロレスをやったら君の負けだ」

「やらなかったら?」

「さあね」

 

笑みを浮かべたまま、二徳が言う。

 

「ここで私が勝っただの負けただの言ったところで君は何か変えるかい?」

「変えねェな」

「だろう。」

 

顎を引いて頷いた後、ぐーっと、身体を二徳が伸ばした。

 

「さて、そろそろ私は行くよ。いいネタを思いついたのでね」

「先生、前から言おうと思ってたんだけどやっぱアンタ格闘技やったほうが―――」

「ではな」

 

丹波が言い終わる前に、二徳が身をひるがえした。

相変わらず自由な人だ。

そう漏らして、苦笑いしながらため息をついた。

だから自分とも長い間つるんでいられるのだろう。

そして丹波も深呼吸した後、二徳を追うように倉庫を後にした。

身体の熱は、まだ冷めきっていない。

火照っている。

この熱を持った獣をぶつけるのだ。

稀代のプロレスラー、関林ジュンに。

そう思い帰路についた。

恋に焦がれる少女のように、胸を焦がしたまま。

 

――――――――――第三試合

丹波文七VS関林ジュン

ここに決定。

 

 




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